第六話 地を燃やす日
休日にもかかわらず、町を歩き回っていたので休むどころか疲れてしまった。
リヒトは重い頭と気持ちを力ずくで起き上がらせる。
「まあ、心身ともに疲れるのは今に始まったことじゃないか」
アスガルド王国に来る前も、こんな感じの重苦しい体調や気分は何度も経験してきたことなので今更肉体という枷に文句を言う気にもなれない。
それでも、使命を果たすという義務は自分自身で決めたことなのでそれだけは守らなければならない。
よいしょ、とベッドから床に足を下ろし、立ち上がる。
“死神”ともあろうものが、病気にでもかかったのだろうか。
今の空気や、足が触れた床の感じが妙に気持ち悪い。
なんだか今日は……暑いな……。
二階へ降りると、宿屋の主人とリルネフが待っていた。朝食を用意してくれたのだろう、ロビーの近くにある休憩室のようなスペースには、こんがり焼けたパンやベーコン、熱々のコーヒーが置かれていた。
「(そうか、この町にもコーヒーはあるのか)」
リヒトは死神としての活動を始めてから、コーヒーをよく口にするようになった。
ただ、そういった嗜好品は“死神”であるがゆえになかなか提供してもらえず、よくて渋々ながら提供してもらえる程度だった。
怪しい雰囲気漂う人間に買ってもらいたくない、という気持ちもわからなくはないが、客としてきているのだから買わせてほしい、くらいの不満は思っている。
それはともかく、という感じでリヒトはリルネフと共に席に着く。
カップの隣にはミルクと砂糖が置かれている。
どうぞお好みで、と言わんばかりに置かれているが、生憎リヒトはブラック一筋である。
特に、眠気覚ましのためにより深い苦みを欲しているため、今回は申し訳ないがそのままでいかせてもらおう。
ゴクリ、と一口飲んでみる。
「…!……おいしい……これ……」
今まで飲んだコーヒーの中では一番と言っていいほどおいしかった。
ミルクや砂糖がいらない、というかそんなものを加えてはこのコーヒー本来の良さが損なわれてしまう、と本気で思いかねないほどの味わいだ。
「口には合ったかね?」
主人が話しかけて来た、少し自信ありげだ。
「……はい、これ、すごい。どこの豆ですか?」
「南の町で栽培されているものを使っているよ。他の町でも趣味程度に栽培している人はいるらしいけど、やっぱり本格的に楽しむなら、南部のものを使わないとね」
「この豆を栽培してる人ってどんな方なんでしょうか?やっぱり、コーヒーが好きだからこんなにおいしいものを作れる技量があるんですよね」
「ああ、その豆を作ったのはアルガンだよ。ほら、『バー・ガフー』の店をやってる彼」
……そうか、あの人だったのか、というか農場とか持ってたのか。
「でも、それ以上に熱い状態なのにすぐ飲んでくれたことが私には嬉しかったよ。やっぱり、コーヒーは熱いうちに飲むのが一番だからねぇ」
うんうん、と主人の意見を聞いていると、リルネフが尋ねてきた。
「私はコーヒーというものを飲んだことがないのですが、それほど美味しいのですか?」
「人によりけり、って感じかねぇ。苦いものや熱いものがニガテな人にとってはあまり良さが分からないだろうけれど」
「おいしく飲みたいのであれば熱いほうがいいのでしょうか?」
「それも人によるかなぁ。コーヒー本来のうまみが出るのは確かだけれど」
リルネフの質問にテンポよく答えていく主人。
「まあ、初心者は低い温度から飲むのをお勧めするよ。“熱くし過ぎると、自分が火傷してしまうから”ねぇ」
「…そうですね、考えておきます」
「おっ、コーヒー仲間が増えそうじゃないか、リヒト君」
「はい……その時が楽しみです……」
その後は黙々と食事をし始めた。
30分ほど経ってからソフィーが降りてきて、食事に加わった。
ソフィーはすっかりいつも通りの元気を取り戻している。
いつものメンツで食事をしていると、宿屋の入り口の扉が開かれた。
