6話 恋への憧れ
その日の夜。
食事が終わった後、リュウはペンを片手にアヤカにもらったコピーの台本を眺めながら、眉間にしわを寄せていた。
「リュウ、何してんの?」
急に後ろから話しかけられ、リュウは心臓が飛び出そうになり振り向くと、親友のダイスケがリュウの持つ台本を興味深そうに見ている。
「びっくりした…ダイスケか」
ため息をつくように項垂れる様子を見て、ダイスケはリュウの持つ台本をひょいと取り上げた。
「あ!こら」
「えー…なになに、”人魚であろうと人間であろうと、君は君自身。そして僕は君が好きなんだ”」
勝手に読み上げられ、リュウは慌てて台本を取り上げた。
「…何だよ、その恥ずかしいセリフ」
リュウより長いダークブラウンの髪を揺らしながら、ダイスケは大きく口を開けて笑った。
「学芸会の出し物だよ!…アヤカに練習相手になってほしいって頼まれたんだ」
ふうん、と言いながらキッチンに歩いていくダイスケ。彼はリュウとは正反対で、思った事を口にし、よく笑う少年だ。その後姿に少し目を向けた後、リュウは台本のセリフを再び凝視した。
(うーん…?)
わからない事は試行と失敗を何度も繰り返し、完成に辿り着く。それがリュウのやり方だった。小声でセリフを読み上げながら、気になった点を書き込む。それをひたすら繰り返す。
キッチンからダイスケが肩を震わせながら笑いを堪えている姿が目に付いたが、気にせず練習に集中した。
翌朝。
リュウとダイスケは各々の訓練を済ませた後、仕上げに二人で組手をするのが日課だった。
この日も2人は自主練を終え、組手の終盤。ダイスケの足がリュウの足首に僅かに当たり、彼の体は地面に落ちた。
「お前、昨日何時まで練習してたんだよ」
ダイスケに近接戦闘を教えたのはリュウであり、組手で彼が負ける事は珍しかった。ダイスケが自身の汗を拭いながら手を差し出し、立ち上がったリュウは疲れた様子で天を仰ぐ。
「ありがとう。体調管理も仕事のうち、だよね」
「あー、うーん、それもそうなんだけどさぁ」
頭を掻き、悩むように目を閉じるダイスケ。首をかしげるリュウに何か言いたそうに口を開いたが、やがてため息をつくと家の中に戻っていく。
「腹へった!飯の支度するぞ」
ダイスケが頭を掻きながら何か言いたげにしている時は、大抵相手を想っての発言をしようとしている時だ。言わなかったのは、リュウの行動を尊重したからだろう。
2年前から一緒に暮らし始め、彼とは兄弟のように育ってきた。そんなダイスケの様子から、自身の行動に問題がなかったか、昨晩の事を思い返した。
昨夜は学芸会の台本を読みながら、書き込んでの作業をひたすら繰り返していた。
リュウは、心の表現が苦手だった。
2年前、妹によく絵本を読んであげていた時。ユメは感動し、その瞳に涙を浮かべていた。いつも疑問に感じていたのは、自分の心が妹のように感動や悲しみを感じない事だった。
その答えを追求する為に、リュウはとにかく王子のセリフの部分に句点と感情の変化、その時彼がどう思っているか等、細かく記載し、そして読み上げる作業をひたすら繰り返した。
(僕は、何かおかしいのかな)
ダイスケは、昨夜この台本のセリフを見て「恥ずかしいセリフだ」と言って大笑いした。一方でリュウはこのセリフが王子の愛の告白のセリフである事は理解し、笑われたことで若干の照れくささは感じた。しかし、それに対しダイスケやユメのように強く心が動く事はなかったのだ。
そんな事を考えながら台本を眺めていると、保護者のナオキにいい加減に寝なさいと施され、ようやく床についたのだった。
シャワーで軽く汗を流した後、ナオキの起床時間に合わせて2人で朝食の準備を始める。キッチンにはリュウの作る目玉焼きが香ばしい香りを漂わせていた。
「アヤカって、どんな子なんだ?」
「なんで?」
急な問いかけにダイスケの方を見ると、いつもの笑顔とは違う…少し諦めが入ったような表情で口元を緩ませていた。
アヤカはどんな子か。初めて会った日から今日までの学校生活を思い返しながら口を開く。
