第四話 神速へのアプローチ

 リヒトたちが王国にきてから4日が経ち、リヒトの旅の計画が本格的に練られることになった。

 リヒトたちは現在、ソフィーが泊っている宿屋の手伝いをしている。

 4日前に彼らを非難してきた宿屋の主人は、文句を言いながらも「四騎士が自分を頼ってくれるのなら」と、店の手伝いをすることを条件に宿泊を許可してくれた。

 今現在は町の人たちとの交流も図っており、最初は冷ややかな目を向けていたものの、リヒトの人となりを知って少しは会話が成り立つようになった人もちらほら出てきている。

 

 だが、ヘンダ―王はやはり旅人二人のことを完全に信用してはおらず、まだまだ彼らに対しては辛辣な受け答えをしていた。

 それでも、ファブニールを討伐したことや住民の避難を優先していたことはきちんと評価してくれたらしく、仕方なしに彼の使命の手伝いを引き受けてくれた。

 やはり身内には甘いようだ。


「っつうわけで、オレとお前らの三人で行くことになったわけなんだが…」

 今回の旅は王国の東側に位置する炎の神殿にある『炎のエレメント』の取得に向かうことになった。

 メンバーはリヒト、ソフィー、フレイアの三人。

 四騎士の中で一番最初に接触したのがフレイアのため、二人はそれなりにコミュニケーションがとりやすい人で良かったと内心思った。

 エディルとフィヨルンの男衆は、倒壊した建物の撤去や負傷した住民の手当て、食料配達など『街の復興』を任されたため、今回の使命には同行しないことになった。

「あれ?リルネフちゃんはどこですか?てっきり最初から旅に同行するかと思ったんですけど…」

「ああ。あいつならカリンに連れてかれたな。なんでも、この町をいろいろ案内したいんだとよ。『社会は個人だけで築かれるものじゃない。だから、もっと人と接していろんなことを知ってほしい』ってさ」

 そういえば、カリンさんに手を引っ張られてどこかに連れてかれていたような気がする、と城に収集されたときのことをリヒトは思いだす。

「そういえば、お前ら今どこに寝泊まりしてんだ?ソフィーと同じ宿屋か?」

「はい。宿屋の主人はソフィーに何とか説得してもらいました。今でも建物の中でばったり会った時は不審な顔をされますけど…」

「まあ、そんなもんだよな。いくら危害を加えないことが分かったからと言って、すぐにそいつらがいることを許容できるとは思えねぇ。それは人間として正しい反応だと受け入れるしかねぇよな」

