第11話 ノアの明かした秘密

 ロミオの葬儀の後、何事もなかったかのようにピーターは学校へと復帰した。


 ピーターを一目見ると、ノアとスティーブはピーターの元へ飛んでいって抱きついた。


 私がもし、何かしらの理由で学校に突然来なくなり、そして、戻ってきたら、ああやって、泣いて喜んでくれる人たちはいるのだろうか。


 普通の幸せなんて捨てた、という立川の言葉が脳裏によぎる。


 学校で孤立することなど慣れている。そう思っていたはずなのに、どこか胸の奥をぐっと締め付けられる。


 なぜだろう。イギリスに来てから私が私でなくなってしまったみたいだ。これまで抑えてこれた感情が一気に込み上げてくる。今にも爆発しそうだ。


「ウッド派を倒そう。もう僕らだけでやろう。大人達なんて当てにならない」とピーターは拳を握った。


「そうね。作戦を立てましょう」とノア。


「まずは至宝をもう一度探しに行こう」とスティーブが小声で言った。


 学校では、呪文分析学とは名ばかりの決闘術の授業が行われていた。講師は、杖屋のリーブスだった。人手不足のため、臨時講師として派遣されているらしい。ギルド・ストラッドフォード著『簡単呪文分析術』を指定教科書にはしているものの、机の上に置いたまま、開こうとする学生は1人もいない。


「座学をしなくては意味がない」と夏帆はつぶやいた。ノアはちらりと夏帆の方を見た。


 皆、思い思いに呪文の練習をしたり、決闘をしあったりしていた。その様子は混沌としており、授業と言えるものではなかった。リーブスも何も言わずに椅子に座って様子を見ているだけだ。たまに、新しい杖を買いなさい、というばかりである。


「私と勝負よ」とノアは夏帆に近づくとまっすぐ杖を向けた。夏帆は面倒くさそうにため息をつくと、椅子に座ったまま頬杖をつき、ノアから目線を逸らした。


「ねぇ」


「お断りします」と夏帆。


「あら、私との勝負が怖いの?」とノアは挑発するように言った。


「そうだぞ勝負しろよ。何しに授業を受けに来たんだよ」とスティーブが言った。


 夏帆は再びため息をつくと立ち上がった。


 ノアと夏帆は対峙した。教会の一室には隙間風が通る。2人は一礼をすると、3つ数えた。


 決闘の儀式的な動きになんの意味があるのだろう。戦いの本場では、いつどこで何が起きるかわからない。敵が、儀礼通り動くわけなんてない。


 どうしよう、と夏帆は思った。ノアに勝つべきだろうか。挑発的なノアを懲らしめたい気持ちはある一方で、あまりに強いことがバレれば、今後のスパイ活動に差し障りが出るかもしれない。


 そうか、これが夏海が力の強さを隠していた理由か、と唐突に理解した。


 考えられる時間はおよそ3秒。1、2、3とノアが数えるとともに、夏帆は杖を下ろすと二本指を立てて口元に当て、小声で呪文を唱えた。


「臨兵闘者皆人列在前」


 ノアが青色の閃光を放つとともに、夏帆は煙とととにその場から消え、ノアの背後へと回った。そして、腕で、ぐっと背中を押すと、ノアはその場にバタリと倒れ込んだ。夏帆はノアの杖を奪い、杖先をノアへと向けた。


「ずるいぞ!」とスティーブが言った。「魔法を使わずに手をだすなんて!」


「手を使ってはいけないなんてルールはないでしょ?」と夏帆。


 ノアは恐怖で体を震わせていた。


「それはへりくつだ!」とスティーブ。


「あなたもノアのために怒る時は、ピーターみたいになるのね。なら、もう一度やる?」


「俺がやる」とピーターが言った。夏帆はニヤリと笑った。


 ノアと同じように、礼をし、数を数えた。


 1、2、3


 その瞬間、ピーターはその場に倒れこんだ。ピーターの杖は夏帆の手にわたり、夏帆は杖をピーターの喉元へと向けた。スティーブは唖然とした顔をして何も言えないでいた。


 夏帆は体を捻じ曲げて振り返ると、杖を突き刺すように動かして、背後から襲うデヴィアンを吹き飛ばした。


「決闘には決まりがある。一つは背後から狙わないこと、もう一つは勝てない相手と戦わないこと」


 夏帆は再び、ノアを睨みつけた。


「なぜなら、実戦はそうはいかないから。私、強いの」と夏帆はノアとスティーブに言った。「人を殺した経験は?信頼していた人に命を狙われた経験は?親殺しに協力したことは?あるの?」


