イセカイからキミと共にセカイを救う

霧乃有紗

こうして私は世界を救う。

 上に広がるは青い空、目の前には溺れるほどの緑。

 私は剣を抜き、魔物に向かって駆ける。

 私がこうして駆け抜けている間にも魔物たちは目の前から押し寄せていて、今にもその牙や爪を私へ突き立てようとする。

「甘いよ!」

 私はそう言いながら、身を翻し、牙や爪を避ける。そして避けた瞬間に剣を魔物たちへ叩き込む。

 剣を叩き込まれた魔物は苦悶の声を上げながら、地面へ転がる。剣に付着した血を払いながら、私は続けざまに突進してきた魔物の眉間に剣の切先を突き立てる。

 頭蓋骨は硬く、少しだけ私の手が痺れたが、すぐに柄を握り直し、構わず剣を押し込む。

 これまた聞くに耐えない悲鳴を聞きながら、私は別の魔物を探し始める。

 まだまだたくさんの魔物が私に向かって突進を続けている。私は剣を構え直し、迎撃する。

 私がここで戦っている理由。

 それは、私が転生者であり、救いの勇者であり、この世界で一番強いのが私だからだ。

「サヤ! 斥候からの報告! あと残り五十人はいるぞ!」

 私の背後からそんな声が聞こえてくる。仲間の声だ。その仲間の声を聞き、さらに私は剣を強く握る。力を込めすぎたせいか、少しミシミシっと音が鳴ったが、この戦いの間はもってくれるだろう。

 私が剣を握り、魔物を探していると、突然空から大量の弓矢が降り注ぎ始める。きっと魔物たちが放った矢だ。

 降り注ぐそれを見ながら私は剣を両手で持ち、一気に薙ぎ払う。空気ごと払われた矢は空中でバラバラになり、私に刺さることなく、地面へと落ちていく。

「ふぅ、風の術様様!」

 私はそう言いながらも再び剣を構え直し、魔物たちの襲来に備える。

 勇者特権というか、転生先の私の体質だと言うべきか、私は見た目以上に頑丈であり、並大抵の攻撃では傷つけることも難しい。

 それに関しては、転生先の私に感謝と言うべきかなんというか。ただ、痛いのは痛いので、あまり攻撃はもらいたくない。

「ふ……っ!」

 私は短く息を吐きながら、剣を腰の高さまでおろし、前傾姿勢のまま突進する。鎧の音が激しく鳴るが、隠れているわけではないため、気にしない。

 前方、私を囲うように魔物たちが盾を構えながら、私の前へ立ちはだかる。その背後で弓を構えた魔物たちが私に向かって弓を弾き絞る。それを確認した私は足裏に力を込めて、距離を詰めるため一気に駆け出す。ぐんと迫った魔物たちの盾に乗り、そのまま剣を後ろで弓を引いていた魔物へ突き立てる。そして振り向きざま、盾を構えていた魔物に剣を叩きつけ、体勢を崩したところへ剣を突き立てる。

 この世界に生まれ落ちて、最初に魔物を殺した時は、すごくショックを受けたし、自分が命を奪ったことを受け入れるのに、しばらく時間が掛かった。

 目の前にいる魔物たちが世界を害する存在だったとしても、私にはただ懸命に生きているようにしか見えなかった。

 だけど、その迷いはすでにない。

 私は。

 盾を持った魔物が突破されたことにより、相手の陣形が崩れ始める。同士討ちを恐れてか、矢も飛んでこない。

 私はこれ幸いにと、近くにいる魔物から順々に剣を突き立てる。何度も何度も魔物を刺したり叩いたりしていたせいか、切れ味が段々鈍ってきた気がする。そこで目をつけたのが、魔物が所持している武器。

 これがあれば。

 私は剣を鞘へ納め、地面へ転がっている魔物の死骸から、盾を取る。私の身長ほどあり鉄製であるそれを私は構え、そのまま魔物へ叩きつける。

 私に殴られた魔物は小さく呻いたあと、そのまま昏倒する。

 なるほど、これは良いかも。

 こんな良い盾を持っているなんて……と考えたが、きっとこれは魔物が近くの人間から奪い取ったに違いないと思い直す。

 だとしたら、私がいない時に人間が被害を……。

 私は苛立ちを解消するため、昏倒した魔物の頭部を踏みつけながら、顔を上げる。すると、先ほどまで私を囲んでいた魔物たちが撤退を始めている。私に向かって盾を構えたまま、ジリジリと後退しているのが見える。私は手に持ったままの盾をそのままぶん投げる。