四騎士の一人、エディルだった。
エディルはこちらにやってきて、主人に一礼をする。
主人が礼をし返すと、テーブルで食事をしている三人に話しかけて来た。
「すまない、食事中のようで。こちらは準備完了している。いつでも出れるから、準備ができ次第声をかけてほしい」
丁寧口調で話しかけてくれるので、リヒトとしても話しやすいが、もう少し表情筋が柔らかくなってくれればな、とは今でも思う。
「ありがとうございます、待っててくれるんですね」
「ああ」
「…あ!そういえば、フレイアさんってどんな感じですか?私昨日から見てないんですけど」
「彼女なら君と同じように昨日の午後から体調が戻ったよ。カリンさんは町の子供たちの面倒を見なければならなかったから、代わりに僕とフィヨルンさんで交代で看病していた。…………僕が看病している時は、元気そうだったり、辛そうだったり、いろいろ大変そうな感じがしたが」
「ああ~、たぶんそれ、嬉しかったんだと思いますよぉ」
「嬉しい?病気なのにか、何故だ?」
「ふふ~ん、なんででしょうかねぇ」
いたずらな笑顔を浮かべるソフィーを不思議そうに見つめるエディル。
この人はかなりの天然、というか他者からの好意に気づかない人物のようだ。
そもそも、フレイアの病気の原因が
「ただ、僕は僕でやりたいことがあったから、午後の看病はフィヨルンさんに任せた。昨日、僕と図書館であった君たちならわかるだろう?」
「ああ、勉強とか読書ですよね」
「ええ~!?だめですよ、そういう時はしっかり最後まで看病してあげないと!フレイアさんも女の子なんですから!」
妙に食いついてくるソフィーに、エディルはますます訳が分からなくなっているように見える。
「…………看病ならフィヨルンさんと交代制だった、というのはさっき話しただろう。何が問題なんだ?」
「もう~、そういうのは察してあげなきゃだめですよ」
「察する?何をだ?」
「それは~……私の口からは言えませんねぇ」
「知っているのに言わないのは感心しないな。情報はきちんと共有するべきだろう」
「もう、そういうことじゃなくて~」
「?…益々訳が分からない、君はわかるか、リヒト」
「ええと、分かりますけど……」
ソフィーのほうをみると、絶対に言うな、という意味なのか唇に人差し指を当ててこっちに意思表示をしている。
「………すみません、やっぱり分かりません。ただ、男性にとって女性はよくわからないことをすることがある、くらいのことは覚えておいた方がいいんじゃないか、と俺は思います」
「そうか……そういうものなのか」
「はい、そういうものだと思います」
性別の壁を安々と超えることはできないということを思い知らされた。
朝食を終え、四人は西にある水の神殿へと向かう。
歩いている付近には川が流れていて、水はけがいいのか緑が生い茂っている。
「あとどのくらいかかりそうだ?」
「距離で言えば3㎞ほどですかね」
「…………」
「どうかしましたか?」
リヒトが尋ねると
「いや、僕が勉強好きなのは君たちも知っているだろう」
と、既に三回くらい聞いたような話題を振ってくる。
「ええ………あ、エディルさんはなんで勉強が好きなんですか」
「そうだ、その質問をしてほしかったんだけどな」
「ああ、すみません」
謝った後、エディルは話す。
「僕は、知りたい、という欲が人一倍強くてね、そのためにいろいろと知識をつけている。勉強しているのはそのためで、いつかは学者になりたいと思っている」
「学者、ってすごい!私あんまり頭良くないので、とても尊敬します」
ソフィーがおだてると続けざまに話す。
