だから俺は彼女を監視する。

 上空に広がるは戦火の煙、目の前に広がっているのは戦争の傷跡。

 俺は嫌な臭いを防ぐため、布切れで顔を覆う。

 焦げた人の香りと、地面へ染み込んでいる血液の匂いで卒倒してしまいそうになる。

 何度戦場へ赴いていても、この臭いには慣れそうにもない。

 ここも勇者が『魔物退治』をしており、人だった何かが、数分前までは命があった何かが地面に転がっている。

 俺の中の良心が、地面に転がっている人だったものを弔いたいと訴えかけてきたが、そんな権利なんてないと、すぐに気づかされる。

 これは侵略戦争だ。物資を得るための、自国の技術を知らしめるための。

 なんの誇りも、大義名分もない略奪。

 俺は未だに炎に巻かれている建物を見ながら、言葉を零す。

「彼女には、わからないんだろうな」

 宙へ浮かんだ言葉はそのまま戦火の空の下で消えるかと思っていた。

「だ……れか」

 ふとそんな声が聞こえてくる。俺は剣の柄を握り締めながら、周囲を確認する。煙が立ち上る家、積みあがっている死体。

 そして。

 崩れた家屋のした下敷きになっている男性の姿が見えた。どうやら全身を炎に巻かれたようで、皮膚が爛れてしまっている。

「た、す……け」

 彼はうわ言のようにそう繰り返す。そんな彼の言葉を聞きながら、剣を振り上げる。

 ここで助けたとしても、この大怪我、助かる見込みはない。

 俺がとち狂って、首都へ送り、最高の医療機関へ連れて行ったとしても、少なからず障害は残ってしまうだろう。

 歯を食いしばりながら、俺は柄に力を込める。このまま重さに任せて剣を振り下ろせば、きっと彼はそのまま……。

「ぁ……うぁ……たすけ……」

 目の前に居るのは兵士でもなんでもない、ただの一般人。武器も抵抗する術もない怪我人。その意識が俺の決断を鈍らせる。

 こうやってごちゃごちゃと色んなことを考えてしまっているのも、現実逃避から来るものだろう。

 振り下ろせ、敵兵には簡単に振り下ろすことができたじゃないか。

 何を躊躇う必要がある。目の前のアレはもう、ただの肉の塊だろう?

 頭の中で何回も自分自身へ説得を続けるが、手が震え、剣を振り下ろすことができない。

 早く、早く……!

「あっ! 魔物!!」

 そんな無邪気な声と共に一閃が走り、目の前の人間の上半分が吹き飛ぶ。真っ二つになった彼はそのまま動かなくなる。

「もうっ、狼さん!? 油断はいけませんよ!」

 俺のことを『狼』と呼ぶ少女の声。声が聞こえてくる方へ顔を向けると、戦場へ行くにはあまりにも薄い装備をまとった黒髪の少女が俺に向かってにこにこと笑顔を向けている。

 何も知らなければ無垢な子供に見えるかもしれない。しかし、今の彼女は全身が血まみれであり、身にまとっている装備もぼろぼろになっている。

 彼女の名は……。

「サヤ、様」

 彼女の名前はサヤ。この国で作られた人間の形をした兵器である。深紅の瞳をきらきらとさせながら、彼女は俺に問う。

「狼さん、次の魔物はどこかな?」

「……もう、近くに敵は」

「どこかな?」

 彼女は私に近づき、もう一度尋ねてくる。恐怖で頭がおかしくなりそうだったが、俺は頭を振り、彼女を肩をそっと掴む。

「サヤ様。付近に魔物は居ません。先程サヤ様が切り払った魔物が、最後です」

 俺はそう言い、帰り道へ誘導するように彼女の身体を帰り道へ向けさせる。

 戦いはとっくの昔に終わっている。残党狩りも必要なことだが、これ以上彼女を暴れさせると、この土地が死んでしまい、二度と活用できなくなってしまう。

「勇者のお仕事は終わりですか?」

「はい、おしまいです」

「そっかぁ」

 彼女は少し残念そうな声を出しながら、ゆっくりと歩き始める。

 どうやら帰路へつくらしい。勝手気ままな彼女の後を追いかけるようについていく。

 本当は並んで歩くなんてごめんなのだが、目を離すと何をしでかすかわからない。

 と、言うより過去に暴れてくれたことがあったので、目を離すわけにはいかない。彼女が魔物だと認識したら最後、その魔物とやらが動かなくなるまで追撃を続ける。虫のような脳みそなのかと嘆いたはとうの昔。

