第3話 スノーガルド王宮にて

 初めての感情は困惑が一番大きな感情だった。

「私の使っていいっていう部屋なんですけど、やっぱり広すぎないですか……?」

 自分の与えられた部屋は、私が元々住んでいたアパートの一室よりもかなり大きなものだった。高い天井に天蓋付きべット、大きなタンスもある。

「良いんだ。これからは君の部屋となるのだから、遠慮せず使ってくれ。それに、これから真美は私の妻になるのだから、妻に尽くすのは当たり前のことだよ」

 結婚するんだもんな、そう……この人とならやっていけるという、理屈ではないがとても強い確信があった。だから結婚を申し込んだんだ。

「そうだ、着替えを持ってきたよ。着替えたら朝食の時間だ」

 着替えたのはワンピースだった。

「スノーガルド伝統の服装なんだが、どうだろうか」

「サラサラした触り心地で良いなと思います。気持ちがいいですね……」

「あぁ、良かった……肌に合わなかったらどうしようかと思っていたが、それなら安心だな。では行こうか」

 アルトリアスさんと共に食事場に向かう。王宮の食事なのでとんでもない物を想像したがそれは全く違った。

 宮廷にいるあらゆる人々が食堂に集まってきた。建物は牧歌的であり、権威の大きさを感じさせない空間だった。

 いわゆる西洋的な食事だった。食器は木材でできていて、ライ麦のような穀物で作ったパン、野菜たっぷりの豚の腸詰め入り塩味のスープと、小ぶりのりんごのような甘酸っぱい果物が一つ付いていた。

 全く知らない場所で、いきなり現地の食事を摂ることに抵抗がなかったわけではなかったが、空腹だったこともあり口に運んだ。

 シンプルな料理だが手間のかかっているのがわかる。そして、塩の強さは控えめでありながら決して薄味ではなく、とにかく優しいホッとする味だった。

「すまないな、あまり豪華な食事ではなくて。口には合うだろうか」

 私は、日本ではインスタントや冷凍食品ばかりであまり自炊をすることがなく、誰かが作ってくれたというだけ層喜びが大きかった。

「とても美味しいです。それに、水も飲みやすいですし温かい、です」

 アルトリアスさんの肩から力が抜ける。

「そうか、良かった……食べ物が合うか気をもんでいたが、一安心だな。では、我らが料理番には、君が大いに喜んでいたと伝えておこう」

「私は前は一人で生活していたので、作ってもらえるというだけで嬉しいです」

「そうか、気に入ってくれたのなら嬉しい。真美を無理やりこの世界に連れてきたような状態で、正直に言えば不安だったんだ」

 二度目の生をどう生きたいのか、どう生きるかは決めた。元の世界に未練はもちろんある。やり残した事だって山のようにある。でももう決めたんだ。この世界で私の人生をもう一度やり直すんだと。

「これは私の意思で決めた事ですから……」

「君は強いね、凄いよ」

 新天地での生活への期待が高まった。そして、初めての就寝の時間になった。

 結婚前の女性と眠るのは女神エルダーに背くことになるらしいので、私は一人で眠ることになった。ちょっと期待してたんだけどな。残念。

「もし寂しければ、これに向かって話しかけるといい」

 うさぎだと思われる不思議なぬいぐるみを差し出された。妹さんが開発した魔力通信装置らしい。少しほっこりした。

「では、また明日」

 頬にキスをされた。私の好きなタイプの顔の王様から。


 良い夢が見られた。


 翌朝、この世界を知らなければならないと思い、結婚式が執り行われるまで、私はもっとスノーガルドについて知るため、アルトリアスさんに外に出かけて良いかときくと許可をもらって、私は城下町へと向かった。

 護衛として付いてきてくれた、メイドのドラバニアさんに案内されながらいろいろな場所へ行った。

 祈りを捧げる教会、大きな図書館、市場、鍛冶屋、錬金術所、魔術水道局、魔術学校、かなり近代的な街並みだった。魔工学による発電で電気もあるのには驚いた。

 私にとっての1番の出会いは「魔法」との出会いだった。

 案内された魔術師塔に踏み入り、床の魔法陣の中へ入った時、私の中で、今まで使っていなかった領域へ、何かの力が流れていくような感覚があった。


「ようこそおいで下さった、私の魔術工房へ」


 本が敷き詰められた二階の本棚に、一人の女性がいた。

「今、貴女は力の大河の流れを感じている。そうだね?」

「ついさっきそんな感覚がありました。あれは一体……」

 女性は私の手をふわりと握ってくれた。

「あれは。魔力の流れだ。感じ取れるということは、魔術を使う能力があるということになる。深く学べば自由に扱うことができるかもな」

 大きな流れと、私の中から溢れる奔流の二つがあって、自らの持っている魔力を紡ぐことで制御することができるはずだとも聞かされた。

「……この世界に来る前に女神様の声を聞いたんです」

「なるほど、やはり、貴女には魔術行使の才覚があるようだ」

 もっと気難しい方なのかと思っていた。

 だが、笑った顔は柔らかだった。

「私は宮廷魔術師のメイフィスト。エルフの国からの逸れものでね、野垂れ死に寸前のところで我らが王に救っていただいたんだ。恩返しのため、ここで魔術のさらなる探究と、魔術師の教育をしている」


