第二章 1
4
祭中止の噂が町中に流れているのを知った真忌名は、是親に可能な限り一番広場がよく見える部屋を二つ取らせ、案外早く宿が取れたことを知らされるとまずその宿へと向かった。祭の突然の中止の噂が流れ、宿屋の多くは客からの解約も少なくないようだ。
広場を一望できる部屋はいくつか間取りのゆったりとした角部屋で、窓際にベットと灯かりを置く為の小さな机、その側にはソファとテーブルまであり、一目で料金の高い部屋だとわかった。自分の部屋がその隣で、続き部屋だと知ったゼルファは、慌てて真忌名に言った。
「ちょっと待ってよ。こんな高そうな部屋オレ払えないよ」
「うん? ああ……是親、支払いはどうなっておる」
「はい。続き部屋ですので主寝室と副寝室で一部屋、支払いは一緒でございます」
「ならばお前は払わんでいい。今回は私の思惑でこの部屋がよいとしたのじゃ。たまには贅沢しておけ」
「え、で、でも……」
「その代わりお主が副寝室じゃ。まあ広さはだいたい同じじゃろうから勘弁しや」
「別にそのくらい……あんたのほうが身体おっきいんだし」
ソファに座り、気持ちよさそうにくつろぐ真忌名はゼルファの恐縮など意に介さない様子だ。ふ、と真忌名が微かな気配に扉の方を見やると、真赭がそこに立っていた。
「真忌名様。四天王、揃いましてございます」
真赭の言葉と同時に、彼女の背後にさらりと現われた三人の女がいつものように現われるのを、ゼルファはぎょっとして見つめていた。
全員、思い思いのやり方で膝まづいたり、その姿勢で胸に手をやったりしてはいるが、頭を下げたままなのは全員同様である。ソファに座り、片足をテーブルの上に置いていた真忌名は、口元に頼もしい笑みをたたえて彼女たちを迎えた。
「響子」
真忌名が言うと、左端の女がスッと立った。
ゼルファは息を飲んだ。
絹を思わせる、なめらかな銀の髪。あたかも冬の雪山の、秘め滝のしぶきのような神秘的で人を寄せ付けぬその輝き。引き締まった口元は小さく、唇も薄い。眉はきりりとしていて細く、山が高く近寄りがたい感じだ。腰よりやや高めの位置で紐を前結びにした白い胴衣、船底のような形にゆるく弧を描く襟から、雨が降ろうものなら水が溜まってしまいそうにくぼんだ鎖骨が見えている。ぬけるように色が白く、人の姿というよりは大理石の彫像を思わせる。つまり、血の気がまったく感じられないのだ。瞳は金。虎目石のような金褐色のそれは、切れ長でするどく、ふわりと見上げた長い睫に縁取られて余計に冷たい印象を受ける。それでいて尚、この女は美しく魅力的であった。関わると危険とわかっていながらも、触れてしまった以上は後戻りできないような危うさを、空気のようにして纏っているのだ。
「真忌名様」
と、短くこたえたその声も、張りがあって冷たく、一声で吹雪が吹いてしまいそうな冷たい声であった。しかしそっけないというわけでもなく、その小さな唇から言葉が溢れるたび、男も女も息を飲んでこの女の言葉を待つだろう。
響子と呼んだこの女に小さくうなづき、真忌名は続いて、
「修美」
と言った。右端にいて膝を折っていた女が顔を上げ、立ち上がった。
響子が吹雪荒ぶ北国だとしたら、この修美という女は南国を思わせた。と言っても肌が黒いというわけでない。肌の色は白くもなく黒くもないといった感だが、つやつやと青い光すら放つつややかな髪は肩まであり、ゆるくウェーブしている。瞳も透き通った深い青、海を思わせる青だ。表情も溌剌としており口元には笑みすら浮かんでいる。紅でも引いたような健康的な赤い唇、響子よりはやや太めの、「一」の字を思わせる黒い眉は毎日表で運動しているかのような活発な印象がある。これらの要素が彼女に対して南国をイメージさせ、放埓な印象になるのだろう。服装も薄い青色の胴衣だが、襟はVの字に開いており、丈は膝上、太めの赤い布帯を巻いて横で結んでいる。
「お久しぶりでございます」
「そうさな。先日女たちに眉を描かせたのは地下の部屋であったゆえ――――顔を合わせることはなかった。息災であったか」
「はい」
真忌名はうなづき、最後に真ん中で膝まづいている女に目を向けた。
「瓊江」
真ん中の女がすっと立った。
春だ。
ゼルファはそう直感した。
極上のはちみつのような、なんともいえないとろりとした美しい金の髪。波打つ様は、秋の実りの稲穂とも、夏の海の夕暮れのそれにも似ていた。白い胴衣はやや時代遅れに胸の高いところで紐を結ぶ形だが、淡い金の糸で神殿の柱を象ったものがその紐の下に見え隠れしており、ゆかしい瓊江の容姿にぴったりといえよう。月桂樹を陽に透かしたような緑の瞳は喜びと笑みに溢れており、響子が冷たく厳しい冬の女神なら、瓊江はすべてを受け入れる春の女神といったところだ。きゅっとした唇はサンゴのようにやわらかなピンク色をしており、とてもつややかだ。眉はまるく、全体に柔和な空気を醸し出している。
