第四章 4

 歩くにつれ、ゼルファは全身が小刻みに震えているのがわかった。

 寒いわけでもない、また恐ろしいわけでもない、なのになぜこんなにも震えているのだろう。自分でもわけがわからない―――――しかし震えていることだけは確かなのだ。

 ゼルファは辺りを見回した。

 表の喧騒が嘘のように静まり返った庁内。白い壁は、いったいどれくらい前から白いままなのだろう。どうして白いままでいられるのだろう。幾重にもからまる長く複雑な回廊は、中央に赤い絨毯が敷かれている。角のあちこちに沈黙したまま佇む無数の兵士。兜の下にある瞳は何を見ているのか、何を考えているのか、敬礼を寄越しはしてもそこまではわからない。無造作に置かれたようにも見える調度品の数々、壁の絵の数々。どんな真夏の暑い空気も、ここではひんやりと涼しいに違いない。そしてその空気の厚みに気がついた時、ゼルファはなぜ自分が震えているのかがわかった。

 法王庁は、聞くところによると教団創設と共に建てられたものだそうである。過去増築が何度か行われたものの、それもまたこの教団の歴史。その歴史の重さを感じ取って、自分は震えているのだ。しかしながら、なぜ歴史の古いものに恐れおののいているのかまではわからない。今までにも古いものは見ているはずなのに。

 ―――――感じ取っておるの。結構結構

 真忌名はチラリとゼルファを見ながら、知らないふりをしてずんずん回廊を進んでいった。真忌名の恐るべき感応力が、開花しようとする大きな大きな才能を見守っている。じきだ。

 ゼルファは今までのなんとなく冷たい、そっけない空気を持った建物から、自分が別の雰囲気の、まったく違った建物に入ったことに気がついた。壁の色も相変わらず白だし廊下の絨毯も何ら変わりはないが、なにか人のにおいがする。誰かが毎日使って、そこで生活しているにおいだ。

「この棟は主に法王庁の宿舎のようになっている。マスターAから上の騎士で希望する者、そして大司祭と枢機卿が住んでいる」

「そんな偉いひとたちがいっぱいかたまって住んでて安全なのかい」

 真忌名は微笑した。

「よう気づいたの。〝白の教団〟のすることよ、ぬかりはない。十重二十重にも結界が張られていての、さすがのこの真忌名も破れるとは思えなんだ」

「ふえええええ……」

 口をぽかんと開けてしきりに周囲を見回すゼルファを横目で見ながら、真忌名はその結界の凄まじい重み、見えない光輪こそが彼を真に脅かしているのだとは言わなかった、言えばこの少年は竦みあがって歩くことはおろか呼吸もできなくなるだろう。

「そしてここが私が使っていた私室だ」

 真忌名が大きな扉の前で立ち止まって言い、こだわりもなく扉を開けた。

 ふわり、と風が中から吹いた。

 さぞかし豪華な調度品があるのだろうと予想していたゼルファは、中を見て拍子抜けどころかがっかりした。

 なにもない。

 大きめのベット、大きな机、本棚、それ以外はだだっ広いだけで何もない。ソファすらもないのだ。入って正面に大きな大きな窓があり、その向こうにベランダが見られる。

 そしてその前に、見慣れた姿がにこにこと笑いながら陽を背に佇んでいた。

「お待ち申し上げておりました」

「ご苦労真赭」

 真忌名は荷物を無造作にそこに置き、ソファを、とそっけなく言った。真赭はうなづき、真赭がうなづいた途端に、ベットの脇に大きなソファとテーブルが現われた。

「くつろいでくれ。長旅ご苦労であったの」

 自分もソファにどっかと座り、真忌名はやれやれといった感じでゼルファに言った。

「喉が渇いたな。侍女に茶でも淹れさせよう」

 真忌名はパンパン、と手を叩いた。しばらくして扉をノックする音と共に扉が開き、紺色の服を着た女が現われた。

「茶を淹れてくれ。それと客人のための部屋の支度も頼む」

「かしこまりました」

 女はにっこりと笑って一礼して去っていった。

「なんつーか」

「うん?」

「長い間いなかったのにお互い屈託がないね」

「ああ……それはそうじゃろ。引退・追放はたったの一週間だからな。侍女たちもそれを知っていて当然じゃ」

 まああんたがふつうに振る舞ってるのが一番不自然だよな、と言いかけてゼルファはやめた。お茶が来るまでの間、ゼルファはベランダから思う存分エド・ヴァアスの眺めを楽しみ、また本棚の見たこともない本の挿し絵に歓声を上げたりして時間を潰した。

「滞在している間は好きなようにあちこちを歩くといい」

 真忌名はソファでくつろぎながら、そんなゼルファを見て言った。

「私はその間することがあるゆえな」




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