ディアナ王国の大魔女
ディアナ王国の魔女がいなくなった。
その知らせを受けた時イオリは畑で作物の収穫をしていた。夏のあいだ次々と収穫してもすぐに増えていた野菜は、今では数個ほどしか実をつけていない。そろそろ次の季節に向けて準備をしなければいけないと思っていた時にふと虫の知らせを受けた。その知らせは手紙が届いたとか空に虹がかかったとかそう言う事ではなく、ふと気が付いたような感じだった。それはまるで腕の見えにくい部分が痒くて見てみたら蚊に刺されていたかのような感覚だ。
「そっか、今か」
イオリはなんとはなしに呟くと畑を見渡す。すでに収穫し終えた畑にはひょろひょろとした茎だけが残っている。次の準備は必要なさそうだ。イオリは収穫した野菜の入ったカゴを手に持つと家へと戻る。
カゴをそのへんのテーブルに無造作に置くと家の奥にある魔女の部屋の扉の取手に手をかける。普段はびくともしない扉はあっさりと開き、魔女の部屋へと招き入れてくれる。意外と綺麗な部屋にはほとんど物が置かれていなかった。きっと今日に向けて整理したのだろう。魔女はイオリと一緒で片付けが苦手だった。机の上に不自然に置かれた箱を手に取る。シンプルな作りで装飾はないが細かな紋様が彫られていて手の込んだ物だと分かる。蓋を開けると中には封筒が二通入っている。
イオリ宛ての封筒を雑に破り、中の手紙を取りだして読む。内容は簡潔だった。
『城へ向かえ』
ただそれだけ。別れの言葉や思い出、弟子を一人残していく感傷などは一切ない。もう一つの封筒は国王宛てになっている。これを持って行き渡せということだろう。しかしイオリは気が進まなかった。魔女の言うとおりにして良かったと思えたことなど殆どない。ひとまず封筒を服のポケットにしまうと家の片付けをすることにする。
家の中は様々な物で溢れていた。干からびてなんだったのか分からない薬草や欠けた瓶、真っ黒に焦げて鍋の底にこびり付いている何か。そういった物を片っ端から捨てていった。まだ使えそうな薬草や材料は安全で保存のきく物だけ残し、他は適切に処理していく。扱いに注意が必要な物の毒気を魔法で抜いている時に扉を叩く音がした。出入りの商人が来るにはまだ時期が早い。ここには人を惑わす幻覚の魔法が掛けられているから、特定の人物しか来ることが出来ないはずだ。しかし魔法をかけた魔女は先ほどいなくなった。なら幻覚の魔法は途切れてしまったのだろうか。ドロドロの薄汚い液体で汚れた手を振って魔法で綺麗にする。イオリが毒気を抜く時はなぜかこの薄汚い液体が出てくる。ここに住んでいた魔女はそんなことなかった。もう一度扉を叩く音がする。扉を開けると見慣れた姿が現れた。
「やあ、久しぶり」
そこにいたのは数ヶ月に一度訪れる馴染みの商人だつた。歩いて行商をしているせいか日に焼けて体格が良い。
「この間、来たよね?」
つい声に不信感がこもる。しかし商人は気にする様子もなくにっこりと笑う。
「そうなんだけどさ。前に来た時にオデットさんからこの日に来て欲しいって言われたんだよ」
「そうですか」
「それでオデットさんは? 今日はいないのか?」
オデットさんと言うのは大魔女の仮の名前だ。魔女は決して他人に自分の名前を教えたりはしない。そのため本当の名前はイオリですら知らない。
「今さっきいなくなりました」
「出掛けたのか?」
「いえ、そうじゃなくて消えました」
「は? 消えた? どうして?」
「魔女なので」
「あー」
上手く説明出来ないイオリに商人はなんとなく理解してくれたようだ。魔女と長年取引をしているだけのことはある。
「そうか。なら今度からイオリちゃんが取引先か」
「いえ、私はここを出ます」
「なら今日が最後か」
商人は目を細めると寂しそうな顔をする。この商人はイオリが小さい頃からこの家に出入りしている。商人にとってイオリは親戚の子どものような感じらしい。前に魔女にそう言っているのを聞いたことがある。
「よし、なら今日は特別だ。必要な物があれば安くするし、売る物があればいつもより高く買うよ」
勢いよく手を叩き威勢よく言った言葉にイオリはニヤリと口の片端を上げる。家にある希少な物や要らない物を片っ端から持ってくる。大量の品物に商人が頭を抱えながら律儀に値段を言ってくれる。最後のひとつを渡し終えると紙に書いた数字を計算し、紙に書きつける。
「こんなもんでどうだ?」
「……」
「なんだ、不満か?」
紙には人一人が余裕で暮らしていけそうな額が書かれていた。
「いえ、こんなに良いんですか?」
「当たり前だ。オデットさんには世話になったしな。それに思った以上に希少な品物が多くて驚いてるよ。ただな……」
さきほどの勢いとは打って変わり歯切れが悪くなる。
「ただ?」
「いや、こんなにあると思わなくてな。手持ちが足りないんだ」
そう言うと、片手で大きな袋をテーブルに置く。ずっしりとした袋は鈍い音を立てる。商人は袋の口を開けて中を見せる。中には大量の金貨が詰まっている。
「すまんが今はこれしかない。だから全部は買い取れない」
「わかりました。これで売ります」
イオリが言うと商人は慌てたように手を振る。
「いやいやいや、それじゃあイオリちゃんの損になる」
「でも残しておいたら盗まれるか悪用されるかも知れないから」
商人は頭を抱えて唸る。ここにあるのは毒とは言えないまでも幻覚を引き起こしたり触ると麻痺したりと人に害を与える物もある。
「わかった。なら今はこれだけだ」
「いまは?」
「そうだ。残りは俺が預かっておくというか、金が出来たら渡すってことでどうだ?」
「いいですよ」
「本当か?」
「はい」
「自分で言うのもなんだが、イオリちゃんはもう少し人を疑った方がいいと思うぞ」
「これだけでも十分な額ですから」
テーブルに置かれた金貨の山を見て言う。
「金が必要になったら手紙でも飛ばしてくれ。必ず渡しに行くから」
「はい」
「必ずだぞ。必要なくても残りは渡すからな。約束だからな!」
イオリが受け取る気がないのを見抜いたのか、しっかりと約束させられる。魔女にとって約束はそれなりの意味を持つ。約束を破った魔女は仲間から軽蔑され、何かあった時に助けて貰えなくなる。しかし魔女の少なくなった今ではあまり意味をなしていない。それでも約束を取り付けた商人は満足そうに笑うと品物を仕舞い始める。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ」
「ではまた」
「ああ、寂しくなるな」
商人はほとんど空っぽになった家を見渡し、最後にイオリへと視線を向ける。
「じゃあ、またな」
「はい」
大きな荷物を背負い、手を振ると家を出ていく。イオリも小さく手を振り扉が閉まるのを見つめる。
希少なものは売ってしまったので残ったのは何処にでもあるような道具と日持ちのする薬草のみ。誰かが家に勝手に入ったとしても盗られて困るような物はない。イオリはお金をしまうと、ドロドロの物体をゴミ袋へと入れ先ほどの作業を再開する。
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