第10話【チャルミーの過去】

 軍服を脱いだキキョウたちは、ゴブリンやオークたちから奪い取った服や鎧に身を包み、森の中を移動していた。

 人間のキキョウはまだしも、獣人であるチャルミーたちはアルンテミア王立軍に見つかったらその場で敵ゲリラだと認定されてしまうだろうというくらい魔王軍に馴染んでいる。

 黒いシャツを着込んだチャルミー。引き続き緑色のつなぎのような服を選んだサリーナ。ジャレは茶色く薄汚れたシャツを着ているが、翼が通るように背中の部分にナイフで穴を開けている。ゴルマは合うサイズがなかったので、仕方なくオークがつけていた鉄の胸当てを裸の上半身につけている。ポーラはナースということで白いシャツを選んだが、胸のサイズが壊滅的に合わず、服がパツパツに引っ張られて少し苦しそうだ。ファルトは青いジャケットを羽織っている。


 夜になったタイミングで、キキョウたちは道路から離れた森の中で夜営をすることにした。見張りは二人ずつ交代制。火をたくこともできず、木に寄りかかって寝るしかない状態だ。猫系の獣人は夜目が効くので、夜は役に立たないキキョウはチャルミーと見張り番をすることになった。


 今の季節は春だが、夜はやはり冷える。真っ暗な闇の中、体が冷えないように立ったまま足踏みしているキキョウとは対照的に、チャルミーは木の幹に寄りかかってじっとしている。仲間たちの寝息と虫の鳴き声が聞こえる中、黒いシャツを着たチャルミーの目だけが光っているように見える。

「お前は…」

 突然チャルミーが声を出したのに驚いて、キキョウは足踏みを止める。

「お前は、なんで射撃の腕で嘘をついた」

「えっと…」

「お前は基地で、射撃は苦手だから撃たないといった。でも、さっき私の後ろにいたオークを撃った時、お前は一発でオークの眉間を撃ち抜いた。あれは射撃が苦手な人間にできるような技じゃない」

「あれはたまたま…」

「まだ嘘をつくのか」

 暗闇でチャルミーの目がギラリと光る。

「私はお前を信じていない」

 チャルミーがスッと立ち上がってキキョウの方に歩いて近づいてくる。

「私は人間を信じない。お前らはいつも私たちを裏切る」

 ザクザクと茂みを踏み歩く音が近づいてくる。

「ただ…」

 キキョウの目の前で足音が止まる。

「さっきのことだけは礼を言っておく」

 チャルミーの影がバッと揺らぎ、キキョウの目の前で光っていた目の灯りが消える。

「でも、次に嘘をついたら許さない」

 キキョウが声の方向に振り返って上を向くと、背後にあった木の上に二つ並んだ猫の瞳がこちらを見つめていた。空に浮かぶ月の影に照らされ、木の枝に乗ったチャルミーの影がうっすらと浮かぶ。ゆらゆらと揺れる尻尾の影と、チャルミーが乗ったことで揺れた枝から落ちてきた葉っぱがキキョウの顔にかかった。



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【六ヶ月前】

 ベルフェリ戦線キャンプ。


 ただでさえ今日のチャルミーは機嫌が悪かった。少数の魔王軍が発見され、その殲滅という任務だったにも関わらず、目の前に現れたのはこちらの部隊を遥かにしのぐ大群で、ほとんど戦闘にもならなかった。すぐに撤退命令が出たが、獣人部隊から出た死者は30名。目の前で次々に倒れていく仲間を、チャルミーは助けられなかった。

 チャルミーの軍歴はまだまだ短い。部隊にいるメンバーのほとんどは先輩だった。よき兄、よき姉のようにチャルミーに接してくれた。軍隊生活は厳しかったが、みんなで笑い合ったいい思い出もある。そんな家族のような仲間がギガンテスに踏み潰され、ゴブリンに刺され、グールに喰い千切られた。彼らの悲鳴を聞きながら、チャルミーは必死になって逃げた。その自責の念が彼女の胸の奥をぐっと締め付け続けていた。


