第五話 夢想の町
炎の神殿から帰還した翌日、リヒトは熟睡していた身をたたき起こした。
あの後、二人からやんややんや言われてしまい、帰るころには精神がくたくたになっていた。
あれ以上の地獄は今までにないくらいだ。
まあ、あらかじめ伝えていなかった自分が悪いのだが。
ガチャッ、と自身が寝泊まりしている部屋の窓を開ける。
幸い、今日は雲一つない、というわけではないが紛れもない晴天だった。
空を覆う藍を見て、心まで晴れやかになる。
透き通った空気が喉を通り肺へと入り込んでくる。
……ああ、とても清々しい気分だ。
王様が設定した旅の計画では、今日は休日にあたる。
というのも、使命のことで働きづめだと心身共にもたないから、という理由で王妃が時々休日をはさむような予定にしてくれたらしい……王は不満だったそうだが。
やはりヘンダー王から相応の信頼を得るにはまだまだ時間がかかりそうだ。
……さっきまでさわやかな気持ちだったのに少し陰りが入ってきてしまった。
それでも、王様はああいう人だから仕方がない。
その仕方なさを忘れるくらい休めば問題ないだろう。
そう思っていると、部屋の扉がコンコンと叩かれた。
いったい誰だろう?
「リルネフです。部屋に入ってもいいですか?」
「ああ、いいよ」
外からの質問を肯定してすぐに扉が開かれた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
リルネフは相変わらずの無表情であるが、少し声に覇気が出ているように思えるのは気のせいだろうか。
「まあね、そっちこそ何かいいことでもあったりした?」
「……特に何も」
「何か隠してる?」
「いえ、そんなことは…」
リヒトは少し怪しんだものの、恐らくリルネフは性格上答えようとしない。
ここはあまり深く追求すべきではないだろう。
「そういえば、何か用事があったりする?休日なのにこんな朝早くから俺の部屋に来るなんて」
「ええ……ソフィーとの約束、覚えていますか?」
「……あ」
すっかり忘れていた、『増幅装置』のデメリットのことを。
「まずいな…その…ソフィー、怒ってたりする?」
「いえ、あの様子では怒る気力もないかと」
ますますまずい。
「早く行ってあげないといけないな」
「それは大丈夫です。ソフィー自身がやっぱりいい、と言っていたので」
ん?
どういうことだ?
「ソフィーに何かあったりしたのか?」
「私の看病はいいからもっとアスガルド王国のことを知ってほしい、と言っていました。私はカリンに先にこの国を案内してもらっていたので、あなたが適任だ、とも」
なるほど、彼女は俺にこの国を案内したかったらしい。
リヒトは若干嬉しくなりつつも、自分の所為で案内できなかったことを申し訳なく思う。
「その、後で謝っておくべきかな」
「あなた自身が、その方がいいと感じるのであれば」
あくまで謝罪は本人に任せるという姿勢のリルネフ。
人間嫌いだから仕方ないと言えば仕方ないが。
「じゃあ、今日俺は君に町を紹介してもらうってことか」
「ええ、それを休日と言っていいかは少し疑問ですが」
何もしないことが休日、というわけではないので、ここは旅人らしく様々な場所をめぐるとしよう。
「分かった、すぐに支度するから、先に待っててほしい」
「了解、それではまたあとで」
準備は整った。
休日である以上、少しラフな格好をしたいと思ったリヒトは普段よりも幾分か軽めの服装で行くことにした。
普段は厚く黒いコートを着ているが、今回の休日はどこにでもいるような普通の町民っぽい服装に着替えた。
まあ、それでも黒が主体の色になっているのはご愛嬌だが。
しかも、悪事ができないように“死神”だと分かるような服装にしてほしいと王様から指令があったので、確実に目立つだろう。
二階建ての宿屋の階段を降り、ロビーへ向かう。
「おや、今日は早いじゃないか」
宿屋の主人が話しかけてきた。
最初の頃は印象最悪のエンカウントで、宿屋に止まることになってからも嫌な顔をされていたが、何度か話をしたり、仕事を手伝ったりしているうちにそれなりの世間話はできるようになった。
「はい、この町を案内してもらうので」
「……なんというか、思っていた印象と違ったな」
「印象が違う、ですか?」
