第3話【噛み付かれるかも知れない】

「ヘックシッ」

 まるで新種の動物の鳴き声のような高い音のくしゃみをしたのは、執務室から出て通路を歩いていたトードー・キキョウだった。

 第5分隊メンバーの資料についてしまった唾を急いで袖で拭き取っているキキョウの背中に声がかかる。

「風邪ひかれてるんですか?」

「いえ、ちょっと鼻が…」

 振り返ったキキョウの前に、一匹の狼が立っていた。いや、正確には狼の顔を持ち、人間の体を持った“一人の獣人”が立っていた。


 この世界には人間と、魔物、そして獣人がいる。魔物と獣人には大きな差が有り、魔物は人の言葉を操れないが、獣人は人と会話ができる。魔物の中でも一部の上位種、ハイ・ヴァンパイアやエインシェント・ドラゴン種等は人間の言葉を理解し、話すこともできる。ただ多くの魔物はそもそも人型ですら無く、意思の疎通は不可能だと言っていい。

 一方獣人はほぼ全ての種族が二足歩行が可能であり、人の言葉を主要言語として使用している。また寿命や年齢感、身長体重も人間基準とほぼ一緒だ。ただ血の濃さによって頭蓋骨や骨格の形、体の毛深さに差ができる。個体によっては耳と尻尾以外はほぼ人間と同じ外見をしているものから、人間に近い部分が一切無いものまで、同種族間でも外見的な差がある。


 今キキョウの目の前にいる獣人は、頭は完全に狼だ。灰色より少し青みがかった毛色、ふさふさとした毛並み、目は普通の狼種より丸くて少し愛嬌がある。手は人間と同じだが、足元は靴を履いておらず毛深い足が覗いている。ズボンの後ろから出ているふさふさした尻尾は独立した感情があるかのようにさわさわと揺られている。

 キキョウが最初に気になったのは彼の種族ではなく、その服装だ。自分と同じ緑色の軍服を着ているからマリーナのような青服(士官)ではない。だがその方には身分証を示すマークが付いていない。となると貸出用か?また話し方、物腰を見ても軍人らしいとは思えない。となれば一般人だが、特に用事の無い者が軍の基地に入り込むなどほぼ不可能だ。

「えっと、あなたは…」

 キキョウが不審な顔で話しかけると、狼の口角がハッと上がり、まるで笑っているかの表情になった。

「申し遅れました!僕はファルト。ファルト・メコットです」

「ああどうも。自分はトードー・キキョウ伍長です。えっと…ひょっとしてデカダ中佐のお客さん?」

「そうです!今回あなたが隊長を務められる作戦のアドバイザーとして任命されました!」

 ファルトの尻尾がぶんぶんと揺れている。犬科の獣人は嬉しいと尻尾を振るらしいが、狼はどうなのだろうか。また、キキョウは今回の作戦内容をまだ聞かされていない。アドバイザーがいるとなると、突然最前線に送り込まれるということでは無さそうだ。

「なるほど。今回はよろしくお願いします、メコットさん。一般の方にアドバイザーをお願いするのは心苦しいですが、一緒に頑張りましょう」

「ファルトで大丈夫ですよ。今回は僕が直接デカダさんに頼み込んで参加させてもらったんです。第三派遣基地の構造も良く知ってますし、イルトーレ様を一刻でも早く助け出したいですし…。キキョウさんたちのお力になれるよう頑張りますね!」


 笑顔で答えてくれるファルトの顔を見ながら、キキョウは今得た情報を吟味する。なるほど、今回のミッションは基地に取り残された何者かを助けに行く感じか。メインの兵隊で救出、いやそもそもの基地奪還作戦を行わないとすると、要救助者はあまり重要では無く、基地を奪った敵もそこそこ強大といった所か。やる気いっぱいのファルトには悪いが、ここは占領された基地の手前まで行って、敵複数のため潜入できず。あるいは、すでにイルトーレ氏は死亡とか言って適当な遺品を拾って引き返してきた方がいいな。

 そんな考えを微塵も見せず、キキョウはニッコリ笑顔をファルトにお返しする。

「ありがとう、自分のこともトードーと呼んでください。作戦成功のため全力を尽くしますね」

 そういえば、もうすぐ作戦遂行のための選りすぐりメンバーが基地入り口に到着するはずだ。せっかくなら作戦に同行するファルトへの注意喚起も兼ねて二人で見に行くか。

「今から自分の部下たちを出迎えようと思うんですが、ファルトも一緒に来ますか?」

「なんと!ぜひお願いします!皆さんにご挨拶出来ればと!」

「ご挨拶…という感じでは無いかもですね。とりあえず噛みつかれないように、自分のすぐそばから離れないでください」

 狼が“噛みつかれるかも“という忠告を聞いて不思議そうに首を捻っている。確かに注意があべこべだが、今から来る奴らは噛みつくだけで許してくれればまだいい方で、食いちぎられてからが本番という具合だ。キキョウはファルトをつれ、基地の入り口へと再び歩き出した。

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