第二章 2

 険悪な、というよりはむしろ、自分にはなんの注意も払われていないほどの張り詰めた空気の中、ゼルファの居心地の悪さといったらなかった。真忌名を追って部屋に入った時、彼はこの世の終わりのような最悪に機嫌の悪い顔をした真忌名がソファにどっかと座ったのを見、幾分緊張した面持ちで緑茶を淹れる真赭を見ることができる。何があったのかを聞こうとしていたゼルファは、その、灯かりもつけずに部屋の中に佇む真忌名の醸し出す異様な緊張感にすっかり気圧されて、一言も口をきくことができなかった。真忌名の側のソファに座ろうとさえ、恐ろしさのあまりそんなこと彼は考えもしなかった。扉の側で硬直してしまっているゼルファに向かって、真赭が無言で窓際の丸椅子を袖で指し示した。 これもまた、普段なら考えられないことだ。いつもの真赭なら何か一言必ず言う。

 真忌名お気に入りの真赭でさえ、口をきくことすら憚れる状況なのだということにその時気づいたゼルファは身が竦む思いだったが、背後から沫杜が失礼します、と言って部屋に入って来て我に返った。ゼルファはこれから起こるであろう出来事を、自分が見ていていいのだろうか、自分はこの部屋にいていいのだろうかとどぎまぎしていたのだが、真赭がああして窓際の丸椅子を示すところを見ると、辛うじていいのだろうと自分に言い聞かせて窓の側まで歩み寄った。真忌名の横を通る時、意味もなく怒鳴りつけられはしないか、なにか恐ろしいことが自分に降りかかるのではないかと気が気ではなかったが、そんなことはなかった。真忌名がそういった類の八つ当たりをする女ではないと知っていて尚、ゼルファがそんなことを心配してしまうくらい、今の真忌名は恐ろしかった。

 部屋の隅にあって窓際に置かれている丸椅子はとても硬く、背もたれすらない質素なものだったが、この時のゼルファにはそれについて文句を言うことも、椅子の座り心地に注意を払うこともできなかった。

「………………」

 ゼルファは椅子に座るべく窓の側まで近寄って、そこで表の道の異変に気づいた。

 向かって右の道の向こう側から、ボッ、ボッ、と次々に青みを帯びた炎が灯っている。 定間隔に、道の向こう側とこちら側、交互にゆっくりと。そのあまりの美しさと不気味さにゼルファがどこまで灯っていくのだろうと左側に目をやった時、彼は心臓が止まるかと思った。

 沿道に灯ったほの青い炎の終着点に、松明を掲げて立つ響子。

 自身が持つ松明の炎の、その不思議な青さに照らされて。

「―――――」

 沿道の松明に照らされて自らの顔がうす青くなっているのにも気づかず、ゼルファは窓に貼りつくようにしてそれを見つめつづけた。

 異様な光景であった。

 だがそれだけに、非常に美しい光景であった。

 そしてしばらくして、道の向こう―――ゼルファから向かって右側―――から、慌ただしい足音と共に誰かが走ってくる気配がした。

 不思議なことに、道を誰が歩いても炎は青いままだったのに、その男が道を走ると、彼が通った後は赤々しい色に、炎の色が変じているのだ。

「来たな」

 真忌名がぼそりと言った。部屋の中が薄暗いゆえに、沿道の照り返しは部屋の中にまで届いている。その炎色の移り変わりで真忌名は悟ったのであろう。真忌名の呟きに思わず彼女を見たゼルファであったが、ちょうどその時、酒場の入り口で男を迎えた響子が恭しく頭を下げているのに気づき、いつの間にか松明がその手から消えていることにも気づかず、響子が酒場の中へとその男を招きいれ案内しているのを、茫然として見ていた。

 カツ、カツ、カツ…………

 足音が不気味に廊下にこだまする。その足音が近づくにつれ、ゼルファの緊張は弥が上にも高まっていった。そしてその足音が部屋の前でぴたりと止まった時、彼の心臓は早鐘のように鳴り響いていた。

「真忌名様、お連れ致しました」

 響子の声が廊下から届く。

「通せ」

 短く言った真忌名の声は、ひどく機嫌が悪い。ちらりと見ると、ソファに横座りになり、片膝を立ててその上に肘をついている。キイ、という扉の軋みを、ゼルファは緊張の面持ちで聞いていた。