「ただ、学者とは言ったものの、僕は“誰かの役に立ちたい”からではなく、“知識をつけたい”から勉強している。世間一般で言う学者のように、活発に何かをすることはないだろう。学者というのは建前で、ほんとは“勉強したいから”という自分の欲を優先させている。知識を役に立たせるのではなくただ知りたいだけ。だから、人の役に立てるとは思わない。僕の夢は、他の誰かにとってあまり意味はないだろう。だからこそ、騎士という役職で人の役に立っているわけだが」
「そんなことありませんよ。私が言うのもアレですけど、知識って言うのは身につけるだけで武器になるんです。だから、エディルさんもきっと人の役に立てますよ」
自分ができる精一杯のフォローをするソフィー。
「……そうか。……僕は感情的になることがないから、人の気持ちをフォローする、なんて考えたことも、実行したこともなかった。もしかしたら、知らないうちにできていた可能性もあるが、少なくとも自分からやろうとは思わなかった」
「人の気持ちが読み取れない……のですか、あなたは。人間なのに…」
エディルの精神性が分からないのか、リルネフが質問してくる。
「僕以外にもそういう人間はいると思う。フィヨルンさんから、『お前は女性人気がある』とたまに言われるが、僕にはいまいちそれが分からない。きっと周りの雰囲気を感じ取るのがニガテなんだと思う。リヒト、初めてここに来た時に僕が君を庇ったのも、“君の目的や正体が知りたかった”からだ。否定されてばかりの君の気持ちを読み取ってのことではなかった、むしろ他の人と同じで怪しいとさえ思っていた。ここまで恐ろしいオーラを放つ人間が、どうして『人間の価値を証明する』などという使命を背負っているのか、それが知りたくて君の存在を肯定したんだ」
「………」
「………いつか話してほしい、君が何者なのか。余り詰め寄るべきでないということくらいは何となく感じ取れる。人の気持ちに鈍感な僕でもね。どうか僕に、君が持つ真実を教えてほしいんだ」
「………できる限りは教えます。ただ、全ては無理かもしれませんよ。……こんな偉そうなことを言ってすみません。でも、全てを教えてしまったら俺の『使命』が失敗してしまうかもしれない。こちらとしても、後戻りはできないんです。それだけは、分かってほしいです」
「教えることそのものが『使命』の成否にかかわる、そういうことだな」
「はい」
「……分かった。君の願いを受け入れよう」
「ありがとうございます」
―――その時、四人の上を何かが高速で通り過ぎた。
またグリンブルスティがやってきたかと思ったが、奴ほど速くはないし、何よりソレは空中を飛んでいた。
「えっ、何今の!?」
ソフィーが驚いて声を上げる。
いち早く気づいて敵の姿を視認したエディルが告げる。
「〈鳥を見た〉」
その直後、世界が熱に包まれた。
甲高い鳥の鳴き声と共に、周りの気温がものすごい速度で急上昇し始める。
「暑っ!何これ、急に暑くなったんだけど!もしかしてさっきの鳥が!」
「みんな!僕の周りに集まれ!」
エディルの指示に従い、三人は水の騎士のすぐそばに集まる。
すると、前に突き出したエディルの手から、大量の水が溢れ出てきた。
現れた水は四人を熱から守るように取り囲み、球状に包み込んだ。
「とりあえず、直接的な光からはこれで身を守れるはずだ」
「身を守れる?しかし、光はこの空間の中に入ってきています。守れているとは思えない」
リルネフが護身術を否定するが、すかさずエディルは返す。
「水の中の光を屈折させてできるだけ光が届かないように抑えている。だが、それもこの熱量でいつまでもつか…」
水の中に入ってきた光の量は調節できるが、肝心の光源は抑えられない、これが今できる精一杯の護身方法だった。
「しかし、あいつは何なんだ?先ほど少しだけだが姿を見ることができた。金色の羽毛をした鳥のように見えたが……」
「恐らく、あれは『光源怪鳥ヴィゾフニル』。自分の体を明るく輝かせることができる魔獣です」
「君の旅路を邪魔する黒幕はこんな強力な配下まで用意しているのか。それにしても…なんて強力な光だ…みんな、外を見てくれ」
