4・参考人保護

 紗栄子は驚きを隠せないままホテルの部屋へ入った。ビジネスホテルのシングルルームの作りだ。奥に進んで窓の外を見た。

 眼下に、皇居の広大な自然が広がっている。

「こんな豪華なホテルに泊まっていいんですか……」

 半蔵門の高層ホテルに案内した篠原は、皮肉っぽい笑みを浮かべていた。

「一応は警察の保養施設ですから。運営は帝国ホテルに任せていますがね」

「でも、犯人の疑いだって消えていないって言ってたのに……」

 篠原は悪びれずに言った。

「だから、ですよ。記者たちが連続児童殺害事件だって騒ぎ始めましたから……やはり警察内部にリークした者がいるようです。末端の警官にまで緘口令を敷くのは無理だし、普段から記者たちと懇意にしている者もいますからね。死体遺棄事件では誘拐のような厳しい報道規制は要請できません」

 紗栄子が振り返る。

「リークって……」

「小遣い稼ぎに瑣末な情報を漏らす連中は止められないのでね。尾上さんの自宅情報まで知られてしまうと、報道陣が押しかけかねません。僕らの捜査にも支障をきたします。なにせ、ショッキングな事件ではありますから。その上、謎が多くて……」

 紗栄子が改めて室内を見渡す。

「でもわたし、お金に余裕がなくて……」

「警察持ちですから、ご心配なく。設備はそこそこ立派ですが、実質的には留置ですから。ここなら桜田門にも近いし、建物内も身内で固められる……つまり、あなたの行動は完全に監視できるということです」

「やっぱり見張られているんですね……」

「捜査に進展があるまでの数日間は、様子見になるでしょう。その間に次の事件が起きる可能性もあります。期待しているわけではありませんけどね。状況によっては、見張られていることで尾上さんの無実が完全に証明できるかもしれません」

「でも、あなたと一緒に過ごすんですか……?」

「まさか。ここはシングルですしね。僕は隣に待機しています。ただし、勝手に外には出ないでください。ドアを開ければ分かるようになっていますから」

 紗栄子の表情に不安が浮かぶ。

「いつまでここに……?」

「まだなんともいえません。今、あなたの過去を調査して双子の可能性がないかを探っています。そこから事件解決につながれば、直ちに解放されるでしょう。何かしらの情報が得られれば、あなたに協力を願いすることになるかもしれません」

「協力って……何をすればいいんですか?」

「それもまだ分かりません。今後の調査次第です。ただ……」

 篠原はなぜか口ごもった。

「ただ?」

「僕の直感なんですけど……こんなに立て続けに仏さんが現れるのは異常です。しかも極端な虐待の痕跡あるものばかりで、身元も分からないという。単独で行える犯行ではないと思うんです」

 紗栄子に緊張が走る。

「わたしもその仲間だと……?」

 篠原は淡々と答えた。

「捜査員の大半はそう疑っています。高山も、です。DNAという物証が出ているんですから、仕方ないことでしょう。でも僕はあなたをずっと観察していました。なので、そうではない方に賭けています」

「賭け、って……」

「ただの直感です。賭けですので、負けることもある。その時は厳しい厳罰を受けることを覚悟してください。容疑によっては、極刑もあり得ます」

「死刑……ですか?」

「あなたが犯罪に関わっているなら、です。そうでないなら、僕が全力で証明しましょう。今の段階では、僕はあなたの味方です。周りは敵ばかりというのは不安でしょうからね。でも……」

「でも?」

「僕が賭けに勝ったら、とんでもなく大きな事件に発展する気がします」

「子供たちが殺されているだけでひどい事件だと思いますけど」

「もっと大きな、そう……組織的な犯罪、でしょうか。しかもご遺体の状態から考えて、極めて猟奇的な事件です。そんなことにならなければと願いますが、胸騒ぎがひどくてね……。しかし、僕が負ければあなたが捕らえられることになってしまう」

 紗栄子は堂々巡りに疲れたように小さなため息をもらした。

「勝ち負け、なんですね……。で、わたしは何をしてればいいんでしょう?」

「この部屋にいてくれるだけで構いません。ホテルには一般客も泊まっていますので、食事は部屋に運ばせます。さっきお渡ししたスマホで連絡をくれれば、必要なものはなるべく用意します。あなたのご自宅には女性警官が行っていますから、当面の着替えなども運ばせます。他に何か持ってきてほしいものはありますか?」

