初めての友だち
ドラゴンから逃れるため街を抜け、道を逸れたところにある川のほとりでイオリはへばっていた。
「もう無理。走れ、ない」
「なら抱えようか?」
獣人はイオリの体を軽々と持ち上げる。
「ちょっ、大丈夫だから、おろして!」
「早くしないと追いつかれるよ」
「その心配はないから! それにこの体勢きつい」
頭を下にされ肩に担ぎ上げられたイオリは走ったせいもあり胃がひっくり返りそうである。ゆっくりと下されるとその場で倒れ込み這って川まで行く。
「気持ち悪い」
川に頬を浸すと冷たい水が心地よい。旅をするならもう少し運動をしておけば良かった。しかし今さら思っても仕方がない。川で気力を回復したイオリは、改めて獣人と向き合う。彼は素足で走ったせいか足に傷がいくつも出来ていた。
「ちょっと触るよ」
「え? うわっ」
イオリは獣人の足に手を当てると治るように念じる。すると掌があたたかくなり、みるみるうちに傷が治っていく。
「え、凄い」
驚く獣人に気を良くし、イオリは見えている部分の傷を順番に全て治していく。そして、自分の足をしげしげと眺めている獣人に得意げに胸を張る。
「綺麗に治ってるでしょ。治療魔法は得意なの」
「魔法? これが?」
「そうよ! 私は魔女だから」
「まじょ?」
ほとんど居なくなった魔女を見たせいか、獣人は驚いて言葉をただ繰り返している。きっと魔法も初めて見たに違いない。
「でも私が魔女だってことは秘密にしといて」
「わかった」
返事をすると獣人は辺りを見回している。イオリもつられて辺りに気を配ると、どこからか鳥の鳴き声が聞こえているのに気がつく。川からはときおり水の跳ねる音がするので魚でもいるのだろうか。しかしとくに変わったところはなさそうだ。
「どうかしたの?」
「ドラゴンが追って来ないかと思って」
「それなら大丈夫。私が幻覚の魔法をかけておいたから、今ごろ幻を追いかけてるはず」
「げんかく。そういうことも出来るの?」
「簡単なのなら」
「凄いね」
本当は土煙で視界が悪かったから誤魔化せたのだけれどそこは黙っておく。
「ところであなた名前は?」
「特にない」
「ないの? 今までなんて呼ばれてたの。呼び名くらいあるでしょ?」
「おい、とか。お前、とか」
獣人は自分の腕を強く掴み下を向いてしまう。聞いてはいけなかったかも知れない。それにしても獣人に対する扱いが酷い。イオリが読んだ本には獣人は聖獣の使いとされていた。本来なら聖女や聖獣同様に敬うべき存在のはずだ。
「なら、もし嫌でなかったら私が名前を付けてもいい?」
「あなたが?」
「あ、私はイオリね。それで名前どうする?」
イオリは優しく問いかける。
「……好きにしたら。どうせご主人様には逆らえないし」
「ご主人様?」
「そう。商人から俺を買ったんでしょ。だからご主人様」
「ちょっと待って。買ったけど契約はしてないから」
「それはドラゴンが来たからで――」
「違う‼︎ ドラゴンが来なくても契約しなかった」
「それを信じると思うの?」
「信じなくても良いけど、今も契約の強制はしてないでしょ。それに私も魔女だってバレると怖がられるから」
大魔女の魔力は強力だった。それ故に人は必要以上に関わりを持たなかった。何か困りごとがあれば相談にやって来るが、普段は腫れ物を扱うかのようだった。街の人たちはあからさまに避けたりはしないが、いてもまるでそこに存在しないかのように振る舞っていた。大人たちは報復を恐れてか直接は何もしないが、子どもたちは容赦なくイオリに普段から大人が言っているであろう言葉を浴びせて来た。
「だから友だちになって欲しい」
「友だち?」
「今すぐは無理でも徐々に仲良くなれたら嬉しいな」
「あなたが望むなら」
「嫌なら嫌って言ってね?」
「嫌では、ない」
「なら良かった」
初めての友だちにイオリは嬉しくてにっこりと満面の笑顔を向ける。
「よろしくね」
そう言って手を差し出すとイオリのお腹が盛大に抗議の音を鳴らす。タイミングの悪さに恥ずかしくて下を向く。
「なにそのタイミング」
イオリは慌てて取り繕うとするが、獣人が笑みを堪えているのにほっとする。どうやら嫌われてはなさそうなのでお腹の音に少しだけ感謝する。
「とりあえず、お昼食べよっか」
川の水で手を洗い手頃な岩の上に座る。手まねきすると獣人も横に腰を下ろす。
「少ししかないけど、良かったら食べて」
朝作ったサンドイッチを鞄からだし二人の間に広げ鞄から水筒と果物も取り出す。
「いただきます」
イオリが小さく呟くと獣人も呟くのが聞こえてくる。根は悪い子ではなさそうだ。サンドイッチには魔法をかけてあるので出来たてのままだ。イオリは手前のを取るとかぶりつく。レタスはシャキシャキとしていて新鮮でベーコンはほのかに温かく肉汁を滴らせている。特製のソースは酸味があり良いアクセントになっている。
あっという間に食べ終わると、ふたつ目を取ろうとして手が止まる。
「食べないの?」
イオリが聞くと獣人はびくりと怯えたような反応をする。そしてイオリが食べようとしていたサンドイッチを手に取ると、微かに匂いを嗅ぎほんの少しだけ齧る。
「……おいしい」
「良かった。果物も食べてね」
小さめのほんのり赤く色づいた丸い果物を差し出す。早めに収穫したせいかまだ熟しきっていないが、食べられはするはずだ。
「ありがとう。これ、イオリが作ったの?」
「うん。朝ごはん用に」
「朝ごはん?」
「作りすぎちゃったからお昼用にしたんだ」
「そうなんだ」
最初は警戒していたようだけれど、大丈夫だと判断したのか勢いよく食べ始める様子をイオリは嬉しく見守る。多めに持ってきていた果物もすぐになくなり、二人は食後のお茶を飲みながらのんびり過ごす。
「リオはどうかな」
何の気なしに呟いた言葉に獣人の耳がピクリと反応する。
「どうって?」
「えっと名前。私と似てるから嫌だよね。なんとなく思っただけだから、他にも考えるからちょっと待ってて」
低めの声で返されてしまい、慌てて言い訳をして他の名前を考え始める。
瞳の色にちなんだ名前。強さを表す名前。それとも幸せを呼ぶ名前。どれにしよう。獣人がこちらをじっと見つめているせいか上手く考えが纏まらない。混乱しそうになっていると獣人はそっぽを向いてしまった。今さっき出会ったばかりのイオリが名前を付けようなんて烏滸がましかっただろうか。
「悪くないんじゃない」
小さな声だが、獣人の方から聞こえた。一瞬空耳かと思い、そっぽを向いている顔を覗き込むと照れたような複雑な顔をした獣人と目が合う。
「本当? じゃあ今からあなたはリオね」
「ああ」
「よろしくリオ!」
イオリは友だちになった証にリオの手を取ろうとするが避けられてしまう。
「そういうのはしなくて良い」
うっすらと頬を赤く染めあげたリオにイオリは満面の笑みを浮かべる。今はまだ警戒されているが、徐々に仲良くなっていけば良い。それだけの時間はあるはずだ。
初めて出来た友だちにイオリは心躍らせるのだった。
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