12・悪魔信仰
廃墟となった島の研修所からは、有益な情報はほとんど得られなかった。それでも鉄筋コンクリート造りの建物の骨格は、ほぼ原型のまま焼け残っている。
地下の個室には子供たちが収容されていたと思わせる痕跡も残っていた。だが爆発によって高温で蒸し焼きにされ、DNAなどの決定的な証拠は損壊している。絵本やぬいぐるみらしい燃えかすが採取されたものの、公判に耐える証拠とは呼び難い状況だった。
それでもSATが収集した高解像度の現場画像からは、新たな情報が得られた。建物の構造を精査したシナバーは、言った。
「ここの広間、写真にあった儀式の会場に似ているけど、別物ですね」
篠原が念を押す。
「確信はありますか?」
「天井の高さから割り出した壁の長さが、5メートル以上違います」
篠原はシナバーの結論を疑わなかった。
「本当の儀式は別の場所で行われたわけですね。だとすると、それはどこなんでしょうか……」
シナバーが自信なさげに言った。
「あの……ずっと気になっていたことがあるんですけど……」
「なんでしょうか?」
画像解析では揺るぎを見せなかったシナバーが、いきなり控えめになっていた。
「それこそ、オカルトなんですけど……」
篠原の直感が反応した。
「気になることは、なんでも言ってください。一見些細な意見こそが現状打開のきっかけになることがありますから」
藤巻と高山も、作業の手を止めて顔を上げる。
シナバーはかえって縮こまった。
「馬鹿にされそうなんだけど……この事件の始まりは子供の死体遺棄でしょう? 遺棄された場所をあらためてチェックしたんです。どれも神社の近くで、どこも平将門に関係した場所なんですよね……」
篠原の目が真剣さを増す。
「どういうことですか?」
シナバーはモニターの地図示した。
「最初の死体は鳥越神社」そして地図を切り替える。「次は宮本公園。でもほら、ここって神田明神のすぐ横ですよ」
篠原が身を乗り出す。
「そうか……遺棄場所に意味があったのか。気づかなかったな」
シナバーがさらに地図を切り替える。
「で、他の2体。淀橋第四小学校って鎧神社のすぐ近くだし、甘泉園公園って水稲荷神社と一体の区画です。で、どの神社も将門信仰関連なんですよね……」
高山がうめく。
「今どき、将門様かよ……」
しかし篠原の表情は厳しく変わっていく。
「盲点でした。そもそもいかがわしい新興宗教団体が中心で、しかも〝悪魔の儀式〟ですからね。だとすれば、宇佐美さんを小島に閉じ込めたのは欺瞞工作ということですね」
高山も息を呑む。
「施設は破壊された……これで事件は終わった――と思わせようとした……?」
「本拠地から目をそらすためでしょう。将門伝説ですか……あり得ないどころか、おそらくビンゴですね。これで穴が埋まった感じです」
「そんな、バカな……」
「わざわざ突入を待って離れ小島の施設を破壊したのはなぜだろうと、疑問だったんです。〝目眩し〟なら理解できます」
藤巻はアイパッドで都内の地図を開いていた。
「鎧神社、水稲荷明神、鳥越神社、神田明神、か……。なるほど、どこも将門公関連の神社近くですね……。しかし、それにどんな意味があるのでしょうか?」
篠原が考え込む。
「悪魔崇拝というのが犯罪の根源なら、悪霊としての将門を力を借りたいと考えても不思議ではないでしょう。遺棄された子供たちは、人身御供ということでしょうね」
言い出したシナバー自身が半信半疑のようだ。
「まさか、21世紀にもなって……」
「しかしそれなら、わざわざご遺体を人目に着くように遺棄した理由も納得できます。メディアが騒げば騒ぐほどマイナスのエネルギーが高まるでしょうから」
シナバーが意外そうに篠原を見つめる。
「篠原さんまでオカルトを信じているんですか? あたし、エンタメ気分でパワースポットとかタロット占いとか見てるんですけど……非科学的だとは思っていますよ?」
「オカルト自体は科学的に説明がつかないものがほとんどでしょう。僕が信じているのは、オカルトとかスピリチュアル的な世界を信じている者たちが実在するという現実です。彼らは、自身の信念に従って行動を起こすこともあります。事実であるかどうかに関わらず、です。だから重大事案の背景にオカルトがあることは、全く非科学的ではありません」
