第二章 4
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三日後―――――ゼルファが訳がわからない内に、いつの間にか街から祭を開催するという発表があり、静かになりかけていた街は急に慌ただしい空気に包まれ始めた。その日は四つの家の当主がそれぞれの鍵を持ち寄って、彼らの立ち合いの元倉が開けられるというので、大勢の人間が倉のある広場までやってきていた。
当主たちは全員、慣例に従って自分達の家にまつわる色に染められた服を着ている。少し離れた場所だが、高いところにいてゼルファはそれをよく見ることができた。
日の出を表わす、鶴の刺繍が銀糸で施された真紅の美しい衣を着ているのは東のヨリフェ家。
当主はまだ若く、三十かそこらといった感じだ。線が細く、全体に神経質な雰囲気がある。
近くの屋台で大量に買い込んだ駄菓子の中から棒飴を取り出して、れろれろと舐めながら真忌名は言った。ゼルファは屋台で五つばかり林檎を買って、それの内の一つを食べている。
「修美、あの男の好みの女はいかばかりであった」
「はい」
屋根の上で見物を決め込む二人の脇に、修美がスッと現われる。
「全体的に大柄な女性が好みでごさいました。背も大きく、胸や腰周りの大きいのが良いようで、腰や足に手をまわしても届かないのが理想なのだそうです」
「ふうん……変わっておるのう」
「今ひとつ」
「ん?」
「寝室に入る前に、消毒液の満たされた浴槽に浸かるよう命じられました」
「…………」
ポロ……と真忌名が落とした棒飴を、ゼルファが慌てて拾い上げる。
「潔癖症なんだあ」
飴の埃を払いながら、ゼルファは眼下の当主たちを見ている。
「潔癖症というかなんというか……まあ人それぞれじゃから」
「床では普通でございました」
いざ女を抱く時だけは術で眠らせ、自分のしたいような夢をそのまま見せるというのを知ってはいても、抱かれる寸前まで、できれば少しでも相手に触れさせた方がより良いという話を聞いていても、しれっとこういう報告をされると、ゼルファはどきどきしてたまらなくなる。もし術をかける前に相手がはやって飛び掛ってきたり押し倒されたりしたら……という心配は、しなくてもよいまでは知っている。そんなことをされても、所詮人間が彼らに敵うはずがないのだ。
次に、あざやかな緑の衣を纏った小太りの男は南のナルセル家である。その緑地に金と白の糸で刺繍されているのは、山を飛ぶ隼である。一羽を大袈裟に刺繍しているのではなく、その眼下の山の木々や花々も細かく美しい。
この体型の人間の常として汗っかきらしく、小さなタオルのようなものでしきりに顔を拭いている。
「瓊江」
「お側に」
「どうであった」
いちいち使い魔たちを呼び出して当主たちの様子を聞く真忌名の悪趣味さに呆れて、ゼルファは彼女から目を離して当主たちを観察した。
一人一人が、そんなに問題の多い性格を抱えているようには思えない。無論権力者というのは少なからずアクの強い人間がいるものだが、だからといって観光客までが見物に来るほどの祭を自分達の思惑で中止にしてしまってもよいのだろうか。観光客が来るということは、彼らが街に滞在するということである。彼らが街に滞在するということは、宿屋にしろ土産物屋にしろ、冒険者達が立ち寄る武器屋ですらも、いつもよりは全体的な収入が多くなるということだ。
「なんじゃ。鞭や鎖は出てこなかったのかえ。つまらんのう」
真忌名の不満そうな声を聞いて我に返り、ゼルファは困ったように苦笑している瓊江の表情を見て、やっぱりおんなじことを考えてるんだなあとちらりと思った。
続いて出てきたのは、遠目でも老人とわかる男だ。
雲間から射す、日暮れの美しい金色を思わせる派手やかな黄色の衣地に、白く輝く糸で施された獅子と鞠の刺繍が、この家の格式の高さを物語っている。
髪は白く、背も高い方ではない。しかしその顔立ちの荘厳さ、きりりと引き締まった口元の、なんともいえない威厳に満ちた様は、さすがに権力者の家の当主と言える。
「ほう…………あれが西の当主かや。響子」
「はい」
「いかがであった」
「はい。数年前に奥様を亡くされたとかで、その面影を追っておられました」
「ほう」
「隣国に嫁いだご息女に思いを馳せておられましたのでその姿に似せ、一晩お話をさせていただきました」
真忌名は響子を振り返った。
「それだけか」
「それだけでございます」
真忌名はつまらなさそうに鼻を鳴らし、視線を当主たちへと戻した。
「もう一つ、何かの勘違いで当主たちが仲違いをするのは街のためにもよくないと仰っておりました。ちょっとした誤解が、今回の騒動の元と思われます」
「お主その理由を聞いたのか」
「はい」
「…………」
無表情に当主たちを見つめる真忌名の顔に、気持ちの良い風がそよと吹いた。
「是親」
「はい」
「互いの誤解を解きたがっているそうな。協力してやれ」
「かしこまりましてございます」