 夏帆はピーターを睨んだ。ピーターも何か言いたげな様子でこちらを見つめ返していた。


「さすが、歴史を秘匿するような日本から来た人のやり口だな」とピーターが吐き捨てるように言った。


「……。ん?」


 ピーターの言っていることがよくわからなかった。


 ピーター、スティーブ、ノアの3人の目を順に追って行ったが、瞳のゆらぎからはその真意が汲み取れない。奥にいる、デヴィアンも、意味深長に夏帆を見つめていた。リーブス先生も聞いていなかったふりをするかのように、わざとらしく椅子から立ち上がると、他生徒の指導を始めた。


「え?今よく聞き取れなかったんだけど、なんて言ったの?」と夏帆。


「聞き取れない?英語がお得意なのに都合よく嘘を言わないで。ああ、そっか、日本人は知らないものね」とノアが腕組みをすると、ため息をついて言った。「19年前に日本で起きた内戦を知らないでしょ?」


「内戦?」と夏帆。「そんなもの聞いたことがない。竹内家が日本は牛耳っていたのだから」


 それに竹内家は政敵を暗殺するほどの手の込みよう。内戦なんておきるわけがない。


「ふん。やっぱり秘匿されてるって本当なのね。私たちは、エレメンタリースクールの頃に習ったわよ。昔、日本で学生運動が起きて、軍も動く大騒動となり、多数の死者が出た。政府はその事実を隠していて、秘密を明かしてしまったのものは、殺されているって」


 夏帆は顔を顰めた。夏帆は歴史の授業がことのほか好きだったし、テストで落第をとったこともない。それに、政治家の家系を含め、名家の子女が通う学校だった。もし学生運動による内戦が事実なら、知らないはずがない。


「そ、そんなこと、聞いたことない」と夏帆は慌てて言った。心臓の鼓動が、聞こえるほど大きくなっているのがわかった。


「だから当たり前よ。政府は隠しているんだもの」とノア。


「そんなわけない!だって、私は……」


 そこまで言おうとして口をつぐんだ。昨年夏帆は、首席で確かに学校の中枢にいた。総裁竹内義人による殺人組織、J.M.C.の活動にも携わり、最終的には義人殺害の現場にも立ち会った。その私が知らないわけない!と叫びたかったが、そんなことをこの場で言うわけにはいかない。


 夏帆は後退りをした。息が少しだけ荒くなる。


「それでも嘘だというなら、教科書を見せてやる。当時の新聞を見せてやってもいい」


 ピーターは杖をふると、新聞を取り寄せ、夏帆は突きつけた。確かにそこには、学生運動の事実が書かれていた。


「日本、今年も報道せず」


 そうタイトルに書かれている。中身を全て読むことができず、夏帆はその場に新聞を投げ捨てた。学生運動の舞台は、母校日本魔法魔術学校そのものだったのだ。これまで積み上げてきた知識が全てが崩れ去っていくような感覚がした。


 私は、去年どこにいたのだ。J.M.C.の秘密をする外部の人間になった夏帆は、まるで日本を動かしているような感覚に陥っていたが、そんなことはなかったというのか。


「ね、捏造されている……」と夏帆は力無くいうと、部屋を飛び出して行った。


 夏帆が向かった先は、立川のいる中庭だった。飛行訓練の授業が行われている。生徒はわずか3名と少なかった。


 授業が終わるのを待って、立川の元へ行った。


「ああ、夏帆ちゃん!」と立川。夏帆の曇る表情をみて、どうした?と立川は言った。


 夏帆はことの些細を話した。


「ついに君が知る時がきたか」と立川は淡々と言った。その言葉に含まれるどことない違和感にもちろん夏帆は気がついた。


「ああ、知ってるよ、もちろん、僕はね。イギリスにいた時、歴史の授業で教えてもらった。日本では情報統制がされていることもイギリスで知った」と立川は決められたセリフを言うように言った。まるで準備でもしていかのような口ぶりだった。