藤巻も身を乗り出していた。読者を惹きつける記事を求める立場では、放っては置けないという顔つきだ。
「そもそも東京の建設に将門信仰が深く関わっていたことは嘘じゃないみたいですしね」
高山も言った。
「下町じゃ、将門様を粗末にすると祟られると教えられてきましたし……民間信仰としてがっちり根付いていますから、俺もそれ、分かります」
篠原が結論を下す。
「宗教上のシンボルとして、呪いの力が強い将門公を崇めるのはある意味合理的です。信者を洗脳するツールとしても有益に違いありません。体裁は東方正教会でも本当の顔が悪魔崇拝なら、信仰対象は将門なのかもしれませんね。形ばかりの新興宗教なら、どんな教義を混ぜ合わせようと成立させられるでしょうから」
シナバーもようやくうなずく。
「でもそれ、儀式の場所の特定に役立つのかな……」
「情報として加味した方がいいでしょうね。この周辺に、何か将門にまつわる伝承はありませんか?」
高山が身を乗り出す。
「将門公にまつわる神社が7つあって、北斗七星の形に配置されている、とか?」
シナバーのオカルト趣味にもスイッチが入ったようだった。
「あ、それ、知ってる! 朝廷から江戸を守るために、将門の怨念を結界にして利用したんだとか!」
藤巻もうなずいた。
「それを決めたのは徳川家康だって聞いたことがあります。近所の神社の歴史を調べていた時に、神主さんが言っていました」
「あたしも聞いたことがある! 都市伝説としては、わりと有名かも。だけど、そんなことが関係あるのかな……?」
「あるかもしれませんよ。なにしろ新興宗教が利用している伝説ですから。他には何か言い伝えはありませんか?」
「あたしが知ってるのは……例えば徳川家は妙見信仰を持っていて北極星を崇めてるとか、それでオリオン座を信仰する天皇家と対立してるとか」
高山がつぶやく。
「あ……! 北極星って悪魔信仰だって聞いたことがあるぞ!」
藤巻はさすがに眉をひそめる。
「そこまで飛躍すると、ちょっと……」
だが篠原は言った。
「そもそもオカルトですから、信じる者はどんな矛盾でも受け入れます。徳川の悪魔信仰というのは理屈としては説得力があるのかもしれません。北斗七星と北極星って――」
シナバーが後を引き取る。
「アルファ星とベータ星の距離を5倍に伸ばした先にあるのが北極星です! 北斗七星が分かれば、北極星はすぐに見つかる!」
シナバーはすぐにラップトップに飛びついて地図を表示した。
藤巻も自分のアイパッドで将門伝承を調べ始めている。
「おっと、この記事によると将門の胴体は茨城県の延命院……胴塚にあるっていうぞ。そこが北極星なんじゃないですか?」
「それ、あたしも知ってます。方向は確かにそっちかもしれないけど、距離は遠すぎると思うんですよね。普通の計算でやってみると……」
高山も興奮気味だ。
「しかし、ここまでオカルトだなんて……刑事が真剣になってもいいものですかね……」
篠原は笑いながらシナバーの背中を見守っている。
「どうせ僕らのやってることは爪弾きの時間潰しです。本命は本庁の帳場なんですから、こっちは好きに弾けてもいいんじゃないですか?」
シナバーが声をもらす。
「この地図だと北極星の場所は……足立区の外れぐらいかな……何か新興宗教に関係しそうな場所は……」
篠原が言った。
「この教団……というか新興宗教を偽装に使っている〝グループ〟は、身を隠す術に長けているようです。豊富な資金を持っていることも間違いありません。集まるなら、あえて宗教とは無関係な場所を選ぶと思いますよ。その周辺、どんな環境でしょうか?」
「住宅街だけど、倉庫とかも多いみたい……」
「では、目立った建物やビルの登記簿を調べてみましょうか。この手の調査には警察の権限が有効ですから」そして高山を見る。「帳場も、多少の人員は割けるでしょう?」
「できるでしょうが……将門伝説によると――って要請するんですか?」
「説明できませんか?」
「俺がするんですか⁉」
「この件……ちょっと核心に近すぎると思うんです。小宮山さんの方から帳場に指示すると、もっと上から〝待った〟がかかるのかもしれません」
「捜査妨害……ですか?」
「官僚とか政治家には僕らには窺い知れない繋がりがあるものでしょう? 助け合ったり、守りあったり、とか」