 綺麗な弧を描きながら、その盾は魔物の一帯へ突き刺さる。

「逃がさないよ!」

 私はそう叫びながらさっきと同じように駆け出し始める。魔物たちは懲りずに矢を飛ばしてくるが、私はそれを全て鞘へ納めたままの剣で叩き落とす。そしてそのまま盾を踏み台にしたその時だった。

「サヤ! そこから離れろ!」

 遠くからそんな声が聞こえる。

 離れろ? 何故? 私が疑問に思った瞬間、目の前がピカッと光り、視界が一気に暗くなる。そして、口の中に土の味と、火薬の味が広がる。

 ……爆弾!?

 そう考えた頃には私は地面に転がり、一気に魔物たちが私に向かって武器を突き立てていた、たくさんの槍が私のことを貫いている。

 痛い……痛い……いた、い。

「サヤ! 聞こえるか! サヤ!」

 遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。あの声は私の世話係の……。

 やだなぁ、あの人にこんな恥ずかしい格好見せたくないなぁ。

「勇者、特権、その2」

 私は込み上げる血と共に言葉をこぼす。魔物たちがの動きが一瞬止まるが、私は構わず起き上がり、私から流れ出している血を掬い、そのまま周囲に撒き散らす。

「『爆発して!』」

 私は炎の術を唱える。直後、私の血液が爆発する。

「いてて……もう、煤だらけだよ……『剣を作って!』」

 私は術を唱え、キリキリチリチリとい痛む体へ鞭を打ちながら、無理矢理立ち上がる。

 私の手には私の血液によって作られた剣を収まっている。訓練の時に何度も作った、小ぶりで使いやすい形をしている。

「サヤ! 無事か!?」

 そんな声が聞こえ、私は顔を上げる。そこに居たのは、茶髪で高身長の男性。目元にほくろがあり、紋章が刻まれた鎧に身を包んでいる彼は、栗毛色の馬の上で心配そうな表情を浮かべている。

 彼は転生先のこの体の少女……の世話係。

 名前は。

「狼さん! えへへ、爆弾、見えませんでした」

 狼さんは安堵の息を漏らしたあと、眉間をきゅっとし始め。

「たくさん倒せるからって、敵の集団に行ってはいけないとアレほど言いましたよね?」

 と私を叱り始める。私はそんな狼さんへ向かって。

「倒せたから良いじゃないですか!」

 と返す。彼は額に手を当てながら。

「貴女は自分の力を過信しすぎなんです。もし、貴女に万が一のことがあったら」

 彼はそこで一度言葉を止める。その仕草に私は少しだけ心がキュウっと締まる。

「えへ」

「えへ、じゃありません。ほら、私の後ろへ乗って」

 狼さんはそう言うと、馬を私が乗りやすいように動かしてくれる。

 私は彼の言葉に従い、馬の上、彼の後ろへ乗る。

「戦況……いや、魔物たちとの戦いは有利に進んでおります。ほぼ残党狩りのようになっていますので、戦いが終わるのも時間の問題かと」

「はーい」

「……動きづらいんで、引っ付かないでください」

「はーい」

「返事だけ一丁前なのもやめてください」

 彼はそう言いながら、私を拒絶することはない。そんな彼と共に、さっきまで戦場だった場所を駆け抜ける。私が暴れた跡や、私と一緒に魔物退場に参加した人たちの戦いの跡が色濃く残っている。

「…… また復興作業が必要だね」

「貴女が暴れた後は貴女が片付けるんですよ、サヤ様」

「え」

「当たり前じゃないですか」

「そんなー」

 私は狼さんの後ろでしょんぼりしていると、遠くから爆発音が聞こえてくる。私と狼さんが乗っている馬が一瞬身体を硬直させる。私は血液で作った剣を構え、馬から飛び降りる。

