4話 君と過ごす学校生活

 ここは裕福な家庭の子供たちが通うプライベートスクール。

 澤谷アヤカは初めて足を踏み入れる学校と、同い年のクラスメイト達との交流に胸を躍らせていた。


 ボディガードのリュウの手を引き、手入れの行き届いた芝生を走る。金髪を風になびかせながらセキュリティゲートを潜り抜けると、美しいキャンパスが広がっていた。


「すごい、すごい!リュウ、学校楽しみだね!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、瞳を輝かせるアヤカ。あの豪邸の一人娘とは思えない程、アヤカはよく笑う天真爛漫な少女であった。


 この学校は制服があり、男子生徒は黒いブレザーにひざ丈のズボンとネクタイ、女子生徒はグレーのブレザーにブルーのチェックのリボンとスカートで、特に女子生徒の制服はかわいいと評判だった。楽しみにしていた制服を着て通う学校。送迎の車中でもアヤカは鼻歌を歌いながら嬉しそうに体を揺らしていた。



「転入生の、羽瀬田リュウ君と澤谷アヤカさんです」


 担任教師の紹介を受け、教室の前で立つリュウとアヤカ。クラスメイト達は一瞬にして彼らへの興味と好奇心で溢れた。


 この学校では1クラスは15人ほど。アヤカがいつも通りの笑顔を浮かべ、軽く手を振ると男子生徒からの歓声が上がった。

 日本人とは違う金髪と青い瞳を持つアヤカの姿に、男の子も女の子も、好奇心が抑えられないようで、2人はしばらくクラスメイトの質問に答えるのでせいいっぱいだった。



「羽瀬田くん、澤谷さん。私学級委員長の立花サツキ。よろしくね」


 学級委員の女の子・サツキはつり目で、ふんわりとした長い黒髪が印象的な女の子だった。彼女が少し誇らしげな笑顔を浮かべながら二人に丁寧に挨拶すると、アヤカは笑顔で彼女と握手し、その交流に嬉しそうにはしゃいだ。


「同じ年の女の子と話すの、初めてなの。嬉しい」

「困ったことがあったら、いつでも言ってね」


 サツキのしっかりとした言葉に安心したのか、アヤカはより一層明るい笑顔になった。

 次に、リュウの前に男の子が立つ。


「僕は中本ショウ。副委員長をさせてもらってるよ。困ったことがあったら、遠慮せずに聞いてくれたら嬉しいな」


 端正な顔立ちに、小学生にしては高い身長。リュウは彼の顔を仰ぎ見る為、わずかに顔を上げ、微笑みを返した。


「ありがとう、そうさせてもらうよ」


 ショウから差し出された手にリュウもに自らの手を重ね、握手を交わした。そしてショウは、アヤカにも声をかける。


「その髪、すごく綺麗だね。お人形みたいだ」


 彼の柔らかな口調は、まだ11歳の少年であるとは思えないほどの品格と尊厳を湛えていた。その言葉にアヤカもまた、柔らかな笑顔を浮かべる。

 

「その髪、変な色ね」


 突然背後から飛び込んできた声。アヤカが振り向くと、そこには2人の少女が立っていた。1人は背が高く髪が長い、タレ目の一重が印象的な女の子。もう1人はふっくらとした体に、幼さが残る顔立ち、2つに分けた髪が印象的な童顔の女の子だった。

 

 2人の言葉に、場は一瞬凍り付き、静寂が周囲を包む。学級委員の立花サツキが何か言おうとした時、アヤカが前に出た。


「私もこの色、珍しいと思ってるの。みんなと同じじゃないけど、仲良くしてくれたら嬉しいな」


 そう言って、握手を求める手を二人に向けた。


 アヤカはリュウが、その様子をじっと見守っている事に気付いていた。

 アヤカに何かあれば、たとえ相手がクラスメイトであろうとも、彼女を守る。それが澤谷とリュウの間で交わされた契約だったからだ。2人の女の子が去った後、安堵の息をつくリュウに笑顔を向けると、彼は少しだけ微笑を見せた。


「ユミとフウカは、ショウの事が好きなのよ。気を悪くしないでね」


 サツキがそっと耳打ちすると、アヤカは驚いた。


「好き…?恋してるってこと?」


 アヤカの素朴な問いに、ショウは困ったように苦笑いを浮かべ、サツキは暖かな笑みを浮かべながら頷いた。そしてアヤカは、去って行った2人の女の子・ユミとフウカの瞳の奥に映ったものを思い返す。