水のバリア越しに外を確認すると、先ほどそばを通ってきた川が完全に蒸発して一滴の水もない。
それどころか、付近の植物が膨大な熱エネルギーで発火現象を起こし、散り散りになっている。
普通ならばありえないはずの光景だ。
「先ほど言った通り、ヤツは自分自身の体を発光させます。そして今見た通り、光によって発生した熱エネルギーで周囲の可燃性の物質を燃焼させ、あらゆる液体を蒸発させてしまいます」
「それはまずいな。僕は魔術によって水を自在に生み出せるけれど、それでも水だ。この状況ではこうしてみんなを守るためにバリアを貼っているのが精一杯だ……すまない……騎士として不甲斐ない」
「そ、そんなことありません!エディルさんがいなかったら、今頃私たち全員干からびたり燃えたりして死んでましたから!」
「そう言ってくれるのはありがたいが、どうやらもっとまずいことになりそうだ…!」
だんだんとエディルの整った顔が苦悶の表情へと歪んできていた。
額には汗がにじみ、半径2mにも満たないバリアを維持している手は熱の影響なのか赤みを帯びてきている。
「エディルさん!大丈夫ですか!」
「大丈夫……じゃないな。外の温度がどんどん上がってきていないか!?」
間違いない。
もう外には一本の草木も、一匹の生物も存在していない。少なくとも、四人の半径100m辺りには生物的痕跡は一切ない、ひび割れた地面があるだけの完全な死の大地へと変わった。
そしてこれから、さらに光は強くなっていき、より広範囲の動植物が犠牲になるだろう。
どうにかして早くヴィゾフニルを倒さなければならないのに、ここから一歩も動けないほどにまで追い詰められてしまっている。
「リルネフ!君の氷でどうにかできないか!?」
「ダメですね。水のバリアで守られてはいるものの、今この内部は高温です。私の氷でもすぐに溶けてしまう。それに、エディルさんが我々の活動範囲を広げられない状態である以上、今ここで無理に氷を生成しても、皆さんの活動範囲を狭めてしまうだけです」
バリアの内部温度はさらに上昇しており、四人とも大量の汗を流しながら必死に地を燃やす太陽の光を耐えている。
特に、エディルはバリアの展開と徐々に増殖し続ける熱量に合わせて、魔術で使用する魔力を増やさなければならないため、この場にいる誰よりも身体的精神的に追い詰められていった。
「ぐっ!……………うぅ!…………あっ!…………熱いっ!」
「はい!エディルさん、お水!」
今この場で最も役に立てないほどひ弱なソフィーにできることと言えば、リルネフが生成し、熱で溶けた氷を持ってきていた水筒に移し、エディルの口に運ぶことくらいだった。
「すみません、私が足手まといで…」
「確かに……君は足手まといかもしれないが……君がいなくとも僕たちはヴィゾフニルの攻撃を避けられなかっただろう。……それに、リヒトの旅についていきたいと言ったのは君自身だ。君はどうしても続けたいのだろう……彼の旅を見届けるという役割を。たとえ彼の役に立てなくても……他ならぬ彼のために旅を最後まで見届ける人間でありたいと……そう決めたのは君自身だ。誰が何と言おうと、君はそのままでいい。それが自分で決めた夢なら……最後まで責任をもってついていってあげてくれ!」
「!……はい!」
自分よりもつらいであろうエディルに励まされ、ソフィーは自信を取り戻す。
「……だが、このままでは全滅になってしまうのもまた事実。……どうすれば……」
「リヒト君!瞬間移動のやつとか使えないの!?」
「使えるが……俺も疲弊した状態だ。この体力だと……よくて50mほどしか移動できない……すまない」
………どうしよう、せっかく自信を取り戻したはいいものの、暑さも相まってここから状況を覆す手段が思いつかない。
「……ハァ………ハァ…………ハァ…………ハァ……」
このままでは本当に全員干からびて死んでしまう。