是親は響子と顔を合わせてうなづき合い、それだけでスッ、と消えてしまった。どうしてそれだけで二人が意志の疎通をはかれたのか、ゼルファには想像もつかない。
「……………………」
さらり、と気持ちのよい風が吹く。
その風はゼルファの少し前に移動した真忌名の髪をそよ、となびかせる。
「―――――」
その絶対的な孤独を秘めた背中に圧倒され、ゼルファは言葉が出なくなった。
ゼルファは屋根から落ちないように注意して進み、真忌名のすぐ斜め後ろに座り直し、各自の鍵をつなぎ合わせて一つにし、それを当主たちが確認して倉から神輿が出されるのを見守っていた。
冬にも冴え冴えとした海の青のような衣を纏っている、北のズウェル家の当主。銀の糸が日の光にきらきらと輝き、よく目を凝らすとそれがあざやかに舞う鳳凰であるということがわかる。
背は尋常で、年の頃は四十代といったところだろう。肩までの総髪と、鋭い視線が独特の雰囲気を醸し出している。
「真忌名様」
真忌名のすぐ後ろに、期せずして真赭が現われた。
真忌名は、背を向けたまま振り返りもせぬ、返事もせぬ。
「無事お発ちになりました」
「…………」
では、と、真忌名の返事を待ちもせず、真赭は丁寧にそこに手をついて一礼すると、いつものようにスッと溶けるように消えた。それにつられるようにして、そこにいた四天王の面々も次々と姿を消し、屋根の上にはゼルファと真忌名だけとなった。
「…………」
ゼルファは倉の方を凝視する真忌名の横顔を見ながら、あの日のことを思い出していた。 あの日―――――真忌名は丁 紫白に償いをさせた。盟妹を死に致らしめ、ひどい仕打ちをしたにも関わらず、涙して明珠を愛していたと言った丁 紫白。その涙だけで、たやすく彼を信じるほど真忌名は人間ができていなかった。
「私がこの街に来た理由は祭を見るためじゃ」
真忌名は冷たく丁 紫白を見下ろして言った。
「ところが、四つの家の当主が互いにいがみあっていて鍵が揃わぬそうな。使い魔をやらせて色仕掛けをすることにしたのだが、一人だけ男色がいるそうじゃ」
「―――――」
丁 紫白は憔悴しきった顔で真忌名を見上げた。
「お主、その男色と会うて来や。たらしこんで神輿を出すよう仕向けよ。どうじゃできるか」
「………………」
「明珠を愛していたと言うたの。お主の愛していた明珠は一日に何人もの男たちに陵辱されて死んだ。一度や二度、お主が男に掘られようと嬲られようと明珠の味わった絶望と屈辱からすれば大したことはなかろう。どうじゃ」
丁 紫白は心の内の動揺を隠すようにしてうつむいた。あまりといえばあまりな提案であった。
「もしそれができるというのなら、私はお主を解放してやる。明珠を愛していたというお主の言葉に、誠を見出してやろうぞ」
そしてゼルファは、いまだにくっきりと覚えている―――――
意を決したように顔を上げ、吃と真忌名を見上げた時の、その丁 紫白の瞳の光を。
わあ、という歓声で我に返り、ゼルファは前方へ目を向けた。
折りしも倉の中から神輿が細心の注意を払って引き出され、陽の目を見ようとしているところであった。
「―――――」
ゼルファは目を細めた。
五月の太陽に照らされ、きらきらと輝く高い台。四面にはそれぞれ物語が描かれており、様々な動物や植物の拵えもきめ細やかで美しい。木々の緑を彩るエメラルドと翡翠のなんともいえない濃い緑色、獣の目や太陽を象ったルビーや珊瑚の数々、海は細かく砕かれたかのようなサファイア、近くで見ると濃淡を出すためにラピスラズリや紫色の石などがつかわれていることもわかるだろう。白い波は白蝶貝や真珠を嵌め込み、黒檀の艶やかな台やそれらの意匠の彫刻もなんともいえない味がある。大地には草木と数々の獣、色とりどりのそれらは、太陽に当たってあたりに光を乱反射させている。
「すげえ…………豪華だなあ」
ゼルファは思わずそんな言葉を出していた。そのゼルファの言葉にも、真忌名は反応しない。
真忌名は、祭開催が正式に決定した昨夜、自らの眷属である使い魔たちに対し丁 紫白への指名手配を解除した。莫大な借財を抱えていた彼の代わりに真忌名はそれらを支払い、同時に丁 紫白に対する取り立てやそれらの刺客も姿を消した。
そして丁 紫白は身支度を整える金まで真忌名から受け取り、また何かをやらかさないためにという見張りのためではなく、今までの荒んだ生活から由来する、彼に危害を加えんとする輩から丁 紫白を守るために、真忌名に使い魔をつけられ旅立っていった。
〝 お盟姉さま――――― 〟
―――――明珠…………。
真忌名は抜けるような青い空を見上げた。
―――――これでよかったかの……私には自信がない
しかし―――――あそこで紫白の命を奪ったなら、お主は喜ぶまい
―――――これでよかったのだ…………。
真忌名の顔は、あれだけ見たがっていた神輿を目にしたというのに、少しも晴れやかには見えなかった。
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