第73話 黒魔女の恋

 安全を確認した2人は、直美のお祝いをしようとバーに来た。直美はロンドンで初めて来て以来、虜になってしまったらしい。『黒魔女の恋』という名の怪しげなバーだった。


「帰ってよかったのよ?ここは魔法使いしかいなくてあなたは危ないし」


「いいの。お祝いしたい。命なんて捨てたようなもん。怖がっていたら何もできない」


「そうではなくて、拷問されるかもしれない。肉体的だはなくて精神的によ。生き地獄が一番つらいものよ」


 いつもの、と直美はバーテンダーに言った。私も同じもの、と夏帆も言った。


 バーテンダーは、入り口近くの窓際のテーブル席に座る2人にお酒を持ってきた。ピンク色のカクテルに、ハートのお菓子が刺さっている。その上には、箒に乗る魔女の姿をしたチョコレート。


「チョコを溶かして飲むと味が変わるの」と直美が言った。


 2人は乾杯して、一口飲んだ。


「この席いいでしょ。全体が見えるし、変な男に絡まれても逃げやすい。立川さんや、裕也や、デヴィアンが来るんじゃないかと思って、期待して私も来てしまう」


「知らないの?」と夏帆。


「何が?」


「デヴィアンは殺されたのよ。ジェームズ・ヴォルガンに」


 直美は猛烈な吐き気を催した。


「大丈夫?」


「大丈夫。人間の悍ましさに吐き気がしただけ。こういう時に魔法って無力よね」


「結局、人の心はどんな禁忌を犯しても変えられないからね」


「せっかく魔法があるというのに意味ない。戦争一つ止められそうにない」


「自分の感情に正直になる分、戦いたいという気持ちを理性で抑えるのが難しいのかもしれない」


「戦いたがってるわよね」


「一度ゼロにしてしまった方が楽だもの。関ヶ原の合戦と同じ。こうやって探り合ってる時間が一番平和よ。どうせ日本では何も報じられていない。何か始まっても、突然始まったかのように報道される。だから、理解できない人が多い」


 直美は目をぱちくりとするだけで、何も言わなかった。


「白山の戦いもそうね。報道しなかったからよ。情報の秘匿は、時に命取りになる。報道してもらえるようにかけあえないかな。そういうところから始めた方がいい、そうよ絶対そう」と夏帆。


「やめなさい」と直美は強い口調で言った。


 直美の思わぬ反応に夏帆は呆気に取られた。直美は何も言わずにお酒を飲んだ。


「なぜ皆、口に出してはいけないことみたいに話すの?実際にあった歴史を報道することがそんなにおかしいかな?」


「私たちにはわからない事情があると思うの。経験のある大人が判断したことにはそれなりに理由がある」


「大人も間違うことはある。私は若手かもしれないけれど、だからといって、能力がないわけではない」


「あなたに能力がないとは言ってない。でもこれは政治力の問題。今出たら、あなた絶対負けて潰される。そういうことをするには、ネガが必要。もっと時間をかけなくてはいけない」


「時間をかけているうちに、問題が起きる」


「例えば?」


「違う例だけど、私、変装マントで、イギリス政府に潜入もできたのよ。技術が知られていないから、警戒すらされなかった」


「でもその話と、白山の戦いは別。白山の戦いを知ったところで、今のこのロビン・ウッドの問題は解決しない」


「解決するかもしれない。私の知り得る情報では、白山の戦いは、学生が暴走を始め、日本を二分する大問題となった。向こうには、学生率いる強力なリーダーもいた。状況は似ている。それを乗り切った日本に、何かノウハウがあるかも」


「そうそうそうそうよ。あなたの言うとおり。あなたの知り得る情報では、なのよ。あなたの知らない情報がある」


 直美は珍しく断言した。


「なら教えてよ」と夏帆。


 直美は何も言わなかった。


「あなた、わからないことをわかりたいだけでしょ。イギリスに来て初めて知った白山の戦いのことを知りたいだけ。好奇心は良い。でも今やることじゃない」


 直美はそういうと、お金を置いて出て行ってしまった。


-そうじゃないよ。きちんと生かすために知識が必要。なんでそんなことがわからないの。八方塞がりだから多角的視点で解決方法を編み出したいだけ。意味があるかないかは、調べてその後だし、意味はいくらでもあとづけできるというのに。直美は頭も悪く、経験が浅すぎる。


