第4話【もう既に既に帰って寝たい】

 ルコヤ基地本部正面玄関は思いの外慌しかった。何台もの馬車が溢れんばかりの荷物を引いて門を出ていく。馬車があるということは、もちろん人間に使役されている動物の「馬」がいる。

 これが人間と獣人の微妙な位置関係にしている要因の一つだ。


 この世界には獣人とは種類が異なる「動物」もいる。今見ている馬はもちろん、家畜として人間に飼育され、食用としても重宝されている牛や豚。空を見れば鳩やカラスなどの鳥。海に潜ればサメやイルカなどの魚。金持ちの物好きは野性の犬や猫を捕獲し自宅に閉じ込め飼育しているらしい。なんとも趣味が悪い話だ。


 今から2,500年ほど前、獣人たちは人間と寄り添って暮らしてきた。人間より圧倒的に身体能力の優れる獣人たちではあるが、歴史上人間を支配することは無かった。それは、獣人といっても種族が違えば、たとえば犬族と猿族は仲が悪いとか、亀族と兎族は過去の因縁が大きく決裂しているとかそんな具合で、全く協調性が無かったからだ。

 そんな中、若干の身体的な差はあるものの基本的な能力は全て一緒である「人間」という種は獣人に比べて同族同士の連携が強く、情報交換を盛んに繰り返し、知能を蓄え文明を発展させていった。

 そして1,500年ほど前、人間は獣人を超えた、という身勝手な考えが生まれた。犬や猫などといった動物の延長線上にいる獣人は人間ほど知的ではない。なので人間が獣人を使役するのは当然であるという「優人劣獣説」が流布され、人類はそれを支持した。身体能力で勝てない相手を頭脳で押さえつけることで、いつか人類が獣人に淘汰されてしまうのではという不安を払拭したかったのだ。


 もちろん獣人の多くはこの説に反発し、一時は人間と獣人の武力衝突が盛んに起きていることもあった。しかし暫くして一部の獣人、主に犬族がこの学説を支持しはじめた。それによって犬族は人間の一番のパートナーとしての地位を確立した。獣人の中でも意見が別れてしまったため、対人間への抗議活動は急速に勢いを失った。どの種族も大規模な戦闘を望んでいない。人間と獣人は多少のことには目を伏せ、昔のように寄り添いあって暮らして行くことにした。

 そこから長期にわたる人獣間の平穏な時代が始まる。しかしこう着状態というのは肯定概念のアップデートを妨げる。人間は獣人よりも上の存在であるという考えがじわじわと広がっていき、表面化はしないが双方の溝は知らず知らずのうちに深まっていったのだ。


「出ていく馬車ばっかりですね!」

 鼻をヒクヒクさせたファルトが、その場にしゃがみ込み背中を丸めて資料が風に飛ばされないよう不器用に何度も手で持ち直しているキキョウに話しかける。

「そうみたいですねぇ」

「トードーはここに来るまでは何をしてたんですか?」

 どうやらファルトは生粋のおしゃべりらしい。人間から獣人の美醜はわからないが、人懐っこい目と笑ったように見える口元は、さぞ仲間から愛されてきたのだろう。

「いろんな事をしてましたが、機密なんであんまり言えないですねぇ」

 ただ、キキョウはそんな愛想のいい相手に合わせるつもりなど微塵も無かった。

 ファルトもそれを察したのか、微妙な沈黙が続く。

「おい見ろ、動物が服着てるぜ」

「吐き気がするな。あいつら、人間の死体を掘り出して喰ってるらしいぞ」

「あんな奴ら、前線に立たせて後ろから撃ち殺してやればいいんだ」

 静かになった途端、ファルトを見かけた兵士たちが陰口を言っているのが聞こえる。こういう軍隊の陰湿な部分もキキョウは大嫌いだ。だが、兵隊が獣人を嫌う理由も理解できる。


 人間と獣人が築き上げてきた見せかけの平和は、12年前の魔王ザクナキアス誕生で突然打ち破られた。

 人とも獣とも異なる第三の勢力である魔物。突然この世界に姿を表した生き物は動物とも異なり攻撃性が非常に高く、現れるや否や人間と獣人をいとも簡単に殺戮し始めた。

 新勢力。しかも統制が取れている魔物の行動に最初の4年は人類、獣人ともに非常に苦しめられた。この世界にある最大の大陸全土を支配するアルンテミア王国でさえ、領土の1/3を魔王軍に侵略されてしまったほどだ。

 数年に渡る調査によって、魔族の司令塔はアルンテミア王国北方のトンカーナ地方にあり、ザクナキアスなる魔族の王、つまり魔王の命令のもと魔物を地の底から呼び出して侵略行為を行なっていることが解明された。


 どうやって魔王の存在が解明されたのか。それは、「人類と共存していたはずの獣人の一部が魔王軍に寝返っていたから」である。何百年も人間に虐げられ、差別的な行為を受けてきた獣人の一部が人間に見切りをつけ、魔王軍の仲間として人間を襲い始めていたのだ。魔物たちも獣人を受け入れ、時には共同作戦を行い人類を攻撃し始めた。魔王軍の情報は、そういった戦闘によって人間に捉えられた獣人から得られた情報だったのだ。そもそも魔族に人間と交渉、交流しようという意思はない。問答無用の武力侵略が突如として始まっていた状況である。そこに獣人が寝返っていたという事実は、今まで安穏と生活をしてきた人間を震え上がらせた。

