第一章 3
1
宿を決め、そこにアイシャを待たせておいて、真忌名は道を歩きながらゼルファに言った。
「ゼルファ……この街の盗賊ギルドに案内いたせ」
「いいけど……あの女のひと一人で大丈夫?」
「使い魔が見張っておる。人間ではあの女を連れて行くのは無理じゃ」
「さっきまでいたちっちゃいおかっぱの子かい」
「別のじゃ」
さらりと言う、真忌名の足取りはなぜかとても急いでいる。盗賊ギルドに行きたいと言った彼女の言葉からして、ゼルファは彼女が何をしたいかがだいたいわかってきた。恐らくはアイシャを助けるつもりなのだろう。
吟遊詩人の多くは盗賊ギルドと深い関わりを持つとされている。彼らはあちこちの酒場に出入りし、色々な人間を目にする。歌いながら、さりげなくそういった人間を観察することも可能だ。あらゆる酒場を回り、それでいて向こうに警戒されない彼らは至極便利な存在である。ギルドが血眼になって探している人間を見かけたりすれば、吟遊詩人は自分の裁量で報告するかしないかを決められる。すべての吟遊詩人がギルドとつながっているというわけではないので、一般的に素人にはその区別はまず不可能だろう。
ゼルファはギルドと繋がっている方かそうでない方かは真忌名にはわからなかったが、まあ繋がっているというほどではないにしろ、用があればたまに顔を出す程度なのだろうな、くらいなのは、入り口での用心棒の対応でおよその見当がついた。用心棒は真忌名をちらりと見、胡乱げな目でじろじろ見ていたが、それに気づいて真忌名が用心棒を見ると、しばらくは何かを考えていたがその内見るのをやめてしまった。
中に通され、何度も何度も角を曲がり、恐ろしげな用心棒の張る扉を何度も通り、時には彼らに金を払い、そうしていよいよ最後の扉らしきものの前に来た時、真忌名は自分が地下にいることに気づいた。そしてその扉が開いた時、天井に程近い高い場所に細長い窓があり、そこからさす薄明かりを見た時、真忌名は自分の考えが正しかったことがわかった。
「ようゼルファか。久し振りじゃねえか。随分きれいな姉ちゃんを連れてるが…………連れか?」
まあいい入んなと言われ、中に入りながらちらりとゼルファを見た時、真忌名はこの少年が微かに緊張しているのを見て取った。そして視線を前に向けると、正面に立っている男は背が高く、恐らく自分と同じか少し上くらいだ。どこかで戦士をやっていると言われれば鵜呑みにしてしまうほどよく鍛えられた身体、胸の前で組まれた両腕はまるで丸太のようである。髪は金色だが短く刈り込まれていて、一層精悍なイメージを与える。目の色はわからなかったが灯かりに反射してキラリと光った拍子に見ただけでは、明るい緑といったところだろう。木の実のような小さな目だが、油断のない、相手を見透かすような光を帯びている。見かけによらず頭の切れる男のようだ、と真忌名は思った。ゼルファと挨拶程度の会話を交わすその口調や態度からいって彼がこの街のギルドの長であることに間違いはないようだ。部屋は広い四角形の形をしていて、壁によりかかって先程の用心棒のような男たちや、いかにも精鋭らしき鋭い顔の男の幹部連中らしき者も何人かいるようだ。
「―――――で? 季節の挨拶はここまでだ。今日は何の用だ」
ゼルファはちらりと真忌名を見た。彼女が考え事や人間観察をしている間必死に時間稼ぎをしたが、もう限界なのであろう。それに気づいて、真忌名は男を見据えて言った。
「頼みたいことがある」
「初対面でギルドに依頼か。度胸の据わった姉ちゃんだな」
「そうなのか?」
真忌名がゼルファに聞くと、呆れ果てた顔で少年は答えた、
「そうなんだよ」
「ふーむ」
「いいから話を続けなって」
「ああ……<春立楼>という売春宿のことで頼みたいことがあるのじゃ」
「<春立楼>……?」
ざわ、と室内の空気が一変した。誰もが顔を見合わせ、こちらを見ながらひそひそと囁きあう者もいる。剣の柄に手をやる者、そこはかとなく身構える者、長は眉を寄せてそれらの空気をどうまとめるか考えているようだ。
スッ、と真忌名の右後ろの隅に立っていた男が音もなく近寄り、近寄り様腰の短剣を引き抜いた。
ガッ!