 その言葉でリヒトの顔が暗くなる、もう何度この表情を見てきたことだろうか。

「さて、そろそろ行くか二人とも」

 フレイアは二人を促し先頭を進む。

 今現在彼らは町の東側を直進している。

 それもそのはず、目的地である炎の神殿は王国の真東にある。

 同じように、水の神殿、土の神殿、風の神殿もそれぞれ王国から向かって西、南、北を真っすぐ進んだ位置に存在する。

 なので、極端な方向音痴でもない限り迷うことはないはずだ。

「フレイアさんって方向音痴だったりするんですか。私それだけ心配です」

「馬鹿にすんなよなぁ!そんなことはねぇから安心しろ、町の中でも迷ったことはないからな」

 とりあえず『炎の騎士方向音痴説』は否定されたようで何よりだ。


 町を進んでいると、噂が広がっているのかこちらに視線を向ける人が多いように見受けられ、ひそひそ話も聞こえてくる。

 リヒトと交流がある人がいるのは、今のところ宿屋のある西側だけなので、東側の人たちとの交流はまだない。

 町を救ったはいいものの、やはりすぐに好印象に変わるほど世間は優しくないようだ。

 そんなことを気にしながら歩いていると、突然こちらにボールがコロコロ転がってきた。

 どうやら植物の蔓を編んで作られたボールのようだ。

 それを拾いに小さな子供がやってきた。

 見た目年齢八歳ほどの小さな男の子だ。

 リヒトは自分のもとに転がってきたボールを拾い上げた。

「これ、君の?」

「…」

 少年はゆっくりと頷いた。

 他の住民と同じく彼を恐ろしいと思っているのか、ただの人見知りなのかはわからないが、少年はおもむろに返されたボールを受け取った。


 すると、少年の母親と思しき女性が少年の両脇を掬って持ち上げ、リヒトからせっせと遠ざかった。

 “こんな恐ろしい奴に自分の子どもを近づかせるわけにはいかない”。

 リヒトに同行する二人も、あの母親が思っていることはすぐに感じ取れた。

 その目は恐怖とも軽蔑ともとれる色をしていた。

 何度も“死神”と蔑まれてきたので慣れてはいるが、やはり目の前でそれをやられると心にくる。

「…気にすんな、とは言わない。あんなことされたら誰だって気に病むさ。その悔しさを糧にして、こっから見返してけばいい」

 フレイアの助言に救われたような気がして、リヒトは足を進めた。



 町もとい王国を出て2㎞ほど歩いてきた。

 時刻はもうじき正午になろうとしている頃だ。

 ゆっくりピクニックでもしたい気分だが、生憎急いでいるので食べ歩きをするしかない。

 急いでいる以上走らなければならないのだろうが、ニーズヘッグやファブニールなどの魔獣を遣わしてくる何者かがいる以上、下手に体力は使えないので、歩いていくしかない。

 エレメントに対応した属性を持つ騎士以外の『四騎士』のメンツを連れて行かないのも、王国の護衛のためである。

「そういえば、フレイアさんたちとリヒト君は他の人と違って強い魔術が使えるんですよね?」

「そうだな。オレたち『四騎士』はそこの死神と違って魔導書なしに魔術を使用できる。ただ、大雑把なものだからコイツみたいに細かい応用の利く術にはならないがな」

「王国の人々は魔術を使える、けれどそれはとても弱いものだって言ってましたね、昨日」

「ああ。お前みたいに魔導書みたいな何かしらのきっかけがあればあの国の人々も強力な魔術を使えるのかもしれんが、残念なことに王国の図書館には魔導書なんてものがない。魔術を使えはするのに、なんでだろうな。…まあ、そんなことは別にいいか」

 町で買ったパンやら干し肉やらを口に詰め込みながら話をする三人。

 ……これはもうピクニック、というより遠足ではないだろうか。

「なあ、ソフィー。お前はなんでこの旅に同行しようと思ったんだ?一般人なんだから、ついてこなくてもいいんだぞ?」

 フレイアが突然そんなことを聞いてくる。

「そういえば、俺も気になってた。なんで俺の旅についてこようと思ったんだ?」

「え?…ええっと、それは……」

 顔をリンゴのように赤くしながら二人から目をそらし続けるソフィー。

「………“ついていきたかったから”…かな」

「あん?どういうことだ、お前別に死神でも何でもないんだろ?」

「はい…そうなんですけど………私、リヒト君から『使命』のことを聞いた時に、なんかすごく自分が変わったような気がしたんです」

「え?そうなの?変わったって、何が?」

 目が点になっているリヒトに向かってソフィーは話を続ける。

「…実は、今まで私には“夢”っていうものがなかったの。…あっ、“夢”っていうのは寝てるときに見る方じゃなくて、『願い』とか『なりたい自分』とかそっちの方の“夢”ね。……私、ずっと自分の夢が分からなかったの。他の人を手伝ったり、親切にしたり、そういう”誰かのため”の行動ならできるんだけど、”自分のため”の行動がずっとできなかったの」