 夏帆は乱暴にグラスを置いた。


-例えば意味がないと言われ続けたリズ・ミネルバへの接近も、アリス・ロウエルとの縁に繋がり、国際会議で発言ができた。


「何があるかわからないのに」と男性の声が聞こえた。


 夏帆が見上げると、茶色のチェック柄のシャツを着たイギリス人の青年が立っていた。


「ごめん、今の君の気持ちは読みやすくて」


「感情が読めるの?」


「ああ。でも僕は自分の能力を完全に扱い切れてなくてね。心を開いてくれている時だけ読めるんだ。ここ座っていいかな?」


「どうぞ」


 青年は直美の席に座った。バーテンダーを読むと、ウイスキーを二つ頼んだ。2人は乾杯すると一口飲んだ。


「感情って日本語で聞こえるの?英語で聞こえるの?」と夏帆は聞いた。


「君日本人なんだ。訛りもなく流暢な英語だから、てっきり現地の人かと思ったよ」


「ロンドンに住んでる」


「一人暮らし?」


「まぁ、そんな感じ」と夏帆は言った。「それで質問の答えは?」


「あー、ごめんごめん」と青年は笑った。「たぶん英語」


「たぶん?」と夏帆は笑った。


「脳に直接語りかけてくる感じだよ」


 へーなるほどね、魔法で無理矢理記憶を除くのとはまた違う反応が起きてるんだ、と夏帆は思った。


「お友達はどうしたの?」と青年。


「急用を思い出したみたい」


「ほんとは?」


「音楽性の違いで喧嘩した」


「バンドマンなの?」というと青年は笑った。


「そんなとこかなぁ」と夏帆は言うと、外を眺めた。雨が降っている。


 青年はテキーラを頼んだ。


「テキーラって美味しいの?」と夏帆は言った。


「飲んでみる?」


 いやいや、と夏帆は言った。


「僕から」といい、青年はテキーラを注文して夏帆に渡した。


 2人は乾杯をした。夏帆は青年を真似るように一気に飲み干した。意外にも酔いが回った感じはしない。


「彼氏いるの?」と青年は聞いた。


「心を読めばわかるでしょ」


「言っただろ、僕はそんなに能力が強くない。読めない時の方がずっと多いんだ」


「うそ」


「うそじゃないよ」


「証明して」


 青年は夏帆の目をじっと見つめた。「君の心の中にいる男性は、彼氏?」


「元彼ね」


「元彼はイギリス人か」


「何が悪いの?」夏帆は不適な笑みを浮かべた。


「意外だなって思ったんだよ。僕も昔日本人と付き合ってたんだけど、一年帰国するから別れてほしいって言われたんだよ」


「一年なら待てばよかったじゃない」


「それも待てないって」


「そんなもんなのね」と夏帆は言った。「待って、日本人と付き合ってた?」


「ああ、人間のね。彼女は商社に勤めていた。ミュージカルの途中寝てしまうような人だった」


「寛容なのね」


 青年はテキーラを2つ頼んだ。夏帆も飲んだ。


「人間と付き合うことが?」


「ごめんなさい。でも少ないでしょ」


「日本人と付き合うイギリス人も少ない。でもいる。そういうことさ」


 夏帆は苦笑いをした。


「よく言うだろう?恋と政治は老人が行うって」


「待ってどう言うこと?」夏帆は笑った。


「つまり、その土地にずっといて、力を持ったものが政治をする。余所者は老人のパフォーマンスに使われるだけで、本音では排除したい。残念ながら、今のイギリス魔法界には、1国でやってくだけの国力はないけどね。まぁそんなことはどうでもいい。つまり、それは恋も一緒さ。余所者は避ける傾向がある」


「なら私は排除した側ね」


「振ったの?なんで?」


「音楽性の違いかな」と夏帆は笑った。


 青年はテキーラを2つ頼んだ。夏帆はまた飲んだ。


「音楽性の違いって、君の守護霊は何?守護霊は音楽性を表すっていうだろう?」


「そんなの初めて聞いた」と夏帆は言った。


「つまり、心の状態を表すってことだよ」


「蝶」


 青年はクスッと笑った。


「え、なに?」


「いいやなんでもない」


 青年はテキーラを再び頼んだ。夏帆はまたぐいっと飲み干す。


「それで、別れた本当は?」と青年。


「さあね。なんか違うって思ったの。彼が隠し事をしていたの。それを許せなかった」


「何を隠されてたの」


「え、なんだろう。なんていうのかな。彼の本音というか。彼を好きになった理由を否定されたというか」


「ああそういうことね」と青年は言った。


「え、なに?そういうことって?」


「知りたい?」


「知りたい」


 青年はテキーラを頼む。夏帆は飲む。


「本当に?」と青年。


 夏帆は頷いた。


「彼は君のことすごく好きなんだよ」と青年。青年の目の奥が色っぽくゆらめく。「すごくすごくね。だから、君の考えを肯定した。でもそれって、結局怖かったんだよ。全てを曝け出したら君が離れる気がしていた。後ろめたかった」


「結局離れた」


「そうそう。そこが大事だ」青年は前のめりに行った。


「つまり、もう一度、付き合いたいと言えば、よりは戻る?」


 青年は首を横に振った。「君は、別れる判断をした。君の問題だよ。そこは受け入れられなかった。一番大切なところの意見が合わない人と一緒にいる意味ある?君がよりを戻したいと思えば戻るかもしれない。でも、戻す必要はない」


「でも……」


「でも?」と青年。「なんで、引きずってるか教えてあげようか。新しい恋愛をしていないからだよ」


「そんな、私、綺麗でもないのに、もう誰かと付き合えるわけないよ」


「綺麗だよ!」と青年はすぐに言い返した。「もっと自信持って!」


「いや綺麗じゃないよ」


 青年が、テキーラ飲む?と聞いた。飲む、と夏帆は言った。バーテンダーがショットを持ってきた。夏帆はぐいっと飲む。景色が靄がかかったようにうつり、踊るように混沌としてくる。


「いいねぇ」青年は立ち上がると、夏帆の肩を抱き抱えて、そっと口付けをした。「蝶の守護霊の意味知ってる?あばずれ、だよ」

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