3・ドッペルゲンガー

 紗栄子と似た女が実在することは確認された。同時に紗栄子自身は、いったん被疑者の扱いを解除された。

 だが、不可解な要素は増えるばかりだった。

 姿が似ている人物の存在は不可能ではないが、DNAまで同一だとは考えられない。そこに紗栄子の〝作為〟があり得ることは否定できなかったのだ。

 結果、いったん戻った蔵前警察署から出ることはまだ許されなかった。

 それでも被疑者の立場から解放された紗栄子は、途端に緊張が解けた。同時に激しい眠気に襲われ、女性警官の監視の下で仮眠室を使用することになった。

 起こされたのは翌日の昼過ぎだった。

 取調室に入った紗栄子を待っていたのは、篠原と高山だった。

 ドアの横に立った高山が、座るようにパイプ椅子を示す。

 高山は紗栄子の背後に立ったままだ。逃亡を防ぐ、という態度は変わっていない。

 紗栄子が従うと、正面に座っていた篠原が言った。

「尾上さんへの逮捕状はいったん取り下げられました。最初の事件発生時のアリバイが確認されましたので」

 それでも状況はいい方向へ向かっている。

「あんなに言ったのに……」そしていぶかる。「どうやって確認したんですか?」

「マンションの防犯カメラです。エントランス周辺、避難階段のカメラであなたが部屋に入ったことは確認できました。以後、外出の映像はありませんでした。これだけでは決定的ではないのかもしれませんが、DNAが同一の人物がいるという強力な推定が可能な展開になりました。したがって、あなたをこれ以上拘束することはできません」

 紗栄子が安堵のため息をもらす。

「帰っていいんですか?」

「いや……事件がより奇妙な展開を見せています。今しばらくは重要参考人としてご協力いただくことになります」

「逮捕されてもいないのに⁉」

「あなたのDNAが死体から採取されたことは間違いありませんので。これもまた、強力な証拠の1つです。なぜこんな事態になったのかを解明できるまではお付き合いください」

「また逮捕されるかもしれないんですか……?」

「状況次第では」

「そんな……」

 高山が沈んだ声で言った。

「連続殺人の被害者が、他にも発見されたんだ」

 紗栄子は振り返った。

「また⁉」

「いや、過去に死体遺棄として処理されていた案件の中に、背中に同様の傷を負っていた子供が見つかった。脳や心臓への傷がなく服も着ていたので、虐待死として扱われていた。漂白剤も使っていない。遺棄された場所も時期もバラバラだ」そして高山は、紗栄子の反応を見定めるように続ける。「1件は北新宿の淀橋第四小学校で、3ヶ月前。もう1件は西早稲田の甘泉園公園で、半年近く前になる。それで関連性を見つけるのが遅くなった。今回と合わせて、少なくとも4人の子供が殺されている」

「そんなに……」

「これで全部だとも言い切れない。しかも全員、今だに身元が判明していない」そして語気が強まる。「あんたが関与していないという確証が得られるまでは、解放するわけにはいかんのだよ」

 紗栄子も声を荒げた。

「まだわたしを疑うんですか⁉ まさか、その死体にもわたしの髪がついていたとか……?」

「そうではないが……こっちも何がなんだか分からなくてね。……藁にもすがりたいような……」

 強面のベテラン刑事が困惑を隠さないことが、紗栄子の怒りを鎮める。

「そんなことを言われても……ただ見た目が似てるってだけで……」

 篠原が言った。

「似ているだけなら、問題はありません。容姿だけならともかく、DNAまで同一ということは通常ならあり得ないのです。あり得ないことが起こっている以上、必ず理由がある。だから、あなた自身が最大の手がかりなんです」

「わたしが……ですか?」

「あなたの過去を教えていただかないとなりません。最も有望な仮説は、犯人があなたと双子――一卵性双生児だということです。あなたは双子の存在を否定しなかった――いえ、否定できなかった。なぜですか?」

 紗栄子はうつむいた。

「だってわたし、親の顔だって知らないから……」

 篠原がかすかに眉をひそめる。

「知らない? どういうことですか?」

「こうのとりのゆりかご」

「はい? なんですか、それ」

「『赤ちゃんポスト』とも呼ばれています。赤ん坊を産んでしまったけれど育てられない母親が、素性を明かさずに預けていく仕組みです」

「あ、確か九州の方にありましたね」

「わたし、中学生になってからそこに預けられた子供だったと知らされました。養子として育ててくれた両親は事故で死んでしまったし……。実は出生の経緯を調べたことはありますが、結局何も分からなくて……。当時千葉県にあった赤ちゃんポストに預けられていたことまでは突き止めたんですけど、関係した人たちをなかなか見つけられなくて……」