もう、こんな状況、終わりにしたい。
エディルさんに水を全部あげているけど、正直自分も水を飲みたい。
ああ……そういえば……。
「主人に……コーヒーの……お礼……言うの……忘れてた、な……美味しかった、って……」
なんか似たようなことが前もあったな…。
そうだ……初めてリヒト君と遭った時だ……。
「まずい!ソフィーが遺言を残し始めてる、早くどうにかしないと!……リルネフ、もっと氷の生成を早めてくれ!俺の分のスペースを空けるから、それなら少し余裕が………………リルネフ?」
ソフィーを再起不能から回復させようとリルネフに要請を出すリヒト。
だが、彼女は何かぶつぶつ呟いていた。
「……主人………コーヒー………熱………」
「……?今朝の主人がどうかしたのか?」
「確か、あの時………………………」
まあ、初心者は低い温度から飲むのをお勧めするよ。“熱くし過ぎると、自分が火傷してしまうから”ねぇ
「……!」
突然何か思い至ったのか、リルネフは必至にバリアを維持しているエディルに話しかける。
「エディルさん!」
「あぁ……どう、した…………何か……思いついたか?」
「無理を承知でお願いします」
「……」
「巨大な水の塊を作ることは可能でしょうか」
「……できるが、それをどうするつもり、だ?」
「先ほどから、エディルさんはバリアとして貼った水で光を屈折し、分散させることで我々に届く光を軽減していましたよね」
「ああ……そうだが……」
「であれば、逆に光を収束させることも可能ですよね?」
「……!」
「………私の言いたいことが、分かりますか」
「……ああ…!………やってみよう…!」
「何か思いついたんですか!?」
「ああ、これなら、もう少し、無茶をすれば、どうにかっ!」
そう言いながら、エディルはバリアを維持した状態で新たに水の塊を作り始めた。
今まで以上に苦痛にゆがんだ顔をしながら、生成した滴を大きくし続ける。
「……リヒト、あなたの持つバルムンクに集めた光をかざします!」
「!……そういうことか、分かった!」
二人の意図をようやく読み取ったリヒトは滴の下にバルムンクを配置する。
「………このくらいで、どうだ……!」
大人が頭を抱えれば入れるくらいに成長した滴が空中に浮いている。
どうやら生成した水滴は空中に浮かせることもできるようだ。
「リルネフ……頼む……!」
「はい…!」
リルネフが巨大な水滴に手を当てると、水滴はほんの一瞬で氷塊へと変貌した。
それだけでなく、氷は意思を持つかのように形を変え始め、多面体へと変わる。
その多面体から、膨大な光エネルギーが集められ、地面に向けて照射された。
バリアの内部はかろうじて植物が生存していたが、集束された光を食らった個所は外のように跡形もなく焼け焦げている。
「リヒト、今です!」
「ああ!」
虫眼鏡の要領で集束した光を、バルムンクに当て、空へと反射し、ヴィゾフニルの位置を探る。
「くっ……このあたりか……うぅ……」
バルムンクは剣や柄にかかわらず、どの個所も同じ素材でできているため、持つ部分によって熱伝導率が変わるわけではない。
よって、反射するために剣部分に受けた光による熱は、柄へダイレクトに伝わる。
手が灼けるように熱くなり、今すぐにでも離してしまいたくなる。
だが、それではこの状況は覆せないし、何よりエディルさんは自分以上にエネルギーの影響を受けている。
……ここは、どうにか耐えるしかない。
バルムンクの角度を調整しながら、光の照射位置を変え続ける。
すると、
先程と同じような鳥の鳴き声が聞こえたと同時に、世界を照らしていた膨大な光や熱が弱まった。
「!……いけたか……!……うっ!……」
もう耐えられないと言わんばかりに水のバリアを解除し、その場に倒れこむエディル。
その手のひらは熱で皮膚が焼け、血がにじみ出ているほど真っ赤に染まっていた。