「アヤカは…金色の髪に淡い青の瞳をしていて…すごく可愛いんだ」
「へー」
あからさまに興味なさげな返事をしながら、ダイスケは自身の顔に軽く手を当てた。顔に手を当てる時、大抵彼は気持ちと反対の事を口にする。アヤカに興味がある事を察したリュウは、言葉を続けた。
「話すと、普通の子だよ。お嬢様っていうより、素直で好奇心旺盛で…」
そこまで話すと、目玉焼きが乗ったお皿を手渡した。
「運んでくれる?」
「お前が女の子をかわいいって言うの、初めて聞いたな」
急な発言に動きを止めたリュウに、ダイスケは笑顔を浮かべた。
「俺も、そのアヤカって子に興味湧いたぞ。実はさ…昨日ナオキから依頼の話があったんだ」
「狙撃の?」
「ああ、プライベートスクールの屋上から、ターゲットの狙撃だってさ」
ダイスケの本業は「狙撃手」。子供ながらプロとして働く、世界でも珍しい存在だった。しかし、この国は武器の使用が厳しく制限されている上、プライベートスクールという子供たちが出入りする場所での使用は特に慎重にならなければならない。
「その依頼、大丈夫なの?」
怪しい依頼なのではないだろうか?そんな心配がリュウの心によぎる。
「依頼人がナオキの知り合いらしいから、話くらいは聞いてやってもいいんじゃないか?」
ダイスケの表情は、好奇心といたずら心が混じっているようだった。そんな彼に若干の不安を感じつつ、リュウは小さく頷いた。
登校前。
リュウはアヤカのお気に入りの中庭で、書き込みすぎて、もはや本人にしか読めないような台本を見ながら音読した。
結局、演技というまではいかないが、人魚姫というリュウにとってあまり免疫のない物語のセリフを読み上げる事が出来るようになっただけでも、彼の中では大きな一歩だった。
一方、アヤカはリュウがスラスラと台本を読む姿に深く関心し、尊敬の念を抱いていた。
几帳面で勉強も出来、仕事に対して真面目で…彼女にとってリュウは出来ない事や、わからない事等存在しないような、頼もしい存在に映っていた。
「リュウ…ここのセリフなんだけど」
アヤカがリュウの台本を覗き込もうとすると、リュウは慌ててそれを隠した。
「ご、ごめん。何…?」
自分の台本は、とても人に見せられたものではない。一瞬呆気にとられた様子でリュウの顔を見つめていたアヤカは、少しだけ考え込んだ後、自分の台本を見せながら、セリフのひとつを指さす。
”人魚であろうと人間であろうと、君は君自身。そして僕は君が好きなんだ”
昨夜ダイスケがリュウをからかったこのセリフは、物語の一番盛り上がる所で王子が人魚姫に告白し、真実のキスをするシーン。
学芸会の人魚姫の台本は生徒用に少しアレンジされていた。
人間になった人魚姫と王子は恋に落ちるが、王子は魔女の呪いで他の人間の姫と結婚式を挙げる。直前で記憶を取り戻すが間に合わず人魚姫は泡になるという筋書きだ。
このビタースイートなストーリーにアヤカは深く感激しており、主役を演じる事に強い責任感を感じていた。
「人魚姫ってどんな恋をしてたのかなぁ…」
うっとりと、セリフを眺めるアヤカ。その様子を見て、絵本を読んであげた妹の表情を思い返す。記憶の中の妹・ユメは、今のアヤカのように、人魚姫の行動や感情に共感していたように思った。
(そっか、女の子は人魚姫に憧れるものなんだな)
「どうだろうね。王子様が大切だったのかもしれないね」
当時の妹に語り掛けるように返事を返すと、アヤカは嬉しそうに微笑んだ。
「ね、リュウ…恋ってしたことある?」
突然の質問に、リュウは苦笑いを浮かべた。
「いや…ないよ」
幼いころから戦闘訓練や、日々のトレーニングと勉強に人生を費やしてきたリュウにとって、色恋は演劇以上に専門外だった。
「恋ってどんなかんじなんだろう…きっと素敵な気持ちなんだろうな」
恋に憧れるアヤカは、夢見る少女の眼差しをしており、その話に触れる瞳はまるで星のような輝きを放っていた。
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