「それで君はどう聞いたんだ?」と立川。


「どうって」と夏帆。


「聞いたままを教えて欲しい」


 夏帆はカラカラに乾いた唇をぱくぱくと動かした。


「日本魔法魔術学校をはじめとする各地の学校で学生主体の暴動が起きて、社会問題になった。一時は政権を倒すところまで行ったけど、事態は鎮静化され、現在はその歴史がなかったことにされている」と夏帆は言った。


「なるほどね」と立川は言った。「歴史は時に作られるからね」


「どう言う意味?」


「日本政府が歴史を隠していたことは事実ということだよ」と立川。


 夏帆は顔を顰める体力さえ残されていなかった。コペルニクス的転回を前に、今にも泣きそうだった。別に政府を信じていたわけではない。でも、私は世の全てを見えていると思い込んでいた。


「また暴動が起きるかもしれないから隠していたってこと?」と夏帆。「模倣犯が現れないように?ちらりと目に入った新聞の文章にはそう書いてあった。でもそんなの本末転倒。歴史はきちんと教えて、そしてそれは間違っていることだと伝えて然るべきでしょう。なかったことにしてしまっては、良い未来は生まれない」


「間違っている?」と立川は言った。


「間違っていないって言うの?やってたことは人殺し、暴動、教育の自由を奪う行為、そして歴史の改竄。何が間違っていないというの?」


「僕は間違っていると思うよ。でも学生闘争はどの国も、そして人間界も、通ってきた道なんだ。あるべき過程を踏んだといえる。それに、君がそう考えることに驚いたんだ」


「私がそうは思わないって思ったの?人殺しを容認する人だと思っていた?」


「だって君は」


 そこまで言って立川は口をつぐんだ。もしかして立川は、私とJ.M.C.が関わり、竹内義人暗殺に寄与したことを知っていると言うのだろうか。


「上の考えてることなんて実際にはわからない」と立川は言った。「その上で言うが、結局は隠してきた理由なんて、新聞に書いている通り、そんなところだろう。模倣犯を防ぐためさ。それに、一時は学生に押され、本当に政権が危うかったんだ。竹内直人君のおじいさんも、その時にクーデターで負けたから、竹内義人が跡を継がざるを得なくなった。つまり、竹内家にとって、暴動はなかったことにしたい汚点だったんだよ」


「竹内義人が、お祖父様を追いやったと直人から聞いた」


「その通りだよ。学生運動で2人の意見が割れて、義人が追いやったんだ」


「待って、竹内直人のおじいさんが義人さんにクーデターで負けた?」


「そうだよ」


「それを直人は知らないの?え、知っていたの?」


「正直なことを話せば、僕が思うにあの学校にいたほとんどの人がこの歴史を知っていると思うよ」


「……」


「そりゃ、その反応になるよね。そうだよ、みんな知っていた。だって事件を起こしたのは僕らの親世代なんだから」


「親世代……」


「だから親から聞かされているんじゃないかな。上層部の家系育ちはみんな知っているよ。それにあの学校の子達は、その事実を公で言っては行けない理由もよくわかっている。だからみんな話そうともしなかった。別に君に隠していたわけじゃない。話すタイミングがあるわけなかったんだよ」


 どこか言い訳がましい立川の言うことがどこまで信じていいのか、私にはわからなかった。なにせ彼には何度も裏切られているのだから。でもその大筋は間違いのない事実だと言うことも、立川の口ぶりから夏帆には理解できた。


 なぜ誰も教えてくれなかったの?


 夏帆の心は動揺した。

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