第77話 幸運の女神

「どうだった?」と夏海は言った。


「そんな大したことなかった。拍子抜けした」


「みんなそう言う。でもだんだんと、祖父に言われた言葉が離れなくなってくる。祖父が魔法を使っているのか、あるいは生まれ持った能力なのか、そもそも魔法でもなんでもないのか、よくわからない。無自覚なのかどうかも不明。でも、なんで、祖父に会おうと思ったの?って私が聞いたら答えられないでしょ」


「今、会うべきだと思ったから」


「そう。皆そう言う。私はもう祖父と話をしなくなって何年も経った。それでも、お前にはどうせ激務などできん、と言われた言葉が引っかかっている。そして実際今、できていない」


「恐ろしいけれど、自分がどうなるか興味はある」


 ふーん、と夏海は言った。


「あの女給さんは…-」


「世の中には知らない方がいいこともある」と夏海は言った。


「ドグラマグラの話を……」


「10月20日でしょ。あの人の言うことは気にしない方がいい。何度も言わせないで」


 夏帆は白い息を吐いた。少しだけ嫌な感じがしたのは、10月20日は、ハイドと再会した日であることだ。何かを理解していってるようには思えなかったが。

 

「そういえば直人が結婚するって聞いた。おめでとう」と夏帆。


「なぜそれを知っているの?」と夏海は言った。


「直美に聞いた」


「そう」と夏海。「なら相手も聞いたでしょう」


「渡辺香菜さんでしょう?」


「あの子に竹内の嫁なんてやっていけるのかしらね」と夏海。「別に私が小姑だからそう言っているのではないわ。それなりの階級の人たちとの奥様会に、地方出身の企業勤めは浮いてしまうのではないかと心配しているのよ。でも、直人ももう人を選べないでしょうし」


 夏帆は何も言わなかった。ここでいう浮いてしまうというのは、香菜のことではなく、竹内家を案じてのことだろう。「香菜さんに会いたい。会えないかしら?」


「手紙を出せばいいのよ」


「返してくれるかしら?」


「内容によるのでは?」と夏海。「でも、私の名前を出せばいい」


 香菜に手紙を送ると、意外にもすぐに返事が来た。その日の夜には、香菜はカフェコッツウォルズで会ってくれた。

 

「急に連絡が来てびっくりした」と香菜は表情を変えることなく、しかし頬のこわばりを少しだけゆるめて言った。


 ピンクのゴムで髪を結んだ、いつもの店員が2人にシェパーズパイを運んだ。


「私は組織を抜けた人間でしょ?」と香菜。


「私はそもそも組織に入っていません」と夏帆。


「何をおっしゃるの。直人と仲良くしていたじゃない。J.M.C.の居室の幹部室にも、会長室にも居座っていた。都合がいい」と香菜はぶっきりぼうに言った。


「なぜ、私に会ってくれたのですか?」


「私に急に連絡するだなんて、何か困り事でもあったのでしょう。これまで私はバカにされてきたのだけどツジガミ社員という肩書きができたら、突然話を聞いてもらえることが増えた。あなたもその1人でしょう」


 夏帆は声をあげて笑うと、シェパーズパイを一口食べた。


「なに?なんで笑うの?」


「いやいや、あなたが政治力のかけらもない方なのだと改めて認識できたからですよ。学生時代、あなたに、マランドール戦を受けて首席を目指すのかと散々詰められたのを思い出しました。それに、マランドールになった後も、お茶会で私に強く当たっていた。ええ、正直に言いましょう。私は困っている。お願いがあってきました。箒を100本、受注したいのです」


「100本!?そんなに買ってどうするの」


「使うのですよ」


「それはそ……もしや」


「ええ、そのもしやです。対ロビン・ウッド戦に向けてです。交換条件として、ウッド派には箒を売らないでいただきたい」


「お金は払えるの」


「ええ」


 直美の父親が、もし兄の死の秘密を知ることができれば金銭的援助をすると約束してくれていた。


「ご要望に応えるのだとしたら、弊社商品のロイドxが良さそうね」


「ロイドx?」


「まだ市販はされてない。100本も一気に売れるのは願ったりの話。でも、それを何に使うの?戦争ってことでしょう?」


「戦争ではない!犯罪者を捕まえているの」


「あなたたちに取ってはそうかもしれないけど、他国の私からしたらただの戦争。私は戦争に加担するつもりはない」


 そういうと香菜は紅茶を飲んだ。綺麗なネイルが施されている手。その左手の薬指指には銀色の指輪が光り輝いている。店内にはジャズの音が鳴り響いていた。


「でも、この件は私の判断で決められることではない」香菜はどこか遠い世界を見るように言った。「これを特需と呼ぶらしい」


「特需」


「箒が海外で売れればわが国が豊かになる。貧しい人がいなくなる。教育の機会は均等に与えられ、私なんかよりずっとふさわしいものが、ずっと箒の好きな人が、ツジガミに就職できるようになる。私はラッキーでここまで来ただけ。これまで試験も他の人の思考を読めば解けた。上司の思考も読めたから出世もしたし、ツジガミの名刺を見せれば、人が寄ってきた。学生時代もJ.M.C.ってだけでチヤホヤされたけど、今はもっと……」


