10・〈裏〉教会

 シナバーは20枚ほどの静止画像データの解析を開始した。

 画像の多くは同じ角度から撮影された隠し撮りのようだったが、異様な光景が展開されていた。一定時間ごとにシャッターを切る、インターバル撮影という方法で自動撮影されたらしい。

 怪しげな〝集会〟だった。

 そこに写った19人の参加者は、全員男だった。同じスーツを着て、同じ形のマスクとサングラスで顔を隠していた。まるで1人の分身が19体、1か所を囲んで密集しているような不気味さが漂う。

 彼らの前には低いテーブル、あるいは〝祭壇〟があるらしい。

 はっきりと姿が写った〝巫女〟は、赤を基調にしたゆったりとした和風の装束を身につけて顔の上半分を白くのっぺりとした仮面で隠していた。テーブルらしい場所の周囲を動き回り、男たちに〝何か〟を給仕しているようにも見える。

 多くの写真では、彼らの後ろの一段高い場所にキリスト教の〝司祭〟のような老人が立っていた。巫女同様、男の能面を半分に切ったような仮面で目の周囲を隠している。宗教臭を漂わせるゆったりとしたローブは禍々しい黒だ。司祭は儀式が進行してしばらくしてから、会場の雰囲気を高めるために登場したという様子だった。

 教会と神社を無理に混ぜ合わせたような絵柄は、それだけでいかがわしさを感じさせる。

 彼らが囲む祭壇に〝何か〟が乗せられているのは明らかなのだが、参加者の背中に遮られてはっきりと確認できる画像はなかった。最後のカットでは、参加者が全員同じ透明なポンチョを着ていた。

〝何か〟から飛び散る〝液体〟を遮るためだとしか思えない。

 宗教的な――あるいは宗教を模した〝儀式〟が行われていることは間違いなさそうだった。その過程を、誰かが背後から隠し撮りをしたのだ。

 だが、その連続写真は〝決定的〟な瞬間は写せていない。最終カット以後に何が行われたのかは、想像するしかなかった。

 シナバーは、女が最もはっきり写ったカットを抜き出していた。

 マックブックの画面を後ろから覗き込む高山がつぶやく。

「その画像をどうするんだ?」

 シナバーは振り返らないまま答える。

「尾上さんの写真と照合します」

「AIってやつか? だが、そんなちっぽけなパソコンだけでできるのか? 科捜研じゃ馬鹿でかい機械を使ってるぞ?」

「まあ、これはただの入り口みたいなものだから。ネットの先には数100台のコンピュータがつながっていて、並列処理します。あ、持ち主には特に断りなしに借りているんで、これは秘密に」

「……って、そりゃ犯罪にならんのか⁉」

「持ち主が使っていない間にちょっと借りてるだけだし、データを奪うわけじゃないし、本人も気づいていないし……まあ、電気代は向こう持ちですけど。そもそも世界のどこにあるのかも分からないし、誰のマシンかも調べたくないし……いいんじゃないですか?」

 高山は困ったようにベッドの篠原を見た。

 篠原はベッドの背もたれを立てて寛いでいる。笑いを堪えているようだ。

「僕は聞いていないことにしてくださいね。ここの回線、たいしたスピードは出ませんけど我慢してください。残念ながら、警察もお役所なものでサービス精神は二の次なんです」

「確かに……ちょっと力不足かな。でもご心配なく。高速の衛星ルータを持参していますから。窓際に移動して構いません?」

「使いやすい場所へどうぞ」

 そう言うと篠原は、患者用のベッドテーブルに置いたラップトップで動画を見続けた。集中しているようにも見えるし、面倒ごとを避けるためにあえて無視しているようにも思える。

