保護者と監視者



「鳥の調査の方はどうですか?」


 長い茶髪を束ね、穏やかな表情をした男性・橋本ナオキがダイスケに話しかけた。薄茶色の瞳は手に持った最新の研究論文に向けられ、朝起きるとコーヒーを飲みながらそれをチェックするのが彼の日課だった。


 ナオキはこの田舎の小さな研究所でリュウとダイスケと共に暮らす、彼ら保護者。25という若さで細胞生物学と心理学を研究する科学者だ。その生活は多忙で、たびたび家を空ける事もあった。


「今のところ、何もなしだな…情報源のミツルって男の話だと、定期的に現れるって話だろ?」

「うーん、おかしいですね」


 困ったように顎に手を当て、目を閉じ考え込むナオキ。


「今度彼を締め上げなければいけませんね」


 穏やかな口調とは裏腹に、彼の言葉は時に厳しい。そのギャップは年齢にそぐわない静かな威厳を放ち、無言の圧力を感じさせるものであった。


 そしてナオキは戦闘能力を持たない。彼の「締め上げる」は理詰めの追求を意味する。その恐ろしさをたびたび体感しているダイスケは、心の中で依頼人のミツルに少しだけ同情した。


「ところでダイスケ君。先日授業中に居眠りをしたそうですね」


 突然の問いかけに、ダイスケは一瞬硬直した。苦笑いをしながらゆっくりナオキの方を見ると、彼は変わらず穏やかな表情を浮かべている。


 しかし、ダイスケは理解していた。


(やっべぇ…すっげ~、怒ってやがる)


 彼の背景には、まるで暗雲が立ち込めているかのようだった。それとは打って変わり、穏やかで優し気な表情を崩さないものだから、その恐怖は一際だ。


「僕は保護者である以上、君をいい子に育てる義務があります。あとでちゃんと話し合いましょうね」


 ナオキの言う「話し合い」は、説教を意味する。

 にっこりと笑顔を浮かべながら言われ、げんなりとしたダイスケはため息をつき、頷く。そして立ち上がると、逃げるように玄関の扉を開いた。






 ダイスケはプライベートスクールで時折目撃されるという、ある特異な鳥の狙撃を命じられ、その為に生徒としてこの学校に潜入調査を行っている。期間は一カ月、残り一週間。しかしその目標である鳥の姿を確認することはまだなかった。


 登校後の日課は校庭内の監視カメラの視角を潜りながらの校内の調査だった。

 セキュリティゲートをくぐるとすぐ教室に入り、弓矢を持って屋上へ向かう。そこで弓の手入れをするふりをしながら校内の全体と上空を観察し、職員室周辺の調査に入る。


 転入初日に職員室と校長室、来賓室で教師達に挨拶した。その時ダイスケは各部屋の本棚や目立たない隅にスクランブル盗聴器を仕掛けていた。ナイロン製の学生用カバンからヘッドホンを取り出し、音楽を聴くふりをしながらその音声をチェックしていく。


(怪しい奴は未だなし、か)


 ヘッドホンを耳に当てたまま屋上から下を見渡すと、何やら見慣れない姿が目に飛び込んできた。

 黒いコートに黒い帽子。白髪の男がセキュリティゲートをくぐってくる。

 狙撃用のスコープ越しに男を見ると、教師たちに軽く挨拶を交わした後校舎へと消えていった。すかさず来賓室の盗聴器のスイッチを入れるとすぐに音声が流れ始め、ダイスケはその音に耳を傾けた。


「シオンさん、よくいらっしゃいました。マジシャンとしても有名なあなたに来て頂けるとは光栄です」


 校長の声だった。


「いえ、学芸会で子供たちを喜ばせる事が出来ること、私も嬉しく思っていますよ」


 男はシオンという名前で、マジシャンのようだった。学芸会の一環としてマジックショーを行うため、校長と打ち合わせのために校舎を訪れたらしい。


(特に怪しい会話はなし、か…)


 しばらく聞いていたが、途中から校長の一方的な自慢話になり大した収穫はないと判断した。

 ダイスケが苦笑いを浮かべながら音声を切りヘッドホンをバッグにしまうと、セキュリティゲートから生徒が登校してくる姿が目に映った。




「鳥なんて、ほんとに現れるのか…?」


 そう呟きながら空を見上げた時、ダイスケの黒い瞳に影が映った。


「なんだ、あれ…」


 それはダイスケが待ち望んでいた、プライベートスクールの上空を飛ぶ鳥の姿だった。鳥の甲高い声が空気を裂き、その響きが広がる中、黒い羽一枚がはらりとダイスケの足元に舞い落ちた。


「とうとう現れましたね」


 声がして、振り向くと後ろには若い男が立っていた。青いスーツとネクタイに、微かにパーマのかかった黒髪が風になびいている。


「ミツルさん、いつからそこにいたんだ?」


 ダイスケの不満そうな声が屋上に響いた。

 このミッションの依頼人であるミツルは薄茶色の瞳にかかった眼鏡の脚部をゆっくりと持ち上げ、眼鏡をかけ直すと小さな笑みを浮かべた。


「随分前からここにいますよ」


 全く気配がしなかったことにダイスケは小さく舌打ちする。アーチェリー用の弓矢を取り出そうとしたが、セキュリティゲートから数名の生徒が登校してきていたことを思い出し、軽く息を吐いた。


「賢明な判断ですね。万が一でも外れたら、生徒に被害が及ぶ可能性があります」


「今は高度100メートルってところか」


 ダイスケは人差し指を上げて風の音に耳を傾け、一心に聞き入った。高度を確認したところでスコープを取り出し、鳥の姿を確認する。


「なんだよ、あれ」


 その鳥はカラスのような姿をしているが、嘴は大きく、左の羽からは骨がむき出しになっている。足には鋭利で大きな爪が確認できた。まるで映画に出てくるモンスターやゾンビのような姿に思わず息を呑んだ。


「アルケミスタと言う組織の研究施設の実験動物です。ご存じありませんか?」


 ミツルは柔らかな微笑みを浮かべながら、その鳥を見つめていた。


「さあ、知らないな」

「おや…意外ですね」


 意味深な言葉が気になったが、ダイスケは言葉を返すのをやめ、目の前の鳥に集中することにした。


「悪いけど今話しかけないでくれるか?あいつの行動パターンや特徴覚えないといけないからさ」


 ミツルがダイスケの方へ目をやると、彼はただただじっと、鳥の姿を見つめていた。そして、やがて鳥は空の彼方へと消えていった。


「本来なら、メモやコンパスなどを使うべきなのですがね」


 ダイスケは言葉を返さず、ただひたすらに鳥の姿を見つめ続けていた。


「必要ないだろ、そんなの…覚えた方が早いって」


 ミツルは興味深そうにダイスケを見た。

 本来、狙撃手が狙撃ターゲットを見つけた際には、情報収集・目標の行動パターンや習慣の把握・狙撃実行時のリスクなど、細部までの状況把握が求められる。その上で戦術や戦略を立案するが、彼はその一連の動作を頭の中一つで納めてしまうようだった。


