第2話 イギリスで式神を使う

 扉を出た先は、レンガの壁で覆われた細い石造りの道だった。夏帆はドアをしっかりと閉めると、目の前の細い道を進んだ。5分ほど歩くと、左右二手に道が分かれた。


 目の前の壁に看板が付けられていた。黒い木の下地に、金属のような鋼で矢印マークが描かれている。その矢印の中に白のペンキで文字が書かれている。右向きの矢印は『黒魔女の恋』、左向きの矢印には『出口』。


黒魔女の恋?


 これはあの黄色ローブの魔女のいたずらなのではないかと夏帆は一瞬穿って考えてみたが、思い込みすぎだろうとすぐに思いなおして左の出口へと向かった。


 しかし、曲がった先に立ちはだかっていたのはレンガ造りの壁。行き止まりだった。戸惑いよりも先に笑いが込み上げてきた。


 Eat meは食べてはいけない。そんなのロンドンじゃ常識だ。ほらまた、あのジャップが引っ掛かったって、どこかで見ている少年か誰かが笑っているのだろうか。


 夏帆が元の道に戻ろうと、後ろを振り向くと、そこには毛むくじゃらの大男が立っていた。


 夏帆は思わず息を飲んだ。


 男はきょとんとした顔で壁に近づくと、手に持っている杖で壁をトントンと叩いた。レンガがガシャンという音を立てて崩れ落ち、あっという間に通路が作られた。


 男は壁の向こうへと抜けて行った。壁の向こうからは、人々の会話する賑やかな音が聞こえる。先ほどの陰鬱としたホールからは想像もできないような明るい音だ。


 夏帆はおそるおそる通路の向こうをのぞいてみた。


 そこは商店街だった。狭い路地の両側に、お店が乱立している。ローブ姿の魔法使いが、通りを歩く人々の興味を惹こうと、ひっきりなしに声をかけている。まるで、お祭りの屋台のようだった。


 かつて天照大神が岩屋に閉じこもった際、他の神々は岩屋の前でお祭り騒ぎをした。その様子に興味を持った天照大神はついに岩屋から出てきた。そんな神話があった。


 夏帆は恐る恐る崩れた壁の間を通り抜けた。


 突然、上から黒くて軽いアルミ素材の鍋が降ってきた。鍋は、夏帆の頭の上にガンッと音を立て当たった。


「痛い……」

 夏帆は頭を抱えた。


「あらごめんなさい!」


 小さな女の子が近寄ってくると鍋を拾い上げた。


「わざとじゃないのよ。その、ちょっと遊んでいたの」


 夏帆は思わずその女の子をにらみつけた。すると、女の子は今にも泣きそうな顔をして去っていった。違和感に気が付いたのはその時である。ポシェットの中に入れておいたはずの財布がない。すられたのだ。あの女の子の仕業だろうか。


 夏帆は杖を一振りすると、自分の財布を魔法でひょいと呼び寄せた。財布は女の子の方角からは飛んでこなかった。目の前に伸びる薄暗い路地から飛んできたのだ。その路地をじっと見つめると、男の子が二人、遠くへ走っていくのが見える。その子たちは、そのまま突き当りの店へと入っていった。夏帆は2人を追うために、一際暗い路地の中へと足を延ばそうとした。


「おやめなされ」


 背後から声がしたかと思うと、そこには白髪の老人が立っていた。手が固くごわついている。


「その先はノワールアレイだよ、外国からのお嬢さん」


「素敵な名前の通りね」と夏帆。


「フランス語で暗闇という意味だ」


「知ってる」


「その先の店は闇商売の店さ。あそこにいくところを見られたら、危ない人だと思われる」


 逆に行ってみたい、という言葉を夏帆はぐっと飲みこんだ。


「ところでお嬢さん。その杖は私の店のものではないようだが、あなたに合っていないようだね」と老人。


「杖にあうあわないがあるの?」


「もちろんだとも。君の国では習わないのかな?」


「ええそうね、日本では確かに」


 夏帆は老人の言葉に、幾分、日本という言葉を強調していった。


「おや日本とは優秀だ」


 その返答に夏帆は拍子抜けした。非難されるとばかり思っていたからだ。


「とにかくうちで杖を見ていきなされ」


「商売上手ね。でも申し訳ないけど買うつもりは……」


「悪いことは言わない。今ならお安くしよう。その杖だとあの人には勝てない……おっとこれは失敬。戦う相手などいないことになっているのだった。世間的にはね」


 老人は気まずそうに笑った。


「そんなことはないはず。イギリスは内戦……」


「お嬢さん」と老人は大きな声で夏帆の言葉を遮った。「世の中には2種類あるのはたしかだが、それは真実か真実ではないか、ではない。口にして良いか、悪いかである。とにかくついてきなされ」