「机の上に本棚があります。何冊か持ってきてください」

「了解しました。では、僕は隣で待機していますから」

 そう言った篠原は、考え込みながらドアを開いた。

 途端に見知らぬ大男が入り込んでくる。男は肩で篠原を押し避けて、後ろに隠れるように立っていた紗栄子に突進していく。

「尾上さんですよね! お話を聞かせて欲しいんですが!」

 紗栄子は男を止めるように、反射的に両手を突き出す。

 それでも男は紗栄子に迫っていく。手にしたICレコーダーを突き出す。

 紗栄子は怯えたようにレコーダーを撥ねのけた。

 篠原は背後から男の腕を掴んで引っ張る。

「君は何者だ!」

 男が振り返る。

「隠さなくてもいいじゃないですか! こんな重大事件、誰だって知りたいんだから!」

「記者か⁉」

 そして男を掴んだ腕に力をこめて、廊下に引き摺り出す。

「暴力は――」

「黙れ!」そして部屋の中の紗栄子に命じた。「ドアを閉めて! 誰も入れないでください!」

 廊下に出ると、男は力を抜いて肩をすくめた。値踏みするように篠原を眺める。

「なんか、必死ですね」

 篠原は怒りを抑えようともしない。

「ふざけるな! 報道はまだ抑えているはずだ!」

 と、大男がうなずく。

「たぶん、大手はね。残念ながら、底辺のフリーランスごときにはお触れが届かないものでね。篠原さん……でしたっけ。管理官になられたそうで、おめでとうございます」

 篠原が冷静さを取り戻す。くたびれた背広を着た男を観察しながらつぶやいた。

「僕を知っているのか……? あなたは……東スクさんだったか?」

『東邦スクープ』は、通俗的な時事ネタを得意にする週刊誌だ。俗に言うイエローペーパーで、虚実不明な憶測記事と性的読み物に溢れている。大手出版社の系列ではあるが、記事を信頼している読者は多くない。

 ただ、公式には連続死体遺棄事件はまだ公開されていない。いち早く嗅ぎつけた新聞社にも、報道を抑えるように依頼している。国民のパニックを避け、犯人の逃亡や証拠隠滅を防ぐためだとの理由を付けていた。

 警察との関係を良好に保ちたい大手メディアは、当面は従うだろう。

 だから、抜け道として関係が深い雑誌を動かしたのだ。いったん事実が公表されてしまえば、報道規制も無意味になるからだ。

 男が名刺を差し出しながら、下心を隠そうともしない笑みを浮かべる。

「覚えていてくださいましたか」

 篠原が名刺を受け取って目を落とす。

「顔だけはね……しつこい記者は、嫌でも覚えます。宇佐美さんか……僕のような下っ端まで調べているとは、ご苦労なことです」

「下っ端なんて、とんでもない。天才の名をほしいままにしている期待の新人でしょう? 掃き溜めに鶴……っていうか、売春宿に仕事を求めにきた天女様ってところですかね。注目しないわけにはいきません。で、管理官はここで何を? 何やら大きな事件が起きていると聞きましたが?」

 篠原はかすかに笑った。

「誰から聞いたのかな?」

「嫌だな……逆取材ですか?」

 篠原は宇佐美に身を寄せた。

 宇佐美は肩のストラップに吊り下がったカメラを守るように、反射的に抱き抱える。奪われてデータを消されることを警戒したようだ。

 篠原は声をひそめて言った。

「バーターなら、話せますか?」

「いただける情報によります」

 篠原はさらに声を落とす。

「僕は……実はね、管理官補佐に降格されたんです」

 宇佐美はポカンと目を丸くする。

 篠原は突き放すように宇佐美から離れ、隣室に入った。ドアを閉めるなり、スマホを出した。

 私用に供与されている、セキュリティを強化した警察専用の端末だ。同様の端末は紗栄子にも貸し出され、代わりに本人所有のスマホは〝証拠品〟として警察が管理している。

 ホテル内の警備担当を呼び出す。

「篠原です。警護対象を探っている記者がいます。東スクの宇佐美。目を離さないでください」

『了解です』

「人員の拡充が必要なら、言ってください」

『つまみ出しますよ』

「手荒な真似は控えてください。一般客も多いし、騒ぎは彼らに餌を与えるようなものですから」

『連中の扱いなら心得ています』

「よろしくお願いします」

 そして2つ目の番号に連絡する。

「篠原です。何か進展は?」

 出たのは高山だ。

『被疑者の過去はだいぶ正確に掴めてきました。本人が気づいていない点もあるようです。まとまり次第メールで送ります』

「早速、記者が嗅ぎ付けてきました。東スクの宇佐美」

 高山にはすぐに誰だか分かったようだ。

『奴か……しつこい男だと聞いたことがあります。犯罪スレスレの取材もお構いなしだとか』

「誰がリークしたのか、分かりましたか?」

『それも調査中です。でも、現場からは難しいかと。これだけの事件だと、監察が動きかねませんから。下手すりゃ懲戒です』

「とはいえ、ここもすでに目をつけられてしまいました。今は跳ね返りの記者が1人だけですが、事件はすでに隠しきれなくなっています。日本中の母親が震え上がるような案件ですから、ワイドショーは規制が外れるのを待ち構えているでしょう。力づくで規制を破るために宇佐美を送り込んできたのかもしれません」

