学園祭当日②
人魚姫の衣装を合わせていたアヤカは、黒い光が自分の所に舞い降りてくるのを感じた。
それは闇の力を持つ、夜の精霊…
「どうしたの?」
夜の精霊が昼間姿を現すのは珍しい。ふわふわと漂う光にアヤカが問いかけると、それは静かに光を放ちながら、彼女に何かを訴えた。
*
「リュウ!本番前にセリフを確認したいの」
アヤカの声が舞台裏に響き渡った。
「アヤカ、どうした?」
急に舞台裏に来たアヤカにリュウもダイスケも他の生徒たちも首を傾げた。
「お願い、リュウ…」
必死に頼み込む彼女の様子に異変を感じたリュウは、言われた通り台本を手に取った。
「私が人魚でも、あなたは私を愛してくれますか?」
アヤカのセリフにリュウが返す。
「人魚であろうと人間であろうと、君は君自身。そして僕は君が好きなんだ」
アヤカは演技をしながらそれを返す。
「あなたが私を認めてくれること、それが人魚である私にとっての10時に約束した大切な約束のひとつでも」
読み上げられたセリフにリュウは顔を上げ、彼女を見つめた。
「人間としてあなたと過ごすことがあなたの幸せなら、私は大切な友達の元へ行きます。私は一人で行かなければなりませんが、水の精霊を沈めたあの場所で、あなたが来るのを待っています」
セリフが終わったところでアヤカが笑顔で返す。
「うん!ばっちり。ありがとう、リュウ」
リュウの顔をまっすぐ見つめ、彼女はいつもの笑顔を向けた。
「行ってくるね、リュウ」
そう言ってアヤカは一人、舞台を後にした。
「おい、1人で行かせていいのかよリュウ…」
リュウは時計を見た。9時45分。舞台が始まるのは午後1時。
「ダイスケ…立花さんが攫われたらしい」
リュウが静かに口にすると、ダイスケは驚きの表情を浮かべた。
「…は?」
「セリフが違った。アヤカは1人で来いって言われたみたいだ」
アヤカは体育館の校庭側の出口の方へ歩いて行った。後姿が充分に離れたのを確認し、リュウは歩き出す。
「距離を取りながら後をつける…」
歩き始めたリュウをダイスケが追いかけようとすると、後ろから声がかかった。
「こんにちは」
振り向くと、ピンクのスーツを着た妖艶な女性が立っていた。
「誰だ?あんた」
ダイスケが問いただすと、女性はゆったりと微笑みながらダイスケに近づき、耳元で囁いた。
「鳥が現れたわ」
その一言に、ダイスケの顔色が一変し、凍りついたような表情を浮かべた。
「ミツルさんか?」
にっこりと微笑む女性に対し、疑いの視線を注ぎながら問いかけた。
「どっちが本当の姿なんだ?」
「さあ、どっちかしら?」
意地悪そうに微笑む依頼主を見て一息つくと、ダイスケはすぐ近くにあったアーチェリーの弓矢が入ったケースを手に取った。ミツルはリュウとは反対方向…体育館の壁側の出口の方へ向かっていった。
周りを見る。
学芸会を訪れた観客と生徒たち。校庭は人で溢れかえっている。失敗は許されない。
ダイスケは息を吸い、ゆっくりと吐いてから頷き、ミツルの後を静かに歩いて行った。
校舎内部は、熱気と活動の海だった。教室は即席のステージや店舗に変貌し、舞台芸術からカフェ、美術展示まで。様々な催しを楽しむために生徒たちが集まっていた。その熱気と活気に満ちた空間を突き進むように、アヤカが走り抜けていった。
しだいにその周囲のざわめきが消え、彼女が到着したのは無人の廊下。目の前に広がるのは屋上へ続く階段の扉だった。
「よぉ、1人で来たみたいだな」
身長190センチはあるであろう、20代半ばの筋肉質な大男が扉の前に立っていた。短い黒髪に外国人のような堀の深い顔から浮かぶ不敵な笑みにアヤカは身を引き、一瞬後退しようとした。
「サツキちゃんは、どこ?」
「焦るな、無事だ…今はな」
今は無事。その言葉に未来への確証がないことにアヤカの表情が凍り付いた。男が屋上階段への扉を開けると、彼女は勢いよく扉の中へ駆け込み階段を昇って行った。
「さてと…」
男は扉を閉めると、廊下の方を見た。
「隠れてないで出てこい。ここを上りたいんだろ?」
リュウが姿を現すと、男は戦闘態勢に入る。
「お前、何者だ?」
鋭い視線を突きつけるが、男は鼻で笑い、挑発的な言葉を投げかけた。
「俺は影山タケシ。ガキ相手は気が引けるが…手加減はいらねぇって話だから、悪く思うなよ」
一瞬で空気は変わった。
リュウの心臓が鼓動を速め、体中の筋肉が戦闘に備えて緊張した。タケシはその体格からは考えられない俊敏な動きでリュウに接近してくる。
強烈なパンチが繰り出されると、リュウは咄嗟に身を地面に近づけて避けた。タケシの肘が空を切り、パンチの力が地面に伝わる。その隙をついて、相手のパンチの流れに逆らって、反撃の蹴りを放った。
タケシが面白そうに口元を緩め、一気に間合いを詰めてきた。
右手で放たれたストレートを避け、反撃に出ようとするが、タケシの左手がリュウの襟元をつかみにかかってきた。反射的に相手のみぞおちに蹴りを入れ、距離を取った。
タケシはすぐに、距離を詰めてくる。
(すぐに、間合いを詰めてくる。この戦い方は…クローズコンバットか…)
力強く振り落とされた拳をよけると、すぐに反対の手のフックが襲ってくる。
タケシは明らかにリュウの服や腕を掴みにかかっていた。それは近接戦闘の一種であるクローズコンバットによく似ており、彼独特の戦闘スタイルも織り込まれているようだった。
投げ技や寝技にもっていかれたら、対格差で圧倒的に不利なのはリュウの方だ。
彼の心中には、アヤカの姿がちらついていた。この男、タケシの戦闘能力は相当のものだ。上には同等かそれ以上の戦闘力を持つ者がいるかもしれない。
(早く、アヤカの所に行かないと…)
焦りからくる汗がリュウの額を伝わって滴り落ちた。
肘や膝によるカウンターがメインのリュウの戦闘スタイルは、リーチが圧倒的に短い。普通に近接戦闘をしたら、有利なのは190センチの大男であるタケシの方だ。いちかばちかの覚悟を決め、距離を詰めてくるタケシに向かっていく。
タケシのフックが空気を切り裂いて襲ってくる。左に体を逸らし避けたところで追撃のジャブを身を低くしてよける。
そのまま繰り出されるキックを相手がふりかぶった瞬間。
足の下へ身を投げ出し相手の攻撃が空を切り、迫り来る攻撃を回避した。
相手の反対側に出たところで一気にカウンターに入る。
咄嗟にタケシが回し蹴りを繰り出し、それを避けると体を逸らせ、強烈な肘のカウンターを脇腹に入れた。
鈍い音が響き、タケシの顔が一瞬歪んだ。
そのまま膝の追撃を入れるが、ガードが入り再び距離を取った。
息切れしながら時計を見る。
9時55分…
10時までは、あと5分だった。
「やるじゃねぇか」
面白いと言わんばかりに口元を緩ませるタケシを見ながら、リュウは構えると、再び距離を詰めた。
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