 彼女はふらふらと空を見上げながら歩き続けている。

 危なっかしい……。

 イライラしながら俺は時折彼女の行く先を修正する。

 そのたび。

「ありがとうございます」

 と返してくるが、本当にわかっているのだろうか。



 太陽が沈み始めた頃。俺たちはどうやら戦場を抜け、自国の領土へ戻ってこれたらしい。補給部隊まで足を運べば、帰りの馬を手に入れることができそうだ。

 サヤを連れて行くと、渋い顔をする部隊員からどうやって馬をもらおうかと考えていると、サヤが顔を上げ、スンスンと鼻を動かし始める。

 匂いを嗅いでいる……?

 サヤの観察を続けていると突然、サヤが言葉を零す。

「魔物の匂い」

 その言葉に俺は総毛立つ。自国領土に敵兵士が侵入していたことに対しても驚きはしたが、それよりもサヤが姿勢を低くし始めていたことに恐怖を覚える。

「待て! サヤ!」

 俺は咄嗟に叫んだが、時はすでに遅く。サヤはそのまま走り去って行ってしまった。

 馬なんかよりも、空を駆ける飛行部隊よりも速い彼女はあっという間に姿をくらませてしまった。

「……くそっ!」

 俺は思わず悪態付きながら、走り始める。

 鎧を着こんだまま走ることになるとは。道中で馬を失ってしまった自分の不運を呪いながら、俺は音を立て、サヤが走り抜けた場所へと向かう。

 すると遠くから爆発音が聞こえてくる。これは敵の爆弾か? 術か?

 どちらにせよ、あいつが死ぬことはないそれだけはわかりきっている。

 だってあいつは……。

「こっちにも居たぞ!!」

 そんな声が聞こえてくる。俺が顔を上げあたりを確認すると、軍旗を掲げた集団が俺に向かってきているのが見えた。

 あの軍旗は我が国のものではない……つまりは敵だ。

 見えるだけでも十数人。俺一人で相手できれば英雄のようだが、あいにく俺はそこまで強くない。退却しようにも殿も、足となる馬もいない。

 万事休すか。

 俺は歯を食いしばりながら、剣を構える。頼みの綱は駆け出して行ったサヤだが、帰ってくる保証がどこにもない。なんなら暴れるだけ暴れて城へ帰ってしまう可能性だってある。

 一人道連れにできれば御の字か……。

 絶望の中、間合いを詰めようとしたその時だった。

 集団の一人が横っ飛びで吹き飛ぶ。そして草原の上を勢いよく滑り、やがて止まる。

 何が起きたのか、全く理解できなかった。

 しかしその直後に、もう一人の膝が逆に曲がり、勢いよく地面へ頭をぶつけ始めた。

 今になって何が起こっているのか、俺は理解した。

 サヤだ。

 彼女が目で追えない速さで敵兵士をなぎ倒している。

 敵兵士もようやく自分たちが攻撃されていることに気が付き、サヤに立ち向かおうとするが、すぐに身体を吹き飛ばされ、地面へ叩きつけられている。どうやらサヤは敵兵士の武器を奪いながら戦っているようだ。