「おあいにくだけど、この杖はもらった品なの。変えるつもりはない」


「なに?人からもらった?ならなおさら。自分でふらにゃ相性なんてわかりゃせんよ」


 夏帆はしかめっ面をしつつも、老人の後をついていった。


 老人は商店街の大通りの途中にある、小さな店へと入っていった。杖の絵が描かれた看板にリーブスと書かれている。


「リーブス?」


「どうされたかな?」


「あの、リーブス?」


 昔、稲生直美が自慢げに見せていた杖。イギリスからの輸入品だの、特注品だの言って自慢して回っていたあの高級杖。


「あの、かどうかはわかりませんがね、日本でも有名であるとしたら、それは何よりも嬉しいね」とリーブスは言った。


 店の中はずいぶん埃っぽかった。その様子からはとてもではないが、有名な高級店とは思えなかった。リーブスは杖が羅列している倉庫からいくつか取り出してきた。


「ここで杖を買った人のことは全て覚えている」とリーブスは言った。


「君の杖の種類は?」


「種類?」


「木とか、ガラスとか、鉄とか」


「木、ですね」


「何の木?」


「え、さぁ」と夏帆。


 リーブスはあれやこれやと箱を開けては閉じた。


「あったあった28cm。君の腕の長さならこれくらい短いのがちょうどいい」


「失礼ね」


 リーブスが取り出した杖は、先が細くとがった指揮棒のような杖だった。持ち手部分に、宝石が埋め込まれ、きらりと光った。杖というよりはアイスピック。これなら物理攻撃でも使えそうだ。


「鉄でできた杖だよ。君に合いそうだ」とリーブス。


「今使っている杖が一番いいとくれた人から聞いた。反動にも対応できる」と夏帆は反論した。


「木は抵抗が強い。だから反動に対応できる。感情を伝えるのが下手なものにはうってつけな素材だ」


「じゃあ、ガラスは?」


「自身の意見は曲げないが、それをひけらかそうとはしない者に合っている。自分の意見をはっきり言うものは、鉄くらいがちょうどいい」


「なんですって」


 夏帆はそう言いつつも、用意してくれた鉄の杖を振ってみた。今まで以上に、魔力が伝わりやすく、威力が大きい。悔しいが、店主の言うことが正しそうだった。


「君にピッタリだ」


 夏帆は何も言うことができなかった。


「前の杖だと、君は守護霊を出しづらかったのではないかな?」


「え、ええ」図星だった。


「木製の杖は想像を必要とする呪文に不向きなのだよ。特に君のような性格だと相性は最悪といったところだ」


 リーブスと話しているところに一通の手紙が飛んできた。在英日本魔法大使館と封筒に書かれている。夏帆が封筒に手を触れると、中から手紙が現われた。


「君はなぜそこで油を売っているんだ。到着したのなら連絡をしたまえ、高橋君」

 

『政府の役人であることは内密で渡英しているのに随分と管理がずさんなのね!』とでも言ってやりたかったが、そんなことをしたらひとたまりもないことは十二分に理解していた。


 夏帆はリーブスに急いで代金を支払った。


「なんともったいない」とリーブスは言った。その意味が夏帆にはよくわらからなかった。夏帆は商店街を後にし、日本大使館への道を急いだ。


 夏帆は、大使館に行く時は瞬間移動を使うな、と厳命されていた。おそらく、どこで夏帆が瞬間移動を使ったか、イギリス政府によって監視されているのだろう。夏帆が大使館を出入りしているところがバレてはまずい。こういう時に使えるのは魔法ではなく、アナログな人間の技術なのだ。夏帆は仕方なく電車で向かった。


 夏帆は、イギリスが初めてではなかった。しかし前回行った先はディーンの森という田舎。ロンドンを侮るべきではなかった。夏帆はあっという間に迷子になった。電車を何回か乗り継いたが、目的の駅に辿り着けない。気が付いたら知らない住宅街に出ていた。


 夏帆は『イギリス魔法界の交通事情』といった本がなぜ売られていないのかと恨んだ。しかし、もはやどうしようもない。途方に暮れ、街中をひたすら歩き続けると、公園を見つけた。その公園にあった椅子に座り、夏帆はやっとため息をついた。手紙を送ることさえ億劫だ。あの役人は、今度はどのような口述で夏帆を責めるかわからない。


 子供たちが親に連れられ公園から帰っていく。高校生くらいの若者が4,5人やってくる。ロンドンの空は夕焼けに染まっていた。


 その時である。急に悪寒がした。強力な魔力を感じる。夏帆は杖を構え、あたりを見渡した。異様なほど強い風がビュンと吹いた。


 さっき公園に来たばかりの若者は気が付いたらいなくなっていた。ふと足元を見ると、真夏だというのに草花が氷っている。


 同じことが前にも日本であった。


「鬼……?」


 ふとその単語がよぎり、夏帆はつい口について言った。まさか、そんなはずはない。鬼は日本の魔法動物園で厳重に管理されている。


 黒い影が目の前を、まるでスローモーションのように通りすぎていった。夏帆はぐっと目を見開いた。心臓の鼓動が早くなる。


鬼だ


 夏帆は黒い影の後を追って、ひたすらに走った。なぜあの鬼は夏帆を襲わなかったのだろう。走りながら夏帆は考えた。だんだんと息が上がる。脳内に酸素が送り込まれなくなり、思考が弱くなる。


 私を襲わずにどこかへ向かうってことは、誰かが鬼を操って、標的に向かわせているってこと?


