6・出生

 岸貴恵はうつむいたまま篠原の質問に答えた。

「認めます……全てはわたし1人で行った犯罪です……。わたし、逮捕されるのでしょうか?」

 岸貴恵の自宅の近くのファミレスだった。貴恵自身が指定した店だ。

 夕食時間にはまだ早く、客は少ない。

 篠原は居場所が把握されやすい警察車両を嫌い、電車で西船橋まで来ていた。

 1時間前、篠原が連絡をとって『警察です』と名乗ると、貴恵は警戒感をあらわにした。より厳しい詰問を予期していたようだった。

 だが、通話は切られなかった。『捜査の一環ではあるが、欲しいのは情報だけだ』という説得が功を奏した。機微に関わる記録を残さないために警察の施設は使わないと確約して、了解を引き出したのだ。

 貴恵は時間通りにやってきた。

 紗栄子は隣のボックスで背中合わせに座り、本を読んでいるふりしながら聞き耳を立てている。

 篠原はためらいがちな貴恵の声から、迷ってはいるが話さなければならない〝重荷〟を抱えているという感触を嗅ぎ取っていた。

 篠原の口調は穏やかだ。

「これは正式な警察の聴取ではありません。ですので、証拠能力もありません。あくまでも事実を知りたいだけです。何をお話しいただいてもあなたに不利になることははありませんから、ご安心ください」

「でも……だったら、なぜこんな形で……? 警察署に呼ばれれば行くしかないと覚悟していましたのに……」

「あなたを断罪する意図も必要もないからです。正確な情報が欲しいのです。ですから、たとえ言いにくい事実でも教えていただかなければなりません。代わりに、何を話されても罰せられることはないと保証します」

「どうして今さら……」

「ある人物の出生が重要な要素となる事案が発生しています。その解決が緊急課題なのです。そのためであれば、多少の無理も通せますので」

「でも……」

「ご心配なく。僕は捜査本部から正式に権限を移譲されていますので、あなたを守る力もあります」

「そういうことであれば……」

 貴恵は不安そうな表情を消せないまま、篠原に導かれながら過去を話した。

 おおよその事情をつかんだ篠原がまとめる。

「確認します。当時あなたは、千葉市内に新設されたばかりの赤ちゃんポストの夜間管理を行なっていた。たまたま1人で宿直していた際に双子が預けられ、以前から声をかけられていたご夫婦に1人を渡してしまった――ということですね」

「はい……規定に反していたのは分かっていましたが、お金が必要だったので……」

「病院の管理体制に抜け穴があったわけですか?」

「杜撰ではありました。看護師も不足していて1人で宿直することが多かったし、監視カメラもなかったし……だから赤ちゃんポストも廃止になったのだと思います。病院の売名行為みたいなところもあったので、マスコミからずいぶん叩かれましたから。病院自体も経営母体が変わって、全く別物になりました。今では、なかなかいい評判を得ているようです」

「双子の親に関する情報は皆無、なんですね?」

「ええ。記録に残したりしていると、赤ちゃんを委ねてくれる方を遠ざけてしまいますので……」

「一卵性双生児だった可能性は否定できない、ということでいいですか?」

「こっそり渡してしまったので、血液検査などもしていませんでしたから……」

「さて、そこで本題ですが――その赤ん坊、誰に渡したのですか?」

「恰幅のいい紳士と若い奥さんのご夫婦で……」

 篠原がかすかに眉をひそめる。

「素性は?」

「分かりません……」

 篠原は一瞬意外そうな表情を見せた。

「分からないのに、赤ちゃんを渡したのですか?」

「わたしが非難されるのは仕方ないと思います……でも、病院のやり方にはガッカリしていたので、つい……。件数はそれほど多くはありませんが、預けられた赤ん坊はかなり手荒に扱われていました。形式だけは整えていましたが、裏金を取って養子縁組を進めていたことも知っています。だから、1人ぐらい……双子なんだし、って……」

「で、赤ん坊を売った、と……。そのご夫妻とはどうやって連絡を取っていたんですか?」

「わたしが宿直のときに、ふらっとやってきて……どうやったら養子を紹介してもらえるのかと聞いてきたんです。そのときに200万円渡されて、こっそり譲ってくれたらあと1000万円用意しますって言われて……」

「理由を聞きましたか?」

「いいえ。赤ちゃんを捨てる母親にはそれなりのワケがあります。こっそり子供を欲しがるにも、人には話せない理由があるはずですから。それに、大金を用意するのは、理由は聞かないでほしいという意味だと思って……」

「だから、双子が舞い込んだときに連絡を取ったのですね?」

「はい」

「どうやって? 電話とかの連絡先は聞いたんですか?」

「いいえ。ポストの下の目立つところに、目印の赤いバッグを置きました。夜明け前に、奥さんが赤ちゃんを引き取りに来たんです。現金もそのときにもらいました」

「ということは、相手は現金を用意して毎日チェックしていたことになりますが?」

「だと思います。そうまでして赤ん坊が欲しかった理由は、何か重大なことなんだろうなと思いました」

「他にも売り渡した赤ちゃんはいますか?」

「とんでもない! たった1度、あの時だけです!」

「なぜ、1度で辞められたんですか? この種の犯罪は、常習化することがほとんどですが」

「ご夫妻も来なくなりましたから。ちょうど病院もマスコミに悪い記事を書かれ始めていたので、怖くなったし……」

「そのことは誰かに話しましたか?」

 貴恵はさらに深くうつむいた。

「いいえ……いけないことをしたと、ずっと後悔していましたので……」

「でも現金は受け取ったんでしょう?」

「母の介護に必要だったし……返したくても返せないし……」

「確かに、褒められることではありませんね」

 貴恵は上目遣いに篠原を見た。

「わたし……やっぱり罰を受けるんでしょうか……?」

「僕はそんなことはしません。ですが、今、重大な事件が進行しています。その手がかりが必要だったのですが、まだ解決には程遠い。今後、裁判ということになったら、証言をしていただくかもしれません」

「わたしも裁かれるんですか?」

「そうならないように、僕は全力を尽くします。そもそもこの件が〝営利誘拐〟にあたるとしても、すでに時効を過ぎています。親も赤ちゃんを放棄したのですから、民事として訴える主体も存在しないでしょう。万が一犯罪として咎められても、実刑は免れるようにできます。その程度のツテはもっていますから」

「はい……。でも、もう母は死んでしまったし、わたしはどうなってもいいんです……。ずっと悔やみ続けていましたから……罰せられるなら、それも仕方ないかなって……」

「僕はそんなことはしません。重要な情報も得られましたから、それ以外のことは忘れましょう。あなたも、今日ここに来たことは忘れて構いませんから」

 貴恵が顔を上げる。

「いいんですか、それで……」

 篠原はかすかにほほえんだ。

「その方がいいって、直感してるんです。僕の直感、結構当たるんです。では、お先にお帰りください」

「はい」貴恵は立ち上がって去ろうとしたが、振り返る。「今日はありがとうございました。なんだかスッキリしました。もしも警察から出頭しろと命じられたら、従おうと思います。赤ん坊とはいえ、人様の命を売ったのはやはり犯罪でしょうから」

 そして貴恵は大きく頭を下げ、背を向けた。

 篠原の背後の席から、紗栄子が顔を出す。

「いいんですか、あれで?」

「あなたはどう思います?」

「さあ……」

「こちらの席に移られたら?」

「はい」

 紗栄子はコーヒーカップをもって篠原の正面へ移動した。

 篠原が言った。

「ですがこれで、一卵性双生児の仮説が現実性を帯びてきました」

「わたしも以前あの病院を調べたんですが、もう経営者が変わっていて当時の記録はないって言われて……」

「警察権力っていうものは、こういう時にこそ役に立つんです。所轄の足に任せれば、もっと詳しい事実も掘り起こしてくるでしょう」

「でも、本当にあの方を罰しないんですか?」

「罰したいですか?」

「いいえ……」

 篠原は笑う。

「だったら、見逃してください」

 しかし紗栄子は笑顔を返せなかった。不意に顔をしかめて、両手でこめかみを抑える。

「あれ……?」

 篠原も異変を察した。

「どうしました⁉」

「急に頭痛が……なんか、気分が悪く……」

 紗栄子はそのままテーブルに突っ伏した。かすかにうめき声をあげ始める。

 篠原は紗栄子の隣に移動した。背中をさすりながら問う。

「救急車、呼びましょうか?」

「いいえ……それほどでは……」

「こんなこと、いつも起きるんですか?」

「ええ……最近、時々……でも、こんなに強いのは初めて……かも……」

 と、篠原のスマホが鳴る。仕方なく胸ポケットから取り出す。

「すみません、何か連絡が入ったようで」

「気にしないで……楽になってきましたから……」

 言葉通りに、紗栄子の様子はわずかに良くなったようだった。

 篠原はうなずいて、表示された発信元のナンバーを見た。思わずつぶやく。

「宇佐美……?」

 発信者の番号は、名刺で記憶した携帯番号だった。

 通話を開始した途端、押し殺した叫びが漏れる。

『あんた、千葉に行ってるんだろう⁉ すぐ逃げろ! 襲われるぞ!』

「宇佐美さんですか? どうしてこの電話を⁉」

『とにかく逃げろ! まともな連中じゃない!』

 そして通話は一方的に切れた。

 篠原はすぐにかけ直したが、つながらない。

『おかけになった電話は電波が届かない――』

 篠原はテーブルにスマホを置いてつぶやく。

「なぜだ……? なぜ宇佐美が……? どんな関係がある……? 逃げろって……?」

 それでも警戒するように、窓の外に目をやる。

 ちょうど、ファミレスから出て階段を降りた岸貴恵の後ろ姿が見えた。トボトボと、力なく歩いていく。ぐったりと落とした肩は、すでに厳罰を覚悟しているかのように思えた。

 歩道の横には、信号で止まった車列があった。

 スマホの声を聞きつけた紗栄子が、確認するようにつぶやく。

「逃げろ……ですか?」

 紗栄子の容態は急速に平常に戻っているようだった。

 車列が動き出した。と、不意に黒い大型ワゴン車が歩道に乗り上げ、貴恵の行く手を塞いだ。後続車が急停止を咎めるクラクションを鳴らす。

 同時に、篠原が腰を浮かせる。

「まずい!」

 そしてスマホを取って動画モードにしたカメラをワゴン車に向けた。

 ワゴン車の後席からマスクとサングラスの男が飛び出して、貴恵の腕を掴む。

 篠原はスマホを紗栄子に押し付けて叫んだ。

「あの車、撮影を続けて!」

「はい!」

 そして篠原は席を立ち、出口へ駆け出す。

 紗栄子は戸惑いながらも、ワゴン車を撮影し続けた。

 貴恵は抵抗しながらも、車に引き摺り込まれていく。白昼の拉致だ。

 紗栄子は、車の運転席から身を乗り出した女の姿を見た気がした。

 ファミレスを飛び出した篠原が階段を駆け降りて、ワゴン車に向かって走る。だがすでに車は、走り出していた。

 しばらく走って追いかけた篠原は、荒い息を繰り返しがっくりと肩を落とした。

 数分後、席に戻った篠原は、高山に状況を連絡してワゴン車の動画を送った。

「一刻も早く、検問を……それと、宇佐美という記者から奇妙な警告を受け取ったんですが、何か知りませんか?」

『奇妙な?』

「すぐ逃げろ、だそうです」

『奴に関係が⁉』

「どうして襲われることが分かったんでしょうか?」

『は? 俺が知ってるはずが――』

「しかし、襲撃されたのは事実です。狙いは岸さんの方だったようですがね……」

『宇佐美も相当首を突っ込んでるってことですよね!』

「それは確かですね。できるだけ彼のことも調べておいてください。たぶん署内のリーク元とも繋がっているでしょうから」

『参考人で押さえますか?』

 篠原はわずかに考えた。

「まあ、今のところは確保しなくても結構です」

『いいんですか⁉』

「自由にさせておいたほうが、役に立ちそうな気がします』

『また直感、ですか?』

「そこそこ当たるんですから、勘弁してください。宇佐美さんが拉致を警告できたってことは、何かしら犯人の動向を知る方法を握っているわけですから」

『目は離さないようにします』

「それだけじゃなくて、急に電話が繋がらなくなりました。宇佐美さん自身も焦っているような口振りでした。まずはなるべく急いで、かつ警戒は怠らないように無事を確認してください。その後は、監視を続けてもらえれば構いません」

『あいつまで巻き込まれているとでも⁉』

「そうではないことを祈りますが……それでも、本質に迫る手がかりも増えました。宇佐美さんの行動と擦り合わせれば、両面から事件に迫れます。何かしら新しい展開が見えてきそうです」

『岸という女から、何か聞き出せたんですか?』

「双子の可能性、濃厚になってきましたよ」

『本当に……?』

「それが分かった途端に、証人が拉致されました。これもまた、犯人たち――明らかに組織的な行動ですから、彼らの実態が垣間見られたということです」

『組織的……ですか』

「もともと悪魔信仰が絡んでいるなら、暴力的なグループが背後に潜んでいてもおかしくありません。少人数での猟奇殺人という線は消えたと考えていいでしょう。問題は相当根深いようですね」

『根深いって……。やばいもの、引きずり出さないでくださいよ』

「この事件、とっくにやばいじゃないですか。岸さんも必ず探し出してくださいね」

『分かってますって』

「いったん切ります」

 そして篠原は、拉致現場を撮影した動画を再生し始めた。改めてじっくりと目を通していく。

 と、いきなり息を呑む。そして、紗栄子を見た。

「ドッペルゲンガー……見つけましたよ」

「はい?」

 篠原はムービーを停止し、画像を拡大する。そして画面を紗栄子に見せた。

 画面は荒く暗かったが、開いたドアからワゴン車の車内が映っていた。運転席で振り返った女の顔が見えていた。

「車の中に、あなたがいます」

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