「自分のための行動ができない?…でもお前、甘いものが好きなんだろ?甘いものを食べてるお前は自分のための行動ができてるんじゃないのか?」


「そう意味じゃなくてですね…さっき言った“夢”と同じです。…なんというか私って、できるかどうか、叶うかどうかわからないことのために行動することがなかったなぁ、って思ってたんです。町の子どもたちとか、同年代の人たちは皆『親の仕事を継ぎたい』とか『結婚して幸せな家庭を築きたい』とか、そういう“いつか叶うかもしれない未来”っていう願いを持って生きているのに、私はいまだに自分が何をしたいのかわからないままで…。ずっといろんな仕事を掛け持ちしていたのもそれが理由だと思うんです。きっと私は“自分”っていうものが分からないから迷っていたんです。何がしたいのか、自分は何なのか、その答えを見つけたくて色々してたら、益々訳が分からなくなって、結局、“誰かのために行動する自分”に逆戻りしてたんだと思います。…でも、リヒト君とリルネフちゃんに出会ったときに思ったんです。『人間の価値を証明する』って聞いた時、私は本当にびっくりしました。『誰かのために行動できるいい人』っていうのが私の唯一の取柄だったのに、それを簡単に越されてしまったんです。それが、なんていうか、“面白くて”。自分はあんなことで悩んでいたんだって馬鹿らしくなって。そして、あんなに悩んでた自分を解放してくれたリヒト君が、私にとってヒーローのように見えて。…だから、決めたんです。私、リヒト君の旅を最後まで見届けたい、自分よりもすごいことを成し遂げようとする人についていきたいって。それに……今の私、自分の夢が見つかったんです。この人と一緒に旅をしたら、自分が見たことのない世界が見られるんじゃないか、見たことのない世界を旅することで本当の自分を見つけられるんじゃないかって。だから…私、感謝してるんです、“旅人”としてここに来てくれたリヒト君とリルネフちゃんに。二人のおかげで、私は『世界中を旅したい』っていう自分だけの夢を見つけることができたんです……『もっといろんなところを旅したい』っていう私の夢が。」


