第14話 博物館
ハイドはキングスクロス駅を出た。夏帆も辺りをきょろきょろと見渡しながら必死に後ろをついていく。唐突な屋外の日光に夏帆は一瞬やられそうになった。
「ここは有名な映画のロケ地だよ」とハイドは立ち止まることなく言った。
「えいが?」
目の前には、教会のような煉瓦造りの大きな建物が佇んでいた。
もちろん夏帆は映画を知っている。でも映画は人間界で見られているものであって、魔法界には存在しない。はずだ。
自動車が勢いよく走る中、2人は短い横断歩道を渡り、公園へと入っていった。
イギリスの公園は、日本の公園とは趣が違う。シーソーやブランコといった遊具はない。そこにあるのは、枯れ木と並木道のみだ。おそらく夏は新緑で美しく映えるのだろう。茂みをリスが走っている。
欧米の作品にはよくリスが出てくる。そんな動物園にしかいない動物がなぜ物語に出てくるのだろうと思っていたが、ヨーロッパでは日常の至る所にリスがいるのだ。
「キングスクロスまでどうやってきたの?」とハイドは夏帆に聞いた。
「箒で」と夏帆。
「箒?」
「ハイドは?」
「僕は瞬間移動を使って。箒は僕も好きだよ。移動中に景色が見えるからね。空の旅は楽しかった?」
「ええ。湖や草原、そこに住む牛とか、羊。日本とはまるで違う景色が広がっていて、とても綺麗だった。少し寒かったけど」
夏帆がそう言うと、ハイドは笑った。
公園を抜けた先に大きく白いアテネ神殿のような建物が見えた。建物より幾分前にある黒色の門には大勢の人が群がっている。
「大英博物館だよ」とハイド。
「ここが……博物館」
夏帆は大きな建物に圧倒された。
「違うよ、ここは人間界の博物館。僕が話したのは、大英魔法博物館。もう少しネーミングセンスが欲しいところだよね」とハイドは苦笑いした。
「イギリスに来てからずっとあった違和感が今わかった。イギリスって、なんでも、魔法って名前につけたがるよね。在英日本魔法大使館とか、魔法局、とか」
「日本はそうじゃないの?」
「魔法って名前に付くものは、そんなにない」
「領域に住んでるからかな?」とハイドは深い声で言った。
「そうかもしれない。人間の存在を、そもそも認識していないのかも。あるいは、認識しないようにしているのかも」
夏帆は髪を触った。
「腕を掴んでくれないかな?瞬間移動したいんだ」とハイド。
「ええ」
そういうと、夏帆は、ハイドの腕を掴んだ。その腕の筋肉を感じるやいなや、空間の中にグッと押し込められるような圧力を感じ、気がつくと、薄暗いホールへとやってきていた。
「ここは、大英博物館の下に作られているんだ」とハイドは言った。「完全に隠されている」
「隠すように作る必要はあるの?」と夏帆は言ったが、ハイドは答えなかった。
遠くに薄明かりが見えた。1人の女性が椅子に座っている。その女性を無視するように、ハイドは歩いていった。
「チケットは?」と夏帆。
「無料だよ」とハイド。
「そうだった」
ロンドンでは、人間界の美術館、博物館のいくつかが無料なことはよく知っていた。それは魔法界でも同じなのだ。この仕組みが国民全体の芸術的意識を底上げしているのだろう。日本ではお金の関係で、娯楽を我慢してきた夏帆にとっては心底羨ましかった。
「なぜ、無料なの?」と夏帆。
「詳しいことはわからないけど、僕が国のトップだとしても同じようにするよ。芸術は、政府が守るべきものだし、国民にとって開かれるべきものだからね」
「宗教的ね」
「宗教、か。僕はキリシタンじゃないからよくわからないな。でも確かに、人の心の領域を覗く、という定義においては、そうかもしれない」
「領域、ね」と夏帆はつぶやいた。
「領域が恋しい?」とハイドは聞いた。
「魔法使いとバレないか怯えて、人間に見られないように魔法を使うのは少々窮屈かもしれない。特にロンドンにおいては」
ハイドはにこりと笑ったものの、何も言わなかった。
女性のいる場所のすぐ奥まで向かうと、自動ドアのように、空間が押し開いた。抜けた先には、白く明るい部屋に出た。振り返るとそこには、薄暗いホールはすでに見えなくなっていた。
電球一つなかったが、部屋は光り輝いている。何かしら魔法がかけられているのは間違いなかったが、不思議にも魔力はわずかにしか感じなかった。
「すごい、この魔法どうなっているの?」
