第76話 竹内春人の独白

 竹内家は直美の出ていた劇場のすぐ裏にあった。黒い門で覆われた、豪華な洋風の家だった。一歩入るとたくさんのSPと庭師、メイドたちが働いている。


「こんなにすぐ近くにあったのに、なんで気づかなかったのだろう」と夏帆。灯台下暗しだな、と思った。


「教えた人に見えない魔法がかけられている。詳細は私もわからない。あなたにわかる?」と夏海。


「わからない。わかるかもしれないけれど、解き明かすと何かまずいことが起きる気がする」


「そうかもね。セキュリティはかけられていると思う」


 夏海が通ると、お嬢様、とメイドたちが頭を下げた。こっちよ、と言って連れてきた先は、小さいとはいえど十分に豪勢な和式の家だった。


「もう一度言う。けして、敷居を跨いではいけない。廊下までよ。敷居の中は、もう人間界。あなたは永遠に閉じ込められ、2度とここに入れなくなる」


「わかった」


「といっても恐れる必要はない。無理に引き入れて入れようとする人ではない。あちら側に行ってしまった人は1人もいない」


 家に入った。「誰か」と夏海は叫んだ。


「まさかメイドさんでもいるの?」


「そりゃ必要でしょ」


「でも、春人の居場所には入れないんじゃ」


「食事を投げ入れることはできるでしょ。それに、溜まることもあるでしょうし」と夏海。


「ん?」


「わからないならいい。遠方の人と付き合っているみたいなもんよ」


 しばらくすると、着物姿の女給のような人がやってきた。


 夏海はあとはよろしく、というと、建物から出て行って、扉を閉じた。


 女給さんの後ろをつづいて夏帆が歩く。


「ドグラマグラをご存知ですか」と女給は唐突に言った。


「日本三大奇書」


「ええ、ええ、そうですよ」


 女給は少しだけ身震いをする。


 夏帆はいたって平静を取り繕った。何を言ってるんだ、この人は。


「さぁさぁ、いらっしゃいましたよ」と女給は障子の奥に向かって話しかけた。


「とおせ」と渋いが通りのいい声が聞こえてきた。


 障子を開けた先は、こぎれいな和風の部屋だった。床こそフローリングだが、壁際には違い棚があり、菊の絵柄があしらわれた花瓶に撫子が生けられていた。


 目の前の和室の上段に座布団が敷かれ、その上に春人がいる。春人は本を読んでいたのか、9時23分という洋書が隣に置かれている。白髪だがしっかりと髪は残っており、和服姿で、威厳に満ちた表情をしていた。


「お忙しい中、このような場を設けてもらえましたこと、感謝の言葉もございません」


 ここまで来て、引き下がるわけにはいなない。夏帆は丁寧にお辞儀をした。くしくもちょうど前の帰国日と同じ、年末を迎えようとしている頃のことであった。


「夏海に三日三晩に渡って騒がれたから引き受けたまでのこと。礼にはおよばないね。それで、どういうわけで私と話がしたいと思ったんだ?」


 春人は面倒くさそうに言った。夏帆は驚いた。これまで会ってきた政治力のある人というのは、皆フレンドリーだった。ここまで強い言い方をされたことはない。


「閣下は日本にとどまらず、世界において、その政界、財界、その他あらゆる分野におきまして幅広い御人脈と御理解を持ち合わせておいででございます」


「ああ、その通りだ。君の策略に乗せられて没落するまではな!」


 夏帆は顔をあげて、しっかりと春人の目を見た。


「このたび面会を申し出たのは、他の者には聞けぬ、非常に繊細な事柄でありますことに加え、並大抵の者ではその見識に劣ると考えたしだいでございます」


 夏帆はじっと春人の顔を見つめて原稿を読み上げるように淡々と言った。その様子を春人はぎょろりと探るように見てきた。


「私も時間がない。要件だけを簡潔に述べたまえ」


「お人払いを」

 女給はそこに控えたままだった。


「その必要はない」


 夏帆は口を真一文字に結んだまま、心の中では目の前の老人を殴りたい気持ちでいっぱいだった。


「闇市での呪文取引のことですが、血が溢れ出る魔法について……」


「今すぐ下がれ!」

 竹内は控えていた女給を半ば追い出す形で下がらせた。


「なんだと?」


「血の出る魔法のことです」


「君がなぜその呪文を知っている?」

 春人は物凄い形相で夏帆を睨みつけてきた。日本にいたころだったら委縮していたかもしれないが、イギリスで散々凄まじい経験をしてきたこともあり、夏帆は背筋をピンとはったまま春人の目をじっと見つめていた。