「ああ、この町に君が来た時、今まで感じたことのない恐怖心が襲ってきて、君のことを無意識に否定してしまっていた。だが、こうして数日顔を合わせたり、仕事をしたりしているだけであっという間に打ち解けてしまったのは、少し拍子抜けだった」
憑き物が落ちたかのような穏やかな表情でリヒトに話しかける主人。
「あなたはおかしくないですよ。俺は今までどこに行っても化け物扱いされてきましたから。こんなに早く打ち解けてしまうのは、きっと、あなたが善い人だからでしょうね………本当に」
「そうかい、それはありがとう」
少し悲し気に答えるリヒトに気づかず、主人は嬉しそうに返す。
「……では、いってきます」
「おう、行ってらっしゃい」
軽快に返事を送ってくる主人。
自分が来なければずっとこんな感じだったのかな、と思いつつリヒトは宿屋を出る。
すぐ外ではリルネフが待っていた。
彼女は服装を変えようとはしない、ずっと同じフードを被り、丈の短いスカートを履いたいつもの姿だ。
女の子らしく服飾に興味を持ってくれればいいのだが、本人的になかなかそうもいかないのだろう。
「少し来るのが遅かったようですが、どうかしたのですか」
「ああ、主人と少し世間話を」
「そうですか……ではいきましょう」
彼女の淡々と仕事をこなす無機質さは見習いたい。
最初に訪れたのは、アスガルド王国の東側。
炎の神殿に向かう際に通ったはずだがいまいち覚えていなかったので復習がてら見て回ろう。
東の町は住宅街のようで、大中小様々な大きさの家が連なっており、また多くの人が行きかっている。
街中には公園や噴水なども見られ、老若男女楽しんでいる様子が見受けられる。
「にぎやかだな…」
「ええ、私たちが訪れたどの町よりも活気にあふれています」
まあ、それはどこの地域の人も自分たちに辛辣だったから、というのもあるかもしれないが。
こちらを怪しむような目線を投げる人はまだいるものの、それでも当初訪れた時よりかは大分マイルドになった気がする。
これも王妃と四騎士の人徳がなせる業だろう。
「俺も、こういう町に生まれてきたかったな」
「………すみません、そんな気持ちにさせるわけには」
「いいよいいよ、さあ、見て回ろう」
二人は東側をくまなく回ることにした。
およそ一時間後、軽くではあるが町を回り切った。
「かなり広かったな」
「広い、というよりかは住宅が多くて複雑なので案内に時間がかかったかと。ただ、西、南、北もここと同じように多くの施設が存在するのでもっとかかるかもしれません」
「本当か、こりゃあ一日つぶれるな」
やっぱり今日を休日と言っていいかわからなくなってきた。
今度は王国の南側へやってきた。
どうやら一周ぐるっと回るルートで案内してくれるようだ。
南側は農耕を主体とする地域のようだ。
家の数は恐らく南側が一番少ない。
だが、仕事にいそしむ人たちの姿はどの町よりも活気がある。
すぐそばの小屋からは元気そうに動き回る動物たちの鳴き声が聞こえてくる。
恐らく、食肉への加工もここで行い、町の至る所へ輸出しているのだろう。
「……動物との共存、ですか」
リルネフの発言で意味深な雰囲気になる。
「食肉に加工するために動物の命を奪う、という光景を普通の暮らしをしている人間たちは見ないのでしょう」
「ああ、『動物たちの命を奪う』という役割を担う人たちのおかげで、俺たちは肉を食べれている。……やっぱり、動物たちがかわいそう、って思うか?」
「……ええ。ですが、他の生き物の命を奪う、という生存方法を行っているのは決して人間だけではありません。オオカミやクマなど、雑食や肉食の動物たちは皆当たり前に行っています。決して人間だけが特別なのではありません」
生きるためにほかの命を奪う、という行為が必要不可欠なのは人間嫌いの彼女も理解してくれているようだ。
「私が人間を嫌っている理由は…“生きるために殺す”のではなく“殺したいから殺す”という理由で殺害行為をしてしまうことがあるからです。やはり、どうしてもそこは好きになれない。この世界が〈平和の星〉になればいいのに、と何度思ったことか……」
かみしめるように本音を吐き出す。
彼女の発言に思うところがあるのか、しばらくためてからリヒトは聞き返した。
「じゃあ、それ以外は好きになりつつある、ということ?」