しかし彼が真忌名に近寄る前に、真忌名はそちらを見もせずに右手をスッと差し出し、拳で男の顔面を強打した。いきなりの予期せぬ反撃に、男は勢いをつけて近づいていたということもあり、よけることができなかった。男は凄まじい悲鳴を上げて床に倒れこんだ。 側にいた者が慌てて近寄り立ち上がらせると、男は鼻から血を出して悶絶している。折れたのだ。
「わざわざ頼みに来た者に対しての礼儀がこれか」
真忌名は男のほうを一顧だにもせず、長を見据えて低く言った。別段怒っているようにも見えなかったが、その打ち据えるような声は気配もなく背後から近寄った男を見もせずに返り討ちにしたことも手伝い部屋の中にいた者たちを震撼させるに充分だった。
「……手の者が失礼した。<春立楼>の名を出されて少々頭に血がのぼったようだ」
「何……」
「まずは話を聞きたい。そこに座ってくれ」
真忌名はちらりと目の前のテーブルを見、目顔でゼルファに先に座るよう示し、仏頂面で少年が座るのを見てよしとした。
「警戒心の強い姉ちゃん。名前を聞いておこうか」
苦笑しながら長が言うと、真忌名はジロリと彼を見た。彼は腕を解き、笑いながらオレはレンツェンだと言った。
真忌名は目の前の椅子にどっかと座りながら、
「エド・ヴァアスのラスティだ」
とぶっきらぼうに言った。
先程とは比べ物にならないほどの動揺が、室内を駆け巡った。
「ラスティ……!?」
「マスターAAA《スリーエー》の真忌名と呼ばれた女か」
囁き合いがどよめきに変わって行き、ゼルファは驚いて男たちを見回した。
「もう引退した。それより話に入りたい」
真忌名は平然としてレンツェンを見上げた。さすがに驚きを隠せない様子であったが、周囲の者達のように動揺は見られない。ゼルファは、レンツェンを始めとするギルドのお偉方がここまで動揺するのを見たことがなかった。街の影の部分を闇から操る物騒な連中である。
「あんたと<春立楼>の関係はなんなんだ?」
「はて……関係と言われても困る。昨夜用心棒をニ、三人しめた後宙吊りにした程度じゃ」
「! それじゃ昨日の騒ぎはあんたがやったのか」
「騒ぎたくて騒いだわけではないわ」
最悪に不機嫌な顔をして、真忌名はレンツェンを見返した。
「早く出て行けばいいのにいつまでも中でごちゃごちゃやっているから出て行けと言ったまでじゃ。そうしたらあやつらが表に出ろというから」
「ははあ……それで娼婦を助けたってことか」
「助けたくて助けたわけではない」
強い口調で遮り、真忌名はじろりとレンツェンを睨んだ。
「それよりお前たちこそ何じゃ。あの売春宿に何ぞ因縁でもあるのか」
「そこだ」
いつの間にか真忌名の正面に座り、レンツェンは真顔になって言った。
「オレたちとあんたとは利害関係が一致するようだ」
「…………」
真忌名は腕を組み、両足をテーブルの上に乗せて言った。
「話を聞こう」
<春立楼>はつい最近できた娼館で、抱えている女の数が多いことで出来た当時ちょっとした評判を呼んだ。広いし奥行きがあるし、女の質もよいのでよい店だというもっぱらの噂であったという。
「それがお前たちとどういう関係がある」
「盗賊ギルドは街の裏を司る。歓楽街に店を出すならどんなチンケな屋台でもオレたちを通さないでいては店はやっていけない」
「そうやってピンハネするわけか」
「代わりに地元のごろつきや汚職役人から守ってやってるんだ。
娼館が建つときも例に漏れない。女一人に対して一晩二人以上の客をとらせていないか、料金は不当に高くはないか、年季が明けたら旅支度と故郷までの護衛くらいの面倒は見てやっているか、そういったこともオレたちが管理しているんだ」
「ほう。それは初耳じゃ。ケチな盗賊どもの集まりなどと言って悪かった」
「言ったのか」
「いいや」
レンツェンは苦笑して先を続けた。
「<春立楼>もそうだ。ところが―――――」
半年以上前に年季が開けたはずの女が、まだいるというのだ。しかも、<春立楼>のある界隈では一晩にとる客は女一人に対して三人までと決められていて、その翌日に客をとる場合は二人までと定められているのに、あの店では毎晩五人以上の客を取らせるという暴挙に出ているらしいのだ。真忌名は眉を寄せた。
「しんどいのう」
「しんどいどころじゃない。そんな生活してたら死んじまう。年季の明けたはずの女がまだいるから事情を聞こうとしても話そうとしない、店主を呼び出してもへらへら笑っているだけで一向に応じない、それならそれでとこちらが強気に出ても、それはそれで結構とこう言うんだ。ギルドの管轄から外れた途端にやりたい放題さ」
「やりたい放題は客の方であろ」
「茶化すな」
真忌名は爪を噛んだ。この話とアイシャに聞いた話を統合すると、<春立楼>には少々厄介な人間がいるらしい。
「お主等何故娼婦たちが帰りたくとも帰らないか知っておるか」
「いや―――――聞いても話そうとしないし、実力行使で行こうとして若いのをやったんだがみんな返り討ちにされた」