 もちろん、人間に味方する獣人も多い。アルンテミア王立軍にも名誉ある獣人部隊があり、伝え聞く限りでは獅子奮迅の働きのため、いくつも国王特別勲章を賜っているようだ。ただ、人間は以前よりもさらに獣人への差別感情を強めた。いつ裏切られるかも知れない恐怖。獣人に対する根も葉もない密告が相次ぎ、一部の田舎では平和的な獣人たちまでも隔離してしまったという話も聞く。そんな中、魔王軍と戦っている兵士たちはどうしても人間を裏切った獣人の姿を戦場で見てしまう。全ての獣人が敵ではないと頭では理解していても、気持ち的には複雑なものはあるだろう。


 一見キキョウは獣人であるファルトに冷たく当たっているように見えるが、実は彼は獣人に対して特に差別感情も、恐怖心も抱いていない。これは彼が全ての生命を平等に博愛できる高潔な人物だから、では無い。今までの生活で人間の醜い部分を見過ぎて来たため、正直他者への興味があまり持てず、いいヤツはいいヤツ、悪いヤツは悪いヤツという線引きがしっかり出来てしまったからだろう。そこには人間も獣人の差別も無く、そういう意味では真の平等主義者と言えるが、逆に言えば全ての他人を排除したぼっち人間とも言える。


 気まずい沈黙が流れる中、普通の馬車の荷台とは全く異なる金属製の巨大な箱を引いた馬が入り口からガラガラと音を立ててのっそり入ってきた。

 その箱は馬車と呼ぶにはいささか無骨すぎた。窓も無い、全てが黒い鉄板で覆われ、上には兵士が4人ほど座っている。

「キキョウさん!見てください!なんだか物々しい馬車が来ましたね」

 やっと会話のきっかけが見つかり、ファルトが再度キキョウに話しかける。

「あれは囚人を入れる馬車、通称棺桶って言われてる特別製の檻でね。絶対に内側から開かないようになってるんですよ」

「なるほど!この基地の刑務所に収監されに来たんですね」

「いや、あれに今回の作戦遂行メンバーが乗ってます」

 笑顔が得意なおしゃべりファルトも、流石に今回は驚きの表情でキキョウと馬車を見比べる。

「今回の作戦は、恐らく自分が率いる懲罰部隊で遂行することになります。ファルトの身の安全は正直保証できませんが、そこは自分が最善を尽くします。もちろん、最終的な参加有無の選択はあなたに委ねます」

 さっきまでどうにか会話をしようと必死だったファルトが完全に黙ってしまった。デカダ中佐に直談判したのは良いが、正式な部隊を派遣してくれるわけでは無かったために、アドバイザーとしての参加を考え直しているのかも知れない。

 キキョウ的には、一般人の同行者がいなくなれば任務を途中で切り上げて基地に帰還するのが非常に楽になるのだが、それはあまりにも彼に冷たすぎる。

 キキョウはボサボサの髪が更に乱れるのも気にせず頭をポリポリかきながら、ファルトにフォローを入れようとする。

「ご懸念はごもっともです。これから出てくるメンバーをご紹介がてら、彼らがなぜ懲罰部隊に入ったのかご説明しますので、それを聞いてから作戦への参加について再考頂ければと」

 しまった。これじゃ逆にやる気を削いでしまうかも知れない。ファルトの耳と尻尾が重力に負けだらんと下がり、側から見ても明らかにモチベーションが落ちているが、彼は「お願いします…」とキキョウの提案に応えてくれた。

 キキョウとて囚人と軍事作戦なんてまっぴらだ。もうこの段階で早く全てを投げ出し、基地に入って風呂に浸かってベッドでスヤスヤ眠りたい、という気持ちしか無い。


 馬車がロータリーに入り、ゴトン…という重たい音を出して止まる。

 檻の上に座っていた兵士が飛び降り、まるで正面にいるキキョウとファルトが見えないかのように淡々と囚人を檻から出すための準備を始めた。

 気づけば馬車の周りには10人弱の兵士が集まり、槍を装備して構える者、扉に手をかける者、引き取り書類を記載する者など少し慌ただしくなって来た。

 一人の兵士が懐から鍵束を取り出し、頑丈に施錠された扉に近づく。内側からはもちろん、外からも無理やり開けられないようになっているらしいが、軍から囚人を救出しようとする輩がいるとはとても思えない。

 施錠された箇所は扉の上下左右にあり、兵士がそれぞれ別の鍵を使い解錠していく。

 最後の鍵が開いたタイミングで、別の兵士が重たい鉄の扉をズリズリとスライドさせる。さらに後ろにいた兵士が馬車に槍の柄をぶつけるガンガンという音が扉の奥からも反響して聞こえてくる。

「一人ずつ降りてこい!妙な動きをすれば、その場で串刺しにしてやる!」

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