4


 日は山の後ろに隠れ、空の闇は紫色を帯びていた。

 夜に染まる直前の、幻想的な明かりが山中を包んでいる。


「では、明日の朝、お迎えに上がりますからね、」


 水色の車は生ぬるい風を巻き上げ、紫の光の中を走り抜けていった。



 洸太は玄関の戸を開けた。

 ただいま、が、言えない。

 しんとした家の中を、ゆっくりと進む。どの部屋も、電気はついていない。

 居間に入る。

 静は布団の上で眠っていた。

 暗い部屋のなか、乳白色の肌がぼうっと浮かび上がって見える。


 洸太はゆっくりと、その横に腰を下ろした。


 静は目覚めない。彼はもう、魂のほとんどが眠っているのだろう。それは静が眠っているというより、ただ静の肉体を持つ何かがそこにある、それだけのように感じられた。


 兎和山はもう、静を追わない。

 洸太の声と、笠寺の目と、東片の小指が静の代わりに犠牲になった。

 彼は笠寺だけを犠牲にしたかったようだが、叶わなかった。

 生前の、優しくて穏やかな静は猿藍にはいなかった。

――静という生き物は変質した。


 だが生きていた頃から消えゆく今までの、すべてを包括して〈静〉とよぶのなら、この男はたしかに静だった。


 彼の身体の隣で洸太もまた、横になる。ここ数日の疲れが、彼の身体にどっと押し寄せた。

 静の顔が、すぐ目の前にある。


 不意に、その瞼が薄く開かれる。

 だが目を開けただけで、それ以外の何も動かなかった。名前すら、呼びはしない。

 互いに目を合わせたまま、無音の時間だけが流れ続ける。

 ひどく澄んだ静の瞳の奥に、自分は映っていないような気がして寂しかった。洸太の目には、こんなにはっきりと静の姿が映っているのに。


 これが別れか、


 洸太はほどなくして目を閉じた。ぼやけた意識の中、わずかに静の呼吸の音が響く。その音だけは変わらず優しく、唯一洸太の知っている静の、忘れ形見のような音だった。

 弱々しく規則的に響く寝息を聞きながら、洸太はしばらく眠ることにした。


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