『何か対応しますか?』

「今はあまり刺激しないでください。恨みを買うとややこしいことになりますから」

『ですね。リーク元は続けて探っていきます』

「お願いします。それと、不確かでも尾上さんの生い立ちを推定できるような手がかりが欲しいんですが。まずは双子の可能性の有無を確定したいのです。彼女が知ったら、過去の記憶が蘇るような出来事や人物がいれば――」

 高山は不満げにつぶやく。

『やってはいますが……それ、意味あるんですかね……』

「と、いうと?」

『本当に一卵性双生児なんて信じているんですか?』

「あなたが尾上さんを共犯者だと決めつけているのは分かっています」

『それが一番自然な見方ですから。共犯者と組んで、トリックを使ったに決まってます。髪の毛さえ持っていれば遺体に仕込むのは簡単ですから』

「捜査陣がその線で動いていることはやむを得ないでしょう。それでも世の中、自然には思えない偶然も起こるものです。今のところ、双子を否定する証拠はないでしょう? ならば、僕1人ぐらいはオルタナティブで行きます。ユダヤ人社会では、全員一致の案には必ず作意があるので否決されると言われていますから」

『俺は日本人です』

「僕もそうです。だが、ユダヤ的な考え方にも一理ある。でなければ、かの民族が今ほどの力を持てるはずがありません。少なくとも、冤罪を防ぐために充分留意したといえるだけの努力は惜しまないつもりです」

