第二章 5
翌日支度が終わったゼルファは、扉一枚を隔てた真忌名の部屋の扉をノックし、了承の返事をもらって中に入り、その途端に度肝を抜かれた。
「なっ……」
「おう、早いの。今朝は広場が面白いそうじゃ」
「なんてカッコしてんだよ~~!」
「ん?」
今日の真忌名、どぎついショッキングピンクのブラウスに、下は黒い革のパンツという出で立ちである。
「変かや」
「変とかそういうんじゃなくて……」
「わからんのうお主という奴は」
行くぞえ、と言われ、ゼルファは絶句したままついて行った。傍らでは真赭が口元に袖をやってにこやかに微笑んでいる。
「…………どこでそんな服買ってきたのさ」
前を歩く真忌名の、腰から太腿にかけてのラインがぴったりと浮いた場所から目が離せないままゼルファは唸るようにして聞いた。
「ん? いいだろう。着たいか」
「そうじゃなくて……」
言いかけて、ゼルファは言うのをやめてしまった。祭という「晴れ」の日に、今まで着たこともないような服を着るのがこの女の楽しみなのだということに気づいたからだ。
二人は朝食をとりながら一日のおおまかな予定を話し合った。何時からどこの広場でなにがあってここは目玉だからはずせないだとか、正午に行われる神輿の周りを一周する舞いはなかなか評判がよく見たほうがいいだとか。
ゼルファはこの街の祭を見たことはないが、噂にはよく聞くのでやれこの時間の舞いは見ないと絶対に損するだとか、西広場で一日やっている楽曲隊の音楽は時間によって白と黒ほど内容が違うだとかを真忌名に教えてやった。真忌名も真忌名で、この舞を見ながらあんず飴が食いたいとかここで何々を見ながら名物の鶏団子汁を食いたいとか言ってはゼルファを呆れさせている。
「あんず飴ぇ? なんだよそれ」
「知らんのか。あんずやらすももやらに水飴を巻いての、冷やしたのを食うのじゃ」
「そんなの知ってるよ。そうじゃなくて舞を見ながらあんず飴ってなんだよ」
「それが祭りの醍醐味というものじゃ」
ゼルファ、最早言葉も出ない。
「だいたい名物のなんとかとかかんとかってどこでそんなの聞いたんだか」
と、ゼルファが食事を運んできてくれた店員を見上げた拍子に、真忌名が向こうを見て何か紙片を広げて熱心に見ているのを、ゼルファは見てしまった。
沢山の折り目がついたそれは、真忌名が両手を広げてようやく見渡せるほど大きい。新聞を読んでいるようにも見えるが、紙面のあちこちに大きく赤い線でかこまれた場所や真忌名の注意書きを見ていると、とても新聞には見えぬ。身を乗り出してよく見ると、それはどうやら街で配っているらしい街の詳細地図のようだ。祭が近づいて観光客が多い時期になると、こういった都市ではよくこういうものをあちこちの街頭で配っている。やれこの広場の演し物を見たいのならここからがいいとか、ここの特製何々はうまいだとか、迷いやすい大都市のわかりやすい地図と共にそんなことが書いてある。真忌名はそれを見ているのだ。
「いつの間にそんなもの……」
食事を前にして、呆れて手をつける気にもならない。ゼルファはこの街に入ってからほとんどの時間を彼女といるが、そんなものをもらっているところを見た覚えはない。
「よし大体こんなものかの」
と言いながら食事に取り掛かる真忌名を、ゼルファはまだ呆れ顔で見つめている。
「オレも今夜辺り一稼ぎするかな」
ゼルファはため息をつきながらサラダをつついた。
「ほう、歌の仕事が入ったかや」
「そんなのは滅多にないよ。吟遊詩人は飛び込みで歌わせてもらわなくちゃ。最近歌ってないし旅を続けるならそろそろ稼がないと」
「ふむ」
真忌名は食事を頬張りながらそれだけを言った。
