学園祭当日①


 セキュリティゲートを通過したスーツ姿の茶髪の男がプライベートガーデンを見つめていた。


「お祭りなんて、久しぶりですね」


 いつもは白衣を纏うナオキの一つに束ねた長めの髪が風に揺れ、その表情は穏やかだった。

 そんな彼のもとへ色素の薄いロングヘアを風になびかせながら、ピンクのスーツを纏った妖艶な女性が近寄り、ナオキの腕に自身の手を巧みに絡ませた。


「今日は顔色が良いみたいで、安心したわ」


 優雅に囁く彼女に対し、ナオキは顔をひきつらせた。


「…ミツルさん、悪ふざけは止しましょう」


 苦笑しながらそう呟くが、ミツルと呼ばれた女性は楽しそうに微笑んだ。


「まだ怒ってるの?」


 ナオキの穏やかな表情が少しだけ強張っている気がしたが、ミツルは楽しげな微笑みを浮かべたまま、彼に問い掛けた。


「この姿、あなたの好みじゃなかったかしら?」


 そう言って意地悪そうに胸を押し付けてきたので、限界だと言わんばかりにナオキはため息をついてその腕を払った。



「あなたの整形技術は科学の進歩を象徴していますが、僕は以前の若い男の姿の方がミツルさんの悪戯心に合ってると思いますよ」



 一方、その背中を微笑みながら見つめるミツルは、ナオキとは逆の方向へと足を進めていった。その足取りは軽やかで、まるでこれから始まる祭りの喧騒を楽しみにしているかのようだった。






 リュウとダイスケの2人は小道具の準備に取り組んでおり、ダイスケはいつ狙撃のターゲットが現れてもいいように、舞台裏に弓矢を忍ばせていた。


 今日、ここで何かが起こる。

 リュウはこの日片時もアヤカから目を離さなかった。先日アヤカが屋上に呼び出された事でクラスで一悶着あるかと思ったが、あの後アヤカは自ら彼女たちに声をかけ、その後は事なきを得た。


 今日主役のを演じる彼女が楽しそうにクラスメイトと会話をするのを見てほっとしたところで後ろから声がかけられた。


「リュウ君、ダイスケ君」


 リュウとダイスケはナオキが学校にいる事に驚いた。

 

「なんだよ、一週間も家あけて……まさか舞台見に来たのか?」


 苦笑しながら話すダイスケを見て、ナオキは人差し指を立てた。


「君たちが相当気にかけてたから、僕もそのお姫様について独自の観測結果を推測したくなりました」


 3人の間には一瞬の沈黙が流れる。


「お姫…」

「ばーか、アヤカの事だろ」


 ダイスケに言われ、リュウが呆然としていると、ナオキの口元には満足そうな笑みが広がった。


「…というのは、冗談として…ダイスケ君の狙撃ターゲットの回収の為依頼主のミツルさんより派遣されました。動きがあったら通信機で知らせてください」


 ナオキに手渡された通信機は小型のスクランブル盗聴器によく似ていた。どうやらボタンを押すと信号を送ることが出来るシンプルなもののようだ。




「リュウ、ダイスケ。見て!」


 アヤカの声が響き、3人が目を向けると、アヤカがはしゃぎながら駆けてきた。彼女は青いドレスを身に纏い、その顔には笑顔が広がっている。


「ほら、リュウなんか言う事があるだろ」


 ダイスケに背中を強く押され、リュウはむせ返りながら考えた。


(言う事…?)


 ブルーのドレスはアヤカの金髪と青い瞳に良く似合い、とても綺麗だった。キラキラと輝くドレスはアヤカの瞳の色と同じ色だ。


「すごく良く似合ってるよ」


 リュウが微笑んで言うと、アヤカは少しだけ照れたように「ありがとう」と答えた。


「リュウ君、ダイスケ君。彼女が君たちが悩み続けてきたお姫様…違うな、女神かな?それとも、もっと直球で言えば、未来の狙撃ターゲットですか?」


 ナオキの突然の発言に一瞬空気が凍りつき、ダイスケは慌ててナオキの背中を叩いた。


「ナオキ、そのブラックジョークはちょっと笑えないぞ!」

「狙撃?僕銃はあまり得意じゃなくて」

「リュウ、ややこしくなるからお前は黙ってろ!!」


 リュウが答えようとするとダイスケに言葉を制するように言われ、その先を言うことが出来なかった。


(ダイスケは何を慌ててるんだろう…)