「ラスティ様!」

 フッ……

 男が入ってくるのと同時に、部屋の明かりが一斉に灯った。

 扉が開くのと同時に入ってきたその男を―――――ゼルファはぎょっとして見つめていた。真忌名はというと、これは冷ややかにちらりと見ただけだ。

 響子もかくやというほどの、細く美しい銀の髪。上質の翡翠を思わせる、明るい緑色の瞳。通った鼻筋、理想的な形の唇、まるで水晶の彫像のような整った顔立ち。濃紫地に濃淡の糸で刺繍された蔓草の模様も、かつては趣味の良さを引き立てていたのであろうが、何度も水を通したのであろう、あちこち擦り切れ、土と汚れが沁みこんだ様は哀れを通り越して痛々しい。街を歩くだけでさぞかし女たちが放っておかないタイプなのだろうが、しかしげっそりと窶れ、何かに追われているような焦燥しきった表情、疲れ果て、食事も満足にとっていないのが一目でわかる今の様子では、かつての色男もここまで堕ちたという感だろう。

「ラスティ様、丁 紫白めが最後の…………」

 男がそこに手をつき、真忌名に向かって何かを必死に訴えかけようとしたその時に、真忌名は初めて彼の方を向き、意地悪げに眉をつり上げてじろりと見やった。

「ほう。ナフィエル・丁 紫白・セランディース。ようも私の名前を覚えていたのう。  感心じゃ。お主は自分の女の名前とその後ろにある金の額しか覚えないものだと思っておった」

「―――――」

「いかがした? 希代の詐欺師にしてジゴロにして最悪最低の色事師、歩く下半身にして無節操の極みの丁 紫白。わざわざ私を探し出して頼み事とは足労じゃの、手当たり次第に胤を撒き散らすクズの中のドクズの色魔の最低男」

「ラ、ラス……」

「よもや頼み事とは己れの窮事の沙汰ではあるまいの」

「そ、それは…………」

「果ても恥を知らぬ男」

 吐き捨てるように言い、真忌名は立ち上がった。

「どの面下げて私の前に現われるかと思うておったが―――――ここまで見下げた男だとは。腐った根性と醜い心根で部屋の空気が悪うなった」

「―――――」

「我が盟妹・明珠がこと。よもや忘れたとは言わせぬぞ」

 ぴしりと決め付けた真忌名のその瞳―――――沿道にいまだに燃える松明の照り返しを受けてこの世のものではないほどの恐ろしい光を帯び、尽きせぬ怒りと、その怒りをぶつけるべき相手を目の前にして限界が近づく自らの忍耐を必死に抑えているのが傍から見ていてもよくわかる。

「ラ、ラスティ…………」

「黙れ。一言の言い訳も許さぬ。明珠は私が止めるのも聞かずお前の元へと行き、すべてを捨て―――――私の庇護すらかなぐり捨て、身一つでお前の元へと行った。それで幸せになるのなら文句なぞない。しかしお前は七日もせぬ内に明珠に飽き、遊女に売り、窟のようなところで生活をさせ、自分は贅沢をし女たちと戯れ、胤を撒いて歩いていたのであろう。慈善家よのう、不作の年に胤を撒いて若い女たちをたぶらかし、不作に加えてさらに働き手を奪うとは。あの辺りの農家はお主のことを蝗よりも性質の悪い害毒持ちのクズ虫と言うておった」

「―――――」

「一日に十数人の客をとらされ、ぼろぼろになった明珠は陽の光も当たらぬ窟の中、食事もできず息絶えていった。それでも明珠が今際の際に言うた言葉を、お主は知っておるか」

「………………」

 真忌名の唇が激怒のあまりわなわなと震えた。自らの爆発しそうな怒りを押さえつけるような押し殺した声が、却って恐ろしさを感じさせる。

「後悔はしておらぬ、と。少しの間でもお主といられて、幸せであった、と。死ぬ間際まで私に詫び、お主を許してほしいと頼み、涙ながらに死んでいったのじゃ。のう、想像ができるか、使える時だけ搾り取り、果ては自らをボロ雑巾のように捨てた男をそれでも愛していたとまで言える女の心根の深さが。わかるまい。良いか。明珠は私の盟妹であった。 盟妹の不始末は盟姉の不始末。盟妹の恥は盟姉の恥じゃ。誰が何と言おうと、例え明珠が涙ながらに頼んだことであろうと、私はお主を絶対に許さぬ。お主は明珠の盟姉である私に恥をかかせただけでなく明珠の純情まで踏みにじったのじゃ。地が果てようと空が墜ちようと、私は絶対にお主を許さぬ。わかったか。わかったらその無様な面を二度と私の前へ見せるな!」