それから二人は街へ出て、祭の日特有の空気の中広場に行ったり舞を見たり、見物をしながら念願のあんず飴を食べたり名物の鶏団子汁を食べたりした。盛大な音楽と共に神輿の練り歩きが始まり、人々は歓声を上げてそれに見入ったが、真忌名の顔は笑顔でもなく曇っているというわけでもなく、どちらかというと無関心に近い表情であった。ゼルファはあの男のことを言おうと思った。が、寸前でやめておいた。それは自分の口出しするべきことではないからだ。真忌名のこの表情を見れば、蒸し返していいことかそうでないことかくらいはわかる。ならば放っておこう、ゼルファはこの時思った。
「真忌名様」
す、と真赭がいつものように突然現われるのではなく、一般人に紛れて是親がこちらへ歩み寄ってきた。今日は若草色地に、竜胆に松皮菱文様の直衣を着ている。
「是親か。いかがした」
「はい。例の四家当主のいざこざでございますが、いささか妙なことがわかりましてございます」
「妙なこと…………」
「はい。当主たちは昨今の行方不明者が多発している事件について、互いがしでかしたことだと思っていたようでございます」
「行方不明者……はて」
「先日この都市にご到着の折、申し上げました一件でございます。すなわち、老若男女信心無信心を問わず、定期的に行方不明者が出ているという……」
「おお、それか。そういえばそんな話があったの。色も問わずの行方不明だとか」
「はい」
「解決したのか」
「お互い疑心暗鬼になっていたようでございます。無論、四家の当主の誰も、その事件には関わっておりません」
「…………いいだろう。ご苦労。下がってよい」
是親は一礼し、ゼルファにも一礼すると人込みの中へ消えていった。
「前もそうだったけどさあ」
「うん?」
「色も問わず、ってところにこだわるよね」
「ああ……」
それか、と真忌名は人込みを見ながら言った。一瞬の間にできる人と人との隙間を狙って移動したいのだが、これだけ混雑していてはそれも容易にままならぬ。
「それはそうじゃろう。犠牲者の内例えば〝白〟の信者だけがいなければ、もしかすると犯人は〝白〟の者かもしれぬし。そうとは言い切れんがそうすることで捜査の幅が狭くなるというのは常識じゃ。だいたいそういう時、自分の身内を殺したりはせんじゃろう」「なるほどねえ」
ゼルファは頭の後ろへ手をやってそれだけ言うと、前方で広場から移動しようとしている神輿を見た。そして懐から林檎を取り出すと、がりりと音を立ててかじった。
夕暮れの淡い光を受けて、神輿は昼間と違った顔を見せながら、ゆっくりと道の向こうに消えていった。
その夜ゼルファは、通りを二つ隔てた酒場に開店前に赴き、歌わせてもらうよう頼んだ。 店主は彼の頭のてっぺんから足の爪先までさっと見て、一言いいよと言った。こんなことは、しょっちゅうあるとでも言いたげなカオであった。ゼルファは意気揚揚として宿にとって返し、荷物の中から大切に布にくるんでいたものを出した。竪琴である。吟遊詩人は大抵、一目でそれとわかるように竪琴を持っていたり背負っていたりするものだが、彼は一目では吟遊詩人には見えない。それは、組み立て式の竪琴を使っているためだ。弦をほどき、木の部分を解体して荷物の中に入れてしまえば、竪琴を傷つける心配を道中しなくてもいいし、見かけによらずかさばるそれを邪魔に思いながら旅を続けなくてもいいという利点がある。
竪琴を組み立て終わり、ゼルファは一応は旅の連れである真忌名に一言断って宿を出た。 真忌名はそうかと言ったのみで、どこの店でやるかとは聞かなかった。ゼルファも、なぜだか恥ずかしかったので敢えて言わなかった。
久し振りに人前で歌うので、開店時間前にいつもより念入りに発声をする。真忌名と旅を始めて酒場で歌う機会がなくなっても、毎日それを絶やしたことはない。竪琴の音色をチェックし、弦が切れやすくなっていないかもよく点検した。