「大丈夫ですか!?」
「僕のことはいい!……早くやつを仕留めてくれ!」
「分かりました!」
エディルからの指示に従い、すぐさまバルムンクを手に持ち、空中へ飛びあがる。
まだ持ち手は熱いままだが、そんなことを気にしている場合ではない。
ヴィゾフニルはこちらに向かって飛んできた黒い影を敵と視認する。
先程、自身から発せられた光を増幅して返された影響で、その金色の輝く羽や胴体の表面は見るも無残に焼け焦げていた。
このままではやられてしまうと逃げを決め込むも、焼かれた羽のせいでうまく飛ぶことができず、地面に落下しそうになっている。
この隙を逃してはならない、とリヒトは猛スピードで空中を飛び、ヴィゾフニルに近づいていく。
ぐんぐんと距離を縮める。
明らかに自分の方が遅いにもかかわらず、バタバタと駄々をこねる子供のように飛ぶ怪鳥。
それに向かって流星のように飛んでいく死神。
―――――そうして
―――――空中を、黒い一閃が駆け抜ける。
先程まですべてを焼き尽くしていた光源は、耳をつんざくような絶叫を上げながら、塵となって跡形もなく消えた。
「大丈夫ですか、エディルさん!?……手が……」
怪鳥を倒したその後、地面に倒れこんでいる水の騎士を心配し、駆けつける死神。
「ああ……大丈夫では……ないな…………それよりも、リヒト……ヴィゾフニルは……」
「もう、倒しました。……あなたのおかげです、ありがとうございました」
ここまでして自分に味方をしてくれたことが申し訳なくなってくる。
「いや……お礼なら……リルネフと……ソフィーに……言ってやってくれ……この状況を乗り越えることができたのは、……彼女たちのおかげだ……」
しかし、真っ赤に染まる痛々しい手でありながら、今まで笑うことがなかった騎士は、こちらに向かって精一杯の笑顔を見せた。
「……!……はい…………ありがとう、二人とも。君たちのおかげで、奴を倒すことができた。……本当に、ありがとう」
「ええ、こちらこそ……」
熱と脱水症状になって倒れているソフィーを介抱しながら、リルネフが答えた。
エディルのような“笑顔”といえる表情ではなかったものの、どこか満足げな顔をしていた。
「……………………………ぁ………あ……あ、れ?」
「目を覚ましましたか?」
ようやくソフィーが目を覚ました。
「………うぇ!?私、何してっ!?」
リルネフに膝枕をされた状態からガバッと素早く起き上がる。
「(………すごい……柔らかかった///)」
「ん?どうかしましたか?」
「あ!い、いいいいや、何でも…ないよ…あ、あはははは……」
言えない。
同性の子の太腿の柔らかさに少し興奮してしまったなんてとてもじゃないが言えない。
それに、そんなこと言ったら彼女の人間嫌いが余計加速するに決まっている。
ここは誤魔化すのが最適な判断だ。
「……あっ、エディルさんは?かなり辛そうだったけど…」
「先ほどまでリヒトが手当てしていました。ほら、そこに」
リルネフが指をさした方向には二人がいた。
エディルの両手には真っ白な包帯が巻かれていて、見ているだけで痛々しかった。
それでも、元気を取り戻したのかいつも通りの無表情に戻っていたのでそこは一安心だった。
「ソフィーも目を覚ましたようだな。無事で何よりだ」
こちらに気が付いたようで、ソフィーの安否を心配している。
「それはこっちの台詞ですよぉ。ほんとに大丈夫ですかその両手……まだ痛いとかありませんか」
「そりゃあ痛い。けれど、必死に耐えていたあの時よりはまだましな方だね」
元気が戻ったのは良いが、少し余裕そうな雰囲気を漂わせているので、帰ったら是非ともベッドの上で安静にしてもらいたい。
「ならいいですけど……あ、リヒト君、もう敵とかいないかな?」
「さっきから辺りをくまなく探しているが、それらしいものは見当たらない。もう大丈夫だろう」
「はぁ~、良かったぁ~」