「サヤ様!」

「行ってきます!」

 彼の言葉を聞く前に、私は魔物との戦いで荒れた大地の上を駆け出す。戦いの残骸の上に乗り、さらに跳躍する。

 遠くに黒煙が立ち昇り、魔物たちが咆哮をあげ、突撃しているのが見える。

 止めなくては。

 私は地面へ着地しながら、再び駆け始める。血の剣を握り締め、私は背後から魔物へ接近し、首筋に剣を突き立てる。

 剣を突き立てられた魔物は悲鳴をあげ、地面へ倒れる。私はそのまま剣を振るい、外殻ごと魔物を切り裂く。

「早く下がってください!」

 私は攻撃されていた味方に向かってそう叫びながら、剣を振るう。今度は別の魔物の頭を吹き飛ばす。

「て……撤退! 撤退!」

 私の言葉から数秒遅れてそんな声が聞こえてくる。私はその声を聞きながら、混乱して陣形が乱れている魔物たちをさらに切り伏せる。

 魔物の陣形の中へ入りこんだおかげか、魔物は自分の敵を見失っており、その隙に私は次から次へと撃破する。

「■■■■■!」

 突如そんな声と共に、私の身体に何かが突き抜ける。

 これは……槍か。腹部がカッと熱くなり、また血が噴き出る。私はその血を手で掬いながら、私のことを貫いた魔物へ向かって血を投げる。

 目的のひとつは目潰し。もうひとつは……。

「『爆発して』!」

 私が呟くと、私の血が熱を持って炸裂する。私に目潰しされた魔物の目元が消し飛ぶ。

「いたた……」

 それから私は服部を貫いている槍を引き抜き、そのまま別の魔物へ投げ返す。

「もう! また血だらけ!」

 私は文句を言いながら、魔物をまた切り伏せる。切っても切っても湧いて出てくると思われた魔物は徐々に数を減らしていく。

 そんなに倒したっけ? と周りを確認すると、撤退……と言うより、逃亡を始めている。魔物だし、プライドもないのだろう。

 私はそんな彼らに向かって、血の剣を構える。

 今の出血量であれば、数体くらいは数を減らせるかも。

 そう考えが、血の剣を精製しようとした時。

「サヤ! もういい!!」

 狼さんの声に私の手が止まる。顔を上げると、そこに狼さんが走り寄ってきていた。

「狼さん?」

「これ以上の追撃は無意味です。貴女、各個撃破が苦手でしょう?」

「そんなことないですよっ!」

「そんなことあります。それに血だらけの穴だらけで不気味なことになっていますよ?」

 彼の言葉を聞き、私は自分の身体を見る。

 先程貫かれていた箇所の穴は塞がっていたが、鎧や鎧の下に着用していた衣服がボロボロになっている。

「……あ」

「ほら、さっさと帰りますよ」

 狼さんは苦笑いしながら、私へ手を伸ばす。私はその手を掴もうとしたが、自身の手が血だらけだったことを思い出す。

 このまま掴んでしまったら、血だらけになってしまう。

 そう考えた私は手を引っ込める。しかしそんな私の手を狼さんは掴み、引き寄せる。

「今更気にする必要はないですよ」

 彼はそう言ってくれた。私は少々恥ずかしい思いをしながらも、彼の手に引かれるがままでいた。


 魔物退治から帰り、日が沈み始めた夕方。私は城へ帰り、水を浴び、全身の泥や血を洗い流した後、私は狼さんに呼び出されていたので、メイドさんに用意してもらった衣服を着て、城の中を早歩きで移動する。