 ……二人は、ソフィーの話を黙って聞いていた。

 フレイアは、今まで聞いたことのないソフィーの本音を知って少し興奮していた。

「…お前、そんな願望持ってたんだな…。そこまで語れるくらい『旅』っていうものに魅入られちまったのか…」

「…はい」

「アハハッ、こりゃあ責任取って世界中を旅させてやるしかねぇな、リヒト君よっ!」

 フレイアはいまだに黙っているリヒトの背中をバシバシ叩く。

「…………はい、そうですね……」

「なんだお前、自信なさげだなぁ。あ、さては女二人を連れて旅するのが恥ずかしいってか!コイツぅ、ませてんなぁ!」


「…………そうなったら、いいですね」


 フレイアのいじりとは裏腹に、リヒトの返事は衰弱した子犬のように弱弱しいものだったので、ソフィーは少しそれが気になった。


「……あの、フレイアさんにも“夢”ってあったりしますか?」

「あ?どうした急に?オレにも話せってか?」

「なんか…私とリヒト君の目標みたいなものはもう喋ったので、フレイアさんのも聞いてみたいな、って…」

「あー……オレは特にないかな。今みたいな生活ができてればそれでいいっていうか」

「…………ホントですか?」

 ちょっと探りを入れてみるソフィー。

「オ、オレは何も喋んねぇぞ、怪しい目でこっちを見るな!」

「…………………エディルさん」

「へっ!?///」

 発破をかけてみたが、どうも当たりと見える。

「エエエエエエ、エディルが、どどどどどど、どうしたって?///」

 この顔を赤らめて噛みまくっているあからさまな反応は、間違いなく脈ありだ。

「フレイアさん、エディルさんのことが好きなんですね?」

 もうこれは核心を突いただろと言わんばかりにソフィーが食いついてくる。

「すすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすす///」

 同じ文字しか言わなくなってしまったじゃないか。

「ふ~ん、これはこれは意外な弱点を見つけてしまったようですねぇ~」

 町の人達から良い人と評価をされた人間とは思えないほどの邪悪な笑顔を浮かべる悪魔がそこにはいた。

「まあ、これは本人には言わないでおきましょう。フレイアさんの口から伝えることに意味があることですからね」

 良かった、心まで悪魔にはなっていなかったようだ。

「お前ぇぇぇ///…なんでそれをぉぉぉ…///」

 さっきまでリヒトのことをさんざん茶化していたくせに、いざ自分に番が回ってくると、ダンゴムシのようにその場にうずくまったまま動かなくなった。

「フレイアさん、ファブニールから住民を避難させるとき、エディルさんの指示を聞いて顔が赤くなってましたからねぇ」

 今度はこっちが茶化す番だとでもいうように、リヒトが悪乗りに便乗してくる。

「……お前らァ///……後で覚えとけよォ///」

 怒りつつも全く照れが抑えられていないフレイアを見て楽しそうにしているソフィーとリヒト。



 ―――――――——その時、高速で何かが三人をめがけて飛んできた。



「くっ!」

 ガキンッ、とバルムンクと何かが金属のごとく撃ち合う音がした。

「!?…なんだ、敵襲か!?」

 先程まで照れていたフレイアはすぐさま感情を切り替えており、もう既に騎士としての顔になっている。

「そのようですね。姿は見えないですが…」

 三人はお互いが背中合わせになって周囲の状況を探る。

「いったい、どこにいやがる…」

 すると

「…!オラッ!」

「キャッ!?」

 ソフィーめがけて飛んできた“何か”を剣で弾き飛ばすフレイア。

 高速で飛んできたからか一撃がかなり重く、力ずくで返しても仰け反ってしまう。

「ここは魔術を使うしかないか。割と体力を持ってかれちまうが仕方ない」


『四騎士』はリヒトのような魔術書を利用することなく魔術を行使できる。

 だが、先ほど言った通り、具体性のない大雑把な魔術しか披露できない。

 フレイアの場合、せいぜい炎の大きさを調節できる程度だ。

 加えて、自身の体以外に書物という“媒体”を用いることで負担が減るため効率の良い魔術行使を行えるリヒトと違い、『四騎士』は自らの体のみを魔術行使の“媒体”にしなければならないので、負担が大きくなってしまうという難点がある。

