5話 頑張る君と応援する僕

 



 陽光が新しい一日を迎える中、いつも通り澤谷邸に訪れたリュウは、先日体育の授業中に現れた男たちの正体を澤谷から伝えられた。


「彼らはアルケミスタという組織に雇われた傭兵だ」

「アルケミスタ、ですか。初めて聞く名前です」


 リュウの言葉に同意するように澤谷も頷くと、時計に目を移した。


「君のおかげで助かった。これからもアヤカの事をよろしく頼むよ」


 彼の言葉が終わると同時に、後ろの扉から微かなノック音が響いた。


「旦那様、いらっしゃいました」


 ひときわ清らかな使用人の声が空間に溶け込む。リュウがそっと頷き、部屋を退出しようとした瞬間、扉が静かに開かれた。


 部屋に足を踏み入れたのは、闇夜のように黒く身を包み、異彩を放つ男だった。


 彼の顔色は死者のような蒼白さを帯び、長い白髪は光に照らされて銀色に煌めいていた。帽子の影に隠れて見え隠れする瞳は漆黒で、ときおり深紅の血のような輝きを放つ。

 彼の長いコートがリュウの前を通り過ぎ、視線が交わる。男の凍てつくような気配がリュウを包み込み、口角だけ僅かにつり上げ微笑んだ後、彼は澤谷の方へと歩き始めた。


「リュウ君、紹介しておこう。私の仕事仲間のシオン・ヴァルガスさんだ」


 澤谷が紹介した男・シオンは無言でリュウを見つめ、微笑みは絶えず彼の口元に留まっていた。その驚くほど冷たい表情にリュウの背筋が寒さに打ち震える感覚を覚えた。


「はじめまして。羽瀬田リュウと言います…」


 礼儀正しく挨拶をするリュウにシオンは少しだけ近づき、彼の黒髪にぽんと触れた。


「よく教育されていますね」


 彼の手は撫でるように触れ、頭を下げるリュウに静かに視線を注ぐ。その瞳から注がれる冷たい視線にリュウは何も言わず、ただその手が自分の頭から離れるのを静かに待った。


 やがてシオンは再び澤谷の方へと向き直ると仕事の話を始める。リュウは、彼らを見送りながら頭を深く下げて敬意を示し、そして静かに扉を閉じた。







 部屋を出て、リュウは一息ついた。


 あたりを見回すと、普通の家の3倍はあるであろう広い廊下をダークトーンのスーツに身を包んだ使用人が歩いている。

 レンガ造りのこの洋館は、外面の古めかしさとは一変して内部は強固なセキュリティが張り巡らされている。初めて来た時はこの豪邸のセキュリティに驚いたが、今はだいぶ慣れた。


 時計を見ると7時半。

 そろそろ学校の登校時間だがアヤカの姿が見当たらなかった。使用人に尋ねるが見ていないと言われ、不審に感じながらも屋敷内を歩いて回った。


 1階の広間には玄関があり、広い応接室となっている。その一角には大きな扉が2つあり、ひとつが厨房への扉、もうひとつは開いたところを見た事がない。何の部屋だろうと思っていると、その扉が急に開き、リュウは驚いた。


「ごめんね、リュウ…待たせちゃったかな」


 扉の中から3人の男に囲まれたアヤカが出てきた。


 申し訳なさそうに謝る彼女のを囲むその男たちは、他の使用人と同じくダークトーンのスーツに身を包み、一見他の使用人と同じように見えた。

 しかし、リュウは彼らに明らかな違いを感じていた。


 堂々とした姿勢…

 自信と力強さを感じさせる表情…

 空気を張り詰めさせる警戒心…


 一瞬で彼らが自分と同業もしくは同業に近い存在と感じた。


 大きな扉はすぐ閉じられ、男たちは軽く頭を下げるとそれぞれの仕事に戻っていった。アヤカの方へ視線を戻すと、少し顔色が悪い。


「アヤカ、少し顔色が悪い気がするけど…大丈夫?」


 指摘をしたが、アヤカはきょとんとして自身の額に手を当てた。


「顔色、悪いかな…?」


 リュウが念のため体調チェックをしようと思った時、後ろから澤谷の声が響く。


「アヤカ、今日もがんばったね」


 澤谷は相変わらず穏やかな表情を浮かべていた。返事の代わりにいつものふわりとした笑顔を澤谷に向けるアヤカ。体調のチェックを断念したリュウは2人の様子を静観した。



 送迎の車の中。

 アヤカは静かに寝息を立てていた。


(あの部屋で、一体何が?)