「俺にそんなこと聞かないでくださいよ……。そう思ってたって、話せるわけないじゃないですか」
「ですから、現場から上がってきた意見として進言していただきたいんです。そんな末端まで上の目は届かないでしょうから」
「また直感ですか?」
「宗教団体のプロファイリングの結果だと言えば、多少は信憑性が増すのではありませんか?」
「仕方ないな……まあ、話だけは通しますが……」
それを聞いていた藤巻も加わる。
「私の手駒も動かしてみましょう」
「よろしくお願いします」
捜査本部に連絡をとってしばらく話し込んでいた高山は、驚いたように言った。
「帳場はすでに将門伝説に気づいていました。宇佐美のデータから手がかりになる情報を得ていたようです。なんでも、自宅にあったPCからそれらしい資料がごっそり出てきたとか。1時間ほど前にロックが解除できたとかで」
篠原が身を乗り出す。
「だったら捜査も進展しているんでしょうか?」
「帳場は解釈に戸惑っているみたいですね。断片的なデータばかりで一貫性がないんだとか。面白おかしい記事をでっち上げるために周辺情報を手当たり次第に集めたって感じらしいです」
「宇佐美さんが集めた資料なんですから、本人から聞けばいいものを」
「なぜかその点については、証言を拒んでいるそうです。体調が悪いとか、情報提供者のプライバシーに関わるとか言って、話そうとしないとか。『ホテルに連れて行け』とか、ごねているそうです」
「はい? 今さらですか? でもその資料、こちらにも見せていただきたいですね。視点が変われば、意外な情報が読み取れるかもしれませんから」
「管理官の指示で手配済みだそうです。生のデータがそろそろ届くかと」
「では、〝北極星〟の捜査も進んでいるのですか?」
「そっちにはまだ気づいていなかったと……。ものすごく感謝されました。これって……俺の手柄になっちゃうみたいですけど……」
「どうぞ、差し上げますよ」
藤巻は言った。
「本当にオカルトがスクープになっちゃいましたね……」そして気づく。「あ、やばい!」
「なんでしょうか?」
「そっちって……北東方向ですよね」
シナバーが気づく。
「確かに……陰陽道では鬼門です。悪霊とか邪な霊が入り込む方角……」
篠原は小さなため息をもらした。
「普通は神社とかを建てて防ぐものでしょうが、悪魔を信仰しているなら東京に呼び込む企てでしょうね」
高山がうめいた。
「そこまでオカルトなのかよ……悪魔を 招き入れて東京で何をする気なんだ……?」
✳︎
宇佐美が隠していたデータが捜査本部から届けられると、すぐにシナバーと篠原が解析にかかった。藤巻が預かっていたデータと重複するものも多かったが、量は3倍以上に膨れ上がった。数多くの防犯カメラ画像はすでに本部の手で場所が特定されていたが、その画像にどんな意味があるのかは読み切れていなかったのだ。
場所は関東一円に広がっていたが、密度が濃いのは東京と茨城の県境周辺だ。
手がかりに気づいたのは、やはりシナバーだった。
「この場所、どこも目の前に集会所を持ってる建物があるっぽい……」
その多くは小ぶりなホテルや結婚式場で、さらに調べると経営に行き詰まって買い手を求めているものがほとんどだった。
篠原は言った。
「宇佐美は儀式ができそうな集会所を調べていたんでしょうね。しかしこの中にはなかったとすると……」
「経営不振がヒントだと思います」
「でしょうね。ここ数年間に売りに出された建物を重点的に調べてもらいましょう」
決定的な情報は、足立区の交番警官からもたらされた。
足立区と埼玉県の県境近くにある3階建てビルの老人ホームで、代表者が変わってから数ヶ月で客層に変化が現れたというのだ。入居者の多くが若年化し、駐車場に行き来する訪問者も黒塗りの高級車が増えたらしい。
この情報をきっかけに、集中調査が行われた。
周辺の監視カメラで人の動きを解析した結果、平均して月に1回のペースでなんらかの集会が行われているという疑いが強まった。
同時に地元署が入手した建物の設計図が届いた。
ここでも最も力を発揮したのはシナバーだった。
病室を訪れた小宮山管理官から直接設計図を渡されたシナバーは、それを見た瞬間に確信を込めて言い切った。