「……分かりません。……ここにきてから、自分が本当に人間の全てを嫌っているのか、私には…」
「君は人間の全てを嫌っているわけじゃない。…だって、俺と一緒に使命を果たすと約束してくれたし、ソフィーや四騎士の方々とも仲良くできそうな雰囲気はあるし。ほら、特にカリンさんに気に入られてるから」
「あれは、その、彼女が勝手に、気に入っているだけで」
少し恥ずかしいのか、キチンと被れているはずのフードを深く被りなおすという特に意味のない行動を見せる。
かなり絆されてきたようだ。
「あはは、ほんとは嬉しいんだろうけど、しつこく攻めるのはやめとこう」
「…別に、嬉しくないです」
フードで隠れた顔は普段は蝋のように白いのだが、今は頬の部分が赤く染まっている、照れ隠しくらいはできるようになったようで安心安心。
「まあ、人間の好き嫌いはこの辺にしておいて、また案内頼むよ」
「…了解です」
次に訪れたのは町の西側。
こちらは数多くの店が連なっている、所謂商店街というやつだろうか。
店の前で客の呼び込みをやっている人も見受けられる。
ソフィーが言っていたようなカフェや魚屋、八百屋、肉屋、花屋、など、店の種類も様々だ。
中にはバーなんてものもある、リヒトはすでに成人しているので飲みに来れるが、“死神”にそんな権限があるだろうかと自分で思わなくもない。
「バー…ってことは居酒屋か。そういえば君は」
「一応酒類は飲めます。二十年以上は確実に生きてるというのはあなたも知っているのでは」
「そういえばそうだったね…ソフィーとは一緒に飲めないのが残念だけど」
彼女が成人したとしたらどのくらい酒を飲むのだろう、とイフを妄想してみる。
「彼女であれば一杯も飲み切らないうちに酔いそうですが」
リルネフはとっくに妄想していたようだ。
「俺もそう思う、ソフィー酒弱そう」
こんなこと彼女に面と向かっていったら失礼だろうか、まあ間違いなく失礼だろう、まだ会って数日しか経っていないのだし。
ただ、あそこまでポジティブなのであればそのくらい平気で受け流せそうな気もする。
「あのバーには一度カリンに連れて行ってもらったので、あなたにも紹介しておきましょう」
そういってリルネフはリヒトをバーへ連れていく。
『バー・ガフー』という店は酒屋なのだが、メニューが豊富なため、基本的にどの年齢の人でも、例え子供であろうと入ることができる。
店内の様相はかなりおしゃれであり、天井からはシャンデリアがぶら下がっている。店のそこかしこには大人数で来客した時のためのテーブルがいくつもあり、奥の方には一人用の椅子が複数と木製のカウンターが備わっている。
そして、そのカウンターには一人の男性がいた。
スキンヘッドのいかつい風貌の男性が、タオルで食器を拭いている。
ここの店主のようだ。
「あの、すみません」
リヒトが恐れ多く話しかける。
「おや、君は初めてですね、いらっしゃい、『バー・ガフー』へようこそ」
強面の風貌から繰り出される丁寧口調に衝撃を受ける。
「あの……店主の方ですか?」
「はい、私の名前はアルガンと言います。どうか覚えていただければ幸いです」
こんな見た目であんな口調なのだからすぐに覚えるに決まっている。
「ここに案内されてきたのですね…あ、あなたは知っていますよ、風の騎士のカリンさんが連れて来た旅の方でしょう、リルネフさんですよね」
まだ一度しか会ったことのない相手の名前をすぐ覚えているあたり、観察力がしっかりしている人のようだ。
「はい、旅仲間であるリヒトをここに連れてきました」
「リヒト君…いや、さん、でいいかな?」
「お好きな方でどうぞ」
「じゃあ、リヒトさん、と呼ばせていただこう」
取引先の先方に対する挨拶のようなやり取りをする二人。
「このバーはよく人が来るのですか?」
「ええ、おかげさまで。メニューも色々用意しているので、お子様連れの方もいらっしゃいます」
「あまり堅苦しい雰囲気ではないんですね」
「はい、私はお客さんが良い思い出を作って帰っていただければそれでいいのです」
「……良い思い出、ですか……」
「いつかは忘れてしまうものであったとしても、それが輝かしい記憶だったという事実は決して消えないでしょうから。過去へ遡れたりしないでもない限りね」
