9・〈裏〉捜査本部

 篠原が最初に打った手は、警察幹部への〝恫喝〟だった。

 藤巻が持ち込んだデータの中から写真を1枚取り出して、警視総監宛に送りつけたのだ。そこに添えられた文章は、極めて中立的で真摯なものだった。

『悪質な偽情報が宇佐美を通じて新聞社に送られてきました。まるで「エプスタインの島」で行われていた悪魔的な儀式が日本にも実在するかのような印象を与える画像です。担当の社会部デスクは病室に留め置いています。面白おかしく広められて人心の混乱を招く前に、対処方法を検討しておくべきだと進言いたします』

 藤巻の直感は、反社の背後に政財界の大物たちの影がチラつくと告げている。本当に子供を生贄にする〝儀式〟が行われているなら、主催しているのは大きな権力や財力を持つ者たちだろう。実際にアメリカでは大統領や大物俳優などが、エプスタイン事件に関わりを持っていたと信じられている。

 同じことが日本で行われないという保証はない。

 それが暴かれれば、壮大なスキャンダルが炸裂する。

 藤巻の読み通りに大手新聞社の幹部までが〝汚染〟されているなら、その〝仲間〟は官界や警察上層部にも浸透していると警戒しなければならない。そして仮説を見極める方法は、あった。

 恫喝に、警察幹部がどう反応するか――それが大きな手がかりになる。

 約1時間後には、『篠原警視の体調不良継続を認めて査問を7日間延期する』という通達が下った。それはすなわち、警察組織の上層部が事件拡大を恐れ、対応に奔走し始めたという傍証だ。

 篠原の直感は的を射抜いていたのだった。

 それでも篠原の疑問は、さらに深まった。

「早すぎますね……いかに儀式を暴かれるのを恐れるグループが浸透しているとしても、たった1時間で方針を決められる程度のものなのでしょうか? メンバーが大物であればあるほど配下も拡大するはずで、すり合わせには時間がかかるのが普通です。それとも、単独の〝主催者〟が絶対権力を握っているのか……」

 事実、写真を大まかに見てから篠原が選び出したのは、一見ただの宗教的な集会にしか得ないような画像だけだ。見ようによっては、政治集会だと言い逃れもできそうだ。写っているのは、スーツを着た男たちが整然と座っている後ろ姿ばかりだった。

 奇異に感じられるのは、会場奥に控えて小さく写っている女1人が、鼻から上を隠す仮面をつけていたことだ。仮面は、女の能面のようなものを切って使われている。その部分だけが、場違いな空気を漂わせていた。スーツの男たち以外に映り込んでいるのは、その女1人だけだった。

 後ろ姿で並んだ男たちが仮面をつけているかどうかさえ、確認できない。

 その他の写真はもっと異常さが目立っていた。まさに悪魔を崇拝するような儀式を思わせるものさえ含まれていた。音声データにはほとんど何も記録されいなかったが、それは〝儀式〟が無言で行われていたためだ。〝司祭〟がつぶやく読経らしき音声がかすかに記録されているだけだった。

 だが篠原は、それらは今のところ外部には出さないと説明した。

 それを聞いた高山は即座に反応した。

「それ、まずいですよ! 証拠を隠すなんて、それこそ懲戒ものです!」

「理由は査問の場で僕から説明します。あなたは上司に――すなわち僕に、『速やかに捜査本部に渡すべきだ』と進言し、しかし認められなかっただけです。今はまだ、僕がここまで詳細なデータを得たことは知られていません。この場の3人が口裏を合わせれば、引き渡しは明日にしても問題ないでしょうから」

「懲戒解雇確定じゃないですか……」

 それでも高山は、それ以上抵抗しなかった。事の重大さは充分理解できていたのだ。

 その後も、3人は顔を突き合わせながらデータを検証していた。

 だが帳場の反応を知った高山は、篠原の直感を認めざるを得なかった。

「あの程度の写真1枚でこれほどの破壊力があるとはね……」

 篠原がうなずく。

「僕の直感が裏付けられたようです。いわゆるエスタブリッシュメントの皆さんにとっては、恐るに足る画像だったのでしょう。やはり他のデータは、まだ温存しましょう。軽はずみに外に出すと、不要な妨害に遭うかもしれません」

「握り潰される……と?」

「あり得ないといえますか?」

 高山は反論できなかった。重苦しい意ため息がもれる。

「さて管理官補佐、次は何をやらかすんですか?」

「情報収集ですね。何より、尾上さんの行方を知りたい」

「行方って……死んだはずですが……」

「確認はされていないでしょう? ずっと考えていましたが、どうしても納得がいかないんです。なぜ、わざわざ公共の場所で襲ったのか。にもかかわらず、ご丁寧に〝死体〟を回収している。殺したことを見せつけたいのなら、そのまま残していけばいいではありませんか」