「知っていてはいけないことなのですか?私は商人から聞きました」


「商人?」


「意味がわかりませんか?水面下でやつは動いている」


 竹内はわけを察したように口を真一文字に結んだ。


「これは絶対に他の人には知られてはならないことです。親衛隊でさえ、把握していない者がほとんどです」


 夏帆は巧みに嘘をつく。奇しくも夏海が教えてくれたやり方だ。本当は違う。この魔法を竹内家が知っているのか。もし知っていれば、夏帆の両親を殺したのは竹内家で間違いない。


 ただ、呪文取引を制限することでロビン派が力を蓄えているのもまた事実。もし春人が何かしらイギリスの政治界を動かせるのだとしたら。そこまでは無理でも、白山の戦いについて話を聞き、その時どのように戦いに勝ったのかを聞き出せれば、ロビン・ウッドを倒す参考になるかもしれない。


 そんなの言い訳だ。本当は、白山の戦いや、両親の死の秘密を知りたいだけだ。


「誰にも言うなということだな。いいだろう。それで?」


「血の出る魔法について、少しでも知っていることがあったら教えてほしいのです」


「言ったところで私には何の得もない」


「いいえ、あります。あなたの情報は、ウッド側を倒す強力な助けになります。あちら側は呪文の流通を滞らせようとしている。それを打開できるのは、ある意味、世界から閉ざされてきた日本でしょう。ロビン・ウッドに勝ち、世の秩序が変われば、イギリスは内政ばかりでなく外交に手を伸ばすだけの余裕ができます。その時、竹内家が真っ先に動けば、利益は全て手に入るのです。お家の再興にもつながるかと。もちろん、イギリス政府につてはありますから、私もお手伝いいたします」


 春人は暫く考えていたが、やがて小さく唸り声をあげた。


「それは、高橋君が逐一イギリス魔法省の情報を流してくれる、という考えで相違ないな?」


 夏帆は固くうなずいた。


「この世から魔法が消えない限り、言葉は取り消せないぞ」


「覚悟の上です」


 そうか、と春人はつぶやいた。「もう一度いう、これは契約だ。本当にいいのだな?」


「ええ」


「ははは。気に入った。教えよう。私は闇の世界に何ら見識はないが、たまたま伯爵という地位を得、国際的権威を持っているがゆえ、知っていることだ。聞いた話によれば、ことの発端はイギリス新呪文創作部。ここでとある研究がされ、あることが発見された」


 これだけの交渉で話してくれることに驚きを隠せなかった。思ったよりも話の通る人なのかもしれない。自分が正しいと思えばそれを信用してくれる人物なのか。


「人が人を殺めるとき、その魂は損傷されるというものだ。それを利用し、多大な魔力によって魂を引き裂くことが不可能ではなくなった。それを応用したのが肉体の引き裂き、すなわち、血の出る魔法だ。しかし、新呪文創作部の情報は簡単に持ち出しできない。どういうわけだか、この呪文の情報が闇の世界に知れ渡ってしまった。」


