第50話 怖がらない人(ツブリ視点)

「明日辺り、例の精液の主が来るかもしれない」

 上司の兎田薬からそんな事を聞いた。

「え? マジだったんですか?」

 その一言で、ぎゅるんと目線を向ける。

「健康診断の予約が入ってる、搾精室の準備もしておけってさ?」

「明日来るって、今日出してきたコレは?」

 先程から観察している精液、明らかに生存率や運動性の質的に、今日の搾りたてホヤホヤだ。

 精子は搾り取ってから所定の環境でなら1週間は生存するが、やはり時間経過で多少の死亡個体が出て来る。

 そして、一般男性は、平均値として3日に一回が限度だ、濃さ的にもこれ以下だが、これは1週間ぐらい発射せずに、大事に睾丸で貯めたブツで有る可能性もある。

 平たく言うと、昨日の今日で射精出来ると思えない。

「院長曰く、多分発射出来るってさ?」

「出来るにしても、それは発射していい奴なんですか? 命削ってて打ち止めとか言われても知りませんよ?」

 下手な搾り方は、雄の命を縮めるのだ。ノルマ的に、足りないからと。尻から突っ込んで前立腺からの強制射精で搾り取って居たグループは男性の人権を侵害したと、かなりエグイ罰が下った前例が有る。

 男性の方も救助された後は、女性不信の上、もう使い物にならない廃人に成って居たと言う、悲しい出来事だ。

 私達、男性にかかわる仕事をする者は、其処等辺の倫理に欠ける行いをしない様にと、この前例を念入りに教育現場で叩き込まれている。

 因みに、高ストレス下で強制的に絞られている精液は、露骨に質が下がるので、知って居る者には一目で分かる、そんな精子が提出された場合には、要注意、いや、要観察人物として登録され、公安や男性保護局が何時でも保護できるようにと動き始める。

「あくまで男性の自由意志次第って事で、大丈夫って言うようだったら搾って検査って事になるね?」

「悪事の片棒は嫌ですからね? 無理やりはしませんから」

「それでいいから、部屋の準備とかしておきなさい、出番無かったらソレで良いって事で」

「はい」

「あと搾精担当として選ばれた時の為に、ちゃんと準備しておきなさい? 下着とムダ毛の処理は大丈夫?」

「出来てると御思いですか?」

 思わず聞き返す。本職の精子関係の仕事はあんまり無いが、無いなら無いで別部署のお手伝いとかに借り出されるので、それなりに忙しいのだ。

「……後の仕事は良いから、準備しておきなさい」

「兎田部長はしなくて良いんですか?」

「………私はもうギリギリだから、貴方を先に推しておこぼれ狙う方が勝率が高い」

 アラサーは確かにギリギリではある、でも未だ産んでいないはずだから、悪あがきはしたい筈だけど。

「………成る程」

 納得してみた。

「納得するな!」

 ノリツッコミされる、理不尽だ。これだから自己評価が低い処女は………

 自分の処女を棚に上げてそんな事を考えた。


 そんな訳で、割と早く終われたので、頑張って準備した。

 と言うか、私の役職、精液検査官、その方向でちゃんと仕事したことは数える程度というか、何時もは男性が深刻に外に出ないので、固定の、妻の方々が絞って届けてくれる物を検査するだけに成りがちだ。

 搾精技能師の資格なんて飾りも良い所である、ハリガタ相手の研修なら兎も角、実物はほぼ初めてだ。

 その実物もほんの数秒しか触れていない、慣れるまでなんて触れていられない、おっかなびっくり数度撫でた程度だ、正直自信なんか無いが、この病院で資格持ちは私と薬主任と、院長ぐらいなはずなので、そういう意味ではワンチャンあるかもしれない。

 そんなほんの少しの期待を胸に秘め、ムダ毛を剃って、眉毛とか整えて、前髪とか切りそろえて、下着とか上下セットで色々準備して、なんだかんだ、鼻歌が浮かぶほどには上機嫌な時間だった。

 でも、一般的に男性は女性毛嫌いしてるから、多分、無駄に成りますよね?

 そんな台無しな一言は、必死に飲み下した。



 そんな期待と希望と絶望が入り混じる、問題の精液の主の男性、翡翠さんは、思ったより、可愛らしかった。

 私より目線が下だ、私が155㎝だから、150㎝以下? ちょっと可愛らしすぎません?

 で、私達女性の事を嫌っている様子も、蔑んでいる様子も無く、ただ真っすぐ見てくれている。

 怖がっている様子もない、検査工程が一つ終わる毎に、担当者によろしく、ありがとう、ぺこりと、小さく挨拶とお辞儀をしてくれるほどに、礼儀正しい。

 これ、天使か何かですか?

 私達が汚れた視線向けていい相手ですか?

 検査着の下にインナーも着ていない様子で、無邪気に自己主張する乳首とか、鎖骨とか、うっすら見える喉仏とか、意外と鍛えてる二の腕とか、全てにおいてやたらと可愛いので、めちゃくちゃ視線すわれますけど。

 時々変な事を言う担当者達には、護衛官の方が睨みを利かせていますけど、当人は気にした様子も無い。

 で、いよいよ精液検査の段になった、私の本当のお仕事だ。

 絶対嫌われると思いつつ、手順とか説明する。

「1、コレを使って、自分で採ってもらいます」

 使い方は知っている様子だが、どうやら気が進まないらしいのは、一目でわかった。

 一般的に男性は女性不信が多いので、コレが一番多いのだが。

「2、医療従事者に手伝わせる」

 翡翠さんの目がギラっと光った気がする、コレは脈ありなのだろうか?

「出来たら、私を選んでもらえたら、嬉しいです」

 精一杯のアピールだった、男性が不快に思うアプローチはその時点で有罪と成る。限界処女な私達は、自爆覚悟じゃないと一歩すら踏み出せないのだ。それでも、この人に触れて見たいと、そう思うほどには、短い時間では有るが、惚れていた。


 追申

 精子のお値段、ランクと量次第だけど、国側の買値は一回数万から数十万、裏ルートは厳しく取り締まられる。

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