「そうですね、ちょっと探りを入れましょう」

 リヒトは黒い書物『黒の印』を何もない空間からスッと取り出し、使用すべき魔術を唱えた。


「『弾丸射出クーゲルアウスフ』」


 そう唱えた途端、彼の手の先が黒い炎のようなオーラに包まれた。

「おい、なんか危ねぇことするんじゃねぇだろうな」

「まあ、当たったらケガすると思いますけど二人には当てないので大丈夫です」

 リヒトは右腕を前方に伸ばし、人差し指を突き出した。

 すると、片手に収まるサイズの黒い球体が突き出した人差し指から前方に勢いよく発射された。

 球体は飛んでいる最中どこにも当たらず、ドゴッと地面に小さなの穴を作るに過ぎなかった。

「お前とんでもねぇの出すな!当たったら普通に死んでるぞ!」

「ええ、なので注意してください」

「リヒト君?それってどういう…」

「しゃがんで!」

 その言葉を聞いて咄嗟に身を屈める二人。

 すると、指先から先ほどの球体が猛烈な勢いで連射され、射出している本人はぐるぐるとその場を回り始め、辺りに黒い弾丸を打ち込んでいった。


弾丸射出クーゲルアウスフ』。

『黒の印』によって発動する闇の魔術の一つであり、魔力を込めた黒い弾丸を射出する遠距離攻撃系の呪文。

 今現在リヒトが行使しているように、連射も可能であり、攻撃力もそれなりに高いため、取り敢えずコレ撃っとけ、の精神で使える汎用性の高い呪文だ。


「よし!オレもだ!」

 フレイアが負けじと、しゃがみながら前に突き出した掌から魔術で編み出した火球を連射し始める。

 ドドドドドドド、と近未来的な兵器のような重い音を響かせながら二人はその場で回転しながら辺りに弾丸を打ち込んでいく。

 すると

 ドガッという鈍い音と同時に動物のような悲鳴が聞こえた。

 恐らく、この悲鳴の正体が三人を襲ってきたモノの正体だろう。

「今、何かに当たったな!」

「ええ、二人とも周囲の確認を」

 三人そろって周囲を見回す。

 そして

「…あ、何かいた!あれじゃない!?」

 ソフィーが指をさした方向に目線を向けると、そこには金色に光る何かがいた。



 それは、金色の毛並みを持つイノシシだった。

 口元に生えた二つの牙はあらゆるものを貫通してしまいそうなほど鋭くとがっている。



「なんだ、あれは?イノシシ?」

「イノシシなら森でも普通に見かけますけど、毛の色はあんなに煌びやかじゃなかったはず…」

「ええ、あれは、『神速魔猪グリンブルスティ』。…恐らくファブニールと同じで、俺と敵対している何者かが遣わした魔獣でしょう」

 奇妙なイノシシの存在に首をかしげる二人にリヒトが告げる。

「あいつもかよ、厄介なヤツに追われてんな、お前…」

「はい、正直しんどいですね。それはともかく、ヤツの最も注意すべき点は”足の速さ”です」


 リヒトがそういった途端突然、グリンブルスティがこちらに向かって走り出してきた、否、それはもう瞬間移動としか言えないようなものだった。

「くっ!?」

「ガッ!?」

「アッ!?」

 目にもとまらぬ速さで三人に突撃を仕掛けてくる。

 ただでさえ速いのに、凶悪な牙まで搭載しているので非常に危険だ。

 そんな凶獣からまともに戦えないソフィーを守る必要があるので二人の負担は必然的に多くなってしまう。

「ご、ごめんなさい!私が、キャ!…ついていきたいって言ったばっかりに…」

「ああ、ンッ!…そうだな、けどよ、コイツと旅をしたい、ってのが、オラッ!…お前の夢なんだろ、最後までついていくって決めたんなら、ちゃんとついていってやれ!」

 突撃をはじき返しながら会話をする二人。

「けどよぉ、どうしたもんかなぁ…このままじゃ、クッ!…じき体力が尽きちまう」

「はい、それなんですけど、フンッ!…ここからだと、あと1㎞ほどで炎の神殿に着きます。もう目の前に見えてるはずです」

 確かに、三人の目の前には白い大理石で建てられた巨大な建造物が見えていた。

「恐らく、グリンブルスティは俺たちをこの先へ行かせないようにしているんです、体力の回復と作戦を練るためにもここは一時撤退しましょう」

「了解!“戦いは引き際が肝心”っていうからなぁ!」

 リヒトとフレイアは魔猪の猛攻を防ぎながら神殿から後退していく。

 神殿から遠ざかるにつれてだんだん攻撃の頻度が減ってきているので、リヒトの言う通り神殿への到達を阻止するために遣わされているようだ。


 しばらくして、攻撃が完全に止み、威嚇しているのか、グリンブルスティが三人を遠くからじっと睨みつけていた。

「なあ、今思ったんだが、お前がこの前使った“瞬間移動”を使えばいいんじゃねぇか?」

 ファブニールが町に出現した際、閉まった城門から出る時に使った『黒い箱』のことを言っているのだろう。

「そうしたい気持ちはあります。けど、あれは頑張ってもせいぜい数百mが限界です。もっと鍛えれば距離を伸ばせるのでしょうけど…。それに、グリンブルスティをはじめとする魔獣たちは人間の居場所を感知することができます。運よく神殿の前まで行けたとしても、ヤツの神速の足なら一瞬で追いつかれるでしょう」

「ったく、面倒なヤツ寄こしやがって…あの速さにアプローチできる方法があればいいんだが…」

「神速へのアプローチ…か。ええと、こういう時は……………あ、見つけた」

 ソフィーが懐から何かを取り出してペラペラめくっている。

 どうやら本のようだが。

「ん?見つけたって何が?」

「旅に行くとき必要になるかなぁって思って持ってきたんですよ」

 そう言いながらソフィーは二人に本の表紙を見せた。

「……『猛獣生体大百科』?…図鑑かコレ?」

「はい、もし危なそうな動物と遭ったとき役に立つかもしれないって思って図書館から借りて来たんです。この本によると、イノシシは果実やキノコを食料にしているそうです。それを使って気を引いている最中に神殿に侵入するのはどうかな、って…」

「今戦ってる相手は動物ってより魔獣なんだがなぁ…お前はどう思う、リヒト」

「やってみる価値はあるかもしれませんが、食べ物だけで気を引くことは難しいでしょうね。食事に夢中になったとしても、俺たちに対する認識が『倒すべきターゲット』から『食料を奪いに来た外敵』になるくらいだと思います。もっと、なにか、があればいいんですが…」