「なぜ情報が?」


「だから、わからないと言っているだろう。だが考えられるのはただ一人。この研究に携わったものだけだ」


「ギルド・ストラッドフォード」と夏帆は言った。春人が一瞬たじろぐのを、夏帆は見逃さなかった。


「真実を教えてやろう。ギルド・ストラッドフォードは、君のご両親から、研究成果を奪ったのだよ」


 夏帆は混乱した。まるで大きなモヤがかかったように、身動きが取れないようなもどかしさがあった。


「今はどうでもいいことです。とにかく、その呪文をアジアのご老人が買って行ったそうですね」と夏帆。


「買ったのは直人だ」と春人は言った。そう言われても夏帆は表情は一つ変えなかった。


「時期が合いません。およそ3歳といったところでしょう」と夏帆。


「正確には、直人付きの執事だ。直人に必要だというものだから、私が提案した」


「3歳の直人に必要だとは考えられません」


「3歳だとは限らんぞ」と春人。


「それはどう言う意味でしょうか」


「君はなぜその呪文についてそんなにも聞きたいのかな」


「正直に申しましょう。この呪文が、白山の戦いで使われたと聞いております。白山の戦いは国を二分する戦い。ロビン・ウッドを倒す参考にしたいのです」


「その程度の嘘で私を騙せると思うなよ。君は白山の戦いについて知りたくてここにきたのだな」


「それもありますが、より正確に言えば、白山の戦いを歴史の授業で取り扱っていただきたいのです。これは願いでもあれば、元々政府にいたものとしてもお願いしたいです。歴史を秘匿する国が、まともな付き合いを海外にしてもらえましょうか。あなたの決断は、日本の運命を変えるのです」


 春人はうーんと考え込んでからため息をついた。


「教えてやろう。白山の戦いは、外交の失敗が元でおきた。より正確に言えば、世論を統制することに失敗した。当時外交を担っていたのは、息子の義人だ。私は義人とケンカをよくしていた。そうこうする間に学生が暴走を始め、リーダーを立てられ、白山の戦いが勃発した」


「戦い、という名がつくことに違和感を覚えます。戦いではない。多くの人が死にました。これは犯罪です」


「ほぉ。君がそういうか。意外だな」


「意外?私は好戦的に見えますか?」


「まぁいい。戦い、という名がついたのも、おそらく私が国会で、『これは戦争だ』と発言したからだ。私は、学生を打ち倒すため、すぐにでも軍を配備しようとしていた。その矢先、浅木奏ってやつがうちに来た。義人と仲が良かった女だ。その女とひとしきりここで話をした。学生を今殺せば、世論がどうなるかわからんと。話し合いは物別れに終わり、退散しようとしたところに、義人がやってきた。義人は、あとはお任せください、と私に言ったのだ。そこで私は気がついた。幽閉されたのだと」


「幽閉?」


「簡単なことだ。義人は、私に学校へ軍を配備したくなかったのだ。だから、義人の作った組織、J.M.C.に、私の側近を殺させ、私が1人になる瞬間を狙って幽閉を企んだ。やつは用意周到だった。義人の手は、そこで汚れた」


「なんで、義人さんは軍を配備したくなかったのです。義人は、学生側の味方だった?」


「さあな、わからん。でも最終的に学生側を倒したのもまた義人だ。歴史を秘匿すると決めたのも義人だ。直人は確かに血の出る魔法を必要としたが、白山の戦いは全く関係ない。気になるなら直人に聞きたまえ。以上が私の知る白山の戦いだ。さぁ、これで満足かな、高橋くん。竹内家を政界から追放し、義人を殺し、君は満足したかね」


「全てやったのは直人です。私じゃありません」


「孫をたぶらかして、君は救われたのか。お前は、なんでも壊したがるのだな」


「何をおっしゃりたいのです?私は直人に頼まれて手伝ったまでのこと。なんのことです」


 春人は唇をぎゅっとかみしめた。


「さぁさぁ、まいりましたよ」


 先ほどの女給がやってきてそういうと、障子をぴたりと閉めた。


「ドグラマグラを読んだことはおありですか?」と女給は夏帆に言った。


「いえ」


「私は読みました。でも精神に異常はきたしておりません。当時お酒も多く飲まされたのです。だから身を捧げていても、警察はきっと取り合ってくれます。今は10月20日でしょう?」


 夏帆は、女給をちらりと見た。何を言っているのか、何を言いたいのかわからない。支離滅裂だ。


「この世は胎児の夢」と女給は言う。


 恐ろしく感じた夏帆は足早に邸宅を去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る