第5話 婚約の儀
女神エルダーは、スノーガルドに流れる魔力の流れを司る神だった。そこに現れたのがスノーガルド王家の祖、勇者アルトーである。
女神エルダーはただただ漂っていた。彼女は心のありようが美しい女性でなければ姿を見ることも、言葉を聞くこともできないからだ。
女神は生まれてから一度もそのような人物と出会ったこともなく、そんな者など存在などしないとさえ思っていた。
勇者は小さな村に住み、小さな人助けをしては少ない報酬をもらいながら生活を営んでいた。女神は何故、労苦に見合わない礼をもらってお前は喜びを感じているのかと聞いた。勇者は答えた。
「自分が助けたかったからそうしただけだよ。財宝や豪華な食べ物が欲しいならば自分で作れば良いんだ。役に立てればそれでいい」
自分の言葉を聞き取り答えを返したことに驚き、そして勇者の嘘のない言葉を気に入り彼女を初代の王とした。これがスノーガルド王家の始まりである。
勇者は王になってからも変わらず、王宮にいることもなく国中を駆け回り、困窮した人々を救い続けたという。
───女神エルダーと勇者の伝説より抜粋。
婚約の儀と言っても、国を挙げての一大行事としての大規模で荘厳なものではなく、王宮の中でしめやかに執り行われた。
私は、袖を通すことなど死ぬまでないだろうと思っていたウエディングドレスを着ていることが、なんとも言えないむず痒さを醸し出していた。
そして、アルトリアスさんはいつもの鎧兜ではなく、純白のタキシード姿だった。私たちの衣装は、衣装係の皆さんと相談しながる作り上げたものだった。私のドレスはというと、できるだけフリルや過剰な装飾のないものにした。
「本日、主神である女神エルダーの元において、マミ、アルトリアスとの婚姻を認める。死が二人を別とうとも、決して破れぬ誓いである。お二人、抱擁と接吻を⋯⋯」
メイフィストさんが目配せしてくれた。
「アルトリアスさん、いや我が王。失礼致します」
顔を真っ赤にしている彼女へそっと、私から唇を重ねた。彼女に腰から手を回されて、もう一度二人の唇が重なった。
割れんばかりの拍手と歓声が上がった。知り合った皆さんが口々におめでとうの言葉をくれた。その中に見慣れない若い女性がいた。
そしてゆっくりと頭を下げた。隣に先生がいて、その女性が、例の婚約者だと言うことが分かった。
私たちを、私たち婦妻を、この世界は祝福してくれている。そう理解した瞬間に、熱いものが胸に込み上げてきた。目の前が涙で滲み始めた。そして、堪えきれず涙が溢れて止まらなくなってしまった。
結婚というものが正式に認められ、書類上にも婦妻として記録されることが、私個人の全ての要素を肯定してくれたように感じられたのだ。だがそれ以上に嬉しかったのは、儀式が終わりバルコニーに出た時、多くの国民の方々が待ち構えていてくださったことだった。
市場のお母さん、魔術学校の生徒さん、食料を届けてくれる農家さん、王立魔術研究所の職員の皆さん、数えればきりがない程の人々が、世の中で「毎日を生きている無辜の人々」たちが、私たちを祝福してくれたことが、本当に、本当に嬉しかった。
儀式が行われた後、祝宴が行われた。国民のために王宮が開放され、ささやかな御馳走も振舞われた。
「我らが王と、麗しいお妃様へ、私たち王立合唱団が記念に一曲お届けさせていただきます!」
彼女らの歌は、女神様に日々の食糧を、良き隣人を、そして平穏を与えてくれることに対しての感謝が綴られた歌である。スノーガルドが誕生する以前からこの土地に受け継がれているものだと言われている。
合唱団の皆さんの方々のようにお祝いに来てくださった皆さんを見送り、一通り王宮の皆さんからの挨拶が終わる頃には、私にも程よく酔いが回ってきて、うとうとし始めてきた。
アルトリアスさんはお酒が飲める体質らしく顔色が全く変わっていなかった。そして、ささやかな祝宴が終わり、主要なメンバーから生暖かい視線を受けながら、私たちは寝室へと向かった。
──────
寝室までの道をアルトリアス王にお姫様抱っこされながら向かっている。つい寝たふりをしてしまった。顔が見られない。何故ならば、これから私は「結婚初夜」を迎えるからだ。
「⋯⋯本当は起きているんだろ」
貴女に抱えられた瞬間に酔いなんて冷めてしまっているんですって!
「私は今日、君を抱こうと思ってる。実を言うとな、待てを食らっていたのはマミだけじゃないんだ」
夜の営みの話を、私の前では一度もしたことがなく、そういった類のことへの欲はないのだと勝手に思い込んでいた。
勿論、婦妻になったから行為をすべきであるとか、そうしなければ愛が深まらないという事が言いたいわけでは決してない。だが、愛を確かめ合う意味としてそれを行うということは意義深いことで。
「君が欲しいんだ、お願いだ、真美⋯⋯」
私の好みが年上だったのもあったし、だから私の本は全年齢のものだったり、社会人同士の落ち着いたお付き合いのものだったり、兎に角「性愛」を伴わない恋愛の関係性を好んでいた。
不快な欲望を、嫌悪感しか感じられない相手に向けられたという体験のせいで、性的なものを無意識のうちに避けるようになっていたのだと思う。
アルトリアスさんと出会って、初めて年下の女性から好意を向けられて、初めてその忌避感がなく受け入れられた。
かっと体が熱くなるのを感じた。私が惚れている相手から求められることが、こんなにも嬉しい事だなんて思ってもみなかった。
ただ顔が良いから、好きな髪型の人だから、王様だからじゃない。私のことをずっと見ていてくれたから、一人の人間として尊重してくれたから、私の全てを受け入れてくれて、愛してくれたから。
アルトリアスさんは私にずっと焦がれていて、でも、私が別の世界から死んでしまうかの瀬戸際でやってきて、決断を迫られて、生きるために仕方ないとはいえここで生きることが決まって、負い目があったのだと思う。だから何もアクションを取れなかったのだろう。
それでも、彼女は私にとって命の恩人だ。自分の命をなげうつ擲つ覚悟で、世界を超えて私を助けてくれた。共に生きていきたいと思う理由なんて、私にとってはそれだけで十分だった。
もう私達の間に言葉は必要なかった。彼女の私の影が近づきあって、そして一つに重なり合った。
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