……そういやぁ」

「どうかしましたか、フレイアさん?」

「お前、ニーズヘッグと戦ってたとき、高速で移動していたらしいな。多分それも魔術を使ったからだろ?その魔術が使えるんじゃないか」

「確かに使えますが…おそらくグリンブルスティの方が速い。すぐにではないものの追いつかれてしまうでしょう」

「そうかぁ……………………………………あ」

「また何か思いつきましたか」

「………その魔術って、にもかけることってできるか?」

「…なるほど…ええ、できます」

 どうやら二人の間では作戦が決まったようだ。

「決まったんですか?じゃあ早く実行しましょう!内容を教えてください!」

興奮気味にソフィーが尋ねる。

「いいぜ、つまりはな………」




 作戦準備が完了した。

 ソフィーが二人の前に立っており、二人が彼女を見つめている。

 フレイアは自信満々のようだが…。

「俺も、まさかこうするとは思ってませんでしたが…」

「大胆っつってんだからこんくらいでいいだろ」

 リヒトは少々呆れ気味である。

 何故かというと、


「な、な、な、な、な、何ですかコレ!?」

 ソフィーの体には植物の蔓が巻き付けられており、その蔓には果実やキノコなど先ほど本で知ったイノシシの食料が括り付けられていた。

「え、もしかして、私に囮になれってことですかぁ!?」

「おうよ!その状態でグリンブルスティから逃げ回ってもらって、オレとリヒトが隙をついて攻撃を叩き込むって作戦だ!紐がねぇからどう括り付けようかと思ったが、町を出発する前にリヒトが子どものボールを拾ってあげてたろ。そのボールが蔓でできてたことを思い出したんだよ。よかったわボールが転がってきて」

 結構呑気しているフレイア。

「あの!私!一般人!」

 さすがにソフィーもこの扱いには難色を示している。

「安心しろ。追いつかれそうになったらくっついてる食料を投げてやればいい。多少の時間稼ぎにはなるだろ。体は逃げても〈逃げない心〉が肝心、てな」

 あ、この人マジで言ってるわ。

「リヒト君、説得できないのこの人ぉ!」

「…………ごめん。悔しいけど俺もこれしかないと思ってしまった………ホント、ごめん」

 とてつもなく申し訳なさそうな顔をしてペコペコ頭を何度も下げるリヒトは闇の魔術を使うとは思えないほど滑稽な姿をしている。

「私、初めてリヒト君のこと嫌いになりそうって思ったかもしれない」

 スン、と無表情になるソフィー。

 ずっと優しかった人間だからこそその口から出た「嫌い」が突き刺さって痛みを生じている、無論心の痛みだが。

「まあ、とにかく始めようや。リヒト、頼んだぞ」

「はい……改めてごめんね。ただ、その…」

「……いいよ。リヒト君がそれでいいなら。私も頑張ってみる。普通の人間がどこまでできるか見せつけてやらないとね!」

「……そっか、ありがとう」

 無事仲直りを果たし、作戦を開始する。

「じゃあ、魔術をかけるよ」

 そして、黒い魔導書を開きながら詠唱する。


「『増幅装置ファシュターカ』」


 そう唱えた瞬間、ソフィーの体に異変が訪れた。

 何とも奇妙な感じがからだ中を駆け巡ると同時に、今なら何でもできるかもしれない、と自身の可能性が広がったような、そんな感覚があふれてくる。

「よし、これで大丈夫」

「かかったか。オラッ、行ってこい」

「は、はいっ」

 これなら大丈夫かも、と自分に言い聞かせながらこちらを警戒するグリンブルスティに向かって走り出す。

 途端、ものすごい風がソフィーの体に浴びせられる。

 強風が吹いたのではない。

 彼女自身がとてつもない速さで地を駆け抜けていた。


増幅装置ファシュターカ』。

 闇の魔術の一つであり、この魔術をかけられたものは身体能力が爆増し、通常では出せないほどのパワーとスピードを発揮することができる。本来の力が弱いものほど能力が上昇するので、足を引っ張ってしまいがちなソフィーにはうってつけの魔術かもしれない。


 ………なお、これにはある弱点が存在するのだが、術者であるリヒトはソフィーに対する申し訳なさを引きずってしまっているので術によるデメリットを伝えるのをすっかり忘れてしまっている。



