屋上での戦い
「そこまでです」
ナオキの声が廊下のコンクリート壁に反響し、その場全体に満ちた。リュウとタケシは同時に声の方へ視線を向け、ナオキが手に握ったスマートフォンの画面は、対峙する2人を映し出している。
「この映像がネットに流れれば、貴方たちの組織の未来は少々厳しいものとなるでしょうね」
そう言うと、ナオキはいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「僕のいる位置は監視カメラの撮影範囲内です。不用意な行動は避けたほうが賢明ですよ」
「ちっ」
タケシが面白くなさそうに舌打ちすると、ナオキはさらに微笑を深め、リュウに向かって声をかけた。
「急いで、アヤカさんのところへ」
リュウは軽く頷き、屋上へ続く重い扉を勢いよく開けると、階段を駆け上がっていった。
(アヤカ…!!)
屋上への階段を駆け上がりながら、アヤカの無事を願った。
*
屋上の扉を開けると、アヤカの目に飛び込んできたのは、信じられないほど奇妙な光景だった。
中央には、空中に固定されたサツキの姿があった。夜の精霊たちがサツキを包み、まるで煙のように巻き上げている。
「サツキちゃん!」
声を張り上げても、サツキからの反応は無かった。
突然、甲高い鳥の声が空から響き渡った。
アヤカが空を見上げると、大きな鳥が舞っていた。あたりを見渡し、一旦上空で旋回した鳥は、ゆっくりと高度を下げ、獲物を見つけた獣のように屋上を睨んでいた
巨大な嘴、骨がむき出しの羽根、鋭利な爪。その鳥は黒光りする姿で急降下し、アヤカたちの方へと接近してくる。
「うそ…」
カラスのようなその鳥のおぞましい姿に、思わず息を呑んだ。鳥の恐ろしい姿と、その目がサツキを狙っている事を察したアヤカの心は、友人を失うという恐怖に襲われた。
「やめて!」
その瞬間、鳥の頭部は左方向からの攻撃を受けた。
突如として飛び込んできた矢はその頭部を貫き、鳥の動きを一瞬だけ乱した。アヤカが目を逸らしたその方向には、弓を引き絞ったダイスケの姿がそこにあった。
「ダイスケ!」
「無事か!?アヤカ」
ダイスケの声にアヤカが頷くと、彼はほっとした様子で鳥の方へ再度目を向けた。しかし鳥は一瞬のめまいを振り払うと、すぐさま体勢を立て直し、空へと昇っていく。
「頭蓋骨砕けてるはずだぞ」
ダイスケはミツルと共に本校舎の向かいにある旧校舎の屋上に到着していた。
到着するなり襲われそうなアヤカを見つけ、咄嗟に放った矢は見事鳥の頭を打ちぬいたが、その鳥が何事もなく飛び去る様子に驚いた。
「見た目通りゾンビってことかしら?目玉でも狙えば効くのかな」
ミツルが半ば感心するように呟き、ダイスケは舌打ちしながらも、その言葉に頷いた。
鳥は鋭い眼光を放ちながら再びサツキの方へ向き直り、ゆっくりと高度を下げていく。
「自分を狙う存在に気が付いて警戒を強めたわね」
先程の頭部への打撃で警戒を強めたのか、鳥はアーチェリーの弓矢の射程外まで高度を上げているようだ。
「さすがカラス、頭がいいわねぇ」
「ミツルさんあんた、楽しんでないか?」
冷たい視線を送るダイスケに、ミツルはにっこりと微笑んだ。
その時
鳥は再び急降下を開始し、サツキを庇うアヤカの方へ突進してきた。その嘴はアヤカを刺すように伸び、獰猛な目つきで彼女を見つめた。
「まずい!!」
ダイスケの声が空に響く。
アヤカは体が震えた。
未知の存在が目の前にいる恐怖。獰猛な嘴に爪。そして、その存在は自分の後ろの友人を狙っている。
サツキの方を見る。
意識を失ったままの友人を見て、アヤカは前を向いた。
ショウが自分を好きになっても、大切な友達と言ってくれたサツキ。しっかり者の彼女の寂しそうな笑顔が目の前に浮かぶ。
「サツキちゃんは傷つけさせないから」
サツキを庇うように立ち、彼女の前に両手を広げた。
その瞬間、屋上階段の扉が大きな音を響かせ開いた。
「アヤカ!」
一瞬の隙をつき、リュウが駆けてきた。
彼の身体が空中で一瞬停止し、その次の瞬間、鳥の顔面に強烈な膝蹴りが命中した。強力な蹴りの衝撃で鳥の軌道が乱れ、大きく逸らされた鳥はそのまま再び空高く高度を上げていった。
「リュウ!」
「アヤカ、けがはないか!?」
アヤカが頷き、その様子を見て一安心したリュウは、再び空を見上げた。
先程打撃を与えた時一瞬鳥と目が合った。
まるで死人のような、気味の悪い瞳をしていたが、その瞳は奇妙にも悲しみが滲んでいるように見えた。
「サツキちゃんがここから動かせないの」
アヤカの声は焦りを隠せないものだった。一方、サツキは黒い光に包まれ、全く動かない。アヤカが必死に彼女を引っ張るが、びくともしない。その光景を目の当たりにしたリュウは頷き、サツキを庇うアヤカの前に立つと、急速に空を舞う鳥の動きを慎重に観察した。
「ダイスケ、あれが狙撃ターゲットなのか!?」
向かいの旧校舎にいるダイスケにリュウが叫ぶ。
「ああ、頭蓋骨を砕いたってのに、まったく効いてないんだよ!」