 香菜は気に入らないけれど、それは全部香菜の能力だ。他人の思考を読んだレベルで、日本トップレベルの学力にはなれない。上司の思考を読めても、行動しなければ成果は出ない。ヒトが寄ってくるのは信頼あってこそだ。


「わが国が豊かになれば争いはなくなる。だから私はこの誘いを断れない」と香菜。


「我が国」と夏帆は言った。「竹内家に入ったからって、奢っている」


「なぜ直人と結婚することを知っているの?」と香菜は言った。


「直美に聞いた」


 夏帆のその言葉に、香菜の顔はいよいよ引き攣った。


「と、とにかく上司にかけあっておくわ」そういうと香菜は足早にレストランを去っていった。


 ピンクのリボンの店員が食器を片付けにくる。


「ツユクサが萎れておりますよ」と店員は言った。


「そうでした。次回、ここで立川とお茶を飲む時までに、新しいものに取り替えておきましょう」と夏帆。「接触目的はなんですか?AIさん」


「いやいや、あなたが私の正体に気がついているか確認したまで」と店員は言った。


「なぜ、私が気がついているとわかったの」


「種明かしをしましょう。あなたは、私のことをチラリとみる回数がほんのわずかながら、前よりも増えていた」


「記憶力がいいのですね。まるでAI(Artificial Intelligence) のよう。あなたの能力ですか?」


「個性と呼んでください、私は個性を活かした仕事についているのですから。立川をスパイだと見破ったのはあなたでしょ?」


「誰でもどうでもいいことです。それで、本当のところ、あなたの目的はなんですか?」


「竹内家と接触したいのです。日本にお力を貸していただく時が来ました。ウッド派を倒したいのですよ。そこに関して、あなたとは意見が一致していると思っています」


「でもあなたは、竹内家を追い落とした。政敵を殺しているとメディアに噂を流したのはあなたでしょう」


「竹内家を壊した。だからこそ、竹内家は新たに生まれ変わった。今の竹内家なら、我々に協力してくれるでしょう」


「あえて壊した?都合のいい話です」


「ええ、でも壊したかったのですよ。今壊すべきだと、ピンと来たんです。ウッドと繋がりがあるという予想は外れたけど、竹内家がポイントだと言う予感は当たった。私の感だと、香菜、あの子が竹内家に入ったのは大きい。彼女はモッてる。」


「竹内家にあなたを紹介し、私への報酬は?」


「言い値で、ふふふ、そう言うことではないですよね。C5入りの話、時は今だとジョンソンに伝えておきましょう。でもお金は受け取っておくべきです。戦争は入り用ですから」


「おそろしい。あなたに騙され、うっかり受け取るところでした。これは賄賂ですね。受け取りませんよ。あなたのその勘、どこまで信じていいのでしょう」と夏帆。


「ジョンソンは私の勘を信じています。ほぼ外れない。勘と言っても、勘はデータの蓄積によるものですからね。性能のいいCPUといったところです」


 夏帆はふっと笑った。「あの渡辺香菜さんなんで手紙を出したらいいでしょう。お返事くださいますよ、きっと。私からだと言えばいいでしょう」


 AIはにこりと笑った。


 店内に咳き込む人がいる。ドンと言った音がするかと思うと、地鳴りがした。店内がザワザワと騒がしくなった。またか、と誰かが窓の外を見ながら言った。


「最近よくあるんですよ」とAI。


 人々が逃げるように走っている。窓の外では、大量の鬼の大群が追いかけている。


 夏帆は杖を出した。


「必要ない」とAI。鬼の後を、役人が追いかけ始末に追われている。


 空間の一部に亀裂が入ったように、うっすらとピンク色の光が差し込んでいた。


「領域の果てですね。魔法使いのいるところに領域はできる。魔力が薄まってきたから領域に亀裂が入り出した。ここの常連さんがよく話しています」


「領域の亀裂は、果てではよく観察されていると習った。その亀裂から、入り口を作ると。でも、こんな中心部に……」


「魔力が薄まるってどういうことだ……それになぜ日本だけ」


「魔法界は空間によって全世界で繋がっています。イギリスは魔法界を見ていないだけのことですよ。領域の外ですから」


 AIの言うことがよくわからない。耳の中でざわざわという雑音が聞こえる。


「ねぇ、ピアノ音が聞こえない?」と夏帆が言った。「ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番。亀裂の方から聞こえる気がする」


 遠くで誰かの声が聞こえる。夏帆の記憶の蓋が開く。


「始めたなら最後までやれ」


 あの時、ピアノ協奏曲を引き終わった直人は夏帆に向かって言った。首席を決めるマランドール戦に出ろという意味だ。


「私は何も始めていない」


「いいや、入学した時点で始まっていた。僕が君に図書館で声をかけたその時からだ。そういう運命なんだよ。僕は決勝戦で君と当たることを希望している。君を倒さなくては、真の意味でマランドールになったとは言えないからな」


 まるでギルド伯爵みたいだ、その時の夏帆は思った。


「いえ、ピアノの音など全く」とAIは言う声で夏帆は現実に戻った。

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