序章三話 『蚕の飛ぶ日』
覚めていくローレンティアが始めに感じ取ったのは音だ。
ぱちぱちと火が燃えている。
左側が暖かく明るさも感じた。自分は仰向けの体勢だ。
右側からは足音――多くて、軽い。四速歩行だろうか、低いうなり声も聞こえる。
近くで剣を抜く音が聞こえる。
「剣?」
異常を察したローレンティアが素早く上体を起こす。
「目が覚めたか」
声をかけるアシタバは振り向かない。
たき火と自分でローレンティアを挟むように立つ彼は、暗闇を凝視していた。
周囲は真っ暗だ。床は土。
たき火が照らす範囲には、アシタバとローレンティアだけ。
範囲外の暗闇には―――何かいる。いや、囲まれている。
と、ローレンティアが思うのと同時に、1つの塊が暗闇から飛び出、そして素早く剣を振るったアシタバがそれを両断した。
血が吹き出る、その姿をたき火の明かりが照らす。狼だ。正確には狼に似た魔物。
「ウォーウルフの群れだ」
アシタバがそう言うや否や、暗闇から続けて二、三と狼が飛び掛ってくる。
黒い毛と大型犬よりも一回り大きな体。何よりも目が異質だ。
宝石か真珠のような艶のある楕円形は、彼らが普通の動物ではないと決定付けている。
「火から離れるな。体を低く。両手を喉元に添えておけ」
一閃、二閃、アシタバは狼たちを切り捨てていく。
「危なくなったら叫べ」
目の前の流血沙汰に、ローレンティアはまた気を失わないようにするのが精一杯だった。
「さっきの魔物はウォーウルフだ。狼に近い動物寄りの魔物でな。
ここはもう魔王城の地下で、落ちたのが彼らの縄張りというわけだ。
ああいう種が人間を襲うのは2つの場合しかない。
狩りをするためか、縄張りを守るためか。
さっきのは、まぁどっちでもあったわけだが」
アシタバが、息絶えたウォーウルフの皮を剥ぎながら説明する。
ローレンティアはあまりの生々しさに耐えられず、暗闇の監視役をしていた。
「中でもウォーウルフは無用な争いは避ける傾向にある。
だから示してやればいいのさ。俺達は狩るのに苦労するってことをな」
実際、先程の……ウォーウルフの群れは、先陣の5匹ほどが倒されると見るや否や、撤退していった。
完全には撤退していない。暗闇の中で私たちを見張っている。
でも隙を見せなければ、これ以上縄張りを荒す素振りを見せなければきっと襲ってはこない。
「この暗闇を動き回って上への道を探すのは上策じゃない。
何が飛び出るか分からんし、鼻が利くウォーウルフ達はついてくるだろう。
ラカンカと灯火語りをしたが、明日の朝までここで待って、第一陣の団員が到着したところで上から引っ張り上げてもらおうと思っている。
あの面子だけじゃ力不足だしな」
そういって頭上を見上げる。ローレンティアも同じように視線を上げると、やけに明るい点があった。いや、穴だ。
「あそこから落ちてきたんだ。ラカンカ達が松明を集めた。
そこのたき火も松明を落としてもらってな」
パチパチと燃える火を見ながら、ローレンティアはゆっくりと落ちた時のことを思い出していく。
「落ちた、んですよね」
「ああ、落ちた」
「それで無事、着地をした」
「したな」
「と、いうことは………見たんですか?」
自分が無表情になっていくのを自覚した。
「見たかと言われれば」
アシタバも、同じくらいの無表情で向き直る。
「見た」
ああ。ああ。
最悪だ。
「はは………」
乾いた笑いが出る。
今まで、城の中でもローレンティアに同情をしてくれた人はいた。
呪いと言っても生まれはどうしようもない。親も薄情だよ、可哀想じゃないか。
それでもあの姿を見れば、そういう言葉は消えていく。
理解するんだ。この子は本当に、普通じゃないんだと。
「…………私は、本当に何もできなくて。
今回の最高責任者の件だって、お飾り以外の何物でもありません」
気づけばローレンティアは自分語りをしていた。
それは眠ってはいけない朝までの時間を埋めるためだったり、ローレンティアの生涯で初めての、祖国や使用人から離れた場所であったり、あるいはアシタバが語り相手として好ましく感じたなど様々な理由があるのだが。
