序章二話 『呪われた王女』
ローレンティアが魔王城に着いたのは夜のことだった。
所々に立てられた松明が足元を照らす向こうに、魔王城がそびえ立っている。
黒く塗られたように存在するそれは、異様な雰囲気を醸し出していた。
まるで夜の暗闇が怪物を産み落としたかのようだ。
「こちらへ」
立ちすくむローレンティアを引っ張るように、専属使用人のエリスが先導する。
足元は石畳、魔物の都にしては整備されているという印象を受けた。
「明日の朝、団員の第一陣が到着するとのことです。
ローレンティア様には団長として挨拶をしていただきますので、今日はゆっくりお休みください」
あくまでエリスは機械的に説明する。淡白な顔と短く束ねた黒髪、ローレンティアより少し上の年齢の彼女は、長らく専属使用人を勤めていても決して深く関わろうとはしない。
「………場所はあるの?」
「はい。仮ですが、銀の団到着前に魔王城周辺の魔物掃討を担当した先遣隊が残していったものがあります。彼らは任務を果たし、既に撤退済みですが」
「じゃあ今ここには誰もいないの?」
「いえ、銀の団の団員が三名、先入りして待機しているはずです。ああ、あれですね」
そう言ってエリスは魔王城の、おそらく正門だろう、いっそう明るく照らされている場所を指す。
そこには確かに三人の人影があった。
男性が二人と女性が一人。男性の一人は小柄だ。
新暦462年、まだ寒さの残る
王女ローレンティアは初めて、銀の団の団員と接触する。
「やぁやぁ、若い団長さんとは聞いていたが想像より大分だな。
ここまでの道中はどうだった?騎士の一人もつけずに来るっていうからかなり心配してたんだぜ?
近頃は賊も増えているしさ!」
ローレンティア達を見つけるなり、三人の内の一人、小柄で茶髪の男は勢いよく話しかけてくる。
「まずは初めまして、だな。俺はラカンカ。トラップ解除を主に担当することになっている」
差し出された握手の手に、ローレンティアはおずおずと応えた。
腰に下がった短剣と丈夫そうな革のブーツに反して、防具といえそうなものは両腕に巻いた皮のみで、可能な限りの軽装といった風貌だ。
あまり手入れされていなさそうな髪は、邪魔にならないようピンでちぐはぐに留められている。
「あ、あの……ラカンカというのは、あの……【月夜】のラカンカ?」
「そう!!」
ローレンティアが自分を知っていたことが誇らしいのか、ラカンカは満足げな顔で頷く。
「古今東西、数多の盗賊が名を上げたが、大泥棒と呼ばれたのは唯一人。
【月夜】のラカンカとは俺のことだぜ!」
少し芝居がかった演技で鼻の下をこする。
【月夜】のラカンカ。
城に篭っていたローレンティアでも噂を聞いたことがある。
数多の貴族の屋敷に忍びこみ、けれども誰も彼を捕まえられなかった。
月夜に現れ、私財や食料を盗んでは民にばらまく大泥棒。
へへんと胸を張るその男を、ローレンティアはまじまじと見た。
その頭に拳が振り落とされ、顔が歪むところまで見届けた。
「痛ったあああ!!?」
「盗みを誇るな。それに無礼が過ぎる。団長様、数々の非礼、お許しくださいませ」
そう言って深々と頭を下げたのは隣の女性だ。
「だ、だだ大丈夫!頭を上げて!?」
その毅然とした言動に、ローレンティアは少し泡を喰ってしまった。
頭を上げた女性の顔立ちは整っており、硬い表情からは真面目さが見て取れる。
金色の長い髪は後ろで束ねられ、民族的な軽い防具と、腰の弓、背中の矢筒は森の狩人の格好だ。
「失礼、ご挨拶が遅れました。
私、
此度はこのこそ泥の監視役を命じられ参った次第、是非貴方の指揮下に………」
「ま、待って待って!よろしく!よろしくお願いします!!