 キャンプに戻ってきた獣人部隊への目線は冷ややかだった。同時に戦っていた人間の部隊も相当な死者が出たらしい。獣人部隊が逃げ出したために敵の攻撃が人間に集中してしまったという話も聞いた。だが、チャルミーたちは作戦内容が間違っていたから撤退しただけだ。それを責められる謂れはない。


 悶々とした気持ちを振り払おうと夜のキャンプを歩いていたチャルミーの耳に、「毛玉」という言葉が飛び込んできた。「毛玉」とは獣人を指す侮蔑的な言葉であり、これが元で殴り合いの喧嘩に発展してもおかしくないワードだ。

「毛玉たちが勝手に逃げ出したせいだ!そうだろ!!」

 人間の兵士の喚き声が聞こえる。チャルミーは道を変えようと体の向きを変えたが、すぐ傍にあったテントから5人の人間が出てきてしまった。全員顔を真っ赤にしている。獣人の敏感な鼻にアルコールの匂いがツンと香る。

 テントから出てきた兵士はチャルミーを見るなり、彼女に指をさしてより一層騒ぎ出した。

「お前らが逃げたから、俺の兄貴は…兄貴はなぁ!」

 チャルミーは彼らに背を向け立ち去ろうとした。人間に絡まれたことは何度もある。ただ喧嘩となれば、獣人の身体能力では人間に大怪我を負わせてしまう可能性がある。獣人部隊でも、人間との喧嘩は御法度。破った場合は一週間謹慎という重たい処罰が下されることになっている。


「お前のせいで兄貴は死んだ!お前らが死ねばよかったんだ!!」

 どうしてそんなこと言われなければいけないんだ。私の仲間だって死んでいるのに。

「お前らはどうせ魔王軍の手先なんだろ!裏切り者!!」

 私の村は魔王軍に焼かれた。人間に協力するのも癪だが、魔王軍はもっと憎い。

「囮は囮らしく、全滅すればよかったんだ!!!」

 チャルミーの足がピタリと止まった。

「てめーらは囮だったんだよ!前線部隊が避難するまでのな!」

 ゆっくりと振り返ると、5人の人間がチャルミーを恨めしそうに睨んでいる。

「なのにてめーらが逃げたから、俺の兄貴の部隊は壊滅した!!」

「その部隊は最後まで撤退できなかったらしいぞ。てめーらが逃げたせいでな!」

「この毛玉が!俺らの仲間を返せよ!お前らが生きてる必要なんてねぇ!」

 全身の毛が逆立っているのを感じる。人間を殴ってはいけない。先輩たちに顔向けできない。

「ろくに仕事もしねぇ奴らがなんで生きてんだ!敵前逃亡で処刑してやる!」

 兄、姉のように優しかった先輩たちの笑顔が目の前に浮かぶ。チャルミーが初めて軍に入った日に出会った虎族の女戦士は、今日ミノタウルスの角に貫かれて死んだ。行軍中にお腹が空いて倒れそうだった時に食料を分けてくれた兎族の偵察兵は、今日骸骨兵の大軍に取り巻かれて今でも行方不明だ。

「処刑だ!毛玉!テメェら獣人に生きる権利はねぇ!」

 チャルミーの中で何かが弾けた。

 凄まじい悲鳴がキャンプ中に響き渡った。憲兵が駆けつけた時には、返り血を浴びて呼吸を荒げているチャルミーの周りに、5人の兵士がズタズタになって倒れていた。

 チャルミーはその場で逮捕され、独房に入れられた。


 独房の中から見上げた空に、大きな月が浮かんでいた。

 私の仲間が死んだのは、人間が仕組んだ罠だったのか。人間は自分たちが生き残るために、私たちを囮にしたのか。魔王を倒すという目的は同じはずなのに。この戦争で活躍すれば、今までの差別的な扱いも無くなり、人間と対等に暮らせると思っていたのに。


 チャルミーの頬を伝う涙を、月明かりがチラチラと照らした。

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