「「………」」
アルガンの核心を突いた発言を二人は黙って聞いていた。
「…少ししんみりさせてしまいましたかね、すみません。……そういえば、まだ案内していない場所があるのでしたらお早めに。一日は思った以上に短いですから、ね」
「そうですね…そうします。ありがとうございました」
礼を言って二人は店を後にした。
最後に訪れたのは王国の北側。
こちらは他の町と比べて特に目立った特徴はない。
だが、他のものと比べて何倍も大きい建造物が町の中心に立っていた。
「ここは……」
「ここは図書館です。様々な書物が収められています」
建物に入ると、目の前には多くの書物が収められた巨大な本棚が所狭しと並んでいた。
「ここでは本の貸し出しも行っているようです」
「なるほど……ちょっと見て回ってもいいかな」
「ええ」
リヒトは昔から本を読むことが好きだった。
外で遊ぶことは滅多になく、晴れの日も雨の日も、一年中本を読んで、知識や物語の世界に入り込んでいた。
――――――それしか楽しみがなかったのだが。
自分の身長の倍近くもある本棚の並びに圧巻されながら内部を見て回る。
「ここの図書館、自分も見たことないくらいに本が充実してるな。見たところ、一冊も同じ表紙の本がない」
「ええ、そうですね。ただ…」
「ん?どうかした?」
リルネフの発言内容が気になり、聞き返そうとしたその時…。
「おや、君たちは…」
近くを通りかかった男性が話しかけて来た。
見知らぬ人、ではない。
青い髪に整った顔立ち。
腰に携えた剣。
服装こそ違うものの、彼は『四騎士』の一人、“水の騎士”のエディルその人だった。
「エディルさん、こんなところにいたんですね」
「ああ、まさか君たちが来ているとは思いもしなかったが…」
いつも通り無表情だが、声は少し弾んでいる。
何かいいことでもあったのだろうか?
「なんか、嬉しそうですね」
「そうかな…僕は基本的に本を読むのが好きだから、図書館という場所にいるだけで嬉しいのだけど」
「あなたも本を読むのが好きなんですね。俺もです」
「そうか、意外なところに本好きがいたものだ」
「今何か読んでたんですか?」
「ああ、読んでいた、というより、勉強だな」
そういってエディルは懐から複数の本を取り出した。
どれも分厚く、とても一日では読み切れないほどのボリュームがある。
「これは…」
「見ての通り、言語や数学、自然科学の本だ。僕は読書以外にも勉強が好きだから、こうしていろいろな本を借りて、自分の部屋で勉強しているんだ」
「なるほど…というか、皆さんはどこで暮らしているんですか?」
「基本的には、アスガルド城で暮らしている。フレイアに初めて連れてきてもらった時、僕たちの部屋の前を通ってきたはずだが、気づかなかったか?」
そうだったのか。
さすがにあの時は緊張していたので、そこまで城の内装を気にする余裕は精神的になかった。
「気づきませんでした。てっきり、町で暮らしているのかと…」
「ヘンダ―王は気難しい人間性を持っている。いつ自分が襲われるかわからないから、という理由で、僕たち四騎士を自分の城に住まわせているんだ。…少し自分勝手だなと思わなくもないが、その代わり家賃を払わなくていいとのことだから、その分こちらは金銭面で余裕ができるのでありがたい」
やっぱりあの王様は身内には優しすぎる。
「…皆さんは“家族”には連絡を取っているのでしょうか」
「家族、か。……僕たちにはいないな」
「……………そうですか」
「どうかしたか、急に暗い顔をして」
「いえ、何でもありません」
「そうか……明日の旅は確か僕の番だったな。僕が使う水の魔術と同じで、水の神殿に向かえばいいのだろう?」
「……はい、よろしくお願いします」
リヒトの元気のない返事に頷くと、エディルは借りた本を持って図書館を出て行った。
リヒトの気分を表すように、窓から地平に沈む夕焼けが顔をのぞかせ、彼の沈んだ顔がシルエットのように黒く染まる。
「……」
再び彼が口を開くまで、リルネフは何も言わないでいた。
「リルネフ、この図書館をもう少し見て回ってもいいかな?」
「……あなたのしたいこと、いえ、調べたいことはわかります。私も付き合いましょう。薄々勘付いていたことですが」
二人は図書館中の本を手当たり次第調べ始めた。
