第一章 5
食事から帰ってきて真忌名は、まず真赭に連れられてきたアイシャの顔を見、青ざめてはいるものの体調に特におかしなところはないと看るとレンツェンとの打ち合わせに入った。
「私はあの女にちょっとした恩がある。身請けはしたが帰れないというのなら帰してやらねばならぬ」
「なら<春立楼>そのものを壊滅させないとだめだ。あんたの話によると破戒僧が関わってるんだろ。よく知らないが聖職者というのは破門されても能力はそのまんまだとか」
「司祭も騎士も能力は生まれつきゆえ……破門されても能力は残る。そこがやっかいなのじゃ」
先程の部屋とは別のもっと広く風通しのよい場所で、レンツェンとその部下といちいち話をしながら、真忌名はてきぱきと次々に指示を出している。その間全くの役立たずであることを自認するゼルファは、隅の壁に寄りかかってそれを見守るばかりだ。
ふと横に気配を感じて目を向けると、真赭が彼のちょうど目線より少し下に、真赭が正座したままの姿勢で宙に浮いている。
「よう」
「お側に失礼いたします」
「あの女の胃袋ってどうなってんだ?」
「そればかりはお答えしかねまする」
ゼルファは笑いながら視線をレンツェンと真忌名に戻した。
彼女が食事をしに出て行った後、世間の細かい噂に疎いゼルファはエド・ヴァアスのラスティという女について色々なことを聞かされた。もっともこの話は民間にはただの「引退」程度にしか知られておらず、ギルドにいればこその話だともいえた。
「聖堂内部で人を殺したらしい」
「聖堂……?」
「そうだ。行ったことがないとわからないがエド・ヴァアスの聖堂といったら由緒正しい伝統のある建物でな。古くはかのリーゼ・ヴァウ妃が結婚式を挙げたときの場所でもあるし、出奔王と呼ばれたセルディン・ティスレンが戦いの前に勝利を誓った場所としても知られている」
「メチャメチャ古い人間ばっかだね。オレだって知ってるよリーゼ・ヴァウって。三か国の王様に求愛されて自殺未遂までした絶世の美女だろ」
「そうだ。由緒も伝統もある上〝白の教団〟の大礼拝を行う場所でもある。教団というのは色がどれにしろ礼拝堂や聖堂がとても神聖なものであるには変わりない」
「そうだろうなあ……教えを説いたり神様の像があったりするとこなんだろ?」
「そこであの女は三人を殺したらしい。侵入者だと言ってな」
「三人も? ……でも侵入者なら」
「脳天から剣をまっすぐに振り下ろして真っ二つにしたって話だ」
「…………」
「司祭達が駆けつけたときは血の海だったそうだ。脳みそがこう、壁まで散らばって」
延々とその有り様を聞かされたゼルファは気分が悪くなり、とうとう最後まで聞くことはできなかった。
その話を思い出しながら―――――ゼルファは真忌名を見据えて考えている、
―――――騎士だというのなら、なぜ洗礼できたんだ?
洗礼は司祭の生業である。死をいつもその身の側に置く騎士にできる芸当ではない。
ゼルファは混乱してきた。元々は、彼は世間のことにそう詳しくはない。十五といえばこの世界では一人で旅をしていても何の奇異の目で見られることもない年齢であるし、彼は吟遊詩人だから、もっぱらその興味は昔の歌の記録やその歌詞から見る時代背景などに注がれている。最近の流行りの曲はどんなものか、どんな曲や歌詞が客に受けるのか。それを考えている時、彼は両親のことや嫌なことなどはすべて忘れ、真空状態になって没頭することができる。歌うことを考え、また実際に歌っている時こそが彼にとっては至福の時間なのだ。なればこそ、吟遊詩人は目で見たこと耳で聞いたこと肌で感じたことをそのまま歌声にせねばならぬという気持ちで、彼は諸国を旅し、また真忌名という、普段では絶対できないような経験をさせてくれそうな女の後ろについてまわっているのだ。
「だけどさあ、」
ゼルファは壁に寄りかかったまま、真忌名に視線を向けて真赭に言った。
「あの植木鉢くらい落ちて来たって……あの女ならどうってことなしによけられたんじゃないの。でなくたってあんたがいるし。あの女の人もわざわざ身の危険を冒して助けなくてもよかったのに」
「それが―――――真忌名様というお方なのです」
「え?」
「とても他人のことを振り返る余裕などないのに、それでも我が身の危険を顧みずに助けてくれた―――――誰にでもできることではありません。人の身であれば、尚のこと。真忌名様はそういった義理を非常に重んじるお方なのです」
そしてその義理深さのせいであの方は―――――感情を滅多に表に出さない使い魔の顔に、一瞬痛々しいものが映った。が、その表情も真忌名の怒鳴り声でさらりと元に戻る。
「何? 一ヶ月もかかるじゃと」
真忌名の声は凛として響き渡りたちまち室内に静寂をもたらした。
「そうだ。最低一ヶ月はかかる」
チッ、と真忌名が舌打ちする音が聞こえた。
「なぜそれを早く言わぬ。まだるっこしい計画を延々と立てさせおって馬鹿者どもが」
「しかし一つの組織を壊滅させるというのならそれくらいはどうしてもかかるんだ。密偵の内部潜伏、情報操作、例の破戒僧に対する対策……」
「面倒だのう」
遮って、真忌名は不満げに呟いた。
「そのような手順いちいち踏んでなどいられん。人の時間を何だと思うておる」
「なっ……自分で」
抗議しようとする部下を止め、レンツェンが真顔で聞いた。
「しかしそれならどうする。諦めるのか」
真忌名は眉をぴくりと動かし、
「まさか。そのような言葉は私の辞書にはない。ついでに不可能という言葉もない」
すっ、とゼルファの横にいた真赭が姿を消し、真忌名がそこにあった上着を着、右手をスッと伸ばすと、剣を捧げ持った真赭が恭しく現われる。真忌名は前もってわかっていたのか予測していたのか、そちらを振り返ることもせず剣をがっしりと握った。
「今から乗り込む。おぬし達は適当な頃合いで来や」
言いながら、真忌名は早くも部屋を出るべく扉に向かって歩き出している。
「ちょっ……待……っ……」
レンツェンの部下が言い終わらぬ内に真忌名は部屋を出、呆気にとられて事態を見守っていたゼルファは慌てて彼女を追いかける。
「ゼルファ!」
「よせ」
あまりの真忌名の勝手な行動に、それを追いかけたゼルファをも咎めようとした部下を止め、レンツェンは黙って腕を組んだ。
「長! なんで止めないんです! 好き勝手やらせるわけには……」
「まあいいじゃないか。あの女が一人で動いたのなら我々ギルドには関わりのないことだ。それでもし、あわよくば壊滅させられたのなら運がいい。どっちに転んでもギルドは損はしないということだ」
「しかし…………」
薄笑いを浮かべて、レンツェンはうるさそうに手を払って部下を黙らせた。
彼にはある種の確信があった。
世界各地に点在する盗賊ギルド、そのギルドの長しか知りえないレベルの情報は、真忌名がここへ来た時からエド・ヴァアスに照会して知っていたから。
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