酒場の雰囲気―――――それは彼がいつも一番長く触れているものだ。よく知っている、よく知っているからどういう流れがあるかも、彼には一歩入っただけでわかってしまう。今客は歌を聞きたい気分だろうか。悲しい歌でしんみりと感動したいのか、陽気な歌で騒ぎたいのか、英雄の勲を聞いて盛り上がりたいのか。酒場に入り、初めは竪琴を、まるで調律でもしているかのようにただかき鳴らす。やがてそれは一つの旋律へ。客たちが耳に響く竪琴の音色に慣れ、なんの違和感も感じなくなり、音そのものが風景と同化した頃、突然彼は高い音を連続してかき鳴らし、客が注意を向けた途端に歌い始めた。
それは、不思議な歌声だった。
波のように静かで、それでいて微妙な震えは風のようにたなびいては消え、消えてはまたたなびき、冬の湖面のような独特の涼しさを纏う声。酒場にいた客はその声に思わず聞き惚れ、食事していた手を止め話す言葉を止めて聞き入った。
それが終わった、最後の竪琴の余韻が頭上の空気の中に完全に溶け込んでしまうのを待つように、その途端客たちは手を叩き歓声を上げて彼を褒め称えた。中には銀貨を投げてよこす客もいた。
これで流れをつかんだゼルファは、続いて陽気な歌を歌い始めた。客達は大喜びで彼と共に歌いだしたり、また食事や酒を飲むことを再開したりした。酒場の空気は、これでぐっと変わった。彼は時に客の要望にこたえ、延々と歌いつづけた。と、二時間も経った頃、入り口に入ってきた背の高い、目立つ客を彼は見つけた。
(ラスティ)
真忌名が、ここから一番離れた卓についた。注文にきた若い女に何かを注文し、すぐにこちらに向き直っている。歌いながらここまで客を意識したことがないくらい、ゼルファは彼女の視線を意識した。例えて言うなら、憧れの吟遊詩人が自分の歌をわざわざ聞きに来たのを知った瞬間と似ている。なぜだろう、なぜだろう―――――歌いながらゼルファは、こんなにも真忌名を意識している自分を必死に理解しようとした。
それは案外簡単にわかった。
ゼルファは、真忌名の超人的な能力を短期間の間に何度も見せられている。経験も豊富で、恐ろしいところと人情深いところの双方を持ち合わせた不思議な女だ。その真忌名の目に、今の自分はどう映っているのか。その真忌名の耳に、自分の歌声はどのように受け止められているのか。まだまだと思われているのか、向いていないと思われるのか、相手がそれだけの人物ゆえに、その評価もまた気になる。ゼルファが何曲目かを歌い終わり、卓をまわって報酬を受け取る頃真忌名はいなくなっていたが、真忌名のいた卓の隣の客に、隣に座ってた背の高いねーちゃんからも預かってるぜと、銀貨五枚を別に渡された。
頃合いを見て引き上げ、ゼルファは宿の一階の酒場で軽く食事をとると部屋に戻った。 真忌名の部屋へ行くと、
「おお、案外早かったな。
「え、うん、まあまあ」
それはよかった、と真忌名は言って真赭の淹れた香茶を飲んでいる。立ち尽くし、自分を凝視するゼルファに気づいて、
「いかがした」
と問う真忌名に、ゼルファはまだ微かな耳鳴りの余韻を感じながら言った。
「来てたんだ」
「なんじゃ、知っておったか。気が散ると思うてな。わざと最後までおらなんだが」
「あ、別にそれは平気だったんだけど」
「―――――けど? なんじゃ」
「よく場所がわかったなあと思ってさ」
真忌名は一瞬キョトンとした顔になって二、三度瞬きをし、それからゼルファの言わんとするところがわかったのか、ふ、と静かに口元に笑みを浮かべた。
「さて私はそろそろ休むぞ。お主も早う休め。明日もまた見物じゃ」
真忌名は言うと立ち上がった。それを見て、ゼルファも適当に返事をして自分の部屋に下がる。そして扉を閉めようとしたその時、真忌名の先ほどの反応の意味がわかった。
―――――あの女は千里眼だったんだ。
そのことにようやく思い辺り、ゼルファはその後、千里眼を使わなくとも、使い魔の誰かに聞けばそんなことくらいはわかるはずだということに気づいて、我ながら自分の間抜けさに呆れてベットに入った。