 藤巻も別のマシンでデータを見ている。

 高山は肩をすくめてシナバーに目を戻した。

 シナバーはテーブルの片側を持って、にこにこと微笑んでいる。

 高山が仕方なく手伝い、シナバーは小さなテーブルを窓際に移動して機材をセットした。パイプ椅子に座り直すと、すぐに次の操作に入る。

「今、全部の画像の解像度を最大限に上げています。しばらくかかるかも、ですけど」

 高山にはモニターに現れたウインドウの中で動き回っている数字の羅列が、何を意味するか理解できない。

「そうはいっても、ボケた映像ばかりじゃないか……」

「特別なアルゴリズムで、ピクセルの欠けた部分を予測しながら細かく埋めていくんです。専用ソフトを用意してありますから」

「それって、当てずっぽうか?」

「違いますって。今あるピクセルの相互干渉を計算して、中間のピクセルに何があるのか割り出していくんです。例えば……公園で歩いていたら、背中にテニスボールが軽く当たったとしましょう。振り返ったら、テニスウエアの小学生がこっちに向かって走ってきています。その隣のコートでは、筋肉モリモリの大学生がやはりテニスをしています。でもすごいスピードでラリーを続けていて、あなたには誰も関心を向けていない――だとしたら、ボールはどこから飛んで来たと思いますか?」

「そりゃ、小学生の打ちミスだろう」

「ボールが来た方を見てもいないのに? それ、当てずっぽうですか?」

「いや……常識的な判断だな。小学生なら力も大して強くないだろうし」

「当たってきたボールを見ていなくても分かるでしょう? コンピュータは常識の代わりに数式を使っているわけです。ま、そういうことです」

 高山は狐につままれたようにつぶやく。

「なるほどな……」

 そうこうしているうちに、数字の動きが遅くなり、代わって解像度が上がった画像が表示されていく。それでもまだボケた感じは完全には消えてはいない。

「あら、意外に早かったかも。でも、ここが限界のようね。回線も安定しているようだし、まずはこの段階で解析してみましょう」シナバーはエンターキーを押した。「照合ソフト、走りました。多分すぐ結果が――」

 そう言っている間に、小さなウィンドウが開く。

『69・3%一致』

 シナバーがうなずく。

「ほぼ同一人物ね」

 高山は不安そうだ。

「写真はまだボケてるし、顔の下半分だけで分かるのか?」

「だから70パーセント程度なんです。素人目にも不完全な素材ですらこの結果なんだから、同一人物で間違いないのでは?」そして付け足す。「それで、この照合にどんな意味があるんですか? ここまでやってるんですから、教えてほしいな」

「捜査機密だ」

「それなのに、病院なんかでコソコソ調べてるんですか? しかも、民間人を使って。……あたしただの民間人だし、誰かにうっかり喋っちゃうかも」かすかにウインクした。「理由を教えてもらえたら、気持ちも引き締まるでしょうけど」

 高山の視線が篠原に向かう。

「そうは言っても……」

 シナバーが喰い下がる。

「この画像データ1枚だけからでも、まだまだ読み取れる情報はたくさんありそうですよ」

 彼らのやりとりを横目で眺めていた篠原が、観念したように加わる。

「何が分かりそうなんですか?」

「例えば……観客の男たちの顔。大部分後ろ向きだけど、少しは見えている人物が数人いますから。分析したら興味深い結果が出そうですよ。あたしのデータプールと付き合わせたら、誰だか分かっちゃうかも、です」

「サングラスやマスクをしていても、ですか?」

「ピンポイントの人物特定は無理でも、大雑把な特徴ぐらいは読み取れるかも」

「やってみてください」

 シナバーは面白そうに笑う。

「なんだか入社試験みたい。実地で力を見せつけられるって、燃えますよね」

 言いながら、素早くキーボードを操作していく。

「楽しそうですね」

「新聞社の仕事って、バカみたいのが多くて……あ、藤巻さん、ごめんなさい。それでもギャラが良いんで、暮らしの足しにはなっているんですよ」

 藤巻は苦笑するばかりだった。

 数分後、シナバーは真顔になってつぶやいた。

「やだ……どうしよう……」

 篠原が身を乗り出す。

「何か分かりましたか?」

「すごく重要なこと……聞きたいですか?」

「もちろん!」

「だったら、こんな中途半端なところで外さないで欲しいんですけど。前戯だけで、先にイビキかかれちゃったみたいだもの。画像1枚でここまで分かるなら、全部解析したいし」