 魔術のさきぶれを感じた時に思い出したことがある。私は、手を引かれてこちらの世界にやってきたんだ。


「そうだ、私なんだよ。黙っていてすまなかった」

 姿が見えなかったドラバニアさんがアルトリアスさんを連れてきていた。

「ずっとマミのことを見ていたんだ。初めて見た時の日のことを、今でもはっきりと覚えている。私の一目惚れだったんだよ。でも、向こうでも幸せでいるならば、無理に連れてこなくても良いとさえ思っていた」

 悔しさを滲ませながら話しを続けた。

「君が生まれて三十回目の年が経った時迎えに行き、長い時間をかけてどちらで生きるか結論を出してもらう筈だった。結果がどうあれ笑顔で送り出したかった」

 そうできていたらよかったのに、ついてない。

「あと少しで君に会えると思っていた矢先、殺意のこもった視線を向けている人間がいた。無理やりゲートを起動させたが、突き落とされた時に助けようとして間に合わなかった。結果的に君を救えたが、これでは意味がない」

 アルトリアスさんが拳を握りしめる。

 自分の不甲斐なさに憤っているのだろうか、そんなことがないとは思う。または、私のために怒ってくれているのだろうか。

「あの時、アルトリアスさんが救ってくれなければ、私の人生はあそこで終わっていました。あそこで死んでいたら悩むことすらできませんでしたから……」

 今生きているのは、ずっと見ていてくれたから。

「確かに選択肢は一つしかなかったですが、少なくとも私は自分で決断したんです。こちらの世界で生きるって。だから、頭を上げてください」

「貴女は命の恩人です。ヒーローです。それに、あの……私も、スノーガルドで始めてあった時に一目惚れしてたので……」

 顔が良すぎるのだ、私の王は。赤髪のいわゆるウルフカットの、絵に描いたような整った顔の持ち主なのである。

 私はウルフカットの女に弱いのである。

 私の主な生息地のスタパレ(スターライトパレードという重厚なストーリーを要するリズムゲームの略)で、推しはウルフカットの女なのだ。

 大事なことだったので三回ほど述べさせていただく。

 そこにずっと見守ってくれていて、しかも命の恩人であるというだけで情報過多なのに、人としての包容力に、私は一生を側で共に生きていけたらどんなに良いだろうと思いを馳せたほどだった。

 こんな素晴らしい人に「求婚」されてしまったら、優しくされてしまったら、私も幸せになりたいと思わずにはいられなくなってしまった。

「じゃあ、お互いお似合いの婦妻ということだな」

「そうなりますね……」

 私の中の迷いも、王である彼女とのわだかまりも解けていった。新たにここを住むべき世界とする決意をした訳だが、どうやら魔術の行使が可能な兆しが、より強く現れているのだという。

 信じられないが、私の体を癒したのはどうやら自分の力であったと先生(メイフィストさんのことはこれから先生と呼ぶ)がおっしゃっていた。


 アルトリアスさんによると、ここまで強い魔力を予備知識もなく使えることは基本的にはありえないことらしい。先生に教えを乞うてみないかと言われ、結婚式の日まで基礎を教えてもらうことになった。


 この世界の「魔術」とは、流れる魔力を制御し、現実を変化させるという現実改変の側面が強く、術者が強度ある思考を現実へとぶつけていけるかが鍵となる。

 現実を書き換える為に重要なのは自らの意思である。自分の中で強固なイメージを持ち、疑うことなく信じることが出来ればいい。

 私の妄想癖がこんなところで役に立つとは思わなかった。

「まずは魔力を放出するところから始めよう。できるはずがないという固定概念を捨ててみよう。頭の中で想像するだけでいい。難しい理屈を覚えるのは後でいい」

 流れを制御して一箇所に集めて、放つ。的に向かって腕を突き出し、一連の流れを反芻する。流れを一つにまとめる。青い閃光が手からほとばしって一ヶ所に集まり、大きな球を形成する。そして放出する。

