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佐倉 観鈴。
焦げ茶色のセミロングヘアを風になびかせて
化粧していない素顔の頬
自分が知る限り、いつも笑顔で
かわるがわる友達に囲まれてー
自分とはまるで違う
春の陽射しの中を歩いているみたいな屈託のない笑顔
そんな彼女と知り合ったきっかけは、ある冬の朝
だった。
仕事に行くために急いでいた俺は
歩をあせり、凍結していた側溝の蓋で
コントばりの転倒をやらかした。
どっしゃっ!!ずで!
「っ……ててっ…」
半ば泥濘になっていた道で滑ったもので、みっともなく尻餅ついた俺は尻が痛いやら
見事なズッコケっぷりを通行人に見られてクスクス
笑われ恥ずかしいやら
情けないやら。散々だった。
赤くなりながら周りに取り散らかした私物を
へっぴり腰でかき集めた。
『あーもう、朝から…』トホホであった。
幸い、メモリーだの仕事用スマホといったものは
濡れを免れていたため、ちょっとホッとした。
その時、すっ、と
目の前に、手が差し出された。
「…えっ?」
その手には、だいぶくたびれたキーホルダーが着いた
俺の部屋の鍵が乗っていた。
「え、と?」
思わずその手を2度見した、俺と
その主の目が合った。
黒い、綺麗な瞳。
焦げ茶色のセミロング
チェックのマフラーをした
若い女の子だった。
彼女が、俺にそれを差し出していた。
「はい、落としもの」
「あっ……」
受け取る一瞬、微かに指が触れた
その時
俺は感電したみたいにしびれて。
マジで情けないが、あうあうと意味不明の言葉しか
言えなくなっていた。
綺麗な若い女の子、対比する自分はくたびれた通勤服
(…俺、髭は剃ったよな?!)髪はとかした覚えがない。
「あっ、えっ…と…ありがとう」
その女の子は、手を振って
そばに持っていたらしい自分のカバンに手を入れて、
何かを引っ張り出した。
「よかったら使って下さい」と言って俺に
差し出した。
それは、きちんと畳まれた薄いブルーのタオル
だった。
「え、あ」よく見たら俺は尻もちついたために、膝や袖がびしょ濡れになっていたのだ。
「い、いいよ、汚れちゃうから
、悪いよ」
どうやら、この
大学生くらいに見える年下の女の子はびしょ濡れの
くたびれたおっさんにいたく同情してくれたんだろう。
そう思うと我ながら惨めで、情けないやら恥ずかしいやら。
けれど彼女は、いいから!と笑って
後ろからやってきた友達らしい女の子達と連れ立って
行ってしまった。
おはよ!ーん?観鈴っち、誰ー?知り合い?
彼氏!?なわけないかァ
笑いながら、女の子達は去っていった。
後に残されたのは、女の子ものの
象のイラストがプリントされたタオルを手に、
立ち尽くす俺だった。
それが、あの子との、初めての出会いだった。
無論、その日のうちに洗ってすぐタオルを返すつもりだったのだ。
しかし、何しろ
どこの誰かもわからない。
当然、所番地も知らない。
いやむしろ下手なところで声を掛けてしまえば
このご時世だ。
痴漢と間違われてキャーお巡りさんで警察呼ばれて
そのまま人生終了となる危険がある。
oh…(´ ゚ω゚`)
詰んだな俺。
俺は、もう恐らく彼女にこの
お礼を言えないまま、社畜のまま生涯を閉じるの
だろうと
ある意味悟った……
そんな風に俺がモヤモヤしていた日…
この日は、季節には珍しく
夕方頃から、冬の雨が降りだしていた。
サァアア……
ぽつん、ぽつん。傘に雨粒が当たって
こぼれ落ちていく音が響く。
俺は珍しい事に終電前に退社をすることができた
ため、コンビニに立ち寄り、夕飯の弁当を片手に
部屋への帰り道を歩いているところだった。
人通りがすっかり無くなった商店街を抜け、今や
すっかり利用するものもなく、さびれた公衆電話の
明かりだけがうら寂しい児童公園の前に差し掛かった時だった。
『…むっ!?』
普段、じいちゃんばあちゃんがゲートボールの休憩時などに使っている屋根付きの東屋があるのだが
そこに、暗がりに薄ぼんやり浮かぶ、人影があった。
小柄なその人影は、屋根付きの東屋の椅子に座って
いた。
ー焦げ茶色の、髪が揺れていた。
「あ、あの!」
「え?」
冷静に考えて見たなら、とんでもなくマヌケな
姿だったろう。
俺は、傘を放り出して駆け寄って。
「これ!風邪引くから…」
ずっと返せなかった象のタオルを夢中で差し出して
いた。
彼女が、目をぱちくりさせて
やがてこらえきれなくなったように笑い出した。
そりゃそうだ。タオル片手に走ってきた
びしょ濡れのおっさんだもの。
しかもそのタオル、また濡れてるじゃねえか。
我が身の間抜けさに我に返り
俺は我が身にトドメをさしたくなったの
だった。
傘に入ってもらい、家の近くへと送りながら
俺は色々と彼女の事を知ることが出来た。
近くの大学に通っていること
図書館で本を読んでいてバスを逃してしまい、
この雨で途方にくれていたことなど。
たわいも無い世間話だった。
やがて、家の近くという曲がり角まで来ると
彼女は、俺に向かって
にこっ、と微笑んだ。
「お兄さん!
ありがとうございました!」
手を振って。
角を曲がるその姿は
仕事仕事の毎日に心身ともに擦り切れかかっていた
俺には眩しくて
優しくて。
胸に、温かさがともったのを感じたんだ。
もちろん、ただの
傘に入れてくれた通りすがりのおっさんなんか
彼女は覚えてやしないだろう。
そこまで、思い出した俺は
カラカラに乾ききって
ほとんど何も感じなくなったはずの俺の双眸から
涙が零れ落ちていた。
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