 篠原は珍しく困惑を見せた。

「しかし……」視線が藤巻に向かう。「もう少し待ってほしいですね。重要な犯罪捜査ではありますが、まだメディアには公表されていないもので……」

「でもあたしの役目、もう終わりなんでしょう? だったら、たった今発見した秘密もお墓まで持ってちゃいますけど。誰にも話さずに、ね」

 篠原も無視はできなかった。かすかに笑みを漏らす。

「それって、脅迫でしょうか?」

「めっそうもない。心清き一般市民からの、捜査協力のご提案です」

「分かりました、許可しましょう。代わりに、僕が良いというまでこの病室から1歩も外に出られなくなりますよ。脅しじゃなくて、文字通り。我慢できますか?」

 シナバーは平然と言い放つ。

「トイレは温水シャワーだし、食事さえ持ってきてくれるなら全然大丈夫。味音痴だから病院食でも我慢します。お菓子は少し差し入れて欲しいけど……」

 高山が言った。

「寝るのはキャンプ用の簡易ベッドだ」

「アウトドアも嫌いじゃないよ」

「風呂は無理だぞ」

「パソコンの組み立てに夢中になって1週間ぐらい入らなかったこともあるから、平気」

「そんなに時間がかかるのか? パソコンって」

「100台以上、組んだから。スパコンに喧嘩を売ってみたくて」

 篠原が声を上げて笑う。

「そこまでの覚悟があるなら、止められませんね。では、種明かしをしていただけますか?」

 シナバーは途端に真剣な顔つきに変わった。

「この男たち、顔が一緒なんです」

「はい? どういうことです?」

「確認できる4人が同じ顔をしているんです。おそらく19人全員、同じだと思います」

「花粉マスク越しでも分かるんですか?」

「サングラスの色が薄いんで目の周辺は鮮明化できたし、マスクに顔の形が反映しますから。画像ひとつだけの解析では確信が持てませんが、表情の変化もあるようです。なので、かなり高度な変装用ラテックスマスクをつけているんだと思います。ぱっと見変装だと気づかれない、特殊メイク的な……そう、『ミッション:インポッシブル』で、ベリベリ剥がして見せるようなやつですね」

「全員が?」

「そう考えても矛盾を生じません」

「つまり、参加者の間でも正体がバレないように手を尽くしているということですね」

「だとしたら、物凄い手間とお金をかけていますね。あたしの予測が当たっているならオーダーメイドだし、ひとつ作るのにもかなりの時間がかかります。今日頼んで明日出来上がるっていうレベルではないみたい。専用の器材や材料も必要だろうし、当然製作費もバカ高い。それだけ投資しても、参加者の秘密は守らなければいけないってことだと思います。あ、手が見える人もいるんですが、肌色のラテックス手袋もしているみたいです。不自然なシワがところどころに出てますから。指紋を残さないためでしょうね」

「そこまで分かりましたか」

「それに……」

 シナバーが言い淀む。

「他にも何か?」

「壁際の什器の一部に、ステンレス製のワゴンのようなものが写っているんです。この画面だけでははっきり見えないけど、ペンチみたいなものを載せているような――」

 高山が声を上げる。

「そこで子供を手術しているのか⁉」

 シナバーが反応する。

「手術? あぁ、なるほど……それがあたしに教えたくない捜査機密ってことですか」

 高山は明らかにうろたえた。

「それは……」

 シナバーは気にも止めない。

「手術をしていてもおかしくないと思います。で、ステンレスなので一部分、鏡のように反射しているようです。細かく調べたら、そこからも何か情報が取れそうなんです」そして高山を見る。「どんな手術かも分かっちゃうかも、です」

 篠原がうなずく。

「良い腕をしていますね。入社試験、合格です」

「では、全部の画像で……20枚ぐらいありますけど、同じ操作をしてみます」

「これからが本番です。可能なら部屋の大きさとか、建築の特徴とか、できる限り多くの情報を引き出してほしいのです。壁には柱とか配管とかも写ってますから、何かしらの手がかりになると思うんです。それと僕らが見ている動画は全部別の場所らしいんですが、関連性がありそうならそれも調べていただきたい」

「まずは静止画像解析から。次に動画を加えます。音声データもあるんでしたね?」

「この儀式の最中の録音のようです。ただ、ほとんど何も記録されていません。司祭風の男の小声のお経のようなつぶやきだけです」

「参加者や巫女の声は?」

「判別できません。基本的に無言で進行しているようです」

「何度も同じ儀式を繰り返しているから、やり方を説明する必要もないってことでしょうね。参加者に飛び入りはいない、と考えてもいいかもです。で、他には何を知りたいんですか?」

「何が――とかは言えないところが心もとないんですがね。例えば、この儀式の意味を推測できるような手がかりとかです」

「音声をクリアにできれば、お経の意味は分かるかもしれません、そっちを優先しますか? でも……そもそもの事件が発覚した経緯を知らないと、何を探していいかも分からないかも……」

「聞けば、より重い責任を負うことになります。かなりヘビーですよ?」

「あたし、いつも猫っぽいって言われるんです。好奇心に殺されちゃうタイプ」

「覚悟があるなら、ぜひ、ご協力をお願いします。犯人しか知り得ない秘密――という内容も含む捜査資料も、残らずお見せしましょう」

 シナバーが意外そうに言った。

「いきなりそこまで? そんなに簡単に判断していいのかな……」

「仕事ぶり、見てましたから」

「あたしにできると?」

「僕の直感が、そう告げています」

「キャリア役人さんって、もっとスクエアだと思ってました」

「〝敵〟は常に僕らの行動の先を行っています。こちらの〝観測〟に対応して犯罪を変化させているとしか考えられません。だったら僕も、量子的な発想をしないとね」

「ではわたしの猫ちゃんも、シュレディンガーさんに託しましょうか。日本語に変換すると……〝一蓮托生〟ってことかな。捜査資料っていうのを見せてくださいな」

 高山は2人のやりとりを止めることもできず、呆れたように目を逸らしただけだった。

 篠原が捜査資料をベッドテーブルに広げる。

 シナバーは作業の手を休め、篠原のベッドの横に座る。その表情は、言葉通りに好奇心がむき出しになっていた。

 篠原は資料を見せながら、事件の成り行きを時系列に沿って語った。

 その間、高山と藤巻は、別のラップトップで膨大な量の動画データをチェックしていた。その大半は防犯カメラの記録らしく、人物さえも写っていない画像がほとんどだった。場所もバラバラで、宇佐美がなんのために集めたのかも読み取れない。たまに映り込む人物にも、共通性は見出せない。

 何よりもその画像を保存していた宇佐美の意図を理解しなければ、事件の核心には近づけない。

 だが早送りすれば、ほんのわずかな動きを見逃しかねない。そこに何かの手がかりが隠されている可能性は否定できないのだ。それは警察官が日常的に行なっている、防犯カメラ記録のチェック手順でもあった。

 退屈と睡魔という強敵と戦う、過酷な作業だ。

 しかし篠原の説明が終わるのを待っていたかのように、藤巻が言った。

「やっと儀式らしい映像が出てきましたよ!」

 篠原の顔色が変わる。

「静止画と同じ場所ですか⁉」

「いや、別の会場ですね」

 そして藤巻と高山もラップトップを持って反対側のベッドサイドに座る。

 篠原がつぶやいた。

「窮屈なんですけど……」

 高山が言った。

「どうせ体調は戻ってるんでしょう?」

「この体勢、楽なもんで……」

「もう病人のふりなんかしなくていいのに」

「僕がベッドから出たら、部屋が狭くなるじゃないですか」

「それよりこれを見て!」

 ラップトップをベッドテーブルに乗せる。全員が身を乗り出して小さな画面を覗き込んだ。

 モニターに荒い画面が映し出されていた。天井に据えられた監視カメラの映像のようだ。画面がやや歪んで見えるのは、1台で360度を記録する全方位カメラの映像を補正した画像だからだろう。