とりあえず、当分襲われないことが分かって肩の荷が下りた。
「……じゃあ、全員こうして無事なわけですし、神殿に向かいますか!」
「ああ、そうしよう」
水の神殿の内部構造は、炎の神殿のものと全くと言っていいほど変わらず、内部の開けた空間に台座とエレメントが存在するだけである。
「ここに君の剣をかざせばいいんだな」
「はい」
「包帯越しでも大丈夫か?素手で触らないと認証されないとか…」
「その辺は大丈夫です。あくまで騎士が剣を持っていればいいんで…」
そう言われて、エディルは包帯で包まれた両手にバルムンクを乗せ、エレメントにかざす。
フレイアの時と同じように、エレメントがバルムンクの内部へ吸い込まれるようにして消えていった。
「これで完了、だな」
「はい、ありがとうございます」
水のエレメントも取得できた。
あと半分だ。
神殿を後にする一行。
先程の戦いから2㎞ほど離れた地点だが、ここからでもヴィゾフニルの能力による被害が確認できた。
地面に敷かれた緑と茶の境界がくっきりと見て取れる。
一方は植物が生い茂った豊かな土地なのに、もう一方ではあらゆる生物が死滅した鋼の大地と化している。
そのコントラストは生命種の繁栄と絶滅を表しているようで、美しくもおぞましいと思えるほどだ。
「本当に、強敵だった。正直、あんなのとはもう戦いたくないと思えるほどにね…」
「すみません…俺のわがままに付き合ってもらって…」
「『人間の価値を証明するため』、なんだろう?それなら、背に腹は代えられない、そうだろう?」
「まあ、そうですけど……」
あとはただ帰るだけだというのに、四人はものすごく疲れている。
熱と光にやられてしまった脳を回復させたい、とだれもが思っている。
「あの…ふと思ったんですけど」
ソフィーが疑問を口にする。
「どうして草と木は違うんでしょう?」
「ん?」
「どっちも植物で同じ太陽の光を浴びてるのに、全然成長の仕方が違うなって…」
「ああ、それは“放射乾燥度”と呼ばれるものの違いだろう」
エディルが答える。
「“放射乾燥度”?」
「“放射乾燥度”というのは、『一年間で放射された太陽のエネルギー量』を、『一年間で降った雨水を全て蒸発させるために必要なエネルギーの量』で割ったものだ」
「???」
「まあ、そういうものがある、と思ってくれるだけでいい。この放射乾燥度の『数値』によって生成する植物が木になるか草になるかが変わる。放射乾燥度は1以上と1以下になるときがあって、『数値』が1を下回る場合は木、つまり森林が形成され、1を上回る場合は草、つまり草原が形成される」
「『1』ってなんですか?」
「その土地に水が残るかどうかの基準だ。放射乾燥度は太陽の光が当たるところでどれだけの水分が存在するかを示すもので、1を下回ると水分が残るから森林になり、1を上回ると水分がなくなって草になる、という感じだ。土地の高低差や形状の違いによっても乾燥度は変わるから、様々なところに森林や草原ができるわけだ」
「はえ~………全然わかりません」
「うん、わからなくていいかもね」
何を言っているのか全く分からない知識を聞き流しながら歩く。
「でも、話に聞いてた通りエディルさんて頭いいんですね。それ、図書館で勉強したんですか?」
「ああ、あの図書館は本当にいろいろな書物がそろっている。君も利用してみるといい。おそらくすべての種類の本があるはずだ」
「…………」
ソフィーとエディルの会話の花が咲く中、リヒトはその言葉を聞いて昨日調べたこと、そしてその結果を思い出した。
この町には、歴史に関する書物がない。
だが、王国の住人はそのことに何の疑問も抱いていない……今のエディルさんと同じように……。
「(……やはり、そういうことか)」
「ん?どうかしたかリヒト、考え事か?」
「ああ、いえ、何でも」
今ここで核心に触れることを言うべきではない。
「あの…」