一番は、吐き出さないと不安で押し潰されそうだったからだ。
「正直、魔物は怖いですが………。
この辺境の地で住むことにそれほど抵抗はありません。
今までも僻地の古城で暮らしてきましたからね。ただ………」
言葉を切る。アシタバは黙ってウォーウルフを捌いていく。
その距離感が居心地がいい。
「両親や兄弟は…………私のことをいない方がいいと思っていました。
それが今回の件で、明確に突きつけられて。あなたは要らない、と言われたようで。
分かっていたのに、これほど自分が揺らぐなんて予想してなかった」
たき火の外に広がる暗闇が、このまま自分を飲み込んでくれたらいいのに。
自分を知る、全ての人の意識の外で。
静かに、密やかに終わりを迎えられたらいいのに。
「私もずっと思っていました。自分は、いない方がよかったって」
息をするだけで迷惑をかける。
他人に泥を塗りながら生き長らえる日々。肩身は狭く。喜びはない。
陰口と後ろ指に耐え続けるだけの、長く細い日常。
「でもどんなことがあっても、あの呪いは私を生かし続けた。
だから、逃げ場もなくて」
退場できない舞台劇。どうしてこんなに、醜い。
私は、どこへいけばいいんだろう。
「私は終わりたかった。ずっと」
変える勇気も、終える勇気もなかった。意味もなく続けてきた、ここが終点だ。
魔王城の地下は以前暗く。ローレンティアが語りをやめれば、パチパチというたき火の音と、グツグツという音しかしない。
グツグツ?
違和感に気づいてローレンティアが振り返ると、何やらたき火の周りに骨組みが作られている。
その上からぶら下がっている、あれは……。
「………なんですか、それは」
「知らないのか?王宮暮らしも大変だな。これはな、鍋というんだ」
「いえ、それは知っています」
アシタバの脇には、一口大に切られたウォーウルフの肉が積まれている。
「食べるんですか!?」
アシタバは背負っていた皮袋から調味料だろうか、瓶を取り出し鍋に加えていく。
「食べる」
鍋に、皮を剥ぎ終わったウォーウルフの肉をぼちゃぼちゃと入れていく。
ローレンティアはもはや、苦い顔を隠す気も失せていた。
「ウォーウルフは肉食だし脂肪も少ない。
つまりは美味しくないんだがな。飯抜きというわけにもいかないだろう。
俺はいつものことだし、あんたも長旅であまり食事を取っていないんだろう?」
それはその通りだった。
食欲の湧かなかったローレンティアは馬車の移動中、まったく食事を取っていない。
今、お腹が空いているかと言われれば、空いている。
「まぁ、食べておけ」
魔物を食べることに抵抗がなかったわけではないが、この異常事態で空腹に耐えるのは面倒に感じられた。
ウォーウルフのスープは、正直に言えば美味しくはなかった。
牛や豚と比べて硬く臭みがある。
ただもう春になるとはいえ魔王城の地下は肌寒く、暖かいスープはローレンティアにとって有難かった。
そんな食事も終わり。スープはすっかり冷え、湯気も上らなくなった。
たき火を挟んで二人、楽な姿勢で座り、反対方向を監視しあう。
長い。落ちてからどれぐらいたっただろうか。
眠れず、休めず、暗闇を相手にし続けるのは精神的に参ってしまう。
「…………すいませんでした。私のせいで、こんなことになってしまって」
「こんなこと?」
「こんな、ウォーウルフの縄張りの中で一夜を越すことになって」
「ああ、そんなこと」
ふぅ、と息を吐く。
「いつものことだ。俺は探検家だからな。こんなことはよくやっている」
「探検家の方だったのですか」
探検家。魔物ひしめくダンジョンに潜り、調査や新発見、あるいは魔物の無力化を図る対魔物の専門家だ。
「むしろ俺の方こそ謝らなきゃ……。
いや、礼を言わなきゃ、だな。助かった。ありがとう」
自分の方に向き直り頭を下げるアシタバに、ローレンティアは面食らう。
「……………え?」
「落下の時だ。命を助けられた。
本来なら俺がどうにかするべきだったが……対応し切れなかった」
「…………い。いやいやいやいやいやいや!!