「この地下2階のホール、儀式の写真が撮られた部屋と矛盾する点はありません。でもなんで地下にこんな広いスペースを作ったのかな……?」
「ダンスやカラオケの会場にしていたそうだ。近所に騒音が漏れないように地下にしたという。当初はゲームセンター風にもしていたようだね。老人たちを寝たきりにするのではなく、刺激を与えることを狙ったというが、家族たちにはなかなか理解されずに経営に失敗したわけだ」
「なるほど……地下に並んでる個室はなんですか?」
「住み込みの従業員用だ。全部で10室、かな。緊急用に何人かは住まわせたかったようだが、結局はあまり使われなかったという」
「でも、子供たちを閉じ込めておくには便利ですよね。あたしに権限があるなら、即、突入です」
「突入は正午ちょうどに行う」
約1時間後だった。
シナバーが意外そうに言った。
「なぜ日中に?」
「関わっている者が従業員に紛れているなら、逃したくないからだ。君たちもライブ映像で確認してくれたまえ」
老人ホームとすめらぎ正教会本部への同時捜索はすでに立案されていたのだ。並行して分析を進めていた科捜研でも、シナバーと同様の判断が下されていたという。
ホーム周辺を私服刑事たちが何重にも取り囲む中、SATの急襲が決行された。
地上階の老人ホームには、通常通りの業務を許可していた。しかし第1段階として理事長に令状を提出したときには、すでに特別編成の私服刑事たちがホーム内部に散っていた。不自然な行動を起こす者がいないかを徹底的に監視する体制が敷かれていたのだ。
捜査本部では、ホーム全体が犯罪行為に加担していることはないと判断されていた。だが、居住者や従業員に〝実行者〟が潜んでいることは考えられた。捜査妨害があった場合に備え、直ちに制圧する実行部隊が不可欠だったのだ。
第2段階として、潜入部隊が地下室の電源と通信環境を掌握した。緊急時にはビル内全てを遮断することを想定した布陣だった。
小隊長以下数名のボディカメラ映像が、再び病室のモニターに表示されていた。篠原たちは息を殺し、映像を見守った。
第3段階が決行された。
地下室の照明が切られ、一個小隊20名のSAT隊員が全ての通路から一斉に地下室に突入した。ロックされた防火扉や部屋の鍵を開錠しながら、厳重に閉ざされたホールへ向かっていく。
抵抗は全くなかった。
だが映像の中の1つ、ホールに真っ先に突入した隊員の暗視カメラが〝異常〟を捉えた。
ホールは無人だった。だが、床がやや高くなったステージ奥の壁に、奇妙な〝オブジェ〟が張り付いている。
不鮮明な暗視カメラ映像でも、その禍々しさは消し去れない……。
シナバーが両手で口を覆ってうめく。
「あれ……人間?」
何者かが全裸で、足首を縛った縄で天井から吊るされていた。
両腕は真横に広げられ、手の甲を大きな釘で壁に打ち付けられていた。背中には無数の鞭打ちの傷があり、血が滲み出したようだ。顔は見えない。長い髪が垂れて床につき、その下には血溜まりがある。
おそらくは女で、年寄りだ。
まるで〝キリストの磔〟の逆さまだった。
しかも、2本の日本刀が真横から体を貫いている
1本は首筋に。2本目は太ももを斜めに――。
これもまた、正教会の八端十字架を上下逆さまにしたものを模したようだ。
悪魔の印だ。
ホールに突入した隊員たちが、周囲を警戒しながら近づいていく。それに伴い、モニターに映った〝オブジェ〟が一斉に大写しになっていく。
藤巻が顔を背ける。
「ひどいな……」
高山は無言で腕を組み、モニターをにらみ付けていた。硬く握った拳が、怒りでわずかに震えている。
篠原が穏やかに諭す。
「シナバーさん、見ない方がいいです」
シナバーも画面から目が離せずにいる。
「こういうの、慣れてますから……。とはいっても、作り物のホラー映画だけど。これ……本物ですよね……」
「だから、見ない方がいい」
SAT隊員がオブジェに近づき、縄を切って床に横たえた。
降ろされた女の体は柔軟に曲がった。その柔らかさからすると、明らかに殺されてから数時間も経っていない。
SATのカメラが女の顔に近づく。
岸貴恵だった。
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