翌朝、昨日と同じ服装の真忌名にゼルファは閉口したが、ふわり、と石鹸のにおいが漂ったことから、案外誰かに洗濯してもらっているのか、あるいは昨日のものとまったく同じだが、品だけ別のものを着ているのだろうと考えた。昨夜のことと言い、そのことと言い、真忌名の側にこれだけいて、短期間ながらもその能力の特異な部分を何度も見せ付けられれば、大抵は離れていくか、妙にへりくだるか、その能力に頼りきるかのどれかである。真忌名が何だかんだ言ってゼルファを可愛がっている理由は、自分の能力を時々忘れて素でものを言うからかもしれない。真忌名には、それが心地良い。
「さあて」
今日もやる気満々の真忌名のそんな呟きを聞いて、ゼルファがげっそりした時のことである。
大きな都市ではよくあることだが、二人が歩いている道の脇には、階段を降りてまた同じような石畳の道がある。高低差を利用した造りはあちこちで見られ、階段の脇には植物や花壇があったりして人の目を楽しませ、或いは住宅があったりもする。その階段はほぼ定感覚で道に沿って設置されている。
その階段の側に二人が差しかかった時のことである。
その姿を待っていたかのように、下の道から呼ばわる声がした。
「エド・ヴァアスのラスティ殿とお見受けする」
その、決して大声ではないが、張りのある通った声に人々は立ち止まった。
「―――――」
呼ばれた真忌名はそこで静止し、ゆっくりと階段の下を振り返る。
階段の下でまっすぐこちらを見上げ、緊張した面持ちで立っている、鎧に身を包んだ青年。気のせいか少し顔が青い。真忌名はその姿を見とめると目を細めた。
「―――――……いかにもラスティだ」
「おなじくエド・ヴァアス騎士・マスター BBB《トリプルビー》、シュレイザ・リルレンと申します」
「知っておる」
「一手の立ち合いを申し込みます」
「―――――」
予想はついていたが、よもや本当にそうだとは思っていなかったのか、真忌名の顔が驚きで一瞬凍った。
「―――――……―――――」
真忌名はしばらくそこを動かなかった。周囲の民間人は、シュレイザと名乗った青年が騎士だとわかった途端、騎士だ、騎士だと口々に呟きながら物影に隠れた。
「―――――シュレイザ。わかっておろうの。引退騎士に立ち合いを申し込むことは法で禁じられておる」
シュレイザと呼ばれた青年は一瞬怯む様子を見せたが、何か必死なものに後押しされるようにごくりと唾を飲み、
「―――――すべて…………承知の上でございます」
と呻くように言った。
「―――――」
真忌名は再び目を細めた。
「真赭」
「どうぞ」
袖に真忌名の剣を押し抱いて、真赭がいつものように空間から現われた。振り向きもせず、剣を掴むと真忌名は突然階段の下めがけて飛び降りた。
階段―――――
あの日もこうして階段を飛び降りた―――――。
「あ……っ」
ゼルファが思わず声を上げたほどの身軽さであった。階段はそこそこ段数が多く、子供が間違えて踏み外そうものなら大怪我をする程度には高低差がある。真忌名はその階段の一番上から飛び降り、ストンという軽やかな音と共にシュレイザの側で着地した。
そして有無を言わさぬ素早さでザッ、と後ろへ飛び退ると、
チャリッ
という鋭い音と共に、左手で剣を抜いた。シュレイザもそれに倣い、ス、と剣を抜く。
「―――――来なや」
真忌名は余裕の笑みを浮かべて左手で剣を斜めに構えた。
ザッ!
キィィィィン!
鋭い剣戟の音を階段の上から聞きながら、ゼルファは改めて真忌名の人間離れした運動能力に絶句する思いであった。この高さの階段から落ちたら、普通はひどい打撲か、悪ければ骨くらいは折れる。よしや着地できたとして、足の裏のひどい麻痺と膝への負担ですぐに歩くことなど不可能だ。
ズザァァァァァァァァ!