 脳内には純粋に疑問がが浮かんだが、彼の言う通り黙ることにした。こういう時は高確率で、ダイスケの言う事が正しい事が、実例として多かったからだ。


 ナオキは軽く息切れするダイスケにのんびりとした笑顔を向けた後、ぽかんとしているアヤカに話しかける。


「初めまして、君がアヤカさんですか?」


 初めて見る大人の男性にアヤカは一瞬戸惑った表情を見せた。ナオキは彼女と目線を合わせるように腰を下ろすと、にっこりと微笑む。


「初めまして。リュウ君とダイスケ君の保護者の橋本ナオキと申します」


 ナオキの名前を聞いて、アヤカの顔は一瞬で笑顔になった。


「初めまして!澤谷アヤカです。よろしくお願いします」


 ふわりと愛らしい笑顔を浮かべる彼女にナオキの心が一瞬和む。


「人魚姫、楽しみにしてますね」




 サツキはその日一日、準備に追われていた。いつもなら静かなプライベートスクールには人々が訪れ、小さな花火が夜空に響き渡っていた。


 屋台を出すクラス、歌を歌うクラス…

 催しの内容はそれぞれ異なっていたが、サツキは自分たちの創り上げた舞台を誇らしく思っていた。


「サツキ、これはどっちに置く?」


 ショウが小道具を手に持ちながら尋ねた。


「うん、奥にお願い」


 サツキの答えは明るく、舞台の上を走り回る彼女の姿は輝いていた。ショウは舞台裏に荷物を置くと、再び彼女の後を追いかけた。


 ふと、ショウはサツキが1人の男の方へ意識を向けている事に気が付いた。


「どうしたの?」

「あの人、何をしているのかしら」


 サツキが言った瞬間、男と目が合った。黒い、深い闇を宿した瞳が彼女を捕らえた。


「………!!!」


 突如、サツキの手から荷物が滑り落ち、硬い舗装路に音を立てて落ちた。


「どうした?サツキ」


 ショウの問いにサツキは答えられず、顔を青白くした。その理由は自身にもわからない。ただ、男と目が合った瞬間、全身に冷たい恐怖が走ったのは確かだった。




 シオンは快晴の空を見上げ少し顔を歪ませた後、標的である少女・サツキを確認しその口元に笑みを浮かべた。


 彼は自身の手から小さな光を取り出した。


「今日は特別だ…遊んできていいよ」


 ほんのりと輝く黒い光を頭上に浮かべ、黒い刀を引き抜いた。


 刀の切っ先が触れると、黒い光はまるで生き物のように揺らぎ、数多くに分裂し、彼の周りを囲み始めた。次の瞬間、パチパチと雷のような音と共に煌々とした光が放たれ、通りかかった人々が足を止めてその様子を見つめた。



 光はまるで魔法のようにあたりを浮遊し、子ども達や保護者の近くを漂い、それを捕まえようとする子供たちは彼に拍手を送った。シオンが刀を一振りすると、黒い光は小さな音を立てて弾けて消えた。



 あたりから歓声が鳴り響く。



「皆さんこんにちは。今日はこのお祭りにささやかな花を添えたいと思い、催しをご用意しました」


 シオンが頭を下げると、体育館前は学芸会に訪れた人々の拍手で包まれた。



「次の催しは、どなたかに協力頂きたいと思います…そこのお嬢さん、ご協力頂けませんか?」



 指名され、サツキはびくりと体を震わせた。


「い、いえ…私は」


 男の眼差しはどこまでも冷たく、反射的に危険を感じ断ろうとしたが、その言葉はシオンの言葉に遮られる。


「先程よりもっとすばらしいショーをお見せします」


 その言葉に集まった人々が大きな拍手と歓声で彼を称えた。

 戸惑いながら周りを見ると、大人も子供も皆笑顔で自分を見ている。サツキの責任感の強い性格が、この状況からNOを言う事をためらわせた。


「サツキ、大丈夫か?」


 様子のおかしいサツキをショウが気遣うが、彼女は小さく「大丈夫」と言うと男のもとへ歩いて行った。


 意を決したサツキは男に強気の目線を送る。それを見てシオンはにっこりと微笑んだが、その笑顔にサツキは背筋が凍り付く感覚を覚えた。


「では、皆さんカウントを…」


 3… 2…



 その言葉と共に黒い煙がサツキを全身を覆いつくす。彼女の体は煙の中に消え、全てが一瞬、静寂に包まれた


「1」


 観客が声を合わせると同時に、黒い煙が消えた。


 しかしそこに立っていたのはサツキではなく、見慣れない長い黒髪と神秘的な緑色の瞳を持つ少女だった。彼女はここのプライベートガーデンの制服を着ている。

 その変貌ぶりに観客は驚き、賞賛の拍手を送った。



「ショーは終了です。皆さんよい学芸会を」


 シオンが宣言すると、観客は次々と去っていった。



 手品の終わりを告げられ、ショウは呆然と立ち尽くしていた。


「サツキ…!?」


 不信感を覚えた直後、サツキの代わりに現れた少女が近寄っていく。


「行こう、ショウ」


 彼女はショウの手を取り、人気のないところへ彼を連れて行った。




 校舎裏に連れていかれたショウは困惑していた。


「サツキはどこへいったんだ!?君は一体…」


 

 ドスッ



 そう言ったところで少女が振り向き、それと同時にショウは腹部に鈍い痛みが広がり、その場に倒れ込んだ。





「タケシ、この子を拘束しておく必要があるわ」


 その言葉に応えるかのように、彼女の後ろから一際大柄な男が現れた。タケシと呼ばれたその男は、無骨な肩幅と、一目見て敬遠したくなるような肉体を持つ男だった。


「上手くいったみたいじゃねえか」


 彼は運動倉庫の方向へと一歩踏み出した。逃げられないようにショウを拘束し、ひとしきり確認した後、少女と男は再び視線を交わした。無言の了解を交わした後、それぞれの道を選び彼らは静かに歩き始めた。



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