そもそも落下の原因は私ですし!!」
「あれはラカンカの見落としだ。
あんたが特別度を越えた動きをしたわけじゃない」
「でも、落下にあなたまで巻き込んでしまって!」
「あの時点で俺達の役割はあんたの警護・案内だ。仕事のうちだよ」
「で、でもですね…………」
「あんた、自責の念が強いな。あんまりいい傾向じゃない」
「え?」
鋭くアシタバが目を観る。視線で貫くような気迫だ。
観察をしている、とローレンティアは思った。
「何でもかんでも自分のせいだと結論付けるのは手っ取り早いかもしれないが、判断力が鈍る。
自分のせいじゃないものまで背負うことになる。さっきの話もそうだ」
「さっきの」
「ウォーウルフの親は子に狩りを教える。
子供に生き方を教えるのは、親の役目だ。と思う。
子を要らないという親を、俺は認めない」
強い口調で断言した。
彼は、アシタバは、ものを良く観て大事なことを伝える。
これだけ自分を観てくれる人に、惜しげもなく助言をくれる人に、ローレンティアは初めて出会った。
「信じてもらえるかは分からないが……。
俺はあんたのあの姿、別に気味悪いとは思わなかった。
あれよりグロテスクな魔物も沢山見てきたからな。
ま、これはフォローになっているのか分からないが……」
淡々と綴られる言葉を漏らさないよう、ローレンティアは黙って耳を傾ける。
「俺はな、生き物が好きなんだ。魔物も例外じゃない。
ウォーウルフは実は一番好きな種だ。
奴らは賢い。不必要な争いは徹底して避ける」
「食べるのに?」
「これは一応、俺なりの敬意だ」
アシタバが、手に持ったスープの器を傾ける。
「死んだらそれまで。だからせめて、死骸は余すことなく有効活用してやりたい。
皮も、牙も、肉も」
たき火の側にはなめされた毛皮が干されており、まだ血の残る牙がその横に集められている。
「本当に生き物が好きなんですねぇ」
「ああ………でも、好きになれない生き物もいる」
「それは?」
「蚕だ」
カイコ。名前は聞いたことがあるが、姿は分からない。
「それって、絹の?」
「ああ。蛾の一種でな。蚕の蛹を茹でることで、糸が、絹が取れる。
紡織産業の発展は、あいつら無しではなかっただろう。
かなり昔から人間と共にあった生き物だ。
…………だから、蚕は野生回帰能力を失ってしまった」
「野生回帰能力?」
「人の手を離れて、また自然の中で自立して生きていく能力だ。
蚕は完全な家畜化が進んでいてな。人と生きる時間が長すぎた。
あいつらはもう、人間無しでは生きられない」
アシタバの声が沈む。
「羽が退化しているんだ。もうろくに空も飛べない。
それに、足の力が弱まっている。幼虫も、成虫も。
木や葉に掴まり続けることができなくなってしまった。
自然に帰したところで、あいつらは力尽きて葉から地面に落ち、捕食されるのを待つだけだ」
「与えられることに慣れてしまったのですか」
「そうだな。そういうことだろう。
……………人間も似ているとは思わないか?」
「似ている?」
アシタバは言葉を慎重に選んでいるようだった。
ローレンティアも、アシタバの話により集中していく。
「蚕が人間に飼われているなら………。
人間は社会に、国に飼われている、ように俺は思うんだ」
「国に?」
「…………例えばあんたは料理を作れないだろう。
芋や米をどう育て、収穫するか知らない。
あんただけじゃない。都市部に住む人は、自分の仕事しか知らない。
俺も、この剣を作れと言われても無理だしな」
傍らの剣を小突いてみせる。
「人の国は支え合いだ。それぞれが自分の仕事をする。
別にそれが悪いことだとは思っていない。
だけど国から、支え合いから弾かれた時………明日の飯にも困る人が大半だろう」
想像した。天をも覆うような巨大な蜘蛛みたいな怪物が、人々の頭上を闊歩し、その生活を監視している。
その、国という怪物に生かされている日々。
「人間も野生回帰能力を失っている?」
「そう。繰り返すが、俺は支え合いの人間国家が悪いとは思わない。
個々が、生きるための技術を全て身につけておかなくてはならない、と言いたい訳じゃない。ただ………」
「ただ?」
「………蚕が苦手なのは、あいつらに意志が感じられないからなんだ。
生きるっていう意志が。あいつらは、その意思を支配者に預けてしまった」
声を曇らせる。嘆いているのは、人の業か、蚕の運命か。
「だから俺はただ…………蚕に飛べ、とまでは言わない。
ただ、しがみつくことまでは止めないで欲しいんだ。
自分が立つ、その葉に」
序章三話 『蚕の飛ぶ日』
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