 1ヶ月ほど前の日時が、画面下部に記録されている。音声はない。

 公民館のような集会所らしい。20人程度がパイプ椅子に座って前方の初老の男を見ている。男はグレーのセーターのような私服姿だったが、胸の前で慣れた手つきで十字を切った。何事か話し出すと、それを聞いている聴衆が背筋を伸ばしていく。

 男は司祭らしい。〝悪魔の儀式〟を仕切っていた司祭と同一かどうかはまだ分からないが、宇佐美がこの事件の資料として残していた以上、なんらかの関係を持っているはずだ。

 篠原が言った。

「キリスト教のミサ、のようなものでしょうか……。画像には何か説明はありませんでしたか?」

「通しナンバーだけですね。宇佐美が密かに集めたものの1つです。他の映像はどこかの建物の外観だとか、固定の防犯カメラで撮影したものばかりでした」

「その人物たちに見覚えはありませんでしたか? もしくは共通の人物が度々登場する、とか?」

「今のところ、なさそうですね。まだ全部を見たわけではないので断言できませんが」

 シナバーが言った。

「その人物映像、儀式とも付き合わせてみましょうね。それと、わたしのデータプールでも検索してみます。警察とか病院とかお役所とか、いろんなところから集めてきた防犯カメラデータと照合できますから」

 篠原が困ったようにつぶやく。

「日頃から収集してるんですか……?」

「趣味みたいなもんです。人間観察――ってタグを付ければ、そこそこ普通じゃないですか」

「まあ、捜査を手伝っていただいているので、ここは大目に見ましょうか……」

 シナバーはにこにこ笑ったままだ。

「サンキュです」

 その間に司祭の短い話が終わる。と、聴衆が1人ずつ立ち上がって質問のようなことををしていった。その度に司祭は十字を切る。

 と、シナバーがつぶやく。

「あれ? 今の十字……なんか変じゃありません?」

 篠原もはっと気づく。

「なるほど、正教会ですね」

 藤巻が訊ねた。

「何か特殊なんですか?」

「同じキリスト教でもカトリック系では十字を左肩から右肩へ切ります。東方正教会――ロシア正教などのスラブ系正教などでは逆ですね。ですので、互いを悪魔などと罵り合ったりもするようで……あ、司祭の胸のあたりを拡大できますか⁉」

 シナバーが気づく。

「ホント! 小さなネックレスがある! 同系色だから気づきませんでした!」

 そして身を乗り出してトラックパッドを操作する。ネックレスが拡大される。画像は荒れたが、形は確認できた。

 篠原はうなずいた。

「やっぱりです。これ、八端十字架ですね」

 八端十字架は、一般的な十字架の上下に短い横棒が入ったもので、しかも下の棒は斜めになる。これもロシア正教などで多用されるものだ。

「これは多分正教会のミサですね。教会を使ってはいないようなので、地方へ出張する伝道集会のようなものだと思います」

 シナバーがベッドから立つ。

「至急その種の集会を調べてみます」

「場所がどこか分かりますか?」

「多分。日時は分かりますから。まずはハリストス正教会のデータを調べます。それほど多くはないでしょうし……」

 言いながら、シナバーはマックに向かって作業を始めていた。

 藤巻がうなずく。

「宇佐美は1ヶ月以上前からこの教会が何か怪しいと感じていたんでしょうね」

「スクープを狙って密かに調査していたわけですか」

「その過程で、尾上さんに行き当たったのでしょうか……?」

 高山がうなずく。

「そう言えばさっき、宇佐美の部屋のパソコンを調べた結果が回ってきました。尾上さんの顔をネットで検索した記録もあったそうです」

 篠原が問う。

「科捜研では検索しなかったんですか?」

「最初に手に入った監視カメラ画像が不完全すぎて、膨大な量の対象者が抽出されてしまったと聞きました。手当たり次第に当たってはいましたが、同時に交番にも手配したんです」