もうすぐ日が落ちて図書館も閉まってしまう。
館内で仕事をしている司書の何人かから、もうすぐ閉まってしまうので早くしてほしい、と急かされてしまった。
二人は時間が許す限りありったけの本を調べさせてもらい、あわせて百冊ほどの本を流し読み程度に目を通した。
物語、論文、学問、エッセイ、なるべく様々なジャンルの書籍を確認した。
時間が過ぎ、二人は図書館を後にした。
辺りはすっかり暗くなっている。
ここからソフィーがいる宿屋までは一時間くらいだろう。
二人は歩きながら、図書館で調べた内容や情報を共有する。
「……あの図書館、やっぱり……」
「ええ、間違いありません」
読めなかった書籍は沢山あったし、本棚から取り出さずに背表紙を視界に収めただけの書籍もそれ以上にあった。
それでも、二人とも、“あること”に関する書籍だけは、見つけることができなかった。
あの図書館には歴史にまつわる書物が無い。
百冊程度の本を流し読みしただけであるが、アスガルド王国の過去、どの時代に何が起こったのか、そのあらましを断片的に書いたものさえ、あの施設には一冊も存在していなかった。
「あれは……そういうことなんだろう」
「ええ、私たちの予想した通りです。ここの住人たちは、間違いなく……」
この真実を伝えるべきかどうか、二人は悩んだ。
話すべきなのだろうが、この真実を話してしまえば、リヒトの使命は達成できなくなってしまう可能性がある。
それだけはどうしても避けたい。
「……黙っておいた方がいい、のかな」
「それがいいでしょう。…………第一、使命が終わってしまえば、この王国とはそれまでです。話す必要性は…」
「……………」
リヒトのやるせない顔を見て、発言がしづらくなってしまう。
「わかりました、発言するかどうかはあなたに委ねます。ただし、どうなるかは私にもわかりかねるので注意してください」
「……うん」
リヒトはその見た目や年齢に似合わない幼い少年のような返事で答える。
宿屋へ戻ってきた。
扉からは室内の明かりが桶から漏れ出す水のように流れ出ている。
「ただいま戻りました……」
別にいつ帰ってきても良いにもかかわらず、門限を守らなかった子供のようなか細い声で帰宅を伝えるリヒト。
「おや、二人ともお帰り。どうだったかね、この町は?」
ロビーで仕事をしていた主人が二人の帰りに気がついてこちらへやってきて町の感想を聞いてくる。
「ええと……とても、いい町ですね、とても……」
「そうかそうか、いい町か。旅人からそんな風に思ってもらえるとは嬉しいもんだ」
「………そういえば、ソフィーはどうしていますか?」
「ああ、ソフィーなら午後から私の仕事を手伝いに来てたよ。すっかり元気になって…」
どうやら体長は元通りのようだ。
ちなみに、体調を崩したのが魔力行使による反動だとは主人には教えていない。
その主人もリヒトに対して普通に接していることからソフィーは、体調不良の原因がリヒトにある、と話さなかったのだろう。
やはり申し訳なくなってきた。
「ソフィーが君に会いたがっていたよ。早く行ってあげなさい」
その上、原因である自分に会いたがっているというのだから本当に申し訳が立たなくなってくる。
リヒトは主人にお礼をし、急いで二階に上がっていった。
ソフィーが普段寝泊まりしている部屋の扉をコンコンと二回軽くたたいた。
「どちら様ですか~?」
扉をたたいた時以上に軽い声が聞こえた。
「俺だよ、入ってもいいかな?」
「え、リヒト君!?あ、いいよ入って!」
驚きすぎだろと思いつつ中に入る。
部屋の中ではソフィーがベッドに腰かけていた。
今日は一度もソフィーの顔を見ていなかったので新鮮な感じがしたが、そこにはいつも通りの元気な彼女の姿があった。
「お帰り~。どうだった今日は?楽しめたかな?」
「うん、一日かけて街を案内してもらったけど、ここまで疲れるとは思ってなかった」
「良かったぁ、私の好きな町の魅力が伝わったみたいでなにより。リルネフちゃんもありがとう。私の願望に付き合ってくれて」
「嫌ではないので、このくらいのことであれば」
「もう、相変わらず照れ屋さんなんだから~」
「照れてません」
すぐさま言い返すリルネフ。
ちょっと顔が赤くなっている。
