5・同行捜査

『どこにいるんですか⁉』

 篠原は、高山の怒鳴り声の大きさにスマホをわずかに離した。

「大丈夫、尾上さんは一緒ですよ」

 紗栄子が住むマンションから2キロほど離れた〝かっぱ橋道具街通り〟の歩道だった。あたりには、春の爽やかな日差しが降り注いでいる。

 紗栄子も共に、食器や調理器具が所狭しと並んだ店舗の前で時間を潰していた。だが、10分以上そこに立ち続けている理由は聞かされていない。

 店内に入ろうともしない彼らを、店員が胡散臭そうに眺めていた。

 スマホからもれる怒声がさらに大きくなる。

『何が大丈夫ですか! 小宮山管理官はカンカンですよ!』

 篠原は苦笑している。

「でしょうね。で、高山さんが僕の監視役に指定されたんですか?」

『いい迷惑ですけどね。「手隙で近辺の土地に詳しいからだ』とか言われました』

「まあそう言わずに。何か新たな情報は?」

『なんで教えなければならんのですか⁉』

「僕が管理官補佐だから、ですよ。小宮山さんから協力するなと命じられたんですか?」

『そこまでは言われてませんが……』

「小宮山さんも当然、僕が尾上さんを同行させていることは承知しています。なのにまだ禁止命令は出されていないんでしょう?」

『だって、重要参考人に変わりましたから……』

「でしょう? つまり僕は、何も不都合な行動はしていないということで、管理官もそれを認めている。そうじゃありませんか?」

『まったく、屁理屈ばかりだな……』

「理論的な解釈ですよ。つまり管理官も、尾上さんが犯罪に加担しているという確信は持てていない。だから、僕の捜査も有益かもしれないという希望を持っている。有能な管理官補佐の判断を尊重してくださっている――ということです」

『口が減らないな……。ですが、尾上は逃げたりはしないんでしょうね?』

 篠原は横に立つ紗栄子を見る。通話の内容は、紗栄子にもかすかに聞こえている。

「今も僕の隣にいますよ」

『そうじゃなくて、目を離した隙にとか!』

「尾上さんには充分説明してあります。逃亡は可能ですが、僕から離れることは即ち連続殺人への関与を認めることと同義だ、とね。次に逮捕されれば被疑者確定で、おそらくは死刑執行まで外界には出られなくなる――って念を押しました。当然僕も自説を翻して、〝尾上共犯説〟に同調します。弁護士を含めて、誰も尾上さんを守る者はいなくなります」

『納得したんですか?』

「共犯者でなければ、納得するしかないでしょう」

 紗栄子がスマホに身を寄せて言った。

「逃げませんよ。記者さんとかにも追っかけられているみたいだし、行くところもないし。死刑なんてとんでもない」

 篠原は軽く肩をすくめた。

「で、新情報は?」

『仕方ないな……尾上さんの幼少期に赤ちゃんポストに関わっていたという人物が見つかりました。今は廃止されていますが、過去の一時期千葉市内の私立病院にポストが設置されていたそうです。当時の看護師……岸貴恵という……70歳ほどの女性です。心当たりは?』

 紗栄子の目が真剣に輝く。

「初めて聞く名前です! 会いたいです!」

『今も千葉県に居住しています。詳しい住所、送ります。聴取した内容も添付しますから』

 篠原がうなずく。

「1つ用事を片付けてから行ってみます」

『用事って?』

「なに、ほんの雑用ですよ」

 そして篠原は電話を切った。

 紗栄子がさらに身を乗り出す。

「その方にすぐ会いたいんですけど!」

 篠原はまったく焦りを見せていない。

「尾上さん、過去を調べたと言っていましたよね。その岸さんという方、全く心当たりがないんですか?」

「名前も知りません。……千葉県の赤ちゃんポストは調べたんですけど、手がかりが見つからなくて……」

「警察が聞き出した内容も送ってきますから、まあ待ちましょう。その前に済ましておくことがあります」

「わたしに関係あることですか?」

「もちろん。そこの菊谷橋交番です。やっと帰ってきましたから」

「はい? 誰が?」

「パトロールに出ていた警官です。彼が、不鮮明な手配写真を見てあなたに似ていると報告してきたんです」

「そうなんですか……」

 篠原が横断歩道に進みながら尋ねる。

「ちょうど信号も変わりました。尾上さんは、彼を知っていますか?」

「ここからじゃ遠くてよく分からないけど……そもそも警察の人に知り合いはいません……」

「なのに彼は手配書を見て、尾上さんに気づいたようです。たくさんの住民を覚えている交番警官は結構いますが、都心ですからね……観光地でもあるし人通りも多いし、住民も少なくありません。しかも、尾上さんのマンションからは相当離れている。なぜすぐに尾上さんだと気づいたのか、ずっと気になってるんです」