 篠原が考え込む。

「だとすると、一卵性双生児説もあながち突飛ではないのかも……」

 高山がつぶやく。

「そんな都合がいいことを……」

 篠原は高山に言った。

「あなたは最初から否定的ですが、あくまでも可能性の問題です。むしろ、共通のDNAの存在がそれを裏付けていると思えますが?」

「なんらかのトリックがあればどうです? 当然、尾上さんは共犯者ということになりますが」

 紗栄子が振り返る。

「なんのためにそんなことを……?」

「犯罪の理由なんて、いくらでもある。ただの趣味で人を殺す奴もいる」

「ひどい!」

 篠原は紗栄子の表情を観察しながらも、高山に命じた。

「あなたは戻って尾上さんの過去を調査させてください。代わりの者をよこすようにお願いします」

「管理官は?」

「管理官補佐、ですよ。僕は尾上さんに付き添うように指示されています」

 高山は意外そうだった。

「帳場にいなくていいんですか?」

「だから補佐なんです」

「あ、本庁に呼び出されたときに?」

「そう言い渡されました。早くもメディアが動き始めているからでしょう。連続殺人の情報が漏れていることも考えられます。とっくに1所轄の問題ではなくなっていますから、完璧に情報を秘匿することなど望めません。テレビも新聞も、ニュースに飢えていますからね。当然、お偉方にも注目が集まります。うまく捌ければ出世にもつながりますが、しくじれば袋叩きです。僕みたいな変わり者に任せるのは不安なんでしょう」

 高山が軽く肩をすくめる。

「お察ししますよ」

 篠原は紗栄子から目を離さないまま言った。

「もうすぐお馴染みの小宮山管理官が帳場を開く頃です。統括は彼が行います。高山さんにもきっと呼び出しがかかりますよ」

 高山は明らかに不満そうな表情を見せた。

「うへ、小宮山さんですか……しんどいな……」

「そう言わないで。実績は確かですから」

「所轄のコマを使い潰した実績――ですかね」

 篠原の厳しい視線が高山に向かう。

「それでも検挙率は抜群です。それが警察官の本分じゃありませんか?」

「それはそうですが……分かりました、交代を呼んできます」

 高山は頭を下げて出ていった。

 紗栄子が篠原に向かう。

「あの……わたしに付き添うって……?」

「今後の捜査方針は本庁で検討中です。間もなく決まるでしょう。方針次第では、あなたの過去をもっと深く調査する必要が出てきます。僕の予測ではその方向に進むはずです。その際には、僕が常に同行することになります」

「同行、って……? あなたは偉い人なんでしょう?」

「なぜそう思うんですか?」

「管理官とか、って……。ベテランっぽい刑事さんがペコペコしてるし」

「キャリア――幹部候補生ではありますからね。警察だって、お役所なんです」

「だったら、なぜあなたがわたしを見張るの? わたしなんかに関わっていていいんですか? 見張られるなら、てっきり高山さんかと……」

 篠原は世間話でもするように、言った。

「同じキャリアと言っても、明確な序列があるんです。何しろ僕は、幹部候補の中ではまだ新人扱いです。新聞社が嗅ぎつけて、『連続殺人ですか』って本庁で聞き回っているそうですから、帳場――いえ、捜査本部を立てるにしても、こんな若造じゃ絵にならない……っていうか、上司が手柄を欲しがったのかな。僕の出世に使わせるにはもったいない事件だと思ったのか、急に上から割り込まれました。確かに大事件ではありますからね。まあ、現場に放り出して能力を試されている……って思うことにします。それにあなたは、最も重要な参考人ですから」

「だったらわたし……外に出してもらえるんですか?」

「捜査方針が決まったら分かります」そして目つきが厳しく変わる。「だからといって、あなたへの疑いが晴れたわけではありません。僕だって、いるかもどうか分からない双子が、偶然身近で犯罪を犯すなんて信じられません。あなたの作意を疑っている者も多い――というより、それが大半です」

「そんな⁉」

「だからこそ、疑惑を晴らさなくてはならないんです。可能性が1つ潰せれば、より真実に近づけるわけですから。極めて重要な役目です」

 紗栄子は篠原をにらんだ。

「でもわたしを疑っているんでしょう? 逃げられないように監視する……ってことですよね?」

 篠原は表情を変えないまま答える。

「それが僕の仕事、ですから」

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