 直撃した木製の的は粉々になっていた。

 何故できたのかはさっぱりわからない。

「素晴らしい、1日目でここまで辿り着けた生徒は見たことがないよ。これで、君の中に魔力の通り道ができた。あとはひたすら実践あるのみだ」

 私は素晴らしい環境で新しいことを学ぶ機会を得た。さらに私が向上していくことを喜んでくれる人も隣にいてくれる人もいる。

 私の生きた世界では、女である私が学問を修めたとしても、生意気だ、鼻につくと言われ顧みられることなどありはしなかった。

 スノーガルドはあらゆる人物が尊重される。王宮の料理番の女性も王も、互いを尊敬し理解しあってその上で敬意を払い合っている。 

 教室で王と話している色々な年代の学生達や、王宮にいる人々の存在が、この国をアルトリアスさんが恐怖で支配しているのではないという、大きな証拠である。 

 触れ合っている人達の顔から恐れや不安がなく、それどころかリラックスしているようにも見える。どんな仕組みなんだろうと考えたが、カリスマという表現以外に表すことが出来なかった。

 「実践はこれまで。次は学問としての魔術だが、日も暮れ始めたことだ、今日はひとまずここで終わりとしよう。明日もまた来てくれるかい?」

「はい!」

 アルトリアスさんも教養を持つことは素晴らしい事だと言ってくれているし、とにかくやってみようと思う。


 こうして私は魔術と出会い、習得する旅の第一歩を踏み出したのだった。


 王の隣で夕食を食べている。

 やはり緊張してしまう。これから伴侶になって毎日会うことになるというのにこの調子だと私が持たない。

 今日のメニューは魚が中心なのだが、それにしても所作が美しいのである。彼女曰く初代の王からマナーに関しては徹底的に叩き込まれたおかげらしい。

 食事の時でさえ王は王らしく、これが口癖だったそうだ。

 先の王は戦場にて亡くなったそうだが、民を思う立派な人だったらしい。

「では、どうして私がここにいるのか気になるだろうから、先に言っておくよ。こちらでは子をコウノトリが運んでくるんだよ。婚約した二人が子を望む儀式を行うとやってくるんだ」

 一滴づつ血を流し、水盆に落とすことで混ざり合い、そして彼方の地で縁が刻まれた子供が生まれ、長い旅路を経て遠くの空からやってくるのだという。

「先の王も婦妻だったということだよ。王としても母としても尊敬できる人だった。だから私も立派な王になりたいと思っている」

 アルトリアスさんの瞳には確かな決意に満ちていた。

「そうだ真美、君は魔術師になる素養がある。これからも続けていって欲しい。この国にとって魔術は重要な産業の一部であり、生活の要となっているんだ。明日はそれを見せよう」

 食事を終えて、食堂で片付けをしていた食事係の方に挨拶に行った。

 美味しかったことを伝えると本当に喜んでくれた。

 海に面しているからなのか食べ物や食文化が似ているらしく、なんの違和感もなく受け入れられているのも幸運だった。

 海外には一度だけ行ったことがあったが食べ物と水が合わなくて苦労した経験があったが、スノーガルドの風土が私の体に合っているということだろう。

 私はこの世界に来る運命だったのではないかと思ってしまうほどに、ここは居心地が良い。言葉が通じるのも私が偶然にも魔術の素養があったからに過ぎない。

 やってくる時に使用した古代ルーンの効果だとメイフィスト先生から聞いた。やはり私がこちらに渡ってきたことは定まっている運命だったと、そう思いたい。

 まさか、室内ではロウソクを使うんだろうと思っていたら「魔工灯」という蛍光灯のようなものまで存在していた。技術力は想定より高いようだった。

 シャワーにお風呂までついているとは思わなかった。

 魔工学を用いた水道と発熱の技術によって温水が出るようだ。沐浴を想像していたのでかなり嬉しかった。

 寝室へ戻ると、ついに就寝の時がやってきた。

 私は腕枕されている。そして今日はどうだったかと話しかけられている。ASMRの音声作品で販売されているようなシチュエーション過ぎる。

「頬をつねっている理由は聞かないでおくよ。それで、今日は収穫が多かったようだ。顔を見ていれば分かるよ。今日は初めて街を見てもらったが、良い印象を持ってもらえるかと気を揉んでいたんだが、どうやら杞憂に終わったかな?」

「はい、ずっと前から住んでいたのかと思うほど、空気が合うというか、心地がいいというか、その、こんなに幸せでいいのかと不安になるくらいです」

 アルトリアスさんに抱き締められた。

「君のような善い人間が幸せになれない世界などあってはならない。誰もが真っ当に日々の生活を送ることが出来るように努めるのが、上に立つ者の務めなのだから」

 こうして、私のスノーガルドでの二日日が終わった。

 今日こそは、このまま共に同じ部屋で寝るのかと聞くと、急にしどろもどろになり、やはり正式に婚姻を結ぶまではダメだというので、仕方なく一人で眠ることになった。そろそろ寂しくなってきたなぁ……

「お、お休みマミ。また明日」

「はい。有難うございます。おやすみなさい」

 アルトリアすさん、恥ずかしいなんて可愛いところもあるんだな。ついニヤニヤしてしまう。心安らかに眠ることができた。物心がついて初めての経験だった。

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