(まるでいろんな絵具が混じったような、ビビットカラー)


 アヤカは、目の前にいるショウとサツキの方も見た。


(優しいパープルに、虹色のきらめき…)


 最後にクラスメイト全員の顔を見回すと、アヤカは、まるで綺麗な宝物を見つけたように瞳を輝かせた。初めての同年代の子供たちが集まる、学校という空間。それはアヤカの瞳には、さまざまな色と感情が交錯する、驚くほど美しい宝石箱のように映っていた。





「緊張したね」


 皆が去り、アヤカはリュウに小声で話しかける。それに答えるようにリュウは微笑み、小さく頷いた。


 教科書を整理したリュウは教室内を歩きだし、その様子にアヤカは少しだけ違和感を感じ、彼の動きを目で追った。

 正面の黒板、教卓の花、連絡事項の用紙。スタイリッシュにデザインされた蓋付のロッカー、そして掃除用具入れ。全てチェックし終わると再びアヤカの隣の席に戻り、考え込んだ様子でノートに何か書き込み始めた。


「リュウ君…何してるの?」

「教室内の、ものの配置をチェックしてました」


 どうして?

 そう、聞こうと口を開いた直後、一時間目の国語の授業の教師が入ってきて、賑やかなクラスメイトに静粛にするよう呼びかける為手を叩いた。



 新しい教科書に、ノート。

 自宅での家庭教師との勉強しか経験していなかった彼女にとって、同世代の生徒に囲まれた授業は楽しみで仕方なかった。


 一方、リュウは黒板に目を向けながら、教室の状況を常に把握していた。アヤカの様子をちゃんと見守りつつ、自分の勉強も怠らないようにしていた。


 教室内は静かで、子供たちの集中した息遣いが静寂を破っていたが、リュウの注意は一瞬もアヤカから外れなかった。

 子供たちの態度や行動、表情に注目し、アヤカに対する不審な動きがないかを常に探る…それは彼の仕事の一部だった。


 そしてアヤカが気付かないように、そっと彼女の方を見つめていた。

 アヤカが解けない問題に困っている時、リュウはちょっとしたヒントを投げかけてくれた。そしてアヤカが解答にたどり着くと、ほのかに微笑む。そんな授業中の時間も、リュウにとっては大切な任務の一部だった。




「リュウ君は、なんでもできるんだね」

「そうですか…?」


 感銘を受けた様子のアヤカ。リュウは一瞬戸惑ったが、軽く微笑みながら筆箱に鉛筆を戻した。


「ノートの文字がとっても綺麗だし、私がわからない問題を教えてくれるもの」

「ああ、これは…字が汚いと依頼人に失礼になるので…」


 自身のノートを見ながら苦笑する彼にアヤカは驚き、リュウの瞳をじっと見た。その瞳の奥には、クラスメイト達と同じ、キラキラとした宝石のようなものが映っている。


(綺麗…)


 その澄んだ色に、アヤカは初めて会った時のように、彼の心の色にくぎづけになった。


「アヤカさん、何か…」


 見つめられ、若干冷汗をかいたリュウの表情が硬い事に気付き、アヤカは我に返った。




「う----ん」




 唸りながら考え込むように天井を見上げたアヤカ。その様子に首をかしげながら、リュウは彼女の言葉を待つ。


「ボディガード…ボディガード…」


 体をゆっくり左右に揺らしながら、繰り返しその言葉を呟いた。


「そうだ、リュウって呼んでもいいかな…友達みたいに」


 笑顔でそう言われ、リュウはいいですよ、と軽く頷いた。


「じゃあ、リュウも私の事アヤカって呼んでくれる?」

「えっ!?」


 アヤカの申し出にリュウは戸惑った。深い青の瞳が少しだけ泳ぎ、気まずそうにアヤカの方へ視線を戻す。想定外の事態に軽く混乱しているようだった。


 そして、やがて諦めたように小さく息を吐くと彼は頷いた。

 

「…わかったよ、アヤカ」


 視線をずらして恥ずかしげな表情を見せながら答えるリュウに対し、アヤカは優しい笑顔を浮かべ、教科書に目を移した。







 下校時間。


 アヤカの迎えの車が来るまでの間、2人は放課後を図書館で過ごしていた。広い図書館には最新の本が並び、広い読書スペースと大きな開放的な窓が配置されている。


 物語や綺麗な絵が描かれた絵本…その色彩豊かな絵画にアヤカが目を奪われている間も、リュウは何も言わず、あたりに注意を向けているようだった。



 アヤカが絵本を読みながら彼の方へ視線を向けると、自身と同い年の少年が映る。リュウは常に優しい微笑を浮かべ、礼儀正しく、大人のような落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 しかし、アヤカは初めて会った日、リュウの瞳を覗き込んだ時に見えた世界…守護精霊が運んできてくれたリュウの心の色が気になって仕方なかった。