 夏帆は夕暮れの土砂道を走った。しかし、鬼は夏帆を置いていくように、猛スピードでビュンと進んでいく。箒を使いたい、と夏帆は思った。しかし、イギリスでは、人間の面前で魔法を使ってはいけない決まりになっている。厳密には治外法権が認められておらず、夏帆は別に箒を使っても構わない。しかし、もし人間に空飛ぶ箒を見られたら、面倒ごとに巻き込まれるに決まっている。


あーもう、ちょっと海外に来ただけで制約が多いな


 夏帆は頭を掻きむしった。


 鬼は突然曲がったかと思うと、薄暗いトンネルへと入っていった。夏帆は足に急ブレーキをかけて、残る力でぐいっと方向転換をした。


 薄暗いトンネルの向こうに、走って逃げる少年が見える。鬼はしめたとばかりにその人物を捉えると、大量に分裂して一気に襲いかかった。夏帆は買ったばかりの杖を急いで取り出すと、くるりと腕を回して杖を振った。


出ろ、出ろ、お願い出てくれ、私の式神


 杖先から青白い閃光と共に美しい蝶が舞う。


 去年、本来なら陰陽師しか扱えない式神。それを魔法の杖から出す方法を、クラスメイトの青木裕也から教えてもらった。しかし、あの時は蝶一匹を具現化させることがやっとだった。


 あの時、あれだけ苦労したのが嘘のように、目の前には大量の蝶が舞っている。蝶は鬼を囲い込むように飛び回ると、その黒い影がなくなるまで美しく舞い続けた。ついに鬼は泡となって消え去ったり、退散していったりした。


 鬼がいなくなると、周りの温度が急激に上がり、草花は何事もなかったかのようにぴんと咲いた。夏帆は少年の方へと走っていった。


「あっあの……」と少年は仰向けに倒れたまま言った。赤髪で背丈の低い少年だ。


「魔法薬トランク!」夏帆は杖を振った。


 呼び寄せたのは、高級魔法薬トランク。調合用器具、魔法薬が入っている。餞別にもらった代物だ。調合鍋と瓶、材料をいくつか取り出すと、素早く調合し、あっという間に薬を作り上げた。


「すごい……」と少年。


 夏帆は少年に薬を飲ませた。


「人外に襲われた時の回復薬。2時間も経てば気分が戻るはず」


「あっ、ありがとう」と少年。


「式神をあなた出せないの?」と夏帆は怒りながら少年に言った。人間の面前での魔法使用は禁止。しかし、命の危険がある時は特例で使用してもいいことになっている。


「式神?」と少年は言った。


「あー、そっか、こっちでは守護霊、っていうのかな」


「守護霊は学校で習わない」と少年はつぶやいた。


「なんで?」


「なんでって、習わないものは習わないよ。そんな高等技術」


「え、じゃあ、今飲ませたこの薬のことは知ってる?」


 男の子は首を横に振った。人外用回復薬も、イギリスの学校では習わないのだろう。カルチャーショックだった。外国人へのイメージはもっと賢く、かっこよく、あこがれの大魔法使い。それなのに、こんな簡単な魔法薬も作れないなんて、これでは日本人の方がずっとイケているではないか。ひょっとすると長年続く内戦の首謀者、大悪党ロビン・ウッドも自分一人の力で倒せるのではないかとさえ思うくらいに、夏帆は失望した。


「年齢的に学生さん?」と夏帆は聞いた。


「うん」


 やっぱり、と言いかけると同時にふと男の子の顔に見覚えがあることに気がついた。夏帆は動揺を少年に見せまいと平然を取り繕った。少年の瞳の奥にに誰かが映っている。おそらく、この目に映る人間は、少年を操り、少年と視界を共有しているのだ。おそらく、この目の中に映る人間が、少年を襲ったのだろう。


でもなぜ鬼?


「こんなところに鬼がいるだなんて、あなた何者?政府とかに命狙われていたりするの?」


「そんなわけない!」少年は叫び、怪訝そうな顔をした。それから夏帆を調べるように、その全身を見渡した。


「そう。あなたがそういうならそうね。では私、予定立て込んでいるから、これで」


 夏帆は立ち上がると、少年に背を向けて、元来た道を戻って行った。

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