石畳すらこするひどい音に思わず顔を上げると、シュレイザという青年が跳ね飛ばされて背中から地面に落ちていくところであった。
「痛そー」
顔を顰めるゼルファの側に、無表情に立ち合いを見つめる真赭がいる。濃紺の着物の模様は銀糸の百合刺繍、水色の半幅帯に濃紫の打ち掛けを纏っているため、その無表情は堅く恐ろしくすら見える。
「真忌名様、手加減してらっしゃいます」
「あの人のこと知ってるの?」
「真忌名様のかつての部下であられた方です」
見ると、背中から着地したにも関わらず、シュレイザは殊勝にも立ち上がり、痛みで顔を歪めながら剣を構え直したところであった。その正面で、真忌名は剣の柄を肩に乗せ余裕の表情である。
「どうした、シュレイザ。禁を犯して引退騎士と立ち合う割には、なっておらんの」
ざっ、という石畳を蹴る音と共に、シュレイザがまたもや真忌名に飛び掛っていった。 青年が両手で斬りかかった剣を、真忌名は悠々と左手一本で受け止めている。
「引退騎士って……前のでっかいおっさんの時も言ってたけど……いけないの?」
「騎士の間では禁忌中の禁忌でございます。なんとなれば、引退したということは、斬った張ったの血なまぐさい生活から縁を切り、平穏な民間人の生活をするということでございます。その生活に騎士が立ち入れば、騎士であったことが周囲の人間に知られてそこに住めなくなるかもしれませぬ。せっかくの生活を台無しにするかもしれませぬ。無論禁を破ったのは現役騎士の方でございますから、立ち合いに応じたとしても引退騎士の方は何の咎めも受けませぬ。その平穏な生活を脅かす権利は、例え法皇様でも持ってはいないのです」
「ふうん……なるほどね」
勝負は決する寸前であった。目をやると、決死の覚悟で離れた場所から飛び掛ったシュレイザを、真忌名が膝まづいた恰好で迎えようとしているところであった。真忌名はそのままの姿勢で剣を勢いよく下から払い、絶妙のタイミングでシュレイザの剣を弾き飛ばした。
カァァーン……
「う…………っ」
剣が飛び、石畳に叩きつけられて、とうとうシュレイザは立ち上がれないようだった。 それを見、剣を引っさげたまま真忌名は騎士を見下ろして怒鳴った。
「愚か者! 例えマスタークラスとはいえBレベルの者が禁を破り引退騎士に立ち合いを申し込むとは何事ぞ! 少しは腕が上がっているかと思うていればなんだその様は!」
「ラ……ラスティ様…………」
「黙れ! シュレイザ、見習い騎士でも相手に基礎の基礎から訓練しなおすのじゃな。用は済んだであろう、いますぐ去ね!」
しかし石畳に叩きつけられたシュレイザは衝撃から立ち直れないらしく、立ち上がろうとしてもがいている。それが最初からわかっていたのか、真忌名は彼が立ち上がるのを待たずに自分から歩き出した。真赭がス、と宙に浮いたままそれを追い、それを見てゼルファも慌てて後を追う。
「真忌名様」
真赭は真忌名の脇に寄り、両の腕を袖ごと差し出した。真忌名はちらりとそれを見、鞘と共に乱暴に置く。怒り心頭に達しているというか、真忌名の歩く後煙もうもうというか、前回、あの小山のような身体の大きな騎士と立ち合った時には、そんな気振りは一切見せなかった真忌名だけに、ゼルファは戸惑いを隠せなかった。
とてもとても、今すぐ声をかけられるような剣幕ではなく、ゼルファは異様な早足で歩く真忌名についていくのが精一杯であった。その為に誰かがその立ち合いをじっと見つめ、今また二人の後をつけていることにも、誰も気がつかなかった。
遠くで酒場の喧騒を聞きながら、真忌名は食事の手を止め、考えにふけっている。
「―――――――」
突然手の止まった真忌名に気がつきながらも、ゼルファは敢えて問い質そうともせぬ。
階段か―――――――
昼間飛び降りた、あの高い階段。自分でも全く予期していなかった、意外な既視感。
あの日―――――――あのようにして階段を飛び降りて…………
私は同時に本国での生活からも飛び降りた
しかし後悔などしていない―――――――別段惜しくもない
真忌名はス、と沿道に目をやった。
今の生活は、はっきり言ってしまえば追放される前よりも数段楽しい。自由でなにをしても咎められず、好き放題に自分の時間を使うことができる。
あの日階段を飛び降りなければ―――――――
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