その会話を遮るように、ナオキが扉を開けて入ってきた。
「リュウ君、戦況は」
ナオキの言葉にリュウは表情を変えず答えた。
「ナオキ、あの男は…」
「大人の会話をしたら、わかってくれましたよ。見た目の割に頭の回る方です」
いったいどんな会話したのだろう?と気になったが、今は目の前の鳥と後ろのアヤカとサツキを守る事に専念する。
「僕の打撃も、ダイスケの弓矢も全く効いてない…どうすればあいつを倒せるんだ?」
頭上を飛んでいた鳥は再び急降下をしてきた。
風を切り高速で飛んでくる鳥を集中して見つめ、一気に前に出た。
鳥の鋭利な嘴がリュウに襲い掛かり、すれすれを避けたところで高く飛び、顔面に強烈な肘の一発を入れる。
打撃により鳥の軌道が逸れたが、無重力状態になったリュウに鳥の爪が襲い掛かる。それは左の腕と肩に鋭い爪が突き刺さり、深い傷跡を刻み込んだ。
サツキを狙った鳥は、リュウの打撃に一瞬揺らいだが、すぐに再び高度を上げ、ゆっくりと空を旋回しだした。
「リュウ!」
「大丈夫、大したことないから」
心配そうなアヤカにそう言いながら、リュウは目の前の鳥に集中した。
その様子を眺めるダイスケは、鳥の飛翔パターンを記憶から引き出した。
以前観察したその鳥の飛翔は、大抵が左方向への旋回が多かった。何か、右方向への旋回には都合が悪いのだろうか?
飛翔のリズムを見る。
右の翼と左の翼、その動きを比較すれば、明らかに左の翼の方が滑らかだ。
左半身を庇う理由が何かあるのだろうか…?
「リュウ!」
ダイスケがリュウに声をかけた。
「次、あいつの左半身に数発入れてくれないか?」
ダイスケの言葉にリュウは深く頷いた。
鳥は再び高く飛び、上空から標的のサツキを狙っている。
再び急降下してきた。ものすごい速度で上空から舞い降り、サツキめがけて飛んでくる。
鳥が近寄ってきたところで左に避け、顔面に一発。軌道が逸れたのを確認し、フックを打ち込んだ。
胸部、首
そして左の翼の根元を打ち抜いた瞬間、鳥は激しい悲鳴を上げ、フラップで上空へと飛び去った。
「見つけた」
その瞬間、ダイスケが弓を構えた。
「リュウ!少しでいい、あいつの動きを遅くしてくれ」
その言葉にナオキが口を開いた。
「リュウ君、鳥の生態をご存じですか?」
彼の瞳は上空を舞う標的の鳥に注がれていた。
「生態は、わからないな」
リュウは頭を横に振った。そのカラスは再び、およそ100メートルまで上昇し、上空をゆったりと旋回しながら静かに彼らを監視している。
「鳥の胴体を攻撃する際の理想的なポイントは、攻撃や飛行に使用する大筋群が集中している胸部、特に胸筋がある部分です。この部位は大きな筋肉で覆われており、衝撃を緩和する能力があるため、衝撃が内部の器官に直接伝わるのを防ぎます」
「胸部か…」
リュウは瞬間的に先程の攻撃のシーンを思い返した。
「この部分に強い攻撃を与える事により一時的に飛行能力を失うでしょう。カラスの通常の飛行速度は時速30~60弱と言われています。アーチェリーの弓矢の飛行速度は時速200~300メートル。急降下のタイミングでなければ、十分狙えるはずです」
「つまりそこを叩いて、速度が落ちたところをダイスケが狙えばいいって事か」
言葉を絞り出し、再び身構えた。
「カラスは賢い鳥です。失敗すればすぐに対応してくるでしょう…次が勝負です」
その次の瞬間、鳥は再び急降下し、今度はリュウ達の真横を高速で飛び抜けた。その繰り返しの動きに一瞬リュウは困惑の表情を浮かべる。
「なんだ、この動き」
「おそらくフェイントですね。カラスがよく使う手です」
ナオキの視線は、屋上での唯一の視角になる場所である後方の屋上倉庫に移った。
「あそこに姿が隠れた後、襲ってくるはずです。フェイントなら右、違えば反対の左から」
どちらから襲ってくるか。フェイントをかけてくるか、こないか。その緊張感に、リュウの額から汗が滴り落ち、その一滴が彼の緊張を物語っていた。
「あいつの行動パターンを、ぎりぎりまで見る」
その言葉にナオキが微笑んだ。
「OKです。では声をかけてください。反対は僕が出ましょう」
ナオキは戦う能力がない。リュウは、一瞬彼の顔を見つめた。
「肉の盾くらいにはなれるはずです」
「ナオキ…」
リュウの言葉にナオキは微笑を浮かべたまま答える。
「いいですか、リュウ君。僕たちは常にミッションという重荷を背負っています。いついかなる時も、その覚悟を忘れてはいけません」
覚悟。その言葉にリュウは頭を少し下げた。
「君は今、彼女のボディガード。それを忘れてはいけませんよ」
彼の視線がリュウの肩越しにアヤカの方へと移った。心配そうに自分たちを見つめる彼女の瞳を見つけたリュウは、再び鳥を見据えた。
「絶対に、失敗はしない」
「いい返事です」
覚悟を決めた言葉に、ナオキはいつものように、にっこりと微笑んだ。
鳥が速度を上げ、屋上倉庫の裏に姿を消した。あたりをしんとした静寂が包み込む。鳥のはばたく音だけが響き、その音を聞きながらリュウは考えた。
どっちから出てくる?