「これからはもうするな。無駄じゃ」
レンツェンは訝しげな顔になった。
「あの店にはどこぞの破戒僧がついておる。女たちが帰れないのもそのせいじゃ」
「破戒僧…………? 司祭くずれか」
「女たちの真名を縛って奪う。うまいやり方じゃ。女たちは真名を取られている以上身動きしたくともできぬ」
「ちょっと待てよ。司祭は真名を暴いちゃいけないんじゃないのか」
「そうとも。もっとも破戒僧ならば話は別だがな。司祭としての自覚をなくして破門されたのだから。ちなみに司祭同士でそんなことをすれば肉がとろけ骨が砕けて死んでしまう。 見たことあるぞ。皮が剥げて筋肉が見えてきたところなどなかなか」
「わかったわかった」
さらに詳しい描写を続ける真忌名の言葉を想像して気分が悪くなり、口を押さえて出て行ってしまった部下を見てレンツェンは苦笑いしながら止めた。
「情けないの。血など何度も見ているであろうに」
「あいつは事務専門なのさ」
真忌名は小さくため息をつき、
「<春立楼>の破戒僧は真名を暴いたのではない。そもそも真名というのは暴くものではないのじゃ。暴くのは真名の向こうのその人間の存在の秘密。真名はそこへ通じる扉みたいなものじゃ。しかし扉そのものを鎖でがんじがらめにしてしまっては逃げ出したくとも逃げられぬ。真名を縛って奪うとは……こやつ破戒僧ながらなかなかの者よの」
「感心してる場合かよ」
ゼルファが呆れた口調で言うと、そうだのう、と真忌名は言った。
「真赭」
「お側に」
突然、真忌名の後ろに真赭が現われた。いつものように、溶けいっていた空間から戻ってきたかのような自然さで。床に正座したまま、真赭は真忌名の背中を見上げている。
「聞いておったか。あの女が少々危険じゃ。ただちに連れて参れ。しかしその際誰にもあの女の姿を見られてはならぬ。よいな」
「かしこまりましてございます」
スッ……
真赭がいつものようにして消えてしまうと、室内には不気味な静寂が残った。
もう慣れっこのゼルファは、周囲の男たちのように呆気に取られたり何が起こったのかよく分からない顔をしたり今自分が見たものを反芻して懸命に理解しようとはしない。
「それでこれからどうするのさ」
「腹が減った」
「またぁ!?」
「おかしな声を出すでないわ。おい、飯を食ってくる。よい店が近くにあるか」
「上に運ばせよう。好きなものを注文してくれ」
うなづいて出て行った真忌名を目で見送り、ゼルファは呆れてものが言えない。先程食べた木賃宿のカレーは普通でいうと従来の一・五倍くらいの量があったはずだ。
一方のギルド幹部連中も、話している内に態度がでかいだけの女が物凄い人間だということを知って気が気でなかったらしく、真忌名の足音が遠のいていったのと同時に、ほぼ全員が安堵のため息をついて額の脂汗を拭った。
「騎士か……しかもマスタークラスの騎士なんざ、もうお目にかかれないかもな」
手下たちの狼狽ぶりを見て苦笑いを漏らしながら、肘をついてレンツェンは持ってこさせた酒を飲んだ。周囲の動揺を見て、ゼルファが信じられない面持ちで呟く。
「あの女―――――戦士だとばかり思っていたのに」
「騎士さ。それも超一流の。エド・ヴァアスの騎士団を出てって突然放浪の身になったって噂だ」
現在世界最大と言われ、信者の数も最多と言われているのはエド・ヴァアス教国を本拠地とする〝白の教団〟である。同教国は七教団唯一の法皇統治国家として君臨し、その歴史は実に五千年近くと他教団よりも三百年ほど古い。国民の多くは同教団の信者だが、むろんのこと〝白の教団〟の信者数をはるかに越えて多い〝無所属〟つまり無信心者も多く住み、また〝黄の教団〟のように排他的でない〝白の教団〟は、エド・ヴァアスが本拠地であるにも関わらず他教徒の居住を受け入れている。もっとも、同教団のように国を持たぬ他教からすれば同じ地区の隣同士に他教徒が住むなどという事は当たり前のことなので、別段エド・ヴァアスのやり方が寛容だとの声も上がらぬ。世界唯一の法皇統治国家である同国には同教団信者を始めとする他教信者をも含む国民と法皇を護る為の騎士団と、世界中の支部に散らばって儀式や洗礼などを行っている者も含め数百に上る司祭を有し、彼らはその両翼を合わせると実に数千にもなる。年に一度の大祈祭にあたり、煌くばかりの白い衣、或いは白い鎧に彼らが身を包んで並ぶ様は、遠くガルファス大陸からも見物が訪れるほど美しいという。又政を左右するにあたり、騎士団は無論のこと多くの司祭が相談役を務めているが、彼らの本来の生業は儀式を執り行なうことであり洗礼を施すことである。 宗旨の如何に関わらず司祭は、例え相手が乞食であれ殺人者であれ、相手が依頼したのならば儀式を拒むことはできないのである。
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