第1話-2 暖炉のある部屋
暖炉に吸い込まれてから1秒と経つことのないまま、夏帆はどこかに放り出され、背中を強く打ちつけた。いったぁと夏帆はつぶやいた。夏帆はついくせでM.E.の魔力を分析する。周囲の魔法を感じとり、分析し、数式にして、それを元に新たな魔法を作り出したり強化する。それが夏帆の専門である呪文分析学だった。イギリス出身のギルド・ストラッドフォードが作り出した学問で、ストラッドフォード理論が有名だった。
内容はあまりにも難しく、習得にも何年もかかる。それに実績的でない。ずっと考え続けなくてはならず、孤独との戦いだ。そのため、日本では不人気の科目だった。しかし、一年生の時、図書館でこの学問に出会った夏帆はのめり込んでいった。夏帆は既に何本か論文を執筆している。
夏帆は周囲にある微弱な魔力が感じ取った。壊れている。なぜ暖炉を使った移動などそもそも思いついたのだろう。勘弁してほしいと夏帆は思った。、
洋服についた埃を払って周囲を見渡す。夏帆はレンガ造りのコの字方の壁の中に降り立っていた。めまいと乗り物酔いのような不快感はあったが、それ以外、特に体調に問題はない。あまりに一瞬のことで、夏帆は感慨深さも何も感じなかった。ここが本当にイギリスなのかまだよくわからない。
到着した場所は、じめじめとした薄汚いホールだった。高い天井には暗赤色のライトがいくつか宙に浮かんでゆらゆらと揺れている。何も音が聞こえなかった。ソナタも聞こえなければ、人々の声もしない。誰もいない。何もない。
夏帆が歩くと、コツコツという音がホール全体に鳴り響いた。昔はイギリスのM.E.の各拠点は、多くの魔法使いで賑わっていたと聞く。ここ何年も続いている内戦のせいで、すっかり海外からの足が途絶えたとの噂は本当のようだった。技術で誇るイギリスも、M.E.を修理する余裕もないようにみえる。
壁に破れて萎れた紙に雑誌広告が貼られていた。『ロビン・ウッドは誰なのか?』と書かれている。
-長年人々を恐怖に陥れるロビン・ウッド。我々独自の調査により、ギルド・ストラッドフォードがウッドの魔法のとある秘密を明かす。ウッドが殺した人物の足跡を辿るとある共通点があった……。
かなり古い広告だった。ギルド・ストラッドフォードは20年前にロビン・ウッドという名前で知られる大悪党に殺されている。
「ロンドンへようこそ」
気がつくと、黄色いローブを着たブロンドヘアの女性が目の前に立っていた。女性はにこりと笑って挨拶した。夏帆は身につけていたポシェットから青いパスポートを差し出した。女性は戸惑った顔をした。
夏帆が提出したのは、人間界のパスポートだった。急いでポシェットの中へとしまい直すと、薄桃色の魔法界の外交パスポートを差し出した。女性は、日本、という表示を見ると怪訝そうに顔をしかめた。女性が杖を振ると、目の前にA4サイズのボロボロの羊皮紙が浮かび上がった。女性は上から下へと瞳を動かし、「あった、タカハシナツホ」と乱雑につぶやいた。
「なぜイギリスに?」女性は無表情のままぶっきらぼうに言った。
「留学です」
「ビザは?」
夏帆はポシェットから入学許可証と就学ビザの証明書を取り出した。
「ビザを取得できた理由は?日本は鎖国して久しい」
「アーサー・パウエル校長からの留学要請です」
「アーサー・パウエル校長はなぜあなたに入学許可を出したのかしら?知り合い?」
「ですから校長の方から来て欲しいと頼まれて……」
「そう。M.E.に入国申請をしたのは校長ではなく、大使館だった。なぜ?」
「飛行機で入国予定でしたが、ストライキで飛行機が飛ばず、大使館に連絡をしました……」夏帆は目線を外した。
「そう」
そして、どうぞ、とでも言わんばかりに無表情のまま、サムアップした手で合図した。
「あっちが出口」と女性は言った。女性の示した方向には、黒いドアノブのついた木製の扉があった。
夏帆は軽くお辞儀をすると、ドアに向かって足早に歩いた。このホールに長くいたいとは思えなかった。かび臭く、陰鬱で、日本人というだけで明らかに対応が変わる。おそらく、この扱いが嫌になり、日本の官僚は飛行機を使うようになったのだと妙に納得した。ちらりと後ろを振り返ると、女性もこちらを監視するように見ている。女性の足元には目を光らせながらこちらをみる黒猫がいる。
-私がスパイだとバレたのだろうか
いやそんなことはない。彼女は仕事で聞いただけだ。夏帆の得意とする呪文分析学を持ってしても、さすがに人の心を読むことはできない。できて人の記憶を見ることまでだ。だから、感情なんて考えても疲れるだけで無駄。そうわかっていても、気になるものは気になる。
夏帆は黒いドアノブに手をかけた。ゆっくりと息を吐く。まさかイギリスに再び来ることになろうとは。夏帆はもう一方の手で、首からかけた砂時計をぎゅっと握りしめた。でもあの時と少しばかり違う。国という概念があるところだ。日本を除く諸国は、国など関係なく移動することができた。でも、イギリスの内戦をきっかけに、今や制度や監視が厳しくなり、簡単に国外へ移動できない。まるで人間界のようだった。
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