 ……前に城の中を走ったら、メイド長さんにこっぴどく怒られたので、早歩きにしている。

 狼さんの部屋は城の三階、兵士棟と呼ばれている区画にある。

 ふかふかの絨毯や、ぴかぴかの花瓶や金色の額縁に入った絵画たちを通り抜け、狼さんの部屋に到着する。

 私は着ていた衣服をささっと整え、髪の毛を直し、そっと扉をノックする。

 するとすぐに扉が開き、中から鎧を着ていない狼さんの姿が見えた。戦場ではまずお目にかかれないラフな格好だ。

「サヤ様。早いですね」

「はいっ!」

 なんだか緊張してしまい、声がうわずってしまう。私の声が面白かったのか、彼は少しだけクスクスと笑い。

「そんなに慌てなくていいですよ。さあ、部屋へ入って」

 と言い、私を部屋へ招き入れる。

 狼さんの部屋に入るのはこれが初めてではないのだが、何回入っても緊張してしまう。

 こんなに緊張するってことは、きっと前世の私もあまり異性の部屋へ入ることがなかったのだろう。

 私は身体を硬直させながら、部屋へ入る。

 当たり前だが、彼の部屋は私の部屋とは違い、装飾よりも本や書類が多い。

「椅子に座ってください」

 私は彼の言葉に従い、椅子へ座る。机の上には湯気が立っている焼き菓子が。

「食べていいですよ」

「本当ですか!?」

「ええ、本当ですよ」

 彼はにっこりと微笑みながら、そう答える。私は彼の言葉を聞き、焼き菓子を一口食べる。

 カリカリの食感に、麦の香りが口の中に広がる。

 幸せなひと時を過ごしていると、狼さんがにっこりと笑いながら、私の顔を覗き込む。

「食べましたね?」

「……ふぇ?」

 私は焼き菓子を飲み込みながら、言葉を吐き出す。急激に嫌な予感が私の身体の中で駆け抜ける。

「食べたということは、お勉強してくれるってことですよね?」

「…………えええ!?」

 私は叫び声を上げ、椅子からひっくり返りそうになる。狼さんはにこにこと笑いながら、机の上を指さす。

「焼き菓子の横に誓約書が置いてありますよね?」

 私は急いで立ち上がり、ギ、ギ、ギ、と錆びた蝶番のように首を動かし、机の上、焼き菓子が盛り付けてあった皿の隣を見てみると、そこにはローズタリア語で『せいやくしょ』と書かれた紙が置いてある。


『焼き菓子を食べたら、勉強すること』


「……罠にはめられた!?」

「ちゃんと周りを見る。いつもサヤ様に言ってますよね?」

「卑怯! これは卑怯だって!」

「貴族はいつだって卑怯なものです。肝に銘じるように」

「ずるだよー!!」

 私は猛抗議したが、狼さんは一歩も譲ってくれず、渋々私は椅子に座り、勉強することになった。

「勉強が終われば、また焼き菓子がありますよ」

「……今度も罠じゃ……!」

「今度はただのご褒美です。誓約書でも書きますか?」

 彼の言葉を聞き、私は少しだけ考える。

 何か裏は……裏は……裏は……。

「狼さんが言うことだから……信じます」

「……嬉しい言葉ですが、私だからと信用しきるのはあまりよろしくないですよ」

 彼は苦笑いをしながら、私の目の前、机の上に本と紙を広げ始めた。


 この世界には『術』と呼ばれるものがある。

 それはこの世界に漂う、『何か』を集め、発現している。『何か』が何なのか、どういう仕組みで術が成立しているのか、それは今の研究段階ではわかっていない。

 気が遠くなるほどの昔の人たちが『術』を考えたらしいが、その真偽は定かではない。

 そんな『術』だが、使うには適正が必要である。世界に漂う『何か』を集めるのに向いている人間と向いていない人間が居て、集めるのに向いている人間はあまり多くない。

 ……というのも、数百年前、『術』のことを極端に恐れた人間……というか王様が、『術』に適性のある人間を迫害していた過去がある。そのため『術』に対する研究が遅れ、未だに解明できていないことが多い。

 そのため、『少し便利だけど、人類を進化へ導くものではない』というのが、学者の中での共通認識のようだ。

 現に、炎の術が存在するのに、蒸気機関や爆薬が開発されているあたり、あまり期待されていないのだろう。

 そして『少し便利だけど、人類を進化へ導くものではない』と言われてしまっている最大の原因は、『人間が鍛えた鉄は術を通さない』という性質にある。

 先程も例に挙げた炎の術は天才が扱えば、岩をも溶かす炎を巻き起こすことができるのだが、どういうわけか、人間が叩いて伸ばした鉄に触れてしまうと、術が搔き消えてしまうのだ。