「学芸会が本番だって言ってたな。あの鳥、本当に現れるのか?」


 ダイスケの問いにミツルは微笑を浮かべたまま頷いた。


「ええ。それは間違いありません」

「あとさ、ミツルさん」

「なんでしょうか?」


 ダイスケは一息ついてから問いかけた。


「あんた、何者?」


 その問いに空気は一瞬張り詰めた。


「この学校に来てからいろいろ調査したよ。生徒のリスト、教師のリスト、PTA…そのどこにも、ミツルなんて名前はなかった」


 ミツルは笑顔を浮かべたままダイスケを見つめた。



「これは驚きですね。本当に素晴らしい観察力をお持ちです、ダイスケくん」


 拳を開き、まるで賞賛するような身ぶりで話すミツルにダイスケは鋭く視線を突きつけた。

 やがてミツルの表情は興奮から彼への好奇心に満ちた表情へと移り変わり、少しの間その頭の中で考えを巡らせた後、ようやく口を開いた。


「監視者」


 それはミツルが初めて見せる、鋭い視線で言い放った言葉だった。


「監視者?何を監視してるんだ?」


 ダイスケが問うと、ミツルは一瞬だけ歯を見せて微笑み、言った。


「強いて言うなら、君…でしょうか」

「俺?なんで」


 ダイスケの問いに対し彼は静かに顔に手を当て、意味深な視線を向けた。


「驚きましたよ、君の保護者のナオキは、まだ何も話していないようですね」


 そう言うとダイスケに背を向け屋上の出口の扉を開いた。


「待てよ、どういうことだ?」

「君と友達のリュウが、この年齢で狙撃手とボディガードの仕事をしている...その理由を考えたことがありますか?」


「は?」


 ミツルは一瞬だけ振り向き口元を緩ませたまま、手を振った。


「狙撃、頼みましたよ…あの鳥は何としても回収しなければならないのですから」


 屋上の扉が閉まる音と共に、彼は姿を消した。


「なんだよ、それ」


 ダイスケは黙ってミツルの後姿を見送りながら、彼の意味深なセリフに深い疑問を抱いていた。





 


 放課後


 本番まで残り一週間を切った舞台の練習に生徒たちはより一層、熱心に取り組んでいた。全員の士気は日々高まっていく一方で、舞台を仕切るサツキにも緊張感が走っていた。


 リュウとダイスケは本番に向けての舞台の準備の仕事が振り分けられていた。舞台のバックに立つ大道具や、照明の取り付け……それらの仕事をこなしながら、ダイスケは今日会ったミツルという男についてリュウと話し合っていた。


「アルケミスタは、前にアヤカを狙ってきた侵入者が所属してた組織と同じ名前だ」


 体育の時間。侵入者に気付き、1人で対処した日のこと。その時身柄を拘束した男たちの属している組織の名前をリュウは澤谷から聞いていた。


「ミツルって奴は、俺たちがこの年で仕事に就いてる理由は何だと思うって言ってたんだよな」


 リュウは少し考え込んだ。


「理由は、考えた事がなかったな…ナオキに提案されて、始めたから」

「俺も、ナオキの家でおもちゃのピストルで遊んでたのがきっかけだからな」


 揃って考え込んでいると、自然と手が止まり、通りかかったサツキの冷たい視線が彼らに突き刺さった。それに気づき苦笑いを浮かべながら、2人は作業を再開する。


「ナオキのやつ、何か隠してるのか?」

「帰ったら聞いてみようか」



 リュウとダイスケがアヤカの方を見ると、王子役のショウとセリフや演技の打ち合わせをしている。本番に向け、主役を務める2人が話し合う頻度も増えてきた。


「最近、ちょっと心配だな」


 ダイスケがアヤカの方を見ながら呟いた。

 主役の2人が熱心に取り組む一方、その様子を見ていた他の女子生徒たちが不機嫌そうな顔をアヤカに向けるのを目にすることも増えていく。

 ショウがたまに女子生徒たちを窘めるところも見かけたが、彼女たちの態度が改まることはなかった。

 

 それだけではない。

 最近アヤカの持ち物がなくなることもあった。ノートや鉛筆、消しゴム等小さなものではあったが、継続的に起こることに2人は疑問を持っていた。

 アヤカは気にしてない、と変わらず笑顔を浮かべていたが、リュウとダイスケはそんな彼女の周りを、より一層警戒するようになっていた。




 みんなが片付けに当たる中、アヤカに数人の女子生徒が近づいてきた。


「澤谷さん、ちょっといいかな」


 同じクラスの子、他のクラスの子……中には、ユミとフウカもいる。ショウをいつも囲んでいる取り巻きの女の子たちのようだった。不審に思い前に出ようとしたリュウに、アヤカは小さく首を振った。


「行ってくるね」


 そう言ってアヤカは彼女たちについていく。

 女子たちのいつもとは違う雰囲気に、狙撃の調査に行く準備をしていたダイスケも不安に思いリュウに声をかけた。


「大丈夫か?」


 心配そうなダイスケの声に小さく頷き、リュウは彼女たちに気付かれないように、後をつけていった。

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