「万が一でも、治療されるのを恐れたのでは? 逆に、脅かすだけの計画だったのが、しくじって致命傷を与えて慌てた……とか?」

「それにしては、全てがスムーズに進みすぎです。あらかじめ僕らの居場所も知っていたし、意識を失わせる麻薬まで準備していた。行動も統制がとれていて、無駄なく素早い。素人じゃありません。なのに白昼堂々、人を殺して死体を回収する――これって、殺したことは見せたいが、死体は残せないってことじゃありませんか? 死体を調べられると、何かまずい事情があるとすれば……」

「一番警戒するのは、自分たちの組織や居場所を知られることでしょうね。その手がかりを尾上さんが持っていた……とか?」

「あるいは尾上さんがいれば、たとえご遺体であっても組織が暴かれてしまう――とかでしょうか。超自然的なつながりが残されている、とか……」

「そんな繋がりって、あるもんでしょうかね? しかも、死体になっても、って……?」

「死んだと決まったわけではありませんしね。出血量だって推定でしょう? だからこそ尾上さんを残しておくわけにはいかなかった、とも考えられます。むしろその方が、超能力頼みより自然ですね」

「絶命を待つ時間はないから、車に乗せて去った……?」

「彼らの望み通りに、尾上さんの死は確定情報として扱われています。そして、帳場からは犯人側に情報が漏れている。だったら、彼らはすでに目的を達したわけですね」

「本当に死んでいなくても……ということですか?」

「口封じが目的なら、身柄を抑えれば充分です。重傷を負っているのは確かでしょうから、逃げ出す体力もないでしょうしね」

「治療しているかも、ですね……病院、いやモグリの医者を調べないと」

「尾上さんが死を免れれば、万一捕まった場合でも若干は罪が軽くなるかもしれませんから、息があれば治療はするでしょう。理知的な犯罪者は、案外そんなことを気にするものです。ですから僕としては、尾上さんが生きているほうに賭けたい。そして、絶対に救い出したい」

「可能性は限りなく低いですよ」

「それでも、です」

「確かに、生きているなら回収していく意味もあるかもしれませんしね。回復させられれば、何か利用価値があるのかも」

「ナイフで刺したのは、おそらく僕に見せつけるためでしょう。僕は脅されたところで職務は放棄しませんが、それを望んでいたのかもしれません。何より、僕が尾上さんと行動を共にしていることを阻止したかったんだと思います」

 襲撃の成り行きを説明されていた藤巻が問う。

「ですが、テレパシーというのはね……。いかにも胡散臭くて」

 篠原は真剣だ。

「記事としては注目されるのでは?」

「うちは大衆紙じゃありませんので、オカルトは勘弁を……」

「しかし僕は、あの場に尾上さんの姉妹が来ていたことを目撃しています。一卵性双生児間のテレパシーは『量子もつれ』れに起因する物理現象だという説もあります」

「量子もつれ、って……?」

「人間の脳は、量子コンピュータと同等の機能を持っているという考え方もあります。あながち不自然ではないでしょう?」

「証明されているんですか?」

「量子レベルでは、テレパシーに類似した現象は実験で確認されています。距離がどんなに離れていても、光速を超える速度で〝状態の情報〟が伝わるのです。量子テレポーテーションという、これまでならトンデモ扱いされたような構想すらあります。現実的には、各国の軍隊が傍受不可能な通信方法として研究しているともいわれています」

 藤巻は理解できないままつぶやく。

「そんなこと……人間にも起きるんですか?」

「それはどうでしょうね……。まだその種の論文は発表されていないことは確かでしょう。軍事研究なら、機密情報として公表されないこともありますけど」

「軍事って……」

「確かに僕も、この事件に軍隊は関わりないと思います。だからと言って、テレパシーを否定する論拠にはなりません。帳場しか知らないはずの僕の位置情報を、襲撃者は確実に把握していました。しかも、極めて正確に。岸さんが拉致された時も、同様です。テレパシーが実在するなら、リークがなくても可能かもしれません。〝あっちの尾上さん〟は、尾上さんの居場所を感知していたのでしょう。尾上さんは『だんだん強くなっている』というようなことを言っていましたから、感受性は距離とも関係しているとも考えられます。より正確に探知するために、彼女も車に同乗して探す必要があったのでしょう」

「なのに尾上さんは、今までテレパシーのことに気づかなかった?」

「テレパシーは距離が離れていると、極端に意識を集中する必要があるのかもしれません。存在自体を知らなければ、ただの頭痛にしか思えないようですしね」

 高山が思わず口を挟む。

「〝あっちの尾上さん〟って……」

 篠原はうなずいた。

「不便ですよね……では、ドッペルでは?」

「またアニメですか?」

「利便性を追求した結果ですよ。何者かも分からないのですから、名前の付けようもないじゃないですか。だからまず、ドッペルの居場所を突き止める必要があります。で、お願いがあるのですが」

 高山は不安を隠そうともしなかった。

「まだ何かやらせようって気ですか……?」

 篠原は意に介していない。

「データ解析に長けた人物に心当たりはありませんか? 藤巻さんからいただいた写真を分析して、なるべく精度の高い情報を引き出したいんです。素人の僕らだけでは限界ですから。できれば集会を行なっている集団を特定したいし、せめて集会の場所は割り出さないとなりません」

