2


 雨に濡れた駐車場には、黒い高級車が一台停まっていた。このあたりのナンバーではない。笠寺の車だろう。


 車を降りる。雨は激しく、あたりは灰色に烟っている。

 猿藍の森は水墨画のように彩度を失い、紫陽花だけが鮮やかな点描となって咲いていた。


 駐車場を歩く途中、地面が小刻みに震えだした。

「地震……」

 洸太が言った直後、雷が落ちるような凄まじい音が耳をつんざいた。稲光は見えない。

 残響が尾を引く中、隣の山で白い煙が上がっているのが見えた。


「あらま。土砂崩れですかね、」

「……じいさん……、」

「はい?」

 東片が怪訝そうに覗き込む。


「あそこ、孤塚だ。……じいさんの家がある」


 体中に冷えた血が巡っていく。

「おや、たいへん」


 洸太は携帯を取り出し、寿史の連絡先を探した。

 いつもかけているのに、こういうときに何故か、画面の中でその名前を見失う。何度も連絡先を行ったり来たりして、ようやく見つけた彼の電話番号に繋ぐも、


「――、」


 呼び出し音ばかりが虚しく響いた。


「東片、今からでも向こうに――」

 震える声を、東片が制する。

「大高さん、今からでは何もできませんよ。われわれは神社に急ぎましょう。あなたにできるのはそれくらいだ」

 彼は顎で道の先へと促した。

 今戻ったところで、自分には何もできない。

 何も。


「さぁ。」


 白手袋の左手を差し伸べる。

 洸太はその手を取り、参道へと急いだ。



 迷路のように細い参道は、数日前と変わらず紫陽花が咲き乱れていた。禍々しいほどの青色だった。

 その中を、二人で足早に進んでいく。

 東片の歩みはしっかりとして迷いがなかった。


「四片タクシーの四片ってね、紫陽花のことなんですよ、ほら、がくが四片あるでしょう」


 ひとりで変に気の抜けた世間話を始める。

 

「うちの社長、紫陽花が好きなんですよね。人を惑わすような色だし、そもそも花じゃないし、毒がある。まるで人を食ったような植物だ。星崎さんも、同じ理由でお好きなようですよ。縁がある」

 シチダンカの、淡く慎まやかな花と金縁眼鏡が頭をよぎる。


「……おや、」

 振り返った東片が怪訝そうな顔をした。つられて洸太も後ろを見る。


 歩いてきた参道の坂道が、半分、茶色の水に沈んでいた。


 立ち止まっているうちに水位はどんどん上がっていく。

 思わず携帯を確認する。だが川が氾濫したという情報はない。

 水はすぐそこまで迫っている。

 

「急がないと我々も沈みますね。さぁ行きましょう」

 水に追い立てられるように、参道を進んだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る