もう本音を隠す必要はないんじゃないかと思わなくもないが、彼女のプライドが許さないのなら仕方がない。
「ただでさえ使命のための旅をしてるのに、重ね掛けみたいな感じで町を旅させちゃってごめんね。あ、もし何か気になったこととかあったら聞かせて」
「こちらこそ、俺のせいで案内させてあげられなくて、ごめん。……ええと、そうだなぁ……あの『バー・ガフー』ってところに行ったけど」
「あ~あそこね。私も行ったことあるけどまだ未成年なんだよねぇ。リヒト君は二十歳でしょ、だからお酒飲めるのすごい羨ましいなぁ」
「そうかなぁ、一年の差なんてあまり変わらないと思うけど」
「ううん、結構変わると思うよ。一年もあればいろんなことができるだろうし。お酒への耐性とか、一年間でものすごく差がついてたりしたらなんか置いて行かれた気になりそう」
まだ飲めない未成年の分際で大人の世界を妄想してみる。
「酒は飲んでも飲まれるな、とはいうからさ、憧れるのは良いとしても、飲み込まれないようにね」
「は~い。……それにしても、“憧れ”、か」
「ん?どうかした?」
ソフィーが話題を変える。
「リヒト君は『人間の価値を証明する』っていう使命のために旅をしているんだよね?その願い、っていうか“夢”ってどこからきたの?」
「……なんで俺が“人類の価値を証明したい”って思ったのか知りたいってこと?」
「うん」
「……なるほど、分かった」
リヒトは自分の願望、“夢”について話し始めた。
「俺は元々、とある町で生まれ暮らしていたんだ。そこでは、俺は老若男女問わず皆から嫌われていた。“死神”として生まれてきたからね。……でも、一人だけ俺を忌み嫌わないでくれた人がいて、その人に俺は救われたんだ。だから“こういう人がいるから人間の世界も捨てたもんじゃない”ってことを証明したかったんだ」
「……そっか、その人のおかげで夢を持てたんだ」
そっと聞いてくれるソフィーの隣でリヒトは続けて話す。
「人は、誰でも自分を主体にして夢を見ることがある。ここで言う夢って言うのは寝ている時に見るものじゃない。もちろんそういうときもあるだろうけど、大体は頭の中で意識的に考えてること、つまり『妄想』だな。強い奴と戦ったり、頭がよくなったり、背中に翼をはやして飛んだりと様々だ。けれど、それらは夢見ている限り叶わないものであることに変わりはない。なにも実現可能か不可能かという話じゃない。強くなったり頭がよくなったりすることは可能だからその妄想には意味があるけど、人間は背中に翼を生やせないからその妄想は無意味だ、ということではない。どんな夢であっても、叶わなければ全部同じ、頭の中に思い描いているだけの“空想”に過ぎない。
…でも、重要なのはそこじゃない。人間っていうのはどんな時も未来を夢見る生き物だ。たとえ実現不可能であったとしても『こうなったらいいな』なんて起こるかどうかもわからない未来を夢想する。『夢を見る意味』って言うのはそこにあると俺は思う。重要なのは“見ている夢が叶うかどうか”じゃない、“夢を見ること”そのものに意味がある。どれだけありふれた夢であっても、たった一度の人生で、その人間が、自分の中で作り出したものだからこそ、そこには決して損なわれない価値が生まれる。たとえ、いつかは忘れてしまうものだとしても、「あんなのは幼い頃の夢だ」と過去の自分を卑下することになっても、自分が夢を見ていた過去は変わらない。その夢はその時の自分にとって、『生きるための指標』になっているものなんだって思う。」
「……うん、そうだね。…私も、リヒト君たちと出会って自分の夢を見つけられたから、その夢が叶うかどうかじゃなくて、夢を見させてくれたことに感謝しないとね。
………リヒト君、リルネフちゃん………ありがとう、私に夢をくれて」
明るい笑顔で二人に笑顔を向けるソフィー。
いつかは忘れてしまうものであったとしても、それが輝かしい記憶だったという事実は決して消えない。
バーの店主に言われたことを思い出して、リヒトは返答する。
「…どういたしまして」
ソフィーに対し優しい笑顔で返すリヒトを見て、リルネフは少し、心が洗われた気分になった。
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