第10話 英雄への嫉妬

「そういえば、ルークは?」と夏帆はパウエル校長に言った。


「ルークは私の部屋にいた。ルークが消えた。それで私はロミオの死に気がついたのだ」とアーサー。


「どういうことですか?」


「ロミオはルークと肉体を共有していた。ロミオは自らの死が近づいていることを察し、ルークを私に預けたんだよ。ルークが消失は、ロミオの死を表す」


「殺されるとわかっていたのに、逃げなかったのですか?」と夏帆。


「人の気持ちはそんな単純ではない。推測するようなものではない。だが、ロミオはこう言っていた。それでも私はこのどうしようもない怒りを鎮める方法を持たないのだよ、と」とアーサー。


「ピーター・エバンズは?」とトム・プリンスが言った。


「寄宿舎で寝ておる。ロミオの検分は済んだ。彼にも事実を伝えよう。しかしこうなればどうしようか。次に狙うは、私だろう。私にもしものことがあった場合、まずはピーターの身を守れ。それから……」とアーサー。


「なぜピーターは、そんなに庇護されるのです?」と夏帆は堰を切ったように言った。それは体の触れてはいけないところに触れるくらい繊細なことだった。でも聞かなくてはならない。私の中にある小さな違和感が確信をついたのだ。それは嫉妬とはまるで違うものだったが、嫉妬と同じ形のした、小さなしこりのようなものだった。


「先の学校の襲撃の際、ピーターエバンズは、3種の至宝の力の一部を発現したんだよ」とアーサーは言った。「もっと詳細に言えば、3種の至宝をピーターは集めたが、その力の一部を発現した。なぜ正確に発現できなかったのか、わからん。ピーターの幼さゆえかもしれん」


「3種の至宝?」と夏帆。


「日本人の君は驚くかもしれないが、3種の至宝は確実に存在し、逸話通りの力を持つ。本気で探せば見つけられる」とアーサー。


「でも至宝は、そんな、戦闘用のものではありません。至宝を集まることに何の意味が?」と夏帆。


 そう言った後、そんなことを言った自分に驚いた。私は戦おうとしている。なぜだ。それに何と戦っている。日本ではおとなしく、目立たないように生きていたのに、なぜこんなにも、まとまらない発言ばかりしてしまうのだろう。


「その通りだ。戦闘用ではない。私もそう思っていた。でも、戦闘に使えたのだ。この目で見た。紛れもない事実だ」とアーサー。


「ではなぜ、戦闘に使えないと思いながら、ピーターは集めていたのです?」と夏帆は聞いた。


「年頃というやつだよ」とその口角を僅かに上げながらも、アーサーの険しい表情は変わらなかった。


「至宝は今、手元にあるのですね?」と夏帆。


「残念だが、ピーターの力の発現が終わった後、その場に残ったのは勿忘草のカップのみだった。他の2つは消えてしまった。ただ、その力の発現により、ロビン・ウッドの襲撃はようやく終わりを迎えた。微かに残る霧の中に、美しい黒髪の女性を見たと言うものもいる。事実かはわからん」


「ピーターに聞いてみれば?」


「残念だが、ピーターは何も記憶に残っていないらしい。自分が何をしたのかもね。でもピーターはなぜか戦闘に勝った。至宝の力を使うことができたのだ。その証拠に、ピーターの近くにいた4年生は最も生き残りが多かった」


「英雄……」


 なるほど。ピーターはつまり主人公なのだ、と夏帆は唐突に理解した。この物語の主人公。私は脇役。ピーターは異国から来た分をわきまえない少女に陰ながら助けられ、最終的にロビン・ウッドを倒す。少女は世界の平和に、少しばかり役に立つ。


 もちろん私は主役に躍り出たいと思ったことなどない。目立ちたいわけでもないし、ヒーローになりたいわけでもない。なんなら今死んでもいいとさえ思っている。しかし、その脇役だ、という認識を一度持たされると、それは違うぞ、と心の中の小さな夏帆が訴える。私は私の物語の主人公だぞ、と。しかし私自身がそうであることを拒否し、周りに流され生きている間に、私は脇役に徹するようななったのだ。


 孤独、と言う言葉がもう少しピッタリ当てはまってくれればいいのに、と夏帆は思った。他者から見たら、夏帆は孤独、そうかもしれない。でも、一度その言葉に当てはまると、その枠組みからあぶれた感情が、否定されてしまう気がする。孤独という単語は、例えると泡のように湧いては消える感情を全て同じ箱の中にしまい込んだような言葉に思えるのだ。枠組みから出ることのない言葉。だから、それは少し違う。サイズの小さな靴を無理矢理履いているような違和感がそこには横たわっている。


 ピーターがポーフォート家の屋敷に到着した。ピーターはロミオを見ると、大粒の涙を流して泣き叫んだ。とても大きな声だった気がするのに、夏帆にはなぜか無音に聞こえるほど、目の前で起きていることが現実に思えなかった。ロミオの死が衝撃的だったからではない。人が死に、それに多くの人が気がつき、泣き叫ぶほど悲しむ人がいる。そういう事象の一環の流れが、夏帆は物語の中のことのようにしか思えなかった。


 心の中が疼く。こんなに慕える人がいて、死んだ時に慕われることへの羨ましさ。これが羨ましいという感覚なのだ、と夏帆は初めて気がついた。これまで戦闘に強く勉強のできる私に多くの学生が向けていた羨望。嫉妬という人間を業を煮詰めた感情はこれなのだと。


 嫉妬とはこれほどまでに自らを蝕む威力をもつものなのか。相手ではなく、自分自身への呪いなのだ。だから、夏帆の能力に嫉妬した上級生たちは、夏帆にあれだけの嫌味を言うことしかできなかった。そんなことでは呪いは解除されないことを知った上で。


「賢いっていいわね」とミネルバが言うと、暖炉から帰っていった。


 夏帆は頭を押さえた。私はそんな羨ましがられる存在じゃない。他の人が思うよりずっと不幸な人間だ。立川も言っていた。私には無理だ、と。


 夏帆は目の前にある鏡を投げつけたい気持ちになった。、

 


 

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