瓊江はなにも言わなかったが、小さくうなづいて、それから敬意を表する時の挨拶の一つ、伏し目がちになり指を三本額にあてるという動作をしてみせた。
真忌名はうなづき、
「四天王揃い踏みじゃな」
と言った。三人じゃん、と突っ込みを入れそうになったゼルファは、本当にそう言おうとして寸前でとどまった。
(あ)
今初めて気が付いたかのように真赭に目を向ける。真赭はいつの間にか、響子の隣に神妙な顔をして立っている。
(これで四天王なんだ)
ゼルファは思った。どうも、このまったく種類の異なる美女たちを見た後に、残る一人は真赭だと言われてもピンと来ない。真赭が不美人だと言っているのではない、真赭が童女の姿をしているからだ。童女とはいえ、今日の真赭は薄青地の綸子の着物に白の立葵の染め模様、萌黄色の半幅帯、薄水色にかわせみの刺繍が施されたの打ち掛けを着ていて、鮮やかさでは他の三人に劣らない。
真忌名は響子には西のルゼル家に、修美には東のヨリフェ家、そして瓊江には南のナルセル家に、それぞれ行くよう命じ、当主の女性の好みを調べてそれに近い姿になるようにと言うのも忘れなかった。
「真赭、お前は別じゃ。幼女趣味というわけでもあるまいに、その姿では駄目じゃろ。適当に好みの容姿を調べて変身しや」
「…………それは少し難しいかと」
修美が甘苦い顔で言うと、真忌名はまったく心外だという顔になり、
「何故じゃ」
と言った。四人の使い魔たちは一斉に顔を見合わせた。真赭が袖に触れながら言う、
「残る一人は、男色なのです」
キョトンとした真忌名の顔を見て、ゼルファは思わず吹き出してしまった。
「まさか本当に色仕掛けさせるつもりじゃないよな」
周囲の喧騒の中、それでも聞き辛そうにゼルファは真忌名に尋ねた。
「ん?」
「つまり、その…………」
言いにくそうに言葉に詰まるゼルファの様子を見て、真忌名は食事をする手を一向に休めずにああ、と言った。
「そのことか。つまりお主は本当に部下たちを寝させるのかと聞きたいのであろ」
「ぐっ……そ、そう」
直接的すぎる言い方に喉を詰まらせ、ゼルファは赤面して辛うじて言う。世間を知り抜いているようで、おかしなところで純情だ。
「案ずるな。第五層の悪魔と寝たりすれば人間の方がおかしくなってしまう。致した、という夢を見る術をかけるのじゃ。だがそれには、遠い場所から遠隔操作するのではなく実際に会って近しい場所でかけるほうがよりいっそう効果的だとされている」
「どうすんの」
「後で考える」
短く答えてしまうと、真忌名は食事に没頭した。ゼルファも、彼女とこうして酒食を共にし旅をするようになって二週間、彼女の食欲と食に対するエネルギー、いかに食べ物に対して執着が強いかを嫌というほど知っている。そして、彼女がだいたいのところで自分の疑問を感じ取り、きれいに片付いた皿を前にして初めてその疑問にこたえてくれるということもよくわかっている。だからこそゼルファは、敢えてこの場では追究しようとはせず、夕方の喧騒を背に黙々と食事を続けた。
先に皿がからっぽになるのは大抵真忌名である。彼女は酒をもう一杯注文すると、ゆったりした姿勢で椅子の背に手を乗せ、食事を続けるゼルファを見ながら口を開いた。
「四天王というは真赭を含む先程の四人じゃ」
真忌名はまずこう言って切り出した。
「第五層の悪魔たちの中でも実力はピカ一というやつじゃ。是親は腹心。第五層でトップを行く実力の持ち主よの」
「うーん」
ゼルファは椅子によりかかり、酒場の喧騒で考えがまとまらないらしく、茶色の髪をぐしゃぐしゃとかき回して言った。
「腹心は真赭さんじゃないんだ」
真忌名からすればその疑問は予期していなかったらしく、運ばれてきた酒を一口飲みながら、ゼルファを面白そうに見ている。
「だって腹心ならいつも側にいるだろ」
「なるほどな」
真忌名は椅子の足を浮かせながら言う。
「まあ確かにそうじゃ。実力で言えば真赭は是親には及ばぬ。だからといって是親と真赭が万が一にも戦うようなことになって簡単に是親が勝つかといえば違うぞ。是親はかなりの消耗を覚悟で戦わねばならず、最後に勝つのが是親であっても、九割九分の魔力を使い果たして辛うじて立っていられるのが是親だということじゃ」
「ふえ~」
普段の真赭の可愛らしさをよく知っているだけに、ゼルファはいまいち納得がいかないようである。食事を終えたゼルファは、デザートのつもりで懐から林檎を取り出して少し服でそれをこすり、林檎にかじりついた。
「まっひゃくわへがわかわないほ」