「つまり、宇佐美さんはもっと鮮明な顔写真を手に入れていた……ということでしょうね」そして、不意に気づく。「あ! そうだったのか!」

 篠原は突然、サイドテーブルに散乱していた捜査資料に手を伸ばした。折り重なった記録写真をかき回す。

 高山がため息を漏らす。

「今度はなんですか……?」

「写真です! 犠牲になったお子さんの写真! 背中の傷!」

 そして1枚のプリントを探し出す。それを資料の一番上に置いた。

「だから、なんなんですか⁉」

「見てください! 鞭で打ったような傷が全面にありますけど、特に深い切り傷が見えるでしょう⁉ 全部で4本……」

 覗き込んでいたシナバーがうめく。

「これ……十字架の形……」

「八端十字架です! しかも頭を上にすれば、上下逆さま! 悪魔の十字架だったんです!」

 高山もつぶやいた。

「偶然……じゃないですよね……」

 篠原はもう1枚の写真を探し出していた。

「これが2人目!」

 その背中にも、似た傷がつけられていた。

 と、覗き込んだシナバーが不意に叫ぶ。

「あ、この十字架!」

 そして、マックに戻った。

 篠原が身を乗り出す。

「どうかしましたか⁉」

 シナバーは慌ただしくマックを操作し、振り返りもしない。

「儀式の静止画の中にもあったんです! あった! ほら、ここ! 壁際の暗い部分に紛れてたんで、何かの影か梁の一部かなって思ってたけど……」

 高山たちが駆け寄る。篠原もベッドを出てシナバーの背後に立った。

「どこですか⁉」

「ほら、ここ!」

 シナバーが画像を拡大し、コントラストを上げる。と、影の部分がはっきり見えるようになってきた。

 篠原がうなずく。そこには十字架にも見える物体が写り込んでいた。高さは大人の身長ほどありそうだ。

「これも上の横棒が斜めで、上下が逆さまになっていますね。神を信じているなら、絶対にできないことです」

「つまり……」

「悪魔の儀式で確定でしょう」

「教会がやってるってことですか⁉」

「この集団が動画の正教会と同一だとは限りませんが……正教会を模したエセ宗教だという可能性はありますね。悪魔信仰を隠す偽装として正教会を騙っているなら、筋は通ります。正式な教会を調べても結果は出ないかもしれません。まずは新興宗教から調べるとしても、宗教が隠れ蓑だとすると警察の組織力を頼るしかなさそうです」

「わたし、この儀式の写真をもっと細かく調べます!」

 篠原は小宮山管理官へ電話を入れ、全てのデータを渡すことを告げた。同時にデータを隠していた理由を率直に語った。

 管理官の返事は意外なものだった。

『情報流出はこっちでも気にかけていた。抑えが効かなくなったマスコミに喰い散らされている連中も多い。その情報はまだ帳場には晒したくないし、科捜研がマスコミの餌食されることもないとはいえない。この短時間でそこまで成果が出せたなら、しばらくそっちで保管していてくれ。数時間のうちには情勢を見極めて、私自身で引き取りに向かえるだろう』

 データは全てコピーを終えているので、いつ情報を渡しても解析が滞ることはない。

 シナバーを中心にさらに解析が進められた。

 その数時間の間に、新たな情報が収集された。

 公民館の司祭と〝能面〟の司祭は、同一人物だと判別された。さらに顔認証によって公民館にいた司祭の身元が特定されたのだ。

 新興宗教団体の貧相なサイトに掲載された教祖の写真と一致したのだった。『すめらぎ正教会』と名乗るその団体の本部は、埼玉県の山間部にある。だがネット上から拾えたわずかな画像からは、異端を感じさせる傾向は見られなかった、むしろ権威づけを重視するように、正教会共通の様式が正確に模倣されていた。

 それをきっかけに司祭の過去が洗われ、さらに深い経緯が判明した。

 氏名は皇龍光(すめらぎ りゅうこう)――だが、当然偽名だ。さまざまな公的資料を組み合わせて突き止めた本名は田中直人だった。しかし記録上は、本人はすでに死亡していた。

〝死亡時〟は別の宗教団体の教祖で、少数の信者らと共に都内山間部に開いていた〝教会〟で集団焼身自殺を行ったのだ。ガソリンを散布した上での着火でほぼ爆発に近く、木造の教会は原型を留めていなかったという。通報がなかったために消防の到達は遅れ、死者の数さえ特定できない状況だったという新聞記事も掘り起こされた。

 当時その教団は、『奇妙な儀式を行なっている』と周辺から疎まれていたともいう。

 実際は火災から生き残った田中が、同様の役割で別の教団を起こしたとしか考えられなかった。いったん全ての証拠を燃やして団体を清算し、地下に潜って〝悪魔の儀式〟を再開しただろう。

 教祖を特定できたことによって、田中自身が地方文芸誌に書いた宗教遍歴を自慢する自叙伝が見出され、更なる情報も集まり始めた。

 田中の父親は第二次世界大戦後にシベリアに抑留された捕虜の生き残りで、生還後に共産主義思想を擁護する立場を貫いた人物だというのだ。

 それをきっかけに、公安が持つ過去の資料が見つけ出された。そして田中の父親が要監視人物であったことが判明した。かつてソ連のシベリア抑留によって思想を改造され、帰国後は精力的に地下活動を担っていたのだ。ソ連のダブルスパイとして日本転覆に暗躍していたも目されていた。

 田中は、その一人息子だったのだ。

 ただし尾上紗栄子の〝ドッペルゲンガー〟は、正教会関係の画像から発見することはできなかった。ごく稀に見つかったのは、尾上本人がたまたまインスタなどの画面の背景に映り込んだと思われる〝無害な通行人〟ばかりだ。

 シナバーが精査している〝悪魔の儀式〟と思われる画像には、司祭とドッペルが映り込んでいる。しかし正教会の正規の活動の中に、ドッペルはいない。それどころか、司祭である田中自身も顔認証では一切ヒットしなかった。宇佐美が入手した公民館のミサの他には、どこの防犯カメラにも、インスタの背景にさえ姿を見せていなかった。

 これらのことから篠原は、田中は徹底的に身を隠しているのだと判断した。そしてすめらぎ正教会は悪魔を崇拝する〝陰の教会〟を持ち、裏側を管理している人物が田中とドッペルであると推定した。

 宇佐美は、田中が唯一残した生存の痕跡を見事に掘り当てていたようだった。

 一方シナバーは、儀式の全画像を再度高解像度化し、統合して更なる情報を引き出していた。参加者たちの隙間からわずかに見える〝パーツ〟をパズルのように組み合わせ、テーブルに何が置かれていたのかを理論的に推定したのだ。

 ステンレス製のワゴンに写り込んだほんのわずかな映像情報が、決め手になった。

 全裸の子供が仰向けに横たえられ、しかも生きて動いている――というのが、矛盾を生じない結論だった。男たちはまだ息のある子供に群がり、その場で抉った心臓を食していたのだ。ひとつまみの肉を口に入れるためにマスクをずらす男たちの顔も、何枚かの画像に一部分が写り込んでいた。

 そこからもまた、男たちの顔は全員同じだと計算された。

 そしておよそ2時間後――高山のスマホに部下からの連絡が入った。

 顔色を失った高山は、テレビに飛びついてスイッチを入れた。

「ワイドショーで報道されてるそうです!」

 画面に映った午後のワイドショーでは、刺激的なタイトルが踊っていた。

『連続児童殺人に新展開! そして新たな被害者が! 犯人はテレパシーを持つドッペルゲンガーか⁉』

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