 明らかに体調が悪そうなアヤカに対する澤谷の対応。そして自覚していなさそうなアヤカの様子に、リュウはなんとなく違和感を感じていた。






 学校に到着すると、一時限目のホームルームの準備をする学級委員のサツキと、副委員長の中本ショウがプリントを持って教室に入る所だった。


「おはよう…澤谷さん、少し顔色悪くない?」


 心配そうに声をかけるショウに「大丈夫」と微笑むアヤカ。少しだけ考え込んだショウは、ポケットからティッシュを取り出すと、アヤカに手渡した。


「念の為保健室の先生に話をしておくよ。気分が悪くなったら、すぐ教えて」


 そう言って、廊下を歩いて行った。

 身長の高い彼は、廊下を歩くだけでひときわ目立っていた。すれ違いざまに振り向く女子生徒も多く、声をかけられれば柔らかな笑顔で返す。その立ち居振る舞いは他の生徒とは違う雰囲気を放っていた。


「まるで財閥の御曹司だな」


 リュウがぽつりと呟き、それを聞いたサツキが驚いたように声を上げた。


「羽瀬田君、どうして知ってるの?」


 まさか図星だとは思わず、冷汗をかいたリュウ。サツキの視線が刺さり気まずさを感じていると、彼女はふうと息を吐いた。


「知らない子も多いから、あまり人に言わないでね。それと…アヤカちゃん、無理しちゃダメよ」


 






 ホームルームが開始すると黒板に学芸会の準備が始まったことを伝える文字が書き記されていく。


 この年一度の祭典は、各クラスが自由に企画を立て、手作りの工芸品を売ったり、ダンスや歌のパフォーマンスを行ったりするもので、学校全体が一体となって楽しむ特別な日だった。



「今回の演劇は、人魚姫に決まりました。配役は、多数決で決めたいと思います」



 リュウ達のクラスの催しは【演劇】。脚本は学級委員の立花サツキが担当し、配役はクラスメイトの多数決で決める事になっている。



「演劇!楽しみだね、リュウ」


 嬉しそうにはしゃぐアヤカを見て、体調が戻ったことを確認し、ほっとしたリュウは黒板を見ながら自身のとるべき行動を考えていた。


 黒板には【人魚姫】と書かれ、役名が書きだされていった。


 主役の人魚姫、準主役である王子、兵士や人魚姫の友達の魚たち…配役はクラスの15名のうち13名が担当し、残りの2名は裏方に回る事になっていた。


 裏方の2名のうち1人はサツキが担当することになっており、リュウはそれを見て真っ先にもう1人の裏方に立候補した。


 アヤカの様子を常に見張れる役を選んだつもりだったが、年に一度の祭典に真っ先に裏方を立候補する彼にどよめきが広がった。そんなクラスメイトたちに苦笑いをしながら、黒板には一番最初にリュウの名前が書かれていった。



「では、主役の人魚姫は…」



 サツキが言いかけるとクラスメイトの視線が一斉にアヤカに集まる。そんな視線に気づきリュウもアヤカの方を見た。細い金髪に薄いライトブルーの瞳をした彼女は、人魚姫のイメージにぴったりだった。


 結果、皆の多数決は圧倒的な票の数でアヤカに集まり、王子役は副委員長の中本ショウが演じる事となった。



「人魚姫、とっても素敵!私がんばるね」



 クラスメイトの拍手が彼女を包み、ショウはアヤカの前に立つと、握手の為の手を差し出した。


「よろしく、澤谷さん」


 アヤカも笑顔を浮かべながら、ショウの手を取り、2人は握手を交わした。




 リュウがアヤカの方を見ると、周りで小さな光が浮遊しているのが見えた。


(これがアヤカの言う「精霊」なのか…?)


 まるで幸せを感じるアヤカを祝福するようにふわふわと漂う光。そしてリュウ自身も幸せそうな彼女を見て密かに喜びを感じていた。





 しかし、その喜びはアヤカが自宅に帰った時、突然打ち砕かれた。アヤカの父親である澤谷は彼女に主役を降りるよう求めた。


「お父さん、どうして?」


 悲しそうに訴えるアヤカに澤谷は、目線を合わせて優しく話しかけた。


「演劇の練習は夜遅くまでかかるんだろう。リュウの負担になるよ」


 厳しく門限を制限されている為、彼女はクラブ活動も禁止されていた。それは帰宅時間が遅くなるという理由と、リュウに契約外の仕事をさせる事を意味している事を意味する。それを察したアヤカは諦めたように息をついた。


「…ごめんなさい、お父さん」


 彼女の悲しそうな顔を見て、リュウは意を決したように口を開いた。


「澤谷さん、僕は構いません」


 驚いたように彼の顔を見た澤谷は、少し考え込む。娘の顔を見ながら ふう と息をつくと、いつもの穏やかな表情で、話しかけた。


「アヤカ、リュウに感謝するんだよ」


 リュウの方を見たアヤカに小さく頷くと、彼女の顔には笑顔が広がった。


「ありがとう!リュウ」






 屋敷を後にする時、中庭で台本を片手に練習するアヤカが目に留まった。


「がんばれ、アヤカ」


 小さく呟いたその言葉が聞こえたのか、振り向いたアヤカと目が合う。リュウの姿を見つけて駆け寄ってきたアヤカは少しだけ言いづらそうに、口を開いた。


「リュウ…あのね、お願いがあるんだけど」


「うん、どうしたの?」


「演技の練習相手になってほしいの…」


 その言葉に、リュウは少し固まった。アヤカが主役を務める人魚姫の舞台の練習相手になってほしいと言われたのだ。


「台本を読んでくれるだけでいいの。お願い」


 演劇は、リュウにとって今まで触れた事のない世界だった。ましてや人魚姫なんて、妹のユメに昔何度か絵本を読んであげたくらいで、馴染みのない物語であり、完全に専門外だった。



「…練習しないと」



 冷汗を流しながら、そんな決意をリュウは固めた。

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