 高速で自身の目の前を駆ける人間に驚愕しつつも、すぐに追いかけ始める魔猪の後ろを、同じく追いかけ始める二人の剣士。

 ソフィーだけでなく、二人も『増幅装置』をかけ、逃さないように追いかける。

「あああああああ、やばい!やっぱりだんだん近づいてきてる!」

 リヒトが予想した通り、『増幅装置』をかけてもわずかにグリンブルスティの方が速く、じわじわ距離を詰められつつある。

「こういう時こそ冷静に…。ええと、フレイアさんの言ったとおりに…ホイッ!」

 自身を落ち着かせながら、先ほどフレイアから指示されたように体に括り付けられたイノシシの食料を後方にぶん投げる。

 真後ろに投げるとそのまま追いつかれる可能性があるため、真横に向かって投げる。

 投げられた食料を食すかどうかはわからないが、気を引くぐらいはできるだろう。

 高速で移動しながらぽいぽい投げているが、投げるたびにグリンブルスティが進行方向を少しずらすため、一応意味はあるようだ。

 それでも、多少興味を示すだけですぐさま標的をソフィーに戻すが、一定の距離を保ちながら逃走することはできている。

 あとはソフィーの体力しだいだ。

「(ハァ…ハァ…ハァ…もう、持たないかも……二人とも…早く…)」

 もう既に2分近く全力で逃げているため、体力がつきかけているし、括り付けられた食料もそこを尽きようとしている。


 それでも、彼女はスピードを緩めない。

 あの二人が仕留めるまで、何とか耐えきって見せる。

 きっと、あの二人なら、やってくれる!

 私はその機会が訪れるまで、普通の人間として、『ただ耐える』、それだけだ!


「おい、いけるか」

「あと少し…」

 魔猪の尻を追いかけている二人。

 フレイアは準備万端のようだが、リヒトはまだ隙を見つけている。

「このままじゃ、あいつ体力切れになるぞ」

「ええ、でも、あと、もう少し」

『増幅装置』をかけているが、元々は闇の魔術であるため、ソフィーとフレイアにかけたものと、リヒトが自身にかけたものは性能が異なる。

 この魔術は基本的に”死神”が自分にかけた方が速く動けるため、速度の違うフレイアに動きとスピードを合わせる必要がある。

 リヒトとフレイアは今回初めて共に戦うため、まだまだ息を合わせられないでいる。

 本来は突入する前に練習でもしておきたかったが、体力が万全の状態でないと追いつけないと思われるため、ぶっつけ本番でやるしかない。

 グリンブルスティを追いかけながら、なんとかスピードを合わせようとするも動きが合わなくなり、動きを合わせようとするとスピードの調整がうまくいかなくなる。

 リヒトは闇の魔術の使い手だが、これは力の問題ではなくコンビネーションの問題である。

 いくら力が強くても、相手に合わせる技量がなければ今回の任務は完遂できない。



 何度も、


 何度も、


 何度も、


 ”仲間”の動きを意識して…



「…今です、いけます」

「よし、オレにあわせろ」

「はい」

 ここまで小声でやり取りをしていたのは、グリンブルスティに気づかれる恐れがあったからだ。

 だが、力量が備わった以上、もう遠慮はいらない。

 二人は、残った体力を存分に放出し、今までより、ずっと速く、魔猪の懐に飛び込んだ。

「……!」

 二人が高速で向かってくることに気づいたソフィーがぶつからないよう横へ逸れる。

 獲物が急に不規則な方向へ逃げたことに一瞬戸惑うグリンブルスティ。

 何かが近づいてきていることに勘付いたものの、方向転換が間に合わない。



 ―――――その隙を、決して逃さなかった。



「オラァ!」

「フンッ!」

 ズバッ!

 ザシュッ!