 数秒もしないうちに敵部隊は瓦解し、戦う意志を挫かれ、やがて逃走を始めた。俺はほっと一息つきながら、サヤを呼び止める。

「サヤ! もういい!!」

 俺は叫ぶ。彼女はびくっと身体を震わせ、血だらけの身体をこちらへ向ける。

「狼さん、また油断しましたね?」

「……失礼しました」

 彼女を追うためとは言え、確かに油断していたかもしれない。

 俺が頭を下げると、サヤは慌てたような様子を見せる。

「あっ、違いますよ! 謝ってほしいとかそう言うのじゃなくて!」

「……」

 サヤの慌てた顔を見ながら俺は背中を向ける。

「早く城へ帰りましょう。そろそろ日も暮れてしまいます」

 俺はそう言い、歩き始める。補給部隊から馬を受け取り、今度こそ城へ帰りたい。

 報告する内容などを考えていると、左腕に軽い衝撃が走る。

 自分の左腕を見てみると、サヤが俺の指を一本掴んでいる。

「あの、気分を悪くしたらごめんなさい……」

 俺は顔をゆがめそうになったが、何とかこらえ。

「いえ、気にしていませんので」

 そう言い、歩き始める。

 彼女に付き合っている暇などないのだから。



 やたらと煌びやかな城の中を歩き、俺は与えられている部屋へと急ぐ。

 今日はもう休みたい。あまりにもサヤに振り回され続けた。

 すれ違う使用人から奇異の目で見られながら廊下を歩き、やがて俺は部屋にたどり着き、一息つく。

 血と土を落としたい。

 そう考えたが、俺の机の上に置かれた本と紙が目に留まった時、嫌な予感が俺の中を駆け抜ける。

 そこにはサヤの創造主のサインが書かれている。俺は深いため息を漏らしながら、紙を覗く。そこには……。


『実験体に知識を授けてくれ。世話係として。この紙と一緒に置いてある本を読ませてくれ。ああ、君が読み聞かせしても、構わんがな』


 俺は紙をぐしゃぐしゃにしてしまいたい衝動を無理矢理抑え込む。

 自分でやれ。

 そう言えたらどんなに楽だろうか。

 俺は何とか感情を飲み込み、廊下へ出て近くで作業をしていた使用人を呼び寄せる。

「サヤを呼んできてくれ。勉強をすると伝えろ」

 そう指示を飛ばし、俺は再び部屋へ戻りさっさと準備を始める。

 俺が黙って従えば、俺の一族が耐えることがない。俺がいる限り、資金も提供され続ける。

 騙し騙されの貴族の中で生き残るためだ。

 自分にそう言い聞かせながら、血や土を落とし、部屋を整え、机の上に指定された本と紙を置く。

 ……何か物で釣ったほうが良いのだろうか。

 俺は少しだけ考えた後、また廊下へ出て、近くの使用人に声をかける。

「……子供が喜びそうなお菓子、持ってきてくれないか?」

 使用人は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐに顔を引き締め、俺に向かって一礼した。

 彼女はすごく単純で、食べ物に釣られやすい。動物みたいな扱いかと思ったが、彼女は十分猛獣であることを思い出す。

 俺は鎧や衣類などを片付け、簡単に泥や血を拭う。血の匂いを誤魔化すため、香水を振るい、彼女が勉強している間、手持ち無沙汰になるので、鎧の汚れを取るための布を用意する。

 しばらく経ってから、まず焼き菓子が俺の部屋に届く。

「……クロード様がお召し上がりに?」

 使用人の言葉に俺は首を振る。

「違う、あの子用だ」

「ああ……なるほど、失礼いたしました」

 使用人である彼女はそう言い、机の上に焼き菓子を乗せる。

「甘みを少なくしてしまいましたが」

「あの子はそんなこと気にしないから大丈夫だ、そのままでいい」

「かしこまりました」

 使用人は深々と頭を下げ、俺の部屋から出ていく。

 しばらくすると、サヤが部屋に入ってきた。髪が少し湿っているところを見ると、水を浴びてきたらしい。

 俺は体をほぐしながら、彼女を机へと案内する。

 今日は本を読ませる作業……か、適当な言葉で誘導しよう。

 どうやら彼女は俺の言葉を都合よく解釈することがあるようで、まるで俺が彼女に気を遣っているように見えるらしい。

 好都合と言えば好都合なので、そのままにしている。

 このまま勘違いを続けてくれれば面倒なことも少なくなる。

 俺はそう考えていた。

 彼女は最初こそ本を読むのを渋っていたが、俺が交渉していくうちに追いつけられたらしい。彼女は渋々本を読み始めた。

 かなり分厚い本だから、読破するのにしばらく時間がかかるだろう。

 俺は布を手に持ち、自分の鎧の元へ行く。早いところ綺麗にしておかないと、まだまだなすべきことがあるのだから。


 ローズタリア帝国

 俺が生まれ育った土地であり、俺が仕えているのもこの国だ。

 俺が幼い頃は前皇帝が存命で、この前皇帝と言うのがとても聡明な方で、国も安定していた。隣国との関係は良好であり、まっとうな政治をしていた。元々この国の国力があった……という見方もできるが、その大きな国力のコントロールができていた前皇帝はやはり政治の手腕はあったのだろう。