 バン! と真忌名がテーブルを蹴飛ばし、それを機に爆発した怒りはとめどなく溢れ、真忌名は飽き足らぬように、

「去ね!!」

 と怒鳴った。空気がびりびりと震え、ガラスの窓がひし、ひし、と鳴るのさえ、窓の側にいたゼルファには聞こえた。丁 紫白は失意に頭を垂れ、挨拶の言葉もなくすごすごと出て行った。階段を降りていく足音が聞こえてから、真忌名は側の空間に向かって

「沫杜」

 と言った。

「お側に」

「動きがあるまで見張っておれ」

 真忌名は無表情に言った。

「この件についてはあらゆる権利を与える。沫杜」

 側でひざまづく沫杜はうつむいたままはっ、と答える。

「断じて自殺させてはならん。よいな」

「かしこまりましてございます」

「では行け」

 沫杜は短い返事と共にスッ、と消えた。

 室内は不気味な沈黙に覆われた。

「ラ…………」

「すまんが一人にしてくれ」

 ゼルファが何か言う前に、真忌名はそう言って彼の言葉を遮った。ゼルファは困ったように真赭を見、使い魔は心得た顔でうなづき、背を向けている真忌名に恭しく一礼して彼の部屋へゼルファと共に下がった。

「ここではお話しできませぬ」

 開口一番、真赭は囁くように彼に言った。ゼルファはうなづき、

「いいよ。じゃあ階下に行こう。酒場はまだやってるはずだから」

 真忌名が二階に上がった途端沿道に灯った青い迎え火、丁 紫白と呼ばれた男を迎えた響子の風体、何もかもが異様な出来事であった。少なくとも、酒場にいた人間や表でそれらの火を見た者たちは、度肝を抜かれたことだろう。 

 ゼルファと真赭が酒場に降りてきた時、人々の頭からはようやく先ほど彼らが目の当たりにした出来事が払拭されてきたところであったに違いない。しかし真忌名とずっと食事をしていたゼルファは人の姿をしているからともかくとして、和服を着、幼い姿ながらにも尋常ならざる空気を纏い、正座したまま宙に浮く真赭が降りてきた時は、賑わっていた酒場は一瞬静まり返ったものだった。

「奥に行こう」

 ゼルファはもうすっかり慣れっこになって、すたすた奥まで歩いてそこの卓につき、温めた果汁を注文すると、真赭にも何か飲むように言った。

 使い魔は微笑し、

「悪魔は人間の食べ物は口には致しませぬ」

 とやんわりと言った。

「ああそう」

 ゼルファも強いて問わず、運ばれてきた果汁を一口飲んで、杯を手の中で弄び始めた。 そして思った、

 ああそうか。

 悪魔なんだ。

 我ながら間が抜けている―――――そう思った。悪魔という言葉を使うには、彼が見てきた真忌名の配下たちはあまりにも魅力的で、かつ人間的すぎる。真赭などは、宙に浮かんでさえいなければ完全にただの童女である。彼の頭の中の悪魔とは、全身が黒く、或いは黒い毛に覆われ、耳まで裂けた口、そこから見え隠れする恐ろしい牙、真っ赤な舌、つり上がった目と人外を示す角――――そんなようなものだ。そのどれも、目の前の童女の姿をした悪魔とは当てはまらない。

「いもうとって言ってたけど……ラスティに妹がいたんだ」

 何から切り出していいのかわからなかった。あの男は誰なのか。明珠とは誰なのか。それを聞くにはあまりにも自分は部外者で、聞くことすら憚れるような気がした。だからこそ最初に抱いた疑問を素直に思い出して、ゼルファは顔を上げて真赭に聞いた。