 その一瞬、光が交差した。


 二振りの剣が×の字を描いて、魔猪の肉体を骨ごと断ち切った。

 きれいに四等分された魔猪の肉片が文字通り四方に飛び散り、そして爆散した。


 ズザザザザ、と地面を足で削りながら二人は速度を緩め、そのうち停止した。

「ハァ…ハァ…ハァ…ハァ………よかった………ホントに………」

 体温調節をする犬のような呼吸で、息も絶え絶えになりながら二人の活躍に喜びを示すソフィー。

「ハァ…ハァ……ああ、お前も、よく頑張ったな、ソフィー………それと……悪かったな……お前を囮にする……なんて言っちまって……」

 同じく体力を使い果たしたフレイアがソフィーに謝罪をしたところで、リヒトが合流する。

「二人とも、大丈夫ですか?二人のおかげで、何とかグリンブルスティを討伐できました」

「リヒト、お、お前ぇ…なんか全然…疲れてないな…」

 半ば呆れているフレイア。

「まあ、”死神”ですからね、他の人よりも体力の回復は早いですよ」

「どういう理屈だよ……ま、いいや。とりあえず、神殿に向かうぞ」

 息を整えつつ、三人は目の前に見える神殿へと足を運ぶ。

 グリンブルスティとのチェイスを繰り広げている間に大分神殿へ近づいていたようだ。



 神殿の内部はとても簡素なものだった。

 ただでさえ簡潔な造りだったアスガルド城よりもはるか上を行くほどの簡単な内部構造をしていた。

「神殿自体は割と大きいが、中にはお前の言う『エレメント』とやらと、それが置かれている台だけか。いや、こういう時は置かれている、じゃなくて祭られている、が正しいか。ここまで入るのが簡単だとは思ってなかったな。魔獣たちの警備とか、魔術によるセキュリティぐらいはあると踏んでいたんだが」

「そうですね。ただ、エレメントを集める、という使命は俺だけに課されたものなので、、だからこんな簡単なんでしょう」

 そんな会話をしながら三人は神殿の中央に収められている『炎のエレメント』へ歩いていき、台の前に立つ。

「えっと、確かエレメントを取得するには…」

 フレイアは今一度確認を取る。

「”属性に対応した『四騎士』がバルムンクをもってそれをエレメントにかざす”、です」

「ああ、そうだったな。ホラ、貸してみ」

 そう言いながら『炎の騎士』は漆黒の剣を受け取り、赤い球体の形をしたエレメントにかざした。


 すると、エレメントが炎のごとく赤い輝きを放ち、バルムンクの内部に溶けるように浸透していった。


「これでいい、のか?」

「はい、『炎のエレメント』はこれで取得完了です」

「ふう、何とか無事に終わったみたいですね。かなり疲れちゃったけど」

 ここにきてようやく肩の荷が下りたという感じでソフィーは二人に話しかける。

「そうだな。…ウシッ、っつうわけで、帰るか!」

「そうですね!…はあ、こんな感じの旅が後三回続くんですね。ちょっと怖くもあり、でも楽しそうな感じもします」

「…うん、でも君は本当にそれでいいの?最後まで俺の旅についていくって約束してくれたけれど…」

「もちろん、大変でも最後までついていくよ。それが私の夢だし。………ただ、今はちょっと疲れちゃったなぁ、早く休みた~い」

 ずっと逃げ続けていたこともあり、すっかりへなへなになっているソフィー。

「ああ、オレも早く町に帰って寝てぇな。さすがに疲れたわ。特にコイツの魔術を使ったってこともあって、名なかなかに骨が折れる仕事だった、調

「…あ!」

「あん?急にどした?」

 何か大切なことを思いだしたのか、リヒトが声を上げる。

「なんか忘れ物でもしたか?」

「ええっとぉ、そのぉ、なんていうか、ですね…」

 居心地が悪そうな顔をしている、具合でも悪いのだろうか。

「言ってくれないと分かんないよ。ほら、早く」

 優しく発言を促してくれるが、その優しさが実に痛い。

「………さっき、『増幅装置』を二人にかけましたよね」

「おう、そうだな」


「…その魔術、”死神”以外の人間にかけると、調、よ…」


「「…………」」


「あ、あの、何か言ってくれないと」

「崩すってどんな感じ?後日っていつ?」

 速攻で聞いてきた。

 まずい、二人とも確実に怒っている、これで怒ってないと思えるならソイツの神経を疑うレベルで絶対に、間違いなく、キレている。

 速く質問に答えないとボコボコにされるだろう。

「時期は明日からで……症状は、頭痛が起こるとか、腹痛に悩まされる、とか…」

「……リヒト君」

「……はい」

「……明日、私たちの看病につきっきりね」

 にっこりとこっちに笑顔を向けてきてとても怖い、とても善人には思えない。

「なあ、返事」

 フレイアさん、ごみを見るような目でこっちを見てくる。

 五文字しか喋ってないのにこの威圧感、すさまじい、内に秘めた怒りが燻っているのが目に見えてわかる。

 まさしく『炎の騎士』にふさわしい。

「……はい、精一杯看病させていただきます」


 雷を食らってしまった、人として反省しなければ。

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