3
「よお、」
客室のベッドの上で、上体を起こしただけの笠寺が手を降る。幾分疲れているようだが、怪我はない。
だが、目の焦点が微妙に洸太からずれている気がした。それは東片を見ているわけでもなく、それよりも後方の、入り口の扉をみているようだった。
「そこに誰がいる?」
「わたくしと、大高さんですよぉ。お加減はいかがです?」
「部屋には慣れた。トイレぐらいなら一人で行ける――おい、洸太がいるんだろう、お前はどうなったんだ」
「大高さんは声をなくしたようです。」
笠寺は焦点の合わないまま、ケラケラと声を立てて笑った。
「視力よりはマシだな。」
「本当、それくらいで済んでよかったですよ。わたくしが小指を投げ入れなければ、あなた方は今頃、体が半分ずつなくなっていましたよ。」
そういうと、東片はベッドの隅に腰を下ろした。
洸太は『どういうことだ、』と言おうと口をパクパクとさせたあと、咄嗟に喉元を抑えた。まだ声が出ないということに慣れていない。
東片が笑う。
「大高さん、つまりね。あなたの声と、笠寺さんの視力、私の小指の三つで、人間一つ分の魂として星崎さんの身代わりになったんです。だから、あなたの声は心因性の何かってわけではなくね、二度と戻ってきませんよ。兎和山が持ってっちゃったんだから」
洸太は思わず東片の目を見た。
自分が二度と喋れないのは、さして問題ではなかった。そんな気がしていたのだ。
だが同様にして、笠寺の視力も失われていた。
違和感の正体はそれだったのだ。彼は二度と光を見ることができない。
「そういうことだ、洸太。俺はな、明るい暗いはわかるが、それ以外はさっぱりだぜ。ま、じき慣れる」
笠寺は自嘲的に笑った。
ふと、扉の戸を叩く音がして、全員扉の方を向いた。
「お夕飯の準備できたわよ。皆さん召し上がって」
一階の喫茶店でテーブルを囲み、ホットサンドを齧る。溶けたチーズが流れ出す。洸太はここでの食事は初めてだった。
こんな幽霊屋敷のようなホテルがなぜ潰れないのか、なんとなくわかった気がした。
美味い。
空腹なのを抜きにしても、異常に美味い。
「いやぁ〜、こんなに美味しい夕食初めてですよぉ、」
「やぁだ、なんの変哲もないごはんよぉ」
卵ペーストだけちょっと凝ってるの、と言いながら、朝子はコーヒーを注いで各人に配った。洸太は笠寺の手が机の上をフラフラしているのを見て、その右手にカップの取手を握らせてやった。
カップの中のコーヒーは、店のオレンジの照明を受けて蜂蜜のように輝いている。
「コーヒーは特別。友達が焙煎士やってるの。コロンビアのシングルだけど、他のと全然、甘みが違うでしょう」
朝子がコーヒー通だったことを、洸太は初めて知った。
四人はしばらく、談笑しながら食事を続けた。
温かな食卓だった。
静もここにいればいいと思った。
洸太は、家で待っているという静の姿を想像して胸が苦しくなった。早めに食事を済ませ、東片に家まで送ってもらうことにした。
「洸太ちゃん、ここに泊まっていってもいいのよ?」
朝子の問いに、洸太は首を横に振った。
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