「いいえ。真忌名さまには親御様も、またご兄弟やご姉妹もいらっしゃいません」

「でも…………」

「はい。貴方様のおっしゃっている『いもうと』とは、『盟妹』のことでございます」「盟妹…………」

「はい。他に頼る者のいない方が、自分がこれはと思う方に義理の姉妹の契りを結ぶようお頼みし、受け入れられた場合の両者の関係を指しまする。両者は月の出る番に水杯を用意し、それを月に映して飲み、次いで腕を些少に傷つけそこから流れ出る血を互いに飲んで義理の姉妹となるのでございます」

「じゃあ……」

「はい。真忌名様には、合わせて一0九名の盟妹様がいらっしゃいました」

「一0九人!?」

 ゼルファは思わず素っ頓狂な声を上げた。周囲の者たちが訝しげな目を向けたが、真赭を見て慌てて目を逸らした。

「左様でございます」

「いくらなんでも多すぎなんじゃないの…………」

 果汁で口の中を湿らせて平静を取り戻そうとするゼルファに、真赭は真面目な顔で言った。さっき部屋から持ってきた林檎を懐から取り出して、食べようとしてじっと見つめる。

「なんとなれば、真忌名様は普段は面倒事に巻き込まれることを何よりも嫌いますが、なにしろあのご性格ですので面倒見がよろしいのでございます」

「はあ…………」

「明珠様は、真忌名様の一0九番目の盟妹さまでございました」

「……つまり、最後の」

「左様でございます。水のしたたるような黒い髪、五月に萌えいずる緑のようなすがすがしい瞳をお持ちの、それは可愛らしいお方でございました。ご容姿もさることながら、素直でよくお笑いになり、小鳥のように誰からも愛され、明珠様のいらっしゃるところは絶えず明るい空気に満ちておりました。真忌名様も、居並ぶ盟妹さまの中でも特に大切にしていらっしゃいました」

「………………」

「盟姉と盟妹の関係というのは、いわば肉親のようなものでございます。盟姉は、身寄りのない盟妹の親であり姉であり、兄でもあるのでございます。一度盟姉妹の契りを交わした盟妹には、盟姉はあらゆる責任を持ちます。盟妹が苦しい立場に追い込まれれば助け、又不始末があった場合は責任を持ってそれを処理する。翻って何か喜ばしいことがあれば、先陣をきってその慶び事の支度をするものなのです」

 ゼルファはエド・ヴァアスでの真忌名を知らぬ。知らぬが、今までの事を全て考慮に入れても、あまり周囲に好まれる性格であったとは思えぬ。だがその表面の無茶苦茶ぶりですぐには見えてこないまっすぐなものや義理堅い所を知ってしまえば、なるほどそれだけの数の人間に頼りにされるのもあり得るかもしれない。盟姉妹になるということは、盟妹の方はともかく盟姉は面倒なことが色々と増えるので、好んでなりたがる者はあまりいない。よほど互いに気心が知れていて、相手の人生の全てにおいて保証人になっても良いくらいの深い付き合いと財力がなければ、契りを交わすのは至難である。真忌名は相手のことをよく知らずとも、頼まれれば騎士団や司祭の目下の者に言いつけ、ともかく茶の一杯も振る舞い、相手の話や事情を聞き、ついでに持って生まれた千里眼を発揮して初対面の相手の言葉からだけではわからなかったり相手が見せていないものなどをちょっとだけ拝見させてもらい、それから断るか保留期間にするかを決める。保留期間扱いになればつまるところの「仮盟妹」扱いとなる。その期間、真忌名とその娘は頻繁に会って話をし、真忌名がどうするかを決めるのだ。盟姉の権利や社会的地位というものはそのことについてよく知らないゼルファからすれば想像もつかないほどのもので、例えば盟妹が嫁いだ先が要人であったりして屋敷に容易に近づけない場合、通常ならば然るべき筋の長官などの許可証がなければ入れないところを、盟姉だといえば問答無用で屋敷に入ることができる程度には高い。しかし盟姉の社会的立場というものもまた大きく作用し、あまり要職についていない者が盟姉であったりした場合は、婚姻の際に何の問題がなくとも、盟妹が何かに巻き込まれたときに当の盟妹本人が尊重されにくい。盟姉盟妹の契りを結んで欲しいと頼まれればそれは自分の結構な社会的地位を頼みにされたということで、自尊心をくすぐられるということもあり頼まれれば誰でも一度はなるが、二度とごめんだと言う者がほとんどである。