(リュウは、どうしてボディガードをしてるんだろう)


 彼女の心はそんな、純粋な疑問で満たされていく。


「ねえ、リュウ…聞いてもいい?」


 質問を投げかけられ、あたりに警戒を張り巡らせていたリュウは彼女の方に視線を移した。


「どうして、ボディガードをしてるの?」


 彼女の率直な質問にリュウは目を僅かに泳がせたが、少し考えた後で口を開いた。


「前は少し危険な仕事をしていて…今の保護者と一緒に暮らすようになってから、ボディガードの仕事を提案されたんだ。自分の力を人を守るために使ってみたらどうかって…」


 危険な仕事。その言葉にアヤカの声がふいに小さくなった。


「その……前にした、危険な仕事って、どういう仕事だったの?」

「それは……」


 聞いてはいけない事だったのだろうか?彼の声は低く、少し震えていた。


「法の裏側の…あまり人に言える事じゃないけど。暗殺とか、スパイとか…そんな事をしてたんだ」


 アヤカは予期せぬ告白に一瞬言葉を失った。


「リュウ…ごめんなさい、私」

「いいんだ、いずれ明かされる事だから」


 夕日に照らされたその青い瞳は少し悲しげに映り、それを見たアヤカは彼の瞳に映る心の色に微笑む。




「僕の昔の仕事を聞いても、怖がらないんだね」


 怖がる。そう、言われアヤカはリュウの周囲に目を向けた。

 アヤカの瞳には、色とりどりの光が彼の周りに集まっているように見えた。それは、彼女の友達…精霊たちが、リュウの心に反応し、喜びを表すかのように輝きを放つ光景。


「リュウの事が知れて、嬉しいもの」


 そう言って、彼女はリュウの頭の上で輝く太陽の精霊が放つ青白い光に少しだけ触れた。


「!?」


 対して、急に頭に手を触れられ、驚いたリュウは少しだけ後ろに引き下がった。


(あれ?)


 リュウの周りで喜びを訴える精霊たちは、彼が綺麗な心を持った人間である事をアヤカに訴えている。しかし、当のリュウには警戒の色が見えた。



 アヤカは、クラスメイト達の心の色が思い返した。

 しっかり者で、学級委員らしい誇らしげな笑顔を浮かべるサツキは優しいパープル。髪色が綺麗だと褒めてくれた、物腰柔らかで細かな気遣いが印象的なショウは、煌めく虹色。そして、ショウに恋をし、自身の恋心に素直なユミとフウカは、絵具を混ぜたようなビビットカラー。


 触れようとすると、離れていくけれど、それでも彼らは小さな好奇心を胸に抱いている。

 それは心を通わせると喜んで彼女の周りを浮遊する精霊たちとの語らいが当たり前だったアヤカにとっての、初めての経験だった。特筆、リュウとの間の近いのに遠い、不思議な距離感は、少しだけ違和感を感じさせ、同時に彼に対する興味を強めるものでもあった。





「うーーーーーーーん」


 

 体を横に揺らしながら、ゆっくりと図書館内を歩き、時に天井を見上げるアヤカ。

 そのまましばらく沈黙が流れた。


(どうしたら、リュウと仲良くなれるかな?)


 考え込むアヤカに対し、リュウは先程からの彼女の大胆とも不可思議とも言える言動と振舞いに、戸惑っているようだった。



「ね、今度私の友達に会ってくれないかな」


 アヤカの問いに、リュウはほっとした様子で微笑んだ。


「うん、どんな人?」


 リュウの質問に、アヤカはリュウの左肩を指さした。


「ここにね、存在がいるの…わかる?」


 アヤカが指さしたところには、何も見えず彼女の細い指先だけが揺れている。


「何も…見えないけど」


 リュウが不思議そうに答えると、アヤカは図書館の至る所を包むように、両手を広げた。


「温かかったり、冷たかったり、嬉しくなると気持ちいい風を運んできてくれたり…そんな精霊たちがこの世界には、たくさんいるの。その存在は、私をずっと守ってくれてるんだ」


 笑顔を向けると、彼は少しだけ驚いたように瞳を開いていた。


(伝わるかな、その子たちはリュウが大好きなんだよ)