 紗栄子は足早の篠原を追いかけるように着いていく。

「交番なら、中で待ってればいいのに」

「長時間立たせていてすみませんでした。僕らがいきなり現れた時の反応が見たかったんです」

「わたしもついていっていいんですか?」

「もちろん。彼に見せたいのは、あなたですから。それに、僕から離れたりしたらまずいことになります。尾上さんだけじゃなくて、僕もですけど」

 そして2人は交番へ入った。

 一軒家にも満たない狭い交番の中では、パトロールを終えた警官が机の奥に座っていた。ノートパソコンを開いたところだった。他に警官は見当たらない。

 警官が目を上げる。

「おや、どうしましたか?」

 私服の篠原たちを民間人だと判断したようだ。

 篠原が手帳を出して広げる。

「本庁の篠原警視です」

 警官はいきなり席から立ち上がった。反射的に敬礼をする。

「は! お疲れ様です!」

 篠原はかすかに笑った。

「楽にしてて。座ってて構わないですから」

 言われた警官は、厳しい叱責を受けたかのような表情で腰を下ろす。激しい緊張が手に取るように見てとれた。

 篠原は紗栄子に席を勧めてから、自分も座った。

 篠原は優しい口調で言った。

「あなた、武田さん……でしたよね」

 そう呼ばれた警官は明らかに動揺した。

「はい、そうですが……自分、何か不始末をしでかしましたでしょうか⁉」

 篠原の笑みが広がる。

「監察じゃないから安心して」そして横の紗栄子に目をやる。「この女性、見覚えがあるかな?」

 武田がかすかに首をひねる。

「見覚えって……どういうことでしょう?」

「言葉のまま。この方、知ってる?」

 武田の困惑が深まる。

「さあ……」

 篠原の笑みが消えた。

「やっぱりそういうことだったんですね」

「はい? あの……知らないといけないんでしょうか……」

「本来なら知らないはずがないです。もう手配写真は取り下げられたでしょうが、この方が重大事件の参考人だと、あなたが通報してきたんですから」

「あ! 死体遺棄の……」

「つまり、あなたは心当たりがないにも関わらず一般女性を容疑者扱いした――ということになりかねない訳です」

 武田は心臓の音が聞こえそうなほど焦っていた。

「間違いだった……ということでしょうか……」

 篠原の口調が厳しく変わる。

「とんでもない。問題は、正しく手配人物を言い当てていたことです。あなたは、なぜそんなことができたんですか? 記憶にもない人物を、手配写真だけで探し出すなんてことは不可能でしょう。この界隈の人通りの中から偶然行き当たった、というのも考えにくい。あっちこっち探してたまたま見つけ出したのなら、記憶に残らないはずはありませんしね。どんな手品を使ったんですか?」

 篠原が知りたいのは、手配写真だけで紗栄子を〝発見〟できたことに不審な点がないかどうかだった。

 そして武田が紗栄子を見た瞬間に、特別な反応を示さなかったことを確認した。そこに〝カラクリ〟があることも嗅ぎ取っていた。現場の情報を正しく、しかも速やかに知るには、ある程度の圧力をかけたほうが有利だったのだ。 

 武田はほんの数秒で、隠し事を明かす以外にない立場に追い込まれていた。目を伏せる。

「あの……自分、やっぱり監察の対象なんでしょうか……」

「不正を行っていた、と?」

「不正なのかどうか……ただ、早く昇進したくて……」

「手柄を上げて上司の心象を良くしようとしたんですね? で、何をしたんですか?」

「時々、事情通の雑誌記者から情報をもらったりしていたんです……そこらをうろついている半グレの動きとか、地上げの噂とか……」

 篠原は厳しい視線を崩さない。

「記者が無償で独自情報を開示するとは思えません。バーターに何を提供したのですか? お金……は、交番警官程度の給料じゃ無理でしょうね。だとすれば、警察の内部情報を渡していたんですね?」

 武田は急に顔を上げた。

「秘匿情報は渡していません! ただ一般的な警備配置とか人事の異動とか……自分にも伝わってくるような些細な情報ばかりで……」

 篠原はそこは深く追求しなかった。

「金銭を受け取ったことはありますか?」

「いいえ……食事はたまにありますが……」

「もしも監察が来るようなことがあったら、そこは黙っていたほうがいいでしょう。話がややこしくなると申し訳ありませんから」

「はい? 自分、処分されるのでは……?」

「その程度の機転も利かせられないなら、地元に溶け込んだ警察業務は遂行できませんから。監察は頭が硬くてね。僕が知りたいのはそんなことではありませんので」

「でしたら、自分に何を……?」

「事実の確認です。その記者に、この女性の手配写真を見せましたか?」

「どうだったかな……そうだ、向こうが先に気づいたんです。自分が1人の時は、奥にも入れて世間話とかしていましたから。偶然手配写真を見て、『この女を知っている』と言うので……。だから、急いで連絡を上げました」

 篠原の表情が曇る。

「確認もせずに?」

「近くだったので何度かマンション付近に行ったんですが、現認できないままで……。真っ先に通報できないと意味がないので、見切りで知らせました」

「おかげで捜査が大きく進展しました。その情報、極めて正確でしたよ」そしてとどめを刺す。「記者って、東スクの宇佐美さんですね?」

「ご存知なんですか⁉」

 篠原に笑顔が戻る。

「なるほど、事情は理解できました」

「あの……自分はやっぱり処分されるのでしょうか……?」

「なぜ? 地元の情報を幅広く収集することは交番勤務の重要な業務です。犯罪の抑止には欠かせません。あなたは職務を遂行したまでです。あくまでも、金品の授受がなければ、ですが」

「そんなことはしていません!」

「分かってますよ。これでまた、捜査が進みます。あなたは2度、大きな手柄を立てたかもしれません」

「はあ……そうなんでしょうか……」そして気づく。「でも、その方……事件の被疑者ではないんですか? なぜ外出できているんですか……?」

「今は重要参考人に変わりました。僕が責任を持って捜査に同行していただいています」

 武田は篠原の行動に違和感を抱き始めたようだ。

「捜査に一般人を……?」

「僕の判断です」

「ということは……独断で?」

 篠原は薄笑いを浮かべたままだ。

「まあ、それに近いかもしれませんね」

 武田は、怖々と付け加えた。

「……上司に報告してもいいですか?」

 篠原の笑顔は消えない。

「構いませんよ。それもまた、交番警官の業務ですから。その際には必ず、『重要参考人は逃亡などの気配がなく、篠原に極めて協力的だった』と言い添えてください。必ず、お願いしますからね」

 武田は、篠原の飄々とした受け答えに困惑するしかなかった。

「あ、はい……」

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