……あともう少し砕けた言い方だと助かる!」
「……そうですか?それは失礼致しました」
深々と頭を下げる彼女に聞こえないよう、ラカンカがこそ泥いうなや、と毒づく。
自己紹介には含まれなかったが、ローレンティアは知っている。
彼女が、誰にも捕まえられないと謳われた【月夜】のラカンカを唯一、最後に捕まえた、【月落し】のエミリア。ラカンカの逸話の最後によく語られる名だ。
「ラカンカ様、エミリア様、そしてアシタバ様。
此度は、我らが銀の団へお集まり頂きありがとうございました。
早速、ローレンティア様の本日のお部屋を確認したいのですが……」
一片の会話を終えたところで、エリスが早々と場をまとめ寝床の確認に移る。
ローレンティアの体調を心配してか、いや本人も長旅で疲れていたからだろう。
ローレンティアは一人、話していなかった男の顔を見つめ――そして目が合った。
アシタバと呼ばれたその男は、ローレンティアより少し上、エリスと同じくらいの年に見えた。
伸びがちな黒髪は後ろで軽くまとめられており、服や防具もところどころ黒ずんでいて、野生的という言葉が似合う。
服装で言えば背中には何が入っているのか、大きな皮袋を背負っている。
「さて団長様、寝床に案内するぜ」
不意に声をかけられ、ローレンティアは目線を外す。
見ればラカンカが、城の向かって右側を指差していた。
言葉遣いが失礼、とエミリアに頭を叩かれ呻きながら、ラカンカが松明を片手に先導を切り、エミリア、エリスがそれに続いた。
「先に行ってくれ」
初めてその男、アシタバが口を開く。
「……え?」
「お姫様に
静かな声色は不思議とローレンティアを落ち着かせる。
なんというか、同年代のはずなのに彼には熟練者の風格があった。
魔王城の外壁を右手に、一同は移動を始める。
沈黙を埋めたのはエリスだった。
「それにしても」と頭上を見上げる。
「かなり高い造りなのですね。
これだけ大きな城は、各国を探してもなかなかないと思いますが」
「高いのがすげーんじゃねぇんだぜ、この城は。深いんだ」
エリスの言葉に、ラカンカが答える。
「と、いうと?」
「地下に深ーく伸びてるのさ。この城は。勇者が魔王を倒したのも最深部だ。
地上より上の階は、どっちかっていうと飛行型や射手型のための物見やぐらだ」
「物見やぐらですか、とてもそうには。
私には、黒い巨人が蹲っているようにさえ見えます」
「はは、エリスさんは面白い例えをするなー」
ラカンカも同じように魔王城を見上げた。
「それなら俺は、とびっきりの遊び場に見えるね。魔王城がさ」
「遊び場?」
「そ。多種多様な技巧を凝らしたトラップがわんさかある。
ああいうのは大抵ゴブリンが頑張っているんだがな、ここのゴブリンはやっぱり筋がいい。
エリートなのかな。侵入者の思考を読みきろうと、まぁよくやっている」
「…………はぁ」
「面白いのさ、俺は。ここでなら俺の腕をありったけ試せる。
魔物との戦いは真っ平御免だが、罠解除なら大歓迎だ」
「相変わらず何を誇っているのだお前は」
ともすれば悪役のような笑みを浮かべるラカンカを、後ろのエミリアが戒める。
「お前は何に見えるんだよ?」
「魔王城がか?」
「勿論」
「………例えなきゃ駄目なのか」
呆れたと言わんばかりのため息をつき、少しの間の後、エミリアは真面目な顔で語り始める。
「私は……そうだな、箱だ」
「宝箱か」
「そういうわけじゃない………まだ、私の中で整理が付いていないんだが。
勇者は魔王を倒した。とはいえ、魔王城の全てを把握したわけじゃない。
この魔王城は、これから私達に開けられる箱だ。中に何があるか分からない」
「ああ、そういう伝承もあったな。開けると災いが、ってやつか?」
「………放っておくわけにはいかない。
誰かが開ける危険を犯さなければならないのも分かる。だが……。
関わるべきでない、というものもあるのかもしれない。と、思う。
…………すまない、このあたりはまだ整理がついていないな」
「意外に悩みが多いんだな」
アシタバが関心があるかのように相槌を打つ。
「団長様はどうなんだ?あ、アシタバは後で聞くから考えとけよ」
「わ、私!?」