 そのため生活に役立てようとすると、鉄を使用しない方法を考えなくてはならないし、戦場で利用しようにも、鉄の鎧を身に纏われるだけで、無力化されてしまう。

 やりようによっては利用できないことはないだろうが、そこまで術にリソースを割くくらいなら弓矢や火薬で吹き飛ばしたほうが早いだろう。と考えられている。


 私は本を読みながら、手に水を思い描く。すぐに私の手に『何か』が集まり、形が生まれる。

 それは水の珠で、形を保ちながら、手のひらの上で転がり続ける。

「前世ではこんな便利なものなかったから、最初は感動していたけれど……あまり、利用する場所がないんですね」

 そう言いながら、私は椅子から立ち上がり、狼さんの鎧へ近づき、手のひらの上に作った水の珠を鎧へ押し付ける。水の珠はたちまち押しつぶされ、『何か』がほどける。そして最初からなかったかのうように存在ごと搔き消されてしまう。

「『魔力』『元素』『要素』……学者によって呼び名が違うそれは鉄を通さない。しかし」

 私は数刻前に槍で貫かれたお腹をさする。すっかり完治しており、今は痛いよりもお腹が空いてきている。

「サヤ様の血が混じると、鉄に触れても『何か』がほどけなくなる」

「勇者特権!」

「……そうですね。勇者特権ですね」

 彼は微笑みながらそう言う。しかし表情とは裏腹に、ほんの少しだけ声色が寂しそうに聞こえた。

「さて、お勉強の続きですよ。今日は机の上にある本を読み終わるまで眠れませんからね」

「えっ、えええ!? あの量を今日中に!?」

「そうですよ。ここ数日は『魔物退治』ばかりだったので、やるべきことが溜まっているんですよ」

「そんなぁ~」

 私は嘆きながら、椅子へ座りなおす。机の上に並んでいるのは二冊の本。どちらもこの国の歴史についてのことが書いてあるらしい。

「ううう……」

「終われば焼き菓子もありますよ」

「割に合わない!」

 私は叫びながらも、本の表紙をめくる。すぐにたくさんの文字が並び始め、頭が痛くなったが、ゆっくりと読み進めることにした。


 私は転生者だ。前世の記憶は……ほとんど覚えていない。

 ただ、酷い事故で命を落としてしまったことはわかる。何度も死にたくない、消えたくない。そう願い続けてきたことも覚えている。

 だから人一倍死にたくないし、痛いのも嫌だ。本当は勇者なんて大役も背負いたくない。

 けれど、私が立ち向かわないと、この世界から魔物がいなくならないのも事実だ。

 私は読みかけの本のページから一度目線を外す。外した先には、自分の鎧を手入れしている狼さんの姿。彼は私がここへ転生した時からずっと居てくれた私の世話係、私につきっきりでこの世界の知識を教えてくれたり、文字を教えてくれたり。戦いに行く時にはサポートをしてくれるし、時には守ってくれる。

 過去に一度、何故私のことをそこまで世話してくれるのかと尋ねたことがあるのだが、その時彼は。

「仕事ですので」

 の一言でどこかへ行ってしまった。彼以外の人間……例えば近くにいるメイドさんに聞いてみても。彼が貴族であることしかわからなかった。

 私は目線を本へ戻し、また文字を追い始める。最初は全然わからなかった文字が今となってはスラスラと読める……ただ、文字を読んで頭の中へ叩き込む作業は苦痛そのものだが。

 文字を読むことに飽き始めていた私はもう一度、狼さんの方を見る。

 短く、綺麗な茶色の髪の毛。身長は高く、すらっとした体型。そして戦場へ出ているためか、引き締まった筋肉。

 顔も整っているので、かなりカッコ良い部類の人間だと思う。少なくともこのお城に住んでいる人たちの中では一番何じゃないかなと勝手に思っている。

 前世の私はきっとしっかりと良いことをしてきたから、そのご褒美が貰えているのかも。

 なんてことを考えていると、私の頭に軽い衝撃が走る。

「サヤ様?」

「あ」

「あ、じゃありません。ちゃんと集中してください。また夜中まで長引きますよ?」

「それはやだ!」

 どうやら本を読んでいなかったことがバレてしまったらしい。私は本へ目線を戻し、今度は頑張って最後まで読むことにした。

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