すると、ソフィーが三人に向かって話かけてきた。
「ちょっと休憩していきません?さすがに疲れちゃって……汗もかいてるし……なんか、きれいさっぱり流したいな~って、どこかに川でもあればいいんですけど…」
「それもそうだな。…………ん、あそこに」
包帯ぐるぐる巻きで指を差せないエディルが顎で示した方向には、澄んだ水が流れる川があった。
「ヴィゾフニルの光の範囲から外れていたんだろう。あそこで少し休もう」
というわけで、しばし休憩だ。
「はぁ~生き返る~」
靴を脱いで岸に腰かけ、川に脹脛付近まで足を浸けているソフィー。
手が使えないエディルはリヒトに靴を脱がしてもらい、5m程離れた場所で涼んでいる。
その隣でリルネフは作り出した小さな氷塊を渡していた。
今日の功労者に感謝を込めて、彼女なりの労いをしているのだろう。
その光景を見て、リヒトは嬉しくなった。
リルネフも、順調に人との交流を深めつつあるようだ。
すると、ソフィーが話しかけてきた。
「リヒト君、こっちこっち」
「ああ、うん」
リヒトに隣に座るよう促す。
「………気持ちいいな、冷たくて………」
「ね~、なんか今日はいつもと比べて暑かったし、こんな形だけど涼みに来れてよかったっていうか~………やっぱりまだ暑いなぁ…………もう、脱いじゃえ!」
「え?」
間の抜けた声を出すリヒトを差し置いて、ソフィーは着ていた服を脱いだ。
一応、布地が薄く面積が広い黒い下着をつけていたため、完全に肌をさらしたわけではないが、白く厚ぼったい上着を脱いだことで、くっきりとボディラインが見えるようになった。
前々からスタイルがいいとは思っていたがまさかここまでとは思わなかった。
「はぁ~、暑苦しい上着もキャストオフ!これで完璧!」
本人は恥ずかしいと全く思っていないようだが、目の前でこんなものをお出しされたら誰だって驚くような、育ちに育ったその双丘に視線が奪われてしまう。
「……………」
「ん?リヒト君、こっち見てどうしたの?」
「………何も」
必至こいて感情が表に出ないよう努めるのだが、顔が赤くなっているのは誤魔化しようがない。
「顔赤いよ?…もしかして熱中症!?ちょっと顔貸して!」
強制的に顔をそちらに向かされ、額に手を当てられる。
彼女の小さく柔らかな手の感触がダイレクトに伝わってくる。
もう目を逸らさないとやってられないくらいに恥ずかしい。
「……う~ん、熱はないか……どっちかというと頬っぺたの方が熱そうな……」
「えっ、ちょっ///」
そう言うと、今度はリヒトの頬に手を当て始める。
二人は顔を見合わせている。
さっきよりもはるかに顔が熱くなる。
まるで熱した鉄板のようだ。
ヴィゾフニルの光なんて比じゃないくらいすべてが熱い。
物理的にも心理的にも距離が近すぎる。
もう……終わってほしい…………………けど、終わってほしくないと思う自分がいる。
一体、俺の心はどうしたというのだろう?
「俺、死神だけど……こんな思いしていいのかな///……」
「どういうこと?……ん~、なんか元気そうだね。まあいっか、それなら」
パッとソフィーの手が離れる。
ようやく顔を放してくれた、すまない本当に心臓が爆発するところだった。
リヒトは自分の気持ちが気付かれなかったことに安堵するとともに、安心感を覚えていた。
こんな風に自分に接してくれる人がいるなんて思わなかった……。
「ソフィー」
「ん?どうしたの?」
「………ありがとう///」
「えっ、なんで顔赤くなってるのぉ」
笑いながら指摘してくる。
釣られて、こちらも笑ってしまう。
彼女の笑顔はとてもまぶしくて、年頃の少女らしく可憐で、子供っぽかった。
ここまで癒されるとは、思ってなかった。
……ありがとう、俺を笑顔にしてくれて……。
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