 精霊たちはアヤカが喜ぶとそれを共有し、悲しむと寄り添うように涙を流す。そんな彼らの喜びを、アヤカもまた共有する…それは彼女にとって当たり前の事であった。


「リュウなら、いつか見えるようになると思う…その時は仲良くしてあげてね」


 そう、伝えると少し何かを思い返した様子のリュウは、やがて頷いた。彼の穏やかな表情に警戒が少し和らいだことを感じ、アヤカは精霊たちに微笑んだ。


(少しだけ、リュウと仲良くなれたよ)


 心の中でそう、語り掛けると、リュウの周りを浮遊する精霊たちの輝きはより一層強まり、アヤカへと喜びの色を弾けさせるのだった。






「ね、リュウは勉強は何が好き?」

「僕の話なんて聞いて、楽しい?」


 リュウは思わず苦笑したが、アヤカは再びふわりとした笑顔を向け、まっすぐとリュウの瞳を見つめた。


「うん!私…リュウの事がもっと知りたいな」


 彼女の瞳はどこまでも澄んで光を放ち、吸い込まれそうなほど輝いていた。純粋に自分への興味をあらわにされたリュウは言葉に詰まりしばらく固まる。


「あ、アヤカ、わかった…!質問に答えるから」


 彼は自己防衛のように繰り出した。視線を逸らしたリュウに笑顔を向け、アヤカは再び質問を再開した。







 ねえ、リュウは何が好き?

 食べ物は?好きな事は?…今まで、どんな勉強をしてきたの?ボディガードってどれくらい勉強するんだろう?きっと、たくさんの事を勉強したんだよね。


 アヤカの質問に対して、リュウは全てを率直に答えてくれた。


 得意な科目は算数であり、毎朝友人のダイスケとトレーニングをしていること。好きな食べ物はハンバーグで、家では料理当番になることが多いこと。そして現在の保護者は25歳で科学者を志す男性、ナオキであり、ダイスケと共に彼の元で生活していること。


「趣味…仕事に必要な法律と語学を学ぶ事かな」

「リュウ、それは趣味じゃなくて勉強だよ」


 アヤカがそう伝えると、彼は苦笑いを浮かべた。


「得意なお料理って、あるの?」


 その質問にリュウは少しだけ考えた後、「オムライスかな」と答えた。


「オムライス大好き!今度食べたいな」

「ええっ…」




 アヤカの質問は帰りの車中でも絶えず、無事に澤谷の所へ送り届けたリュウの表情にはほんのりと疲労が映っていた。


「お父さん、リュウってすごいんだよ。ボディガードになる為にたくさん勉強をしているの」


 娘の嬉しそうな様子を見て澤谷は微笑を浮かべた。


「リュウ君、娘を送ってくれてありがとう。また明日も頼むよ」


 澤谷に手を引かれ、アヤカは共に屋敷へと戻っていく。自分たちを見守るリュウにアヤカは軽く手を振り、手を振り返す彼に笑顔を浮かべながら屋敷に戻って行った。





 その夜。


 白い壁に淡いグリーンのベッドカバー、カーテン。植物が飾られたシンプルな部屋の中で、彼女の金髪が一際輝いていた。明日の学校の準備終えたアヤカは、ベッドに入り、今日のリュウとの会話を思い返す。


(人の心って、とっても素敵。綺麗で、輝いていて、いろんなものが混じっているの)


 嬉しそうに微笑むと、彼女の周りに小さな光の粒が舞い、部屋の中を明るく照らしていく。自分の喜びを共有してくれる精霊たち。その光にそっと触れると、彼らもまた、嬉しそうにアヤカの髪や手に寄り沿った。


(かわいいなあ)


 精霊の光を見つめながら、彼らを愛しく思う。そして今日見つけたリュウの心の色を思い浮かべた。

 アヤカがリュウの瞳を見つめた先に見えたもの。それはキラキラとした、ガラス玉のような、澄んだ色。


「リュウと仲良くなれるといいな」


 アヤカは人差し指を前に出し、空中に文字を書きだした。


「ボディガード」


 真面目で、純粋で、仕事熱心で、自分よりも少し大人なリュウ。これから共に過ごす学校生活。今日はその始まり。


(でも…あれはなんだろう?)


 心の中で思い浮かべるリュウの心には、奥の方で小さく隠れた何かが見えた。思いめぐらせるうちに、自然と瞼が落ちてくる。


 明日また彼が迎えに来てくれるのを待ち遠しく感じながら、アヤカは静かに目を閉じた。

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