『俺が関心を持っているのは、警察の規律だけです。篠原さんは逆らうのがお好きなようですが、現場を掻き回さないでください』

「規律というより、同調圧力でしょう? あなたは協調的に生きればいい。ですが、可能性は全て検討します。僕は双子の存在が否定されるまで追求しますよ」

『ですが、どうやって……まさか、被疑者を外に連れ回す気ですか⁉』

「必要なら」

『管理官が許しませんって!』

「でしょうね。ですから、仮にそんなことになっても知らなかったことにしてください」

『何を言ってるんですか⁉ 管理官を外されたことを根に持ってるんですか⁉ 俺を巻き込まないでください!』

「それこそ、何を言ってるんだかな……」

『これだからキャリアって連中は……。篠原さんには深入りするなって、みんなから注意された理由が分かりました――』

 と、割り込み通話の通知音が入る。

 篠原にとっては都合がよかった。

「いったん切ります。緊急通話です」そして通話先を切り替える。「なんですか?」

 相手はホテル内の警備を委ねた警官だ。

『記者を捕らえました。そしたら「もう被害者の親が犯人に会っている」と――』

 篠原は慌ててスマホを胸ポケットに突っ込み、部屋を飛び出した。紗栄子の部屋のドアは閉まっている。

 篠原はためらうことなく、フロントから預かっていたカードキーでドアを開けた。

 中の様子を確かめる前に、男の叫びが聞こえる。

「娘をどこにやった⁉ お前が子供を殺してるのか⁉」

 紗栄子の声。

「知りません! やめて!」

 篠原は部屋に飛び込んだ。

 男が紗栄子の肩を掴んで窓に押し付けている。

「娘を返せ!」

 紗栄子が篠原に気づき、すがるような視線を送る。

 篠原は背後から男の腕を掴んでねじりあげると、背中に回して壁に押し付けた。

 男が首を捻って必死の形相で篠原をにらみつける。

「なんだお前は⁉」

「それはこっちが言うことだ! 貴様、何者だ⁉」

 と、背後に私服刑事が飛び込んでくる気配があった。

「管理官、すみません!」

 篠原は一瞬で落ち着きを取り戻している。

「管理官補佐、です。それより、尾上さんを見てあげて。怪我などしていないか確認を!」

 刑事が紗栄子に歩み寄る。

「大丈夫ですか? お怪我は?」

 紗栄子の息は浅く、荒い。

「たぶん……平気。びっくりしただけで……」

 奇妙な叫びを上げて暴れる男を抑えながら、篠原が振り返って微笑んだ。

「それならよかった」そして、男の腕を捻じ上げた手に力を込める。「君は何者だ⁉」

「お前ら、警官か⁉ だったら娘を探してくれ! この女に殺されたかもしれないんだ!」

 篠原が腕の力を緩める。

「娘さんが消えたんですか? いつ?」

 篠原の言葉は届いていないようだった。

「この女、子供を殺して回ってるんだろう⁉」

「そんなことを誰から聞いたんですか⁉」そして、再び力を込める。「あの記者からですか⁉」

 男はその痛みで正気を取り戻したようだ。

「記者……そうだ、宇佐美さんから呼ばれた。容疑者のところに連れて行ってやるって――」

「宇佐美とはどこで会ったんですか⁉」

「警察だよ! 娘が消えたって言ってるのに、まともに相手をしてくれなかったんだ。そしたら宇佐美さんが『殺されたかもしれない』って!」

 行方不明の子供がいるなら、生活安全課が被害児童と照会しないはずはない。その上で関連なしと判断したのなら、単なる家出だろう。

 宇佐美はおそらく、それを理解した上で父親を情報収集の道具に使ったのだ。

 篠原は刑事に男を突き出した。

「担当署に連れて行って、詳しく事情を聞くように手配してください。あ、手荒な扱いはしないように充分留意してください。おそらく、家出でしょうから」

「処罰は?」

 篠原は紗栄子の様子を確認してから言った。

「怪我はなさそうです。見なかったことに。尾上さんもそれでいいですか?」

 紗栄子は息を整えながらうなずく。

 刑事は篠原に代わって男の腕をつかみ、外へ出ていった。

 紗栄子がつぶやく。

「あれ、誰だったんですか……?」

「娘に家出された父親が逆上したんでしょう」

「でも、こんなところにまで……」

「なぜ部屋に入れたんですか?」

「ルームサービスだ、って……ドアを開けたら、いきなり……」

「無防備すぎます」

「すみません……警察の人に言われたっていうから……。でも、どうしてこの部屋が分かったんでしょう……?」

「外に三文雑誌の記者が待ち構えていました。彼が連れてきたんです。連続児童殺人の重要参考人を保護するという情報を、誰かが漏らしたようです。その記者は事件を大きくして面白おかしい記事を書くために、たまたま見つけた家出娘の父親に連続殺人犯がいると焚き付けた――まあ、そんなところでしょう」

「わたしが犯人だってふれ回ってるんですか⁉」

「残念ですが、マスコミの大半はすでに知っていると思ってください。今はなんとか大手の報道は抑えていますが……この様子では長くは続かないようですね」

「じゃあここも取り囲まれちゃうんですか?」

「近いうちに」

「そんな……」

 篠原はわずかに考えてから決断した。

「出ましょう。そうなったら身動きが取れなくなりますから」

「いいんですか、そんなことして」

「良くはないでしょうが……僕、迷った時は直感に従うことにしてるんです」

 紗栄子の表情に浮かんでいた不安が、明らかに強まった。

「直感だなんて……警察の方って、証拠がないと何も信じないんじゃないんですか? 『予断をもつな』とかいって……」

 篠原は極めて真剣に、そして紗栄子を安心させるように穏やかに語った。

「それも警察の1つの側面です。どんなに正しく見える捜査でも、証拠の裏付けがなければ破綻することもあります。しかし直感というのは、占いや当てずっぽうとは違います。データの断片を過去の経験や知識によって瞬時に分析して統合する、高次の脳機能なんです。人間の脳は小さな容積の中に微細な配線がぎっしり押し込められた構造で、その間でどんな情報の処理がされているかまだ誰も解明しきれていません。僕は一種の量子コンピュータのようなものだという説をとっていまして、無意識の領域というのは意識する時間を省いて高速で事象を処理する場所でもあると考えてます。一種の反射作用のようなものです。ヒトはそうして生態系の頂点に立ったのです。恐怖や愛情というような不確かな感情も、種を生き残らせるために発達した演算アルゴリズムなのだと思います。そして、その武器を最大限有効に使いこなすための手段が、直感なんです」

 紗栄子は、不意に饒舌に語った篠原をぼんやりと見つめた。

「はあ……そんなものなんでしょうか……」

 篠原は、無意味に自説を披瀝した自分を恥じるかのように付け加えた。

「大丈夫ですって。優秀な警官はそんな理屈を考えるまでもなく、犯罪者と戦い続けてきたんですから。何代も続けて、です。僕たちの組織を信頼してください」

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