彼の視線は左右を交互に探り、今までの鳥の飛び方を頭の中で再生していた。一回目はゆっくりと右から、次は突然上空から。その飛び方にはパターンがありそうだった。
旋回は左から。これはダイスケが見つけた、奴の弱点があるからだろう。フェイントなら次は右に来る確率が高い。しかし、本当にそうか?
自問自答を繰り返しながら鳥の動きに耳を澄ませる。
太陽が見える。朝の眩しい光が映る。
そうだ、太陽…
鳥は逆光を避ける傾向がある。太陽は右側だ
「右だ、ナオキ」
リュウは右に足を走らせ、ナオキが左に走る。次の瞬間、鳥が右から姿を現した。
「覚悟しろ」
向かってくる鳥に正面から向かい、体を大きく逸らせて肘の一撃を繰り出した。
リュウの肘は鳥の胸部に命中し、鳥が甲高い声が響く。
鳥が大きく体を逸らせ、速度が落ちた。
「ダイスケ、任せた」
その様子を弓を引きながら、じっと見ていたダイスケは、弓を持つ手に力を込めた。
リュウが渾身の一撃を入れてくれた。あとは自分が撃つだけ。
ダイスケは一息吐くと、ゆっくりと吐きながら照準を合わせる。彼の目はまっすぐ左翼の根元を見据えていた
「落ちやがれ」
矢が放たれる。その矢は風を切り、まっすぐ飛んでいくと鳥の左翼の根元へ刺さった。
鳥の体内から小さな黒い石が弾きだされ、地面に落ちる。
すると、鳥はまるでつきものがとれたかのように動きを止め、地に落ちた。
「やったか…?」
動かないことを確認してダイスケは安堵の息を漏らし、その場に座り込んだ。
「あの石が弱点だったのね…でもよく場所がわかったわね」
「あそこだけ、骨の形が変だったからな」
全身に汗をかいたダイスケを見て、彼があの一発にかけた集中力が相当だったものを察し、ミツルは微笑んだ。
「お疲れ様」
ミツルの心地よい言葉に、ダイスケはほっとした表情で苦笑いを返す。
「ま、こんなもんだって」
ふと、遠くからアヤカの泣き声が聞こえた。
「アヤカ?」
心配そうなリュウが、大粒の涙を流しているアヤカに声をかけた。
「リュウ君、僕は鳥の回収作業に向かいます。アヤカさんを頼み…」
急いで鳥の回収をしようと歩き出したナオキの言葉を制するように、アヤカが大声で叫び始めた
「みんな、みんな無事でよかった。よかったよ! うわあああん!」
アヤカの感極まった声が屋上を満たすと、全員が一瞬、硬直した。一瞬固まったナオキは微笑んだ後息を吐き、リュウの背中を叩いた。
「アヤカさんを頼みます」
ナオキはそう言って鳥の方へ歩いていく。
「アヤカ…」
リュウが彼女に向かって声をかけると、アヤカは泣きじゃくりながらリュウを見つめた。そして、彼女は笑顔を浮かべ、リュウ、ダイスケ、ナオキの3人を順番に見つめた。
「ありがとう」
その言葉が屋上に響くと、一瞬で周りが蛍のような光に包まれた。その光は屋上全体を照らし、キラキラと輝きを放つ。その幻想的な光景に、旧校舎にいるダイスケとミツルも思わず笑顔になった。
「興味深い光景ですね。これは一体」
ナオキが見上げながら呟いた。
「精霊だよ」
リュウの言葉に一瞬呆気にとられたナオキは、少しだけ笑みを浮かべてアヤカの方を見る。
安心と、感謝と、彼女の愛情に反応するように、精霊たちが祝福の光を照らし
その中心にいるアヤカは皆に笑いかけた。
その純粋な笑顔に3人は自然と微笑んでいた。
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