 しかし数年前に突如の死去。原因は病死だと聞かされている。前皇帝が病死してから間もなく前皇帝の弟が皇帝へ即位し、今に至る。

 前皇帝に子供がいなかったため、前皇帝の弟が即位したのだが……まあこれがとんだドラ息子というか目先の利益しか考えないぼんくらだった。

 そのため俺たち貴族は根回し放題の罠の仕掛け放題。貴族である俺が言うのもなんだが、本当にやりたい放題がまかり通っている。そんな貴族たちが好き勝手やっていると、必ずどこかへしわ寄せがいくのだが、そのしわ寄せは当たり前のように一般庶民へ向かっていった。

 そのため、今の貴族は一般庶民に酷く嫌われている……当たり前のことだが。

 長い目で見れば、この国はもたない。前皇帝が残してくれた遺産を食いつぶし、やがて国民や貴族、自分自身も食いつくし、この国は滅びるだろう。現皇帝の政治を見ている限り、そんな未来しか見えない。俺は共倒れするのはごめんだし、できることなら、この国から逃げてしまいたい。

 そのためには……。

「……んー、ローズタリア帝国って歴史が長いんですねぇ」

 この能天気な人体兵器をうまく活用したい。味方につけ、俺のために働いてほしい。

「そうですね」

 この少女を俺は利用する。

「まだまだ歴史は続くと思いますよ」

 ここにもない言葉を吐きながら、俺は無理矢理笑顔を作る。

 俺が笑顔を向けると、彼女は驚いたような表情を浮かべ、また本へ目線を戻す。

 ……よくわからないやつだ。

 そう考えながら、俺は鎧磨きの作業を続けた。


 彼女は自分自身を転生者とか、この世界に選ばれた勇者だと思っている。

 実際はそんなことはない。彼女の正体は人体兵器。人の形を模しただけの侵略兵器だ。

 この世界の『術』はあまり研究が進んでいない。どう足掻いても鋼鉄がある限り利用が制限される。そのため長年無駄な研究とされてきた。

 しかしその前提が覆ったのが数年前、一人の研究者が悪魔のような実験の果て、一人の少女を生み出した。

 それが彼女、サヤだ。

 サヤの身体には無数の術が施されており、さらに様々な人間のパーツが彼女に集約されている。

 なので、サヤは厳密には彼女ではなく、彼女たち、となる。

 創造主本人は「集合知だよ集合知」なんて馬鹿げたことを抜かしている。うまいことでも言ったつもりなのだろうか。

 そして生まれたサヤは少女のような身体を持っていたものの、知識がまるでなく、まるで赤子のようだった。

 今でこそ会話が成り立っているが、昔は本当に内容が通じずこちらの要求を伝えるのも本当に大変だった。

 一度言葉を覚えてしまえばすぐに身につけてはくれが……本当に面倒で嫌な時期だった。

 しかし、何度も言っても話が通じないことがあり、本来あった出来事を覚えていなかったり、逆に存在しない記憶を作り出す時がある。今でもその傾向は見られ、話を合わせるのが大変な時もある。馬に乗っていないのに、乗っていたり、俺が敵を倒していないのに倒していたりなど。彼女の妄想は多岐に渡る。

 俺がもし、彼女の妄想通りにだった場合、こんなところで彼女の世話などしていない。今頃は英雄になっていることだろう。

 本当に夢物語にも程がある。

「狼さん、読み終わりました」

「じゃあ次はこれをお願いします」

「えー」

「えーじゃありません。ちゃんと集中してください。また夜中まで長引きますよ?」

 俺がそう言うと彼女は膨れっ面になりながら、別の本を読み始める。

 本当に面倒なやつだ。俺はそう考えながら、自分の勲章を整える。

 俺の名前は狼……なんて名前ではない。

 クロード・ド・ラ・アルベール。

 ローズタリア帝国の貴族、アルベール家の次男。

 望まれぬ子として生まれ落ちた存在。

「うぐぅ……」

「今度はなんですか」

 今は人体兵器サヤの世話係である。

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