「SATでも突っ込ませる気ですか⁉」

「必要があれば、進言しますよ。ただし、児童連続殺人と何らかの関係があると確信できた場合に限ります。そのためにも、優秀な分析官が必要なんです」

「優秀って……科捜研や科警研の人材は帳場に押さえられています。そこそこ使えて勝手に動ける人間なんて、いませんよ……」

「DNA検査や化学分析だとかは必要ありません。この部屋に必要な機材があるわけでもないですしね。写真や動画の画像解析が中心です。ただし、〝そこそこ〟程度では困ります。極めて優秀、でなくてはね。東京以外の人材でも構わないので、お知り合いはいませんか?」

「そんな都合のいい人材なんて、いませんって! それに、やれることはみんな帳場が指示してます」

 だが篠原は、喰い下がる。

「帳場の作業とダブってもかまいません。同じ結果が出れば、確度が高まったという証明になりますから」

「だから! それに俺、あなたの監視役なんですよ? 勝手に暴れらちゃあ、示しがつかないじゃないですか!」

「懲戒は覚悟の上でしょう?」

「認めたわけじゃありません!」

 と、藤巻が言った。

「画像分析だけなら、うちに出入りしている腕のいいのがいますが? ちょっと変わり者で、扱いにくいんですがね」

「変わり者?」篠原の目が輝く。「ぜひ呼んでください」

「この病室に?」

「幸い、スペースはあります。個室ですから他の患者に迷惑もかけないですし」

「そういうことじゃなくて……」

「このデータ、帳場に渡せない理由は分かりますよね? とはいっても、押さえていられるのは明日いっぱいでしょう。急いで欲しいのですが」そしてニヤリと笑う。「生データだけではなく、分析まで進めておけばスクープの価値は飛躍的に高まると思いますよ」

「なるほど……そういうことなら、私の独断でも差配できます。いますぐ呼びましょう」

「その方の顔写真とかお持ちですか?」

「ありますが……」

「この病室に入れるように手配したいのですが」

 

     ✳︎


 病室の外に女の声がした。

『ええ? なんで入っちゃいけないんですかぁ⁉』

『面会謝絶ということになっていますので!』

『だっておじさまに頼まれたんですよぉ⁉ おじさま、偉いんだからぁ、それぐらいいいじゃないですかぁ!』

『しかし――』

 高山がドアを開ける。

 そこでは高校の制服姿の少女が大きな紙袋を抱え、警官と押し問答していた。

 少女が病室の奥を覗き込む。

「あ、おじさま! 着替えとか持ってきました!」

 警官が高山を見る。

「誰も入れるなって言われているのに……」

 高山が肩をすくめ、警官に身を寄せて小声で言った。

「見逃してくれや。管理官、退屈らしくて話し相手が欲しいんだとさ。ってか、ここに新聞社の偉いさんがいるって言ったら、この娘がぜひ来たいって」

 少女が横で手を挙げる。

「はい、はい! あたしぃ、ジャーナリスト志望なんですぅ! こんなチャンス、逃せません!」

「俺が責任持つから勘弁してくれ。許可がなければ外には出さない。だから、噂とかが漏れる心配もない」

 警官は渋々うなずいて娘を中に入れ、ドアを閉めた。

 娘は病室に入るなり背筋を伸ばし、篠原に言った。

「画像解析、承ります」

「演技力もなかなかですね」

「コスプレ衣装もいっぱい持ってますよ。今日は〝おじさまバージョン〟でしたけど、実年齢は25歳ですから、誤解なきように」そして名刺を差し出す。「大河内辰砂(おおこうち しんしゃ)と言います。変わった名前ですけど、本名です。両親がヘンテコさんなもので、ヘンテコな名前つけられちゃいました。一応は、大手新聞社の嘱託技術部員ですが、ほとんどフリーです。シナバーと呼んでください」

「賢者の石、ですね」

 辰砂と呼ばれる深紅の鉱物は、古くから絵の具の顔料として用いられた。だが、希少性が高く高価で、『賢者の石』や『不老不死の妙薬』などとも呼ばれて珍重された。しかし実際は水銀の硫化鉱物であり、猛毒でもある。かつてのシナではシナバーを飲んで不老不死の霊力を宿そうとした皇帝が、水銀中毒で死亡したとも伝えられている。

「さすがキャリアさん。役に立つけど毒がある――ってところが大好きなんです。パワーストーンとしても直感力を高める効果があるし」

「僕たちの直感も高めてください。作業はそこのテーブルでできそうですか?」

 シナバーは既に紙袋から16インチのマックブックプロを取り出していた。パイプ椅子に座ってマックを開く。

「このマック、ガワは普通ですけど、中身は最大限にブラッシュアップしています。ヤバめのソフトも外付けで用意しましたから、相当の仕事ができますよ。で、藤巻さん、データは?」

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