 その点真忌名は司祭にしてマスタークラスの騎士だというのだから、必然人気も高くなるというものだし、口ではあんなことを言っているくせにいざとなったらとことん面倒見が良い。嫁ぎ先でちょっといじわるな親戚や舅姑がいても、後ろ盾が真忌名ならばあからさまにいじめる気にもならぬし、どこへ行っても大切にされる。自分達の失態で盟妹に何かあれば、それは盟姉である真忌名の顔に泥を塗り、真忌名の怒りを買うということにつながるからだ。

 と言うことは、やはり盟妹がそれだけのことをされて真忌名が重い腰を上げるだけの相手でなければならない。

「こんなことがこざいました」

 真赭は特に思い出すような表情にもならず、真面目な顔で淡々と語った。

「何番目かの盟妹さまのご婚礼が決まった時のことでございます。真忌名様はこのご婚姻を殊のほかお喜びになり、お盟姉さまとしてご婚礼を一切取り仕切られました。それはちょうどわたくしどもを配下として従え、魔界から帰って来られた直後のことでしたが……真忌名様はご自分の周辺の不穏な空気をものともせず、素晴らしい婚儀をご準備されたのです」

 真赭はすっと目を伏せ、その時のことを思い出すように息を吸った。

「美しゅうございました。五月の美しい緑が日の光にきらきらと光る中、庭園で歌う小鳥の声、時々飛び交う蝶……どこからか鹿が顔を出し、様々な生き物に形づくられた垣根。 真忌名様は盟妹さまのために嫁ぎ先でお使いになる衣装すべてをお誂えになり、それらの素材や織りの細かさや色や柄まで細かく指示ののち点検なされてお贈りになられました。 それだけではなく、嫁ぎ先のご両親さまの元へまで、慎重に選んだ贈り物をいくつもいくつも携え、真忌名様はそれはそれは丁重にご挨拶に赴かれ、何分にも盟妹をよろしくお願い申し上げる、と普段の真忌名様からは考えられないような殊勝なご様子で、向こう様は無論、わたくしも随分驚いたものでございました」

「言うねー」

 ゼルファは肘をついて顎を乗せ、真赭の褒めているのだかいないのだかわからない言葉に苦笑した。

 真赭はその後、真忌名の配下となる前に、やはり何番目かの盟妹が不当な理由で衆人環視の下恥をかかされたことに真忌名が腹をたて、相手を突き止め、それは巧妙な手口で絶対にわからないほどの微妙な加減で相手に近づき、なんともえげつない仕返しをしたことなどを話して聞かせ、ゼルファを赤くさせたり青くさせたりした。なんで配下になる前のことまで知っているんだい、と彼が聞くと、使い魔はにっこりと微笑んで、過去を遡るくらい、我らにしてみればなんでもないことでございますと言った。

「それで本題なんだけど」

「はい。先ほどの方は、その真忌名様が一番可愛がっておられた明珠様をたぶらかし、ひどい扱いをした末死なせてしまった丁 紫白様という方でございます」

「珍しい真名だね」

「真忌名様は真名からして不吉なものを感じずにはおられなかったようで、しかも平生世間様のことにはあまり関心のない真忌名様の耳にすら入るような評判のよろしくないお方でしたので、随分と口調をきつくなさり、大分に明珠さまをお止めになりました。明珠さまは丁 紫白様にぞっこん心を奪われてしまわれ、見えるはずのものも見えなかったのだろうと思われます。

真忌名様は、最後の手段に出られました―――――」

「最後の、手段…………」

「すなわち盟姉妹しまいの縁を切り、放逐すると―――――」

「……」

「それは、真忌名様の最後の脅しでございました。明珠様はそれは真忌名様をお慕いになり、真忌名様の盟妹御ということをとても誇りにしておられましたから」

 真赭がこんなことをゼルファに話して聞かせているちょうどその時、二階では窓の外を望みながら、真忌名が明珠のことを思い出しているところであった。

 コツ、と窓に触れ、真忌名は当時のことを反芻している。

 自分はあの時、間違ってはいなかっただろうか。

 ああする以外、どうすればよかったというのだろうか―――――

 答えはまだ見つからない―――――。

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