「この魔法?」
「部屋を明るくする魔法。強力な魔法なはずなのに、ほぼ魔力を感じない」
「君はセンチメンタルだったのか」とハイドは言った。「素敵だ、羨ましい能力を持っている」
夏帆はふふっと笑った。床は大理石でできていた。夏帆のハイヒールの音がコツコツと響く。見物客は他数名と僅かしかいなかった。
目の前に、美しい金色の額縁に入れられた、大きな絵が飾られていた。城の一室で、赤い刺繍の施されたドレスを着た、栗色のウェーブ髪の女性が、机上の指輪に触ろうとしている。その様子を、ぱっちり二重の瞳に整えられた眉とあごひげ、かぼちゃのようにもじゃもじゃの頭の騎士が見ている。
「この絵の男性、サーウィリアムイースターに見えるんだよね」とハイドは言った。
「サーウィリアム?」
「覚えていない?学校に住んでる亡霊だよ」
「ああ」
夏帆は別のことを考えていた。この絵をどこか別の場所で見たことがあったのだ。
「もっと、美術を学んでおけばよかった」と夏帆は言った。「私の母校でも授業はあったけど取らなかったの」
「せっかく、リズ・ミネルバが教師なんだから、色々聞けばいいよ。今からでも遅くない」
「矛盾していることを言っている。前にあなたは……」
「もちろん、みんなと仲良くしたいなら、彼女と関わらない方が賢明だ。でも君はそうじゃないだろう」
「そう、母校でも同じ。母校でも私は友人はいないも同然だった。だから慣れている。そう思っていたけど、最近どうも調子がおかしい。そうか、わかった、この絵、母校に飾られていた絵だ」
夏帆は寮の入り口に、この絵が飾られていたことを思い出した。
ハイドは上品に笑った。「目の前にある方が、本物だよ。この絵は、『呪いの指輪』のモチーフになったと言われる絵だよ。高貴な女性が指輪に触り、思い人が亡霊となって出てきている。だから、女性と亡霊で少しだけテイストが違う描き方がされている。500年前の作品だけど、この世とあの世をかき分けているんだ。ただ、少しだけ小説と違うところがある。小説は、主人公の女性がルーシーという一般人だ。この絵は、貴族。その違いが何を表しているのか、まだわかっていない」
「呪いの指輪は、本当に存在するの?」
「ああ、存在する」ハイドは即答した。「でもどこにあるかわからない。在処がわかっているのは、勿忘草のカップだけ」
次の展示物へと向かった。ガラス張りの奥に、大きな斧が飾られていた。持ち手は何かの動物のような皮で覆われている。刄は古いからか、満足に切れるようには思えなかった。
「悪魔の斧だよ」
「悪魔の斧?」
「知らない?魔法道具学で習う。この斧で喉を切ると、使用者の願いが叶う。例えば、誰かをその場から移動させたいと思った時に、その人の喉を切れば、移動させることができる」
「怖い」
「ああ、おまけに貴重な品だから、偽物が多数出回っている。それで命を落とした者も多い。ここに飾られているものも、本物かはわからない」
夏帆はガラス張りに近づいて、そっと手を当て、目を瞑り、魔力を読み解いた。
「これは本物かもしれない」と夏帆。
「ほんと?」とハイドは言った。
「ガラスの向こうに、わずがだけど、とても複雑な魔力がかけられているのがわかった。人間の為せる技ではない。貴重なアイテムかも。それに、もしかして、りんごの木を持ち手に使っている?りんごは魔力を持つ。わずかにりんごの魔力を感じた」
「これがもし本物だったら、夏帆はお手柄だ。でも、試すのは少し怖いね」
ハイドはそういうと笑った。
博物館は広く、全てを見終わるのに2時間かかった。博物館の片隅にあったカフェに入ると、ミルクティーを頼んで飲んだ。
「とても楽しかった」と夏帆は言った。
「嬉しいよ、なかなか着いてきてくれる人はいない」
「よく来るの?」
「いや、一年ぶりくらいだよ。このところ新しいミュージカルの創作に忙しい。2年後の完成を目指しているんだけど、どうも良い案が浮かばないんだ。完成次第、オーディションをやるつもりだから、よかったら夏帆も受けてよ」
「私、歌えないよ?」と夏帆は笑った。
2人は紅茶を一口飲んだ。
「今日、このあと空いてる?」とハイドは聞いた。
「ええ」
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