真忌名はおかしそうに笑い声を上げると、
「見た目が可愛らしいからといって、油断は禁物じゃ」
と言った。
「私が真赭を側においている理由はまあそうじゃな、あの容姿もあるじゃろ。側にいて疲れない程度の気遣いもあるしな。四天王の中では、実力で言えば真赭が一番なのじゃ。そうは見えんかもしれんがな」
林檎を飲み込んでゼルファ、
「でも悪魔って言うけど、まさか自分が本来いる場所であんな見かけしてるわけじゃないんだろ」
「それはそうじゃ。悪魔たちの外観は人間のそれとは大きく異なる」
「んじゃあの人たちのあの容姿は」
「私の好みじゃ」
二人がはじけるようにして同時に笑った時、異変は起ころうとしていた。笑いがようやくおさまろうという頃、ゼルファが店の者に水を下さい、と言った直後、突然表で、ぬおおおおおおおおおおという声と共に続けざまに何かが倒れたり壊れたりする音が響き、女の悲鳴やガラスが割れる音が続いた時、真忌名の酒を飲む手が止まった。
「おや…………」
そしてその騒音の後、一人の男が酒場に入ってきた。
肩まである黒髪を一つに束ね、息切れしているわけではないが顔が少しだけ汚れている。 衣服も、注意しなければわからない程度だがあちこちに土がついている。
「真忌名様!」
真忌名は、表で騒音がした時点でその男が来ることがわかっていたのだろう、少しも驚かず、少しも慌てずに笑顔で言った。
「沫杜。変わらぬのうお主は。どうじゃ、気付けに一杯やるか」
真忌名はくすくす笑いながら、黒髪の男に向かって杯を差し出す。
男は濃紺地に亀甲葵車の織りの直衣を着ていたが、あちこちが埃と土にまみれて見る影もない。
「そ、そのようなことを……」
と、沫杜と呼ばれた男がさらに真忌名のいる卓に歩み寄ろうとした時、
「どああああああああああ!」
轟音と共にけつまづいた沫杜は、まず側の卓にぶつかり、その卓が無人だったことも幸いしたのだが、卓と椅子と共に物凄い音をたてて転び、その衝撃で壁の側にあった木の桶ががたん、と倒れた。
吹き出し、笑いをこらえられずに真忌名は、それでもなんとかそれを抑えて沫杜に言った。笑いを抑えて口をきいているので、肩が震えている。
「部屋にいるゆえ―――――始末をしてからついてまいれ」
「ま、真忌名さま…………」
卓の下敷きになり、店の者に救出されながらも、沫杜は死にそうな顔で真忌名を見た。
「そ、そのような悠長なことをしている場合ではございません」
立ち上がった真忌名は、うん? と沫杜を見る。店の者に助けられて卓の下から這い出し、普段なら自分のせいで倒した卓を元に戻そうものを、それすらもしない。
「かねてから捜索中の件の丁 紫白殿の行方、つきとめましてございまするぞ!」
この時の真忌名の、劇的な変化―――――。
ゼルファは生涯忘れることができないだろう。
冬の湖、人知れぬその場所に積もる雪のような白い肌がスッと青くなり、次いで見る見る灰色に転じ、最後には赤くなった。目がつり上がり、その紫色の瞳は爛々と怒りに燃えて凄まじい光を帯び、こめかみの辺りの空気がピシ、ピシと微かに鳴った。唇はわなわなと恐ろしいまでに震え、髪の毛は威嚇する猫のように逆立ち、全身から凄まじい熱気を放っている。真忌名の頭の向こう側に、ゆらゆらと立ち込める陽炎を見た時、ゼルファは心の底からゾッとした。
「丁 紫白―――――見つけたのか」
その寒々しいなかにもゆらゆらと燃える、埋み火のような恐ろしく、不気味な声。
「間もなくこちらへ到着いたしまする。―――――真忌名様に面会を求められるようで」
「―――――」
スッ、と外されたその視線の先には、酒場の入り口にまっすぐ向けられた。その、冷ややかな視線。
「祭などに気を取られている場合ではない」
真忌名は自身に炎を纏いながらも、背後に吹雪を背負い、その視線その指のわずかな動きでなにものをも凍らせてしまう恐ろしい女神に見えた。
「ならば会おう―――――沫杜は控えておれ」
「はっ」
「響子」
「はい」
スッ、と真赭がいつもしているように、響子が空間から現われた。ずっとそこにいたのだろうか、ゼルファは場違いにもそんなことを思っていた。
「迎え火を焚け。入り口ではお前が出迎え、案内するのじゃ」
「―――――かしこまりました」
響子が目礼し、目を伏せ、それと同時に空間に溶け入ってしまうと、真忌名は黙って二階へ上がっていってしまった。ゼルファは慌ててそれを追いかけ、沫杜は店の者に会釈して二階へ消えた。
彼らの剣幕に静まり返って事態を見守っていた店の客たちの耳に、表で響子が灯した迎え火が焚かれるボッ、という音が連続して響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます