第13話 キングスクロス駅

 30分の余裕を持ってキングスクロス駅に到着した。駅は想像以上に広い。無事待ち合わせ場所に到着できるか不安になる。夏帆は、とりあえず目の前にあるいエスカレーターに乗ってみた。エスカレーター沿いの壁に多くのミュージカルの宣伝が貼られている。どれも、ミュージカルオタクの直美が嬉々として語っていたものばかりだ。それだけ良いというのなら、どれだけ面白いのか見に行ってみたくなる。


 エスカレーターを登り切った先はひらけた場所だった。煉瓦造りとは違い、ガラス張りの割と新しくできたホールのような場所だ。まるで鳥の巣のように、格子の高い屋根が組まれている。波打つようで芸術的な屋根。ここまで気を配れるロンドンの人間たちは、芸術的センスで溢れているのか、はたまた時間とお金の余裕があるのか。判断はつかないが、少なくとも日本魔法界の領域よりはずっと新鋭的で魅力的だった。


 キングスクロス駅からは、各地へ行く特急にも乗ることができるためか、大変混雑していた。大荷物の預かり所前での集合、というハイドの言葉に少々疑問を感じていたが、なるほどそういうことかと納得した。そこしか集合に使える待ち合わせがないのだ。


 目の前に、列ができている。多くの人が並び、壁に向かって写真を撮り、促されるようにショップに入ると、満足げの顔で出てくる。家族連ればかりでない。若者や、日本人を含めた外国観光客など、世代や性別、国籍を問わない。


 その様子からはおそらく人間たちだと思うが、ただの壁になぜそこまで執心なのか、普通の魔法使いにはいまいちわからない。しかし、夏帆にはわかる。人間界で有名な小説の舞台となっている場所だからだ。小説や劇に出てきた場所を実際に訪れることを、聖地巡礼というらしい。実際には宗教で使われる言葉を、まるでその神を信じていない人たちが別の意味になぞらえて使うのにはやはり違和感がある。それとも、小説そのものを神や経典とでも見立てているのかもしれない。ただ、その言葉遊びの面白さが、いまいちわからない。それは、高橋夏帆だからなのか、それとも私が魔法使いだからなのかは不明だ。


 直美も聖地巡覧をしたと言っていた。ロンドンまで行き、三大悲劇の舞台を回ったと。兄が博識で面白かったと言っていた。


 直美の兄はJ.M.C.に所属していた。そして死んだ。直美は精神に異常をきたし、学校を退学した。直美の兄と交際していた花森美咲も、直美の兄が死んですぐに精神病院にしばらく入院することになった。


 美咲は直人と同級生で、首席候補の1人だった。首席を決める決定戦の前日、美咲は突然心に異常をきたしたのだ。その理由がなんなのか、何が起きていたのか、色々勘繰ってしまうが、わからないことを考えるのは疲れる。やめておいた方が無難だ。


 ただ一つ言えるのは、明るかった美咲は、退院後人が変わったように大人しくなっていたということだ。


 J.M.C.は退会ができない。退会はすなわち死を意味する。それだけの情報を知ってしまったからだ。


「ロビン・ウッド派も退会したら殺される……宗教ではなくカルトみたいだ」と夏帆はつぶやいた。


「なぜそれを知っているの?」


 14時きっかりに、ハイドは待ち合わせ場所に来た。ハイドは金髪を丁寧にといていた。学校とは違い、深緑のコートを羽織り、ブルーのマフラーを巻いている。あらためてみてみると背が高い。ハイドを見上げると、真っ青な瞳が夏帆を見つめ返した。青か、と夏帆は思った。日本人の目の色は黒が多い。青色の目は何を考えているかよくわからない。そういえば、ピーターの目は、赤色をしていたことを夏帆は思い出した。


「風の噂で」


「僕の知り合いも殺された。残念だ。何かがおかしい。世が物騒なことに、皆が気がつき始めている。皆何かに縋ろうとしている。宗教だ」


「魔法界に神が生まれるというの?」


「そのうち生まれるだろう。どんな神か、そしてそれは誰なのか、僕は興味がある。人々が神を作り出す瞬間に立ち会えるのは嬉しい」とハイド。「道に迷わなかった?」とハイドは優しい声で言った。


「ええ」と夏帆は小さな声で返した。


「じゃあ行こうか」


 ハイドは両手をポケットに入れると歩き出した。足が長くて一歩が大きい。夏帆はハイドの後を必死にをついて行った。


 日本の隠された歴史を知ってすぐ、アーサーの元を訪れた。その時の言葉が胸に刺さる。


-日本の歴史を知った今、君がもしロビン・ウッドから勧誘を受けたらどうする?


 夏帆は答えた。人殺しは間違っている、と。なぜ?と言われた。さあ、わからない。と答えた。でも私の中の神は、人を殺すなと言っている。ただそれだけの話だ。


 もし、人を殺してはならないという神が魔法界に生まれたら、夏帆は信じるかもしれない。自分の意見と合致している人は、自分にとっても都合がいい。


 ハイドをチラリと見た。夏帆がそんなことを考えながら歩いてるなんて思いもしないんだろうな、と夏帆は思った。別にバレていても構わない。人を殺すなんて間違っている、という考えは、比較的世間に受け入れやすい考えなのだから。でもわからない。目の前のハイドだって、何者にかになりたいと思っているかもしれない。大勢の声に押されて、学生運動を始めるかもしれない。戦う自分に酔うかもしれない。人の心なんて、わかりやしない。

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