3


「先輩、」

「うん?」

「先輩って、ほんとに死んだんですか」

「死んだよ。」

 表情を変えずに返答する。

「葬式、出たろ。」

「出ましたけど……、」

 あれだって、手の込んだ芝居だったのではなかったのか。エキストラを雇って、葬儀場を借りて、花を散りばめて。棺の中にいたのは、精巧に作られた蝋人形か何かだったのでは?


 静の死を証明するのは、書類と、本人の不在と、残された人間の記憶だ。

 それだけだ。

 それだけのことが揃っていながら、洸太はまだ、彼が死んだということがうまく理解できずにいた。

 眼の前でこうして座る静かを前に、洸太は一層、彼の死を疑う他なかった。

 それは、彼の死に関わる一切のことを――この家を出ようとしていたことや、笠寺のもとに行こうとしていたことを――疑っていることと等しかった。


「俺のところで良かったんですか」

 静は意外そうな顔をして洸太を見た。

「お前のところ以外、どこに行くんだ?まさか、帰ってきてほしくなかったとか」

「そういうわけじゃ……」

 笠寺のところじゃなくて、良かったのか。

 もごもごとする洸太を見て、静はふっと口元を緩めた。

「一年も留守にしていたんだ。話したいことが山程あるんだろ。今日は再会を楽しもう。――そうだ、あとで鴛鴦インヤン茶作ってよ。」

「……飲食厳禁なんでしょ、」

「香りだけでいいんだ。洸太、頼むよ」


 食事を済ませたあと、洸太は頼まれたとおりに鴛鴦茶を淹れてやった。

 鴛鴦茶は、静の一番の好物だった。


 キッチンに立って湯を沸かし、食器棚からマグカップを取り出す。インスタントコーヒーと紅茶のティーバッグを放り込み、熱い湯を注ぐ。

 食卓に香ばしい香りが満ちる。

 本当ならここに練乳を入れるらしいのだが、静はたっぷりのミルクと砂糖を入れ、カフェオレのようにして飲むのが好きだった。

 何度も作らされたせいで、洸太もすっかり配分を覚えてしまっている。


「どうぞ、」


 静は、目の前に差し出されたマグカップをじっと見つめた。それからそれを両手でそっと包み込んで持ち上げ、その香りを嗅いだ。珈琲の香ばしさと、紅茶の華やかさの混じった異国の香り。静の、一番好きな香り。


「生きかえるなぁ。」


 今はブラックジョークにしか聞こえないが、かつての静は、これを飲むたびにそう言っていた。

 華やかな香りととろけるような口当たりは、疲れを吹き飛ばしてくれる。加えて強めのカフェインが、頭をクリアにしてくれる。作っているうちに、洸太もこれが好きになったくらいだ。

 だが、今の彼には飲むことができない。

 静は寂しそうに目を細めたあと、マグカップを洸太の前にそっと押し返した。


「これは洸太が飲んで。仕事、疲れただろ。元気出るよ」

「……ありがとうございます、」

 作ったのは自分だが、静の下賜するような言い方に思わず礼を言ってしまった。静はクスクスと笑った。

「うまい?」

 さっきと、同じ質問だ。

「……。うまいっす」

「素直になってきたね。」

 静が立ち上がる。


 洸太の方に歩み寄り、それからそのきれいな指で洸太の顎をなで上げ、視線を絡ませた。幾分、含みのある笑顔だった。

 そのままゆっくりと、唇を合わせる。

 彼の舌が、洸太の口に残された鴛鴦茶を残さずに舐め取っていく。


 身体の奥から蕩けていくようなキスだった。


「美味いね、」

「……食べたり飲んだりしちゃ、だめなんじゃないんすか」

「こんなの飲食のうちに入らないさ。それよりもう一回したいから、もう一回飲んで」

 洸太は言われるがまま、カップに残った鴛鴦茶を口に含んだ。すでに身体のあちこちが熱かった。再び唇が奪われる。静は美味しそうに口の中を舐めていった。


「今日さ、」

 口だけでは飽き足らず、首や鎖骨を舐めながら、静は言った。


「洸太のこと、めちゃくちゃにしちゃうかも」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る