急に話を振られ、動揺する。
「わ、私は……えーっと……。」
慌てる。手の置き所が心配になる。
口に左手を当て、そして右手で手すりを掴み―――。
がこん、と手すりが凹む。
「お?」
静寂。全員の足が止まり、全員がローレンティアを見た。
「………お?」
ラカンカだけが、まずいという顔をしている。
「…………やべ、解除忘れだ。そこ離れろ、団長!!」
言葉は遅く、既にローレンティアの足元の石畳が崩れ落ち。
体が一瞬浮いた後、暗い、暗い底へと落ちていく。
「あ――――――」
急な事態に誰も動けない。いや唯一人、ローレンティアの手首を掴んだ。
アシタバだ。ローレンティアの体に触れるため、彼も崩れる石畳の上に飛び出す格好になった。
二人、落ちていく。細い穴だ。ローレンティアの視界は暗く。
アシタバが自分を抱き寄せ。そして体を下側に滑り込ませたのが分かった。
「駄目よ!!」
風が耳を切る。どれだけ落ちるのか。ラカンカ達の何か、叫び声が聞こえる。
アシタバが腰の剣を素早く取り出した。壁に突き刺す気だ、と理解する。
「しまった」
直後、アシタバが呟いた。
「抜けるな」
その意味をローレンティアが理解する前に、二人は狭い穴を抜け、巨大な空間へ放り出された。
以前暗闇。どれだけ広いか分からない。ただ、剣を突き刺す壁がないのは確かだ。
「すまない」
と、アシタバが呟く。その下、暗闇の中で、地面が迫ってきているのが分かった。
これから叩きつけられる。
「大丈夫です」
ローレンティアが呟いた。
「私は、死なないもの」
轟音と、衝撃。終わって、静寂と暗闇だ。
アシタバはゆっくりと体を起こす。それなりの衝撃はあったが、無傷だ。
死ぬかと思った。いや、あの落下距離なら死ぬはずだ。
何が起こった?覚えているのは、そう―――。
ローレンティア。
彼女が着地の寸前、自分の体を下に滑り込ませた。
そうしてようやく思いつく。彼女はどこだ?
「ローレンティア?」
名を呼び、辺りを見回し……そしてアシタバは素早く戦闘態勢を取った。
目の前に怪物がいたからだ。
これは魔物なのか、とアシタバは考える。
一言で表せば、それは黒い塊だった。黒い腕の塊だ。
細長い帯に似た何十本もの黒い人の腕が、まるで繭のように何かを包んでいる。
意思を持っているのか。一本一本は、ふよふよと不規則に空中を漂っている。
いや、段々と収束している。
「これは―――?」
腕が段々と短く、少なくなっていく。そしてその、包まれていた中心が姿を現した。
一人の少女が、そこに倒れている。
「……ローレンティア?」
王女ローレンティアは、呪われている。
あれは忌み子だ。呪われた王女だ。
何度も、何度も言われた陰口。
別に、私の知らないところで言ってくれればいいのに。
彼らは、陰口の然るべき声量というものを知らない。
父親も、母親も金髪の家系なのに、王女ローレンティアは銀色の髪を持って生まれた。
兄弟とも違うその色に、王は妻の不貞を疑い、一時期夫婦の仲は最悪になったそうだ。
だが、ローレンティアは間違いなく父、王の子で。
銀色の髪は、彼女が持って生まれた呪いによるものだった。
それが分かったのは皮肉にも、王に不貞を疑われヒステリックになった母親が、ローレンティアに刃物を向けた時だ。
帯状の腕が彼女を守った。
黒いそれは、ローレンティアの影から湧き出てくる。
いつでも、彼女の身に危険が及んだ時に。
王女ローレンティアは呪われている。その報せはすぐに王都を駆け巡った。
母、女王は不貞の疑惑から解放され。
そして不貞の子として隔離されていたローレンティアは、より厳しい目を向けられる。
王族から、呪われた子など。
お前など、生まれない方がよかったのに。
そう言われたことはない。でも、態度を見れば分かる。
母親に刺されて一回。
高所から突き落とされたこと二回。
刺客に襲われること五回。
その全て、呪いの黒い腕がローレンティアを守った。
そして黒い腕を纏った異形の姿を